第2話 『獲物』・2
目の前で女性――柏さんが跪いている。この状況の不可解さは今まで経験したことはないものだった。
だが、この人は今、確かに言った。自分が「犠牲者」だと。
「……結局、名乗り出てしまったか」
柏さんが立ちあがり、僕の目を見る。その背丈は僕と幸四郎の中間といったところか。細身ですらりとした体型だが、凛とした佇まいとどこか含みのある微笑が特徴的だ。
「さて、香車くん。君は犠牲者で生贄たる私の存在を確認した。君が何をしようと私は抵抗する気はないが、例え抵抗したとしても、私が君の手から逃れることなど、出来はしないだろう。そう、今この瞬間、私の運命は決まったのだ」
どこか芝居がかった口調で、柏さんの口から次々と言葉が出てくる。僕はなぜかそれを黙って聞いていたが、横にいた幸四郎は違った。
「待てよ、センパイ」
幸四郎が、相手を牽制するときの声を出す。
「うちの卒業生だろ? だから一応そう呼ばせてもらうぜ。それでセンパイよぉ、いきなり出てきて、何わけのわからないことを言ってるんだ?」
僕と柏さんの間に立ち、後ろ手をチョイチョイと動かす。この人はやばい人だから、自分が話している間に逃げろと指示しているのだろう。だが僕はその場から立ち去らず、柏さんの話を聞いてみたいと思った。
「今言ったばかりだろう? 私は彼の第一の犠牲者だ」
「それが意味わかんねぇって言ってるんだけど」
「ああ、すまない。もっと直接的な表現にすべきだったか」
柏さんが自分の首下に手をかざす。
「彼、棗香車くんはこの私、柏恵美を近いうちに殺害する」
彼女は手で自分の首を切る動作をする。
「そう言っているのだよ」
彼女の言葉が僕の考える通りだったことを受けて、ようやく言葉が出た。
「な、何を言って……第一の……?」
「ん? ああ、第一とは限らないか」
「え?」
「もしかして君は殺人は経験済みなのかな? 別にそれでも構わないよ、君の犠牲者として名を連ねられるのなら、何番目に殺されても関係ないし、私のことなどすぐ忘れて構わない。君がどんな殺害方法をとろうと、私に拒否権など無いし、君がよければ今すぐにでも……」
「ま、待ってください!」
放っておくとどんどん話が未知の方向に行きそうなので、大声を出して止める。
「何なんですか!? 僕があなたを殺すわけないでしょう! 今会ったばかりだし……それに僕は殺人鬼じゃありません! 人を殺したことなんて無いです!」
「それならやはり、私が第一の犠牲者となるわけか」
どうも話が通じない。
「センパイ、あんたが変態だってことはわかった。だが、香車があんたを殺すわけがない。ということでこの話は終わりだな。バイバイ」
幸四郎が僕の手を引っ張ろうとする。
「香車くん、君は金属バットは好きかね?」
その言葉がそれを遮った。同時に僕を硬直させるには十分な言葉だった。
「私は知っているよ。君が本気になればいくら相手が……」
「てめえ!」
僕が固まっている横で、幸四郎が柏さんに掴みかかった。
「何を知っている!? いや、そんなことはどうでもいい。人の過去をほじくりかえして楽しいのかよ!?」
「そんなつもりはないさ。あれを見たのはたまたまだ。そしてこれは、香車くんにとって必要なこと」
柏さんが言葉を続ける。
「私という獲物を狩るのに、必要なこと」
あまりの異様さに、幸四郎の手が緩む。
「はっきり言おう、私は香車くん、君に殺されることを待ち望んでいる。だが、獲物の方から狩る側の存在に近づくのは、君にとって面白くないのかと思って、君が私を獲物として認識するまで我慢しようと思っていた。通学路でも何回かすれ違ったのも、そのきっかけ作りのためだ。しかし、私の方が我慢出来なくなってしまってね。獲物の分際でこうして名乗り出てしまったわけだ」
「何を言って……」
「だが安心してくれ、あくまで主導権は君にある。私をいつ、どんな方法で殺すかは君の自由で、そこに私の意志が介入する余地はない。獲物の方が主導する殺人などあるはずがない」
柏さんは、僕達に背を向ける。
「今日のところはこれで失礼するよ、獲物を認識させるという目的も済んだからね。だが、香車くん」
そして、その微笑を一層、不気味なものにしながら言った。
「今、この瞬間でも構わないよ」
僕達は彼女が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしてしまった。
数日後。
結局あの日は、カラオケには行かなかった。とても行く気分ではなかったし、久しぶりに『あのこと』を思い出しそうだったからだ。それでも幸四郎はいつもと変わらずに僕と接してくれた。そんな日の昼休み。
「香車、サッカーのゴールを確保したから、サッカーやろうぜ」
「ああ、いいよ」
僕は何人かのクラスメイトと共に、校庭に向かう。だが、校門にいる人物を見たことによってその歩みが止まってしまった。
「やあ、香車くん」
高校の制服を着た柏さんが満面の笑みで、僕に挨拶をする。
「今日もすがすがしい天気だ、とても晴れやかな気分で獲物を狩ることが……」
「待てよ、センパイ」
あからさまに敵意を持った表情で幸四郎が柏さんに向かう。
「あんた、学校はどうしたんだよ? 卒業生とはいえ無断で他校に入るんじゃねえよ」
「今は昼休みだよ、私はこう見えて成績・素行がいいからある程度黙認されるのさ、
柏さんは一呼吸おいて話す。
「もうすぐ死ぬ私には何の意味もないがね」
あくまでこの人は、僕に殺される気らしい。僕にその気は……ないというのに。
「おい、棗に柳端。この人知り合いなのか?」
成り行きを見ていたほかのクラスメイトが声を掛ける。
「それだったら、ちょっと紹介してくれないかな彼女と別れたからさ、年上のお姉さんっていうのも……」
柏さんに聞こえないよう、小さい声で耳打ちする。確かに、柏さんの顔は美人の部類に入る。中身に問題がありすぎるとは思うが。
「さて香車くん、獲物が再び自分から君の前に現れた。君の両手で首を絞めるもよし、何か武器を持ってくるもよしだ。獲物である私に抵抗の意思はない。むしろ待ち望んでいる。君の手に掛かるときを今か今かとね」
次々と飛び出す問題発言にクラスメイトもちょっと引いている。
「いい加減にしてくれませんか? 僕はあなたとこれ以上関わりたくありません」
ラチがあかないので、きっぱりと言うことにした。
「そう思うのであれば、私を殺せばいい。この口を永遠に閉ざすことが出来るよ」
どうしても、そっちの方向に行きたいらしい。
「センパイ、いい加減にしろよ。教師を呼ぶぞ?」
「ふむ、大事になるのはまずいな。ならまた今度にしよう。だが香車くん」
柏さんは去り際に言葉を残す。
「私はいつも、人通りの少ない場所を通って帰る。君のことを待つためにね。チャンスはいくらでもあるよ」
最後まで一貫した意志を崩さずに柏さんは去っていった。
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