第4話 『獲物』・4
翌日。
学校が終わった後、僕は荷物を取りに一旦家に帰った後、なんとなく、街をブラブラしていた。
そして、柏さんの高校の近くを偶然通ると、彼女の姿を見た。
幸四郎には関わるなと言われたが、僕は柏さんが気になっていた。声を掛けようかとも思ったが、また良くわからない会話になってしまうだろう。
だから声を掛けるでもなく、彼女の姿を見ていた。
彼女はこの前の言葉通り、人通りの少ない場所を通って帰っていた。だが、向かう場所がおかしい気がした。このまま行くと、住宅街ではなく、工場地帯だ。こんなところに柏さんの家があるのか? 少し気になって後をつけていた。
すると柏さんは廃工場の中に入っていった。なんでこんな所に?思わず、恐る恐る中を覗いてしまう。
柏さんは工場の中で何をするでもなく佇んでいた。
中には柏さん以外誰もいない。つまり、柏さんに何が起こっても、どんな危険が迫っても誰も気づかない。
そんな考えを浮かべてしまい、必死に振り払う。何を考えているんだ僕は、柏さんがここで何をしようと関係ないじゃないか。
帰ろう、ここにいる必要は……
いいのか? せっかくのチャンスをフイにして。
突然浮かんだ言葉にはっとする。僕は何をしたいんだ? こんな荷物を取ってきてまで、何をしたいんだ? この場から立ち去っていいのか?
「やっぱり、ここに来たのか、香車くん」
突然の声にドキリとする。柏さんは僕の存在に気づいていたのか?
「ここまで来たんだ、せっかくだから中へ入りたまえ」
柏さんに言われるがままに、僕は工場の中に入る。
「どうだい、この辺り一帯には君と私以外、誰もいない。二人きりだ」
「……だから何ですか?」
「私にどんな危険が迫ろうと誰も助けに来ないということだよ」
僕が考えていたことをそのまま口にする。
「君もこの場所は目につけていたのだろう?だから、私がここへ向かうのを黙ってついてきていた」
「僕は、あなたに何かしようなんて……」
「じゃあ、その荷物は何かな?」
柏さんは僕が持っていたボストンバッグを指差す。
「ただの散歩でそんな大荷物はいらないだろう? その中身が非常に興味深い、いったいどんなものなんだ?」
そして言う。
「私を、殺す道具は」
僕はボストンバッグを地面に置き、ファスナーを開けた。
その中には、包丁・ノコギリを初めとした刃物。ハンマー・バールといった鈍器。そして、穴を掘るスコップが……入っている。
「僕は……これは……」
「嬉しいね、私のためにあらゆる道具を揃えてくれたのか。さて……これでもう決まった」
彼女は自分の運命を確信した。
「私はもう、助からない」
※※※
「私はもう、助からない」
自分で言って、身震いをした。そう、私は助からないのだ。携帯電話を取り出し、圏外であることを確認する。助けなど呼べない。目の前にはあらゆる凶器を持った『狩る側の存在』。
「ああそうだ、これも確かめないとね」
無駄だということを確認したいことがある。
私は着ていた制服のブレザーを脱ぎ、ブラウスとスカート、さらには靴とソックスを脱いで下着姿になった。
「……なんのつもりですか?」
彼に私の下着姿を晒す。正直、私はやせ型であり、胸も小さい。私の体に魅力があるかは知らないが、確かめたかった。
「……もし、私が君にこの体を好きにさせる代わりに命だけは助けてくれと言ったらどうする?」
私に残された、最後の希望。彼はそれすらも摘み取ってくれるだろうか。
「……関係ありません、殺します」
ああああああああ!
すごい。私が幾度と無く想像した通りだ!
私に残された、ありとあらゆる希望を全てかき消してくれる。
無理だ。目の前の彼から逃れ、助かることなど絶対に無理だ。
既に私は丸裸。何の武器もない。
彼の方が年下だが、私の細腕では男性には絶対に敵わない。ましてや彼は武器を持っているのだ。
袋小路、完全なる詰み、チェックメイト。
そんな言葉が頭の中でグルグルと回る。
「……そうか。私は終わりなんだね」
「はい」
『狩る側の存在』が、私の終わりを告げる。私に出来ることは彼がどんな方法で殺すにしろそれを受け入れるだけ。
静寂がその場を支配した。
嵐の前の静けさというものか。
目を閉じて、嵐に当たるすさまじい痛みを待っていると……
「香車ぁ!」
招かれざる勇者の声で静寂が破られた。
※※※
俺がなぜ、今日に限ってその廃工場に行こうとしたのかはわからない。
ただ、胸騒ぎがした。香車が最近、一人で帰るようになり、帰り道にその廃工場を調べていたから。
居て欲しくなかった。その廃工場にはいるなと願っていた。だが、香車はいた。柏と二人きりという最悪の状況で。
「香車ぁ!」
廃工場の中には、ボストンバッグから何かを取り出そうとしている香車となぜか下着姿の柏がいた。
「……ずいぶん、いいタイミングで現れたね君は。まるで、お姫様を助けに来た勇者だ」
柏が珍しく、微笑みではなく苦々しい表情をしている。
「だが、残念ながら姫は魔王の手に掛かることを望んでいる。場違いな勇者は帰ってもらおうか」
「ふざけんじゃねえ。魔王はお前だよ、柏 恵美!」
本心からの言葉をぶつける。この女が現れてから、全てがおかしくなった。ならば俺は囚われの香車を柏の手から助け出す。
「……幸四郎?」
香車が俺を見る。待ってろ、今、全てを終わらせてやる。
「……あんたは殺されたいんだろ?なら俺が殺してやる!」
悩んだ末だった。香車を説得することも考えた。
だが、香車は柏に影響され、すでにこの女を手に掛けようとしている。香車を止めることは無理だ。
なら……
香車が殺人犯になる前に、俺が殺人犯になる。
「なるほどねぇ、美しい友情だよ。だが、そんな考えの人間に殺されたくはないのだが」
「お前のイカレた考えなんて知るか!」
俺は家から持ってきた包丁を手に、柏に突進する。
「死ねえええええええ!」
だが、その動きは……後ろからの衝撃によって遮られた。
「がっ……!?」
誰が!? 柏じゃない。柏は俺の前にいる。俺の後ろにいたのは……
「邪魔しないでよ、幸四郎」
香車がスタンガンを持って、立っていた。
「彼女は、僕の獲物だ」
※※※
僕はあの時のことを思い出していた。弟を殺した女の子のこと。
僕は弟の死の真相を知った後、すぐに家に帰り、金属バットを持ち出した。そして、あの女の子が一人になる所を狙って襲い掛かったのだ。
肩に一撃を当てると、女の子はその場に倒れた。
そして、バットを持った僕の姿を見ると、すぐにその顔を恐怖に引きつらせた。
目の前に女の子がいる。
泣き喚いている。だから何だ?
命乞いをしている。だから何だ?
失禁している。だから何だ?
例えこいつを殺したとしても……
弟の仇を討ったということに出来る。
その時の僕は、間違いなく笑っていた。
※※※
私は、彼がたった今発した言葉を頭の中で反芻する。
『彼女は、僕の獲物だ』
嬉しい、嬉しい、うれしいいいいいいいいいいいい!
彼の口から言ってくれた。
私は彼のエモノだ、彼のモノだ。
さあ、どういう方法で殺されるのだろう。
ハンマーで頭をかち割られるのかな?
包丁で滅多刺しにされるのかな?
ノコギリで生きたまま四肢を切断されるのかな?
それとも私では想像できない方法で殺してくれるのかな?
「きょう……しゃ……やめろ……」
既に彼を止められるはずもない乱入者が、無駄な抵抗をする。
「君はおとなしく見ていたまえ。彼が私を殺すところを。ギャラリーがいるというのも悪くない」
私が発した言葉に、狩る側の存在である彼がピクリと反応した気がするが、今の私の高揚の前では些細なことだった。
「終わりか、これで」
彼が包丁を取り出した。どうやらあれで私を殺すらしい。
彼が一歩一歩私に近づいてくる。私の死が近づいてくる。
どうあっても助からない。私の生存確率はゼロだ。
そして、包丁が……刺さった。
彼の腹部に。
「……え?」
何が起こっている?
私の目の前で何が起こっている?
私の目が確かならば……
彼が自分の腹に包丁を突き刺した。
「何をしている?」
思わず聞いてしまった。彼がその場に倒れる。血がどんどん流れてくる。
「何をしていると聞いている!」
思わず叫ぶ。この行動の意図がわからない。だが、彼は口を動かした。
「幸四郎が止めてくれたんだ……僕が誰かを殺してしまう人間なら……僕を殺す」
何を言っている!?
あの男が……狩る側でもなんでもないあの男が止めたというのか!?
「香車!」
あの男が叫ぶ。喋れる程度には回復したらしい。
「何をしてんだよ、柏恵美! 早く救急車を呼べ!」
男が尚も叫ぶ。救急車? なんだっけ、それ?
「あんたも香車を死なせたくないだろ!あいつを助けるんだよ!」
救急車……ああそうだ、怪我人を助けるために呼ぶものだ。
「し、しかしここは圏外……」
「馬鹿野郎!だったら、電波が通じるところに行けよ!」
あ、あああ。
そうだ、彼を死なせてはならない。
彼は私を殺すんだ。
そうでなくてはならない。だから彼を助けるんだ。
※※※
一週間後。
僕は病院のベッドの上にいた。
あの後、柏さんが呼んだ救急車によって病院に運ばれた僕は、治療を受けて入院することになった。
「ふう……」
目が覚めたときの幸四郎の顔を思い出す。彼が泣くところを初めて見た。
彼によると説明が大変だったらしいが、うまくごまかせたらしい。
そりゃそうか。柏さんは下着姿だったし、幸四郎は痺れて動けない。状況をうまくごまかすのは大変だったろう。
しかし幸いにも、僕の傷は浅く、退院はそう遠くないそうだ。
そりゃそうか。
初めから、死ぬつもりなんてなかったのだから。
柏さんが言った言葉。
『君はおとなしく見ていたまえ。彼が私を殺すところを。ギャラリーがいるというのも悪くない』
この言葉が僕を止めた。幸四郎が僕が殺人を犯すところを見る。それはまずい。
幸四郎は僕のために殺人を犯そうとした。僕のために将来を犠牲にしようとした。あんなに真剣に考えていた将来を。
本当に大切な親友だ、心からそう思う。彼とは、ずっと大切な関係でいたい。
だが僕は、今も楽しみたい。
幸四郎は僕のために人生を棒に振ろうとした。すごい事だ、僕には出来ない。
獲物のために人生を棒に振るなんて。
だから、僕の理想は、『僕の平和な日常を保ちつつ、衝動に身を任せたい』というものだろう。
だが、それはとても難しいことのように思える。ふと、窓から病院の中庭を見下ろしてみる。
見覚えのある姿があった。だが、その人は突然現れたわけではなかった。先ほどからそこにいた。
彼女は僕の視線に気づくと、ポケットからナイフを取り出し、その場に跪く。
そして、ナイフの柄を僕に向けて差し出した。
それを見て、僕の理想を叶えるのは、そう難しくないように思えた。
だって僕には……
「香車くん」
僕には……
「殺したくなったら、いつでもおいで?」
いつでも殺せる……獲物がいる。
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