第3話 『獲物』・3
かつて通っていた中学を後にした私、
その眼光は既に私を捉えているのだろうか。
「少し、出しゃばりすぎたかな」
数日前と今日の出来事を振り返る。本当であれば、香車くんが自分で私を獲物だと察知して、私を手に掛けるというのが理想ではあると思う。その方が狩る側も楽しいだろう。
だが、ある程度待ってもその時は訪れなかった。いくら優れた狩人といっても、獲物の存在に気づかなければ、狩り様が無い。だがら私は我慢できずに、彼の前に名乗り出てしまった。
自分が獲物であると。
獲物の方から狩られにいくなど自然界ではまずありえないだろうが、自分が獲物、狩られる側だと自覚している私はどうしても我慢できなかった。
狩る側の人間がすぐ近くにいるのに手を出してくれないというこの状況に耐えられなかったのだ。
あの光景を見てから、私は彼のことを調べた。どうやら彼は、普段は大人しく引っ込み思案な人間らしい。だが私は知っている。彼がその気になれば、例え相手が女子供であろうと容赦などしない。
それが、たまらない。
おそらく、彼が私を狩る気になったら、私がどんなに命乞いをしようと、どんなに抵抗しようと、あらゆる手を尽くしたところで、全く意味をなさないだろう。そして私はなす術なく、彼に殺される。
自分がどんなに頑張っても、助からない。
相手の思い通りに殺されるしかない。
そんな状況を想像すると、たまらなく気持ちいい。圧倒的な力を持つものに支配され、蹂躙されるのは、私にとって快感だ。
私がこのような考えを持ったきっかけを思い出す。
2年前、たまたまテレビで子供向けのアニメをやっていた。
その時の話は、自分と相手に被らせることで、何でも言うことをきかせる一対の帽子を開発した女性が、それをライオンで試そうとしたところ、間違えて受信側、つまり言うことを聞かせる方の帽子を自分で被り、送信側、命令を下す方の帽子をライオンに被せてしまった。
帽子の効果で、人間並みの知能を持ったライオンは女性にさまざまな命令を下し、女性はそれを自分の意思と関係なく、命令を聞くほかなかった。
ここまでなら、私もそこまで興奮しなかったが、問題はここからだった。
ライオンはその女性を食べるための調味料を、女性自身に買うように命令したのだ。
このときの興奮は鮮明に覚えている。自分が食べられるための材料を自分自身で買いに行かされる。破滅への道筋を自分自身で歩むしかない。なす術も無く、おとなしく食べられるしかない。
気づけば、女性を自分に置き換えていた。
もし、あのライオンが私に命令して、調味料を買いに行かせたら……
自分の手で殺されるための材料を買う。
どんなに抵抗しても無意味。絶対に助からない。
結局、女性はふとしたきっかけで帽子が外れ助かったが、もしこれが私だったら、助からないことを願っただろう。
自分の手では絶対に助からない状況。
相手の思い通りに従うしかない状況。
この時、私は自分が『狩られる側の存在』だと認識した。
何度も何度も、自分がなす術なく殺される状況を想像した。だが、現実には事故や病気で死ぬことはあっても、この私をピンポイントで殺そうとする人間がそう都合よくいるとは思えなかった。さらに、殺人には相手が必要だ。私の方から、「殺してください」と頼むのは何か違うし、私は当時、普通の中学生だったため、恨まれるというのもなかった。
つまり、私を殺したいから殺す。という『狩る側の存在』がいなかった。
所詮は夢物語と思い、諦めかけていたある日のこと。一年ほど前、その光景を見た。
一人の少年が、泣き叫ぶ少女に金属バットを振り下ろそうとしていた。
衝撃を受けた。
少女は泣き喚き、必死に許しを請う様子だった。それでも少年はバットを振り下ろそうとしていた。
自分に対して命乞いをしている相手を。
泣き喚くしかない無力な存在を。
普通なら躊躇してしまう状況で。
少女を殺そうとしていた。
結局、別の少年が少女を庇い、少年が彼に何かを言われている隙に少女は逃げてしまったが、一部始終を見ていた私は、歓喜に震えた。
やっと見つけた、『狩る側の存在』。
彼なら、私がどんなにか弱い存在だったとしても容赦はしないだろう、強さではない、獲物に対する容赦の無さが重要なのだ。
もし彼が私を獲物として認識したら?
私を殺したくなったら?
その時を想像して身震いした。
絶対に助からない。
その時から、私の想像は彼に殺されるというシチュエーションになった。彼のことも調べた、幸運なことに同じ中学に通う後輩だった。彼が私を捉えるチャンスも多いだろう。だが、その時は来ず私は中学を卒業してしまった。高校に通うようになっても、私は彼の通学時間に合わせて登校した。少し遠回りをして、彼が私の姿を見るようにもした。だが、私に獲物としての魅力が足りないのか、彼が私を狩る時はいまだに訪れなかった。
そして、高校に入学して半年が経ち、校門を出ると偶然にも彼が、あのとき少女を庇った少年と一緒に歩いていた。
もはや我慢できなかった。
獲物の方から狩られにいくのはどうかとも思ったが、気づけば彼の前に跪き、獲物であることを打ち明けた。彼は狼狽していたが、あのときの容赦のない彼を私は知っている。
彼が私に興味を持ってくれれば、すぐにその時が訪れるだろう。
それが……本当に、楽しみだ。
※※※
一週間後。
あれから、柏さんが僕の前に現れることはなかった。
幸四郎は彼女のことは忘れろと言っているが、僕はなぜかあの人のことが気になっている。
自分を獲物だと言ったあの人を。
僕はこれからどうなるのだろう。このまま高校に進学し、就職するのだろうか。そもそもうまく就職できるのだろうか。そんな不安を胸に日々を過ごしている。
もし、あの時、幸四郎が庇うより前にバットを振り下ろしていたら?
不意にそんなことを考えてしまい、頭を振ってその考えを消そうとする。だがその考えは消えない。
都合よく、『獲物』が自分から現れたから。
――何を考えているんだ僕は。それこそ相手の思う壺だ。
とにかく忘れよう、今のこの日常を捨てるわけにはいかない。
※※※
昼休み。
俺は、中学の校門の前にいた。あの女がいつ現れるかわからないからだ。あいつを香車に会わせるのは、絶対にまずい気がする。だがあの女は来た、懲りずに香車に会いに。
「やあ、君は確か……
「意外だな。あんたは香車にしか興味ないと思っていたぜ」
俺は思い切り敵意をこめて柏を睨むが、こいつにはあまり効果がないようだ。
「無理はしないほうがいい」
そんなことを柏は言う。
「君は、思いつきで行動する人間ではないし、想像力のある人間だ。だから、私を攻撃したら、後でどんな追及を受けるかを考えてしまう。だから躊躇う。彼とは違ってね」
まるで、俺を前から見ているかのような口ぶりで語る。
「……ずいぶんと俺を評価するじゃないか。あんたがご執心なのは香車じゃないのか?」
「君は人間としては優れているかもしれないが、狩る側の存在とはほど遠いよ。対して香車くんは確実に私を狩る方法を取るだろう」
柏は言葉を続ける。
「狩るというのは戦うのとは違う。相手を殺し、なおかつ自分の安全を確保することが重要だ。あの時もそうだっただろう? もし彼があの少女を殺したとしても……」
「黙れ!」
思わず叫んだ。そのことについてこいつに触れられたくない。
「お前に何がわかる! 香車はあの時とても苦しんで……」
「そう、苦しんだ。それは間違いないだろう。だが同時にチャンスとも考えた」
「ふざけるな! あいつは……そんな奴じゃない!」
校庭にいる生徒たちがこちらを見てしまう。あまり騒ぎを大きくするとまずい。
「……とにかくあんたを香車に会わせるわけにはいかないな」
「君の方こそ、ずいぶんと彼にご執心なんだね。それは友情か、はたまた……愛情か」
「てめえ、何を言って……」
「ただの想像さ。まあ、君がこの場をどくことはないのならこれ以上ここにいても無意味か」
柏は自分の学校に帰ろうとする。
「そんなに死にたいのなら、俺が殺してやるよ。あんたは目障りだしな」
「もう一度言うよ。無理はしないほうがいい。この場で私を殺したら、いかに面倒かは想像できるだろう?」
こいつは俺のことも調べているのか?そんなことを考えているうちに、柏は去っていった。
香車には弟がいた。あいつの二歳下で、兄貴と違い活発な性格だった。
だが一年前、車に
香車は苦しんだ。初めての身内の死に苦しんだ。
苦しんだんだ、あいつは。
だから考えたのだろう、なぜ弟が死ななければいけなかったのか。そしてあいつはその原因を偶然にも突き止めた。
弟と同じクラスだった女子が、ふざけて彼を突き飛ばしたのだ。
車の運転手からはその女子が見えなかったため、弟が自分で飛び出したということになっていた。だが、香車はその女子がそのことを自慢げに友人に話しているのを聞いてしまった。
自分が突き飛ばしたのに、バカな奴らだと。たとえバレても、自分は子供だから大した罪にはならないと。
それを聞いた香車は、すぐに家から金属バットを持ち出し、その女子が一人になったところを狙って襲いかかった。俺が気づいた時には、バットを振り下ろす寸前だった。
なんとか女子を庇うことに成功し、香車を説得した。あいつは普段と同じような様子で俺の話を聞いてくれた。
その後、女子は全ての行いを告白し、引っ越していった。
あいつは弟のために、彼の仇を討つためにあんな行動を起こしたのだ。
その事を勝手な解釈で歪めるあの女――柏恵美は許せない。
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