てのひらのうえのすこしだけこわいおはなし
黒石廉
01 もういいかい
あのね、最近、ちょっと変なことがあって相談したいの。
まあだだよ。
あ、ごめんね。気にしないでね。
変なことって……うーん、電話だとちょっと話しづらいかなぁ。
まあだだよ。
えっ? ああ、これね、後で話すね。
プリン? ああ、嬉しい、ありがと。
他に欲しい物?
まあだだよ。
思いつかないなぁ。
はやくきてくれるとうれしいな。
うん、嬉しい。
あとでね。
まあだだよ……。
◆◆◆
あっ、ちょっと高級なプリンだ、ありがとう。これ、前から気になってたんだ。
え? ひどい顔だって?
最近、ちょっと眠れなくてね。
でも、かわいい?
ありがと。
まあだだよ。
わたしって結構、田舎の子だって話したっけ?
うちだって、電車が単線だったって?
電車とか都会にしかないもんでしょ?
さすがにもう引っ越しちゃったけどさ、実家に戻ると、「あの家に住み続けてたら、あのポツンとってテレビきたんじゃねぇか?」ってお父さんが悔しがるくらいだもん。
まあだだよ。
なんで引っ越したのかって?
両親が言うには家が火事になっちゃって、それで引っ越したんだって。火事のこと、まったくおぼえてないんだけどね。
まあだだよ。
わたしね、1人っ子でね。
近所に友だちどころか、家族以外の人間がいないようなところでしょ。
だからね、毎日1人で遊んでたの。
引っ越して近所に友だちができるようになるまではずっと1人遊び。
まあだだよ。
あのね、最近、夢を見たの。
昔住んでたとこでかくれんぼしてる夢。そう、火事で引っ越す前に住んでたとこ。
1人でかくれんぼって変でしょ。
だって、うちの近く、サルとかイノシシとかしかいなかったはずなんだよ。
クマさんから走って逃げるんじゃ、かくれんぼじゃなくて追いかけっこだしね。
どっちにしても、かくれんぼとか普通できないよね。
まあだだよ。
でもね、夢の中でわたし、妹とかくれんぼしてて、かわりばんこに鬼をやったの。
わたし、1人っ子なのにね。わたし、妹なんていないのにね。
わたしが鬼をやって妹を見つけて、今度は妹が鬼をやってわたしを見つけて、それでまたわたしが鬼をやって、次は妹……。
まあだだよ。
飽きもしないでずっとかくれんぼしてたら、日が暮れてきたの。
近くになんにもないところだから、お母さんも大声張り上げてね、「帰ってきなさーい」って叫ぶの。
わたしはすぐに「はーい」って返事をしたんだけど、妹は返事しないの。
見つかりたくないから黙ってたのかな?
それとも声が聞こえないくらい遠くに隠れたのかな?
まあだだよ。
わたしね、妹を置いて帰っちゃったの。
なんか急に意地悪したくなってね、もうすぐ真っ暗になるのに、妹を残して帰っちゃった。
あ、いけない、悪いことしたなって後悔したときに目が覚めたの。
まあだだよ。
でもね、わたし、1人っ子なんだよね。
それなのに、ちょっと前から妹の声がするの。
「もういいかい?」って。
呼びかけの回数も多くなってきてね、今ではいつも声が聞こえてくるの。
まあだだよ。
ほら、また聞こえてきた。
聞こえない?
なんか、もう嫌。
今晩は帰らないで。
あのね、ぎゅっとしててほしいの。
うん。
まあだだよ。
◆◆◆
「まあだだよ」
「まあだだよ」
「まあだだよ」
目をつむり、つぶやき続ける彼女を撫でながら俺は一晩過ごした。
明け方、俺がうつらうつらした頃、ようやく彼女も寝息を立てた。
俺はしばらく彼女の髪の毛を触る。
この子はショートカットがよく似合う。
涙を流したあとが顔に残っている。
かわいい顔が台無しだ。
そっと顔を撫でる。
髪の毛に口づけをすると、俺も目をつぶった。
バイトの疲れもあって、俺はすぐさま眠った。
目を覚ますと彼女はいなくなっていた。
安心してコンビニにでも行ったのだろうか。
バイトに行く時間になってしまったので、置き手紙をする。
カギは合鍵をもっているから大丈夫だ。
そういえば、家賃節約のために一緒に住もうかという話をしていた。
一緒に住めば、今回みたいに夕方突然呼び出されることもないだろう。
◆◆◆
彼女からの連絡はなかった。
メッセージを送ってみても、既読がつかない。
電話をかけてもかからない。
どうしてしまったんだろう。
もう一度、彼女のアパートに行ってみよう。
電車で3駅、そこから徒歩で10分。
駅前のアーケードを通り抜け、そこからしばらく進んで細い道に入る。
彼女のアパートの前にたどり着く。
2階建てのコーポ、2階の一番奥が彼女の部屋。
カンカンと音を立てて階段をのぼると、ポケットから合鍵を取り出す。
中に入ってみても、彼女はいない。
ただ湿った香りだけが鼻をくすぐる。
洗面所兼脱衣所が水浸しになっている。
風呂場から水があふれているようだ。
下の階に漏れでもしたら、
俺は慌てて風呂場に入ると、水を止める。
排水口が詰まっているらしい。
俺は排水溝に手をのばす。
べちゃっとした髪の束をつかむと、水が少しずつ流れていく。
排水口は大量の髪の毛で
長く黒く、そしてぬめる髪の毛。大量の黒い髪の毛。
彼女の髪の毛はこんなに長くない。
俺は気持ち悪くなって足早にアパートを出ようとする。
どこからともなく小さな声が聞こえた。
「もういいかい?」
俺はとっさに「まあだだよ」と返す。そして、部屋の鍵も閉めずに彼女のアパートから逃げ出した。
◆◆◆
部屋にとじこもって3日が過ぎた。
何もなかった。
気のせいだったんだ。
俺は自分に言い聞かせると、スマホを取り出して、彼女あてのメッセージを考える。
「どうしたの? 急にいなくなっちゃったから心配だ。一度アパートに行ったよ。鍵閉め忘れちゃったけど、大丈夫だったかな? 一度連絡ちょうだい」
送信。しばらく待つが、相変わらず既読すらつかない。
怒ってるのかな?
コンビニに行こう。
コンビニで弁当を買って、それを食ったら、シャワーを浴びて、彼女のところに行こう。
鍵かけないで出てったから、やっぱ怒ってるんだろうな。
メッセージを送っても既読すらつかないのも、それが原因かもしれない。
ケーキを買っていこう。
彼女が好きなフルーツタルトを買っていこう。
合鍵はズボンにつけたキーチェーンにくっついたままだ。
もう一度だけメッセージを送る。
既読のマークがつく。
ほら、彼女の機嫌も直ってきている。
すぐに返事がきた。
写真が送られてきた。
風呂場でうずくまる彼女の姿。
長い髪はぼさぼさで顔が見えない。
両手で顔を覆い隠している。
風呂場の鏡を背後にしているのに、彼女の写真には鏡に映っているはずの撮影者の姿がなかった。
長い髪はぼさぼさ……彼女の髪は長くない。
俺の好きな彼女の髪はショートカットだ。
背筋を誰かに撫でられるような気分がする。
つづいて、メッセージ。
「もういいかい?」
ああ、嫌だ。
何がどうなっているんだろう。
俺が逃げ出そうとすると、どこからともなく彼女の声が聞こえる。
「もういいかい?」
俺は「まあだだよ」と答えると、ダッシュで部屋から逃げ出した。
彼女の声はどこに居ても聞こえてくる。
俺にだけ聞こえてくる。
突然、「まあだだよ」とつぶやく俺を近くを歩いていた人が気味悪そうに見る。
「もういいかい?」
彼女の声が聞こえる。
「まあだだよ」
震える声で答える。
「もういいかい?」
「まあだだよ」
1日1回だった彼女の声が1日2回になった。
1日2回が3回となり、10回をこえたあたりで俺は外に出られなくなった。
30分に1回となったところで、眠ることもできなくなった。
今では数分おきに聞こえてくる。
人間、徹夜なんてのは何日もできるものではない。
つい、うつらうつらしてしまう。
すると彼女の「もういいかい?」は聞こえなくなった。
俺は部屋のクローゼットに隠れた。
カンカンカンと階段を駆け上がる音がする。
鍵を回す音。
チェーンが……切断される音。
ドアを開ける音……。
俺は口を押さえて必死に息をこらえる。
そして、目をつぶる。
目をつぶっていれば怖いことが去る。ただそれだけを祈る。
これは夢だ。夢なんだ。目を閉じていれば、俺は気がつく。
そして、ほっと胸を撫で下ろすんだ。悪い夢を見た、と。
後で彼女にその話をすると、彼女は笑ってから、俺を抱きしめてくれるんだ。
息を止め、目の奥が痛くなるくらいに目をぎゅっとつぶる。
すすり泣こうとする自分の筋肉を必死におしとどめる。
ほら、足音が遠ざかる。
何かをひきずるような足音が遠ざかっていく。
遠ざかっているんだ。
「みーぃつけた」
クローゼットがぎぃーっと開く。
俺は目をつぶったまま拳を握りしめ、歯をくいしばる。歯ががちがちとなる。
生暖かい吐息が俺を撫でる。
俺は……。
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