第7話 距離感がおかしい

 挿頭草かざしぐさ 雨鈴うれいが異世界へ飛ばされ果ての塔へやって来てから四日、人の世では一ヶ月強が過ぎた。

「や、やー!」

「腰が引けている」

 ウレイは畑仕事をしている魔導王アーサー・ベルランスの横で手の平ほどの長さの杖、ワンドを振っていた。ある程度のハーブを知っていたウレイはすぐに杖の練習を始めても大丈夫だろうと判断され、アーサーたち果ての塔の魔導士たちから手ほどきを受けた。

 当然のことながら魔法や魔導のない日本で暮らしてきたウレイは術を使いこなせるはずもなく、今は杖を振り回すことしかできない。本来であれば、杖によって魔力が引き出され、目に見える色のついた光となるそうだ。

「うう……」

 アーサーは作業を中断し、手の汚れを布巾で落とすとウレイの腕と腰を支えた。

「足でしっかり土を踏んで、体の中心で魂を支えるように。腕には力を入れない」

「う、はい」

 アーサーはお手本にと、そばに立てかけてあった己の背丈ほどの杖を持ってきてさっと振った。星を含んだ群青色が杖の先からふわりと漂う。

「こう」

「やっぱりわたし魔女になんて……」

塔で半日杖を振り続けても魔力すら出せないウレイはすっかり気落ちしていた。

「……今日はここまで」

「ありがとうございました……」

 ウレイは肩を落としたまま平家へ戻っていった。カスタード・プディングを作って以降、ハーブの扱い方を覚えながら料理をするのが彼女の日課となっていた。

「頭で考えすぎなのでは?」

 一連を見ていた弟子のリドが家畜小屋から帰還し、アーサーと共にウレイが消えた平家をながめる。

「難しく考えているかもしれないな」

「もう少し感覚に素直になるといいですね」

「そうだな」

 弟子のリドはここのところ面白くなかった。と言うのも、己の師がまだ数えるほどの日数しか共に過ごしていない相手に、それも異世界人に、簡単に気を許し容易く触れるのを黙って見ているしかない状況。師を大事に思うからこそ不満だし、師匠自身は新入りへの好意に無自覚だし。おまけに相手も師匠へのなつき具合に無自覚。二人に振り回されている気分だった。

(イチャイチャするなら自覚してからやってくださいよ)

「どうした」

「え?」

「小難しい顔をしている」

ご自身が悩みの種なんですよ、とは言えずリドは大きく息を吐いた。

「何でもありません」

「何でもなくは……」

「家に帰って仕事しますので!」

 リドはぷい! とそっぽを向いて精霊の道からマグダラス王国へと帰ってしまった。

(……何を怒っているんだあいつは……?)


 一方キッチンへ立ったウレイは、タイ米によく似たセルの地元の国の作物を魚の出汁で茹で始めた。こちらの米も日本の米とは違い味と粘り気が薄く、そのまま食べると味気ない。

(お料理の時は楽しいのにな……)

ウレイは先ほどの魔導の訓練を思い出しながら米の味付けを考えていく。

(今日はスパイスたくさん入れてパエリアっぽくしてみようかな)

「お〜いいにおい」

 別室からひょっこりと顔を出したのはアーサーの弟子の一人ミラ。ミラはアーサーの元に残った弟子のなかで唯一の女性。果ての塔暮らしのメンバーに新しく加わったウレイが女性なので、二人は気楽に話せる相手が増えたと喜んだ。

 街では魔導の貴公子と呼ばれる容姿端麗な男装の麗人は、乙女らが喜びそうな笑顔をウレイへと向けた。

「夕飯は何を作るの?」

 昨日までミラはウレイに敬語を使っていた。しかし女性同士と言うのもあり、さらに新入りに敬語を使うのはおかしいと言う理由でウレイはミラにタメ口で話す約束を取り付けた。

「スパイスたくさんお魚ピラフです」

「へぇ〜!」

「……ちょっとからいかもしれません」

「あー、辛い料理? からくしすぎると先生食べないかも」

「え? からい物ダメなんですか?」

「そう昔から」

「こんなに色々スパイス取り揃えてるのに……」

「食べるだけの物じゃないからね」

 魔導士、こちらで想像するところの魔法使いの彼らは薬の調合にも香辛料を使う。胡椒コショウなどもそのうちの一つ。食べる物にはカウントしていなかったため、キッチンの棚には存在していなかった。ウレイが来るまでは。

(先生は子供舌、と)

「杖の勉強はどう?」

「全然ですよ」

「片っ端から試したのにどれもダメだよねー。何がダメなんだろう? ニワトコ、ヤナギ、イチイ、ブドウ、トネリコ……ニレと、ハシバミ? あともう何種類もないよ? 杖の素材」

「そうなんですよ……」

 半日粘っても、ウレイは自分に合う杖の素材を見つけられていない。アーサー一同のお下がりを振り回しているだけだ。

(ていうかそもそも先生たちは何本杖を持ってるの?)

「地元に生えてた木って思い出せる?」

「うーん、ケヤキとかサクラとか……?」

「こっちにもウレイの国に近しい場所があるから、買いに行った方が早そうだね」

「そうですね。その方がいいかも……」

 ウレイは刻んだタマネギを炒め、茹でた米と合わせてシャッシャッとフライパンを振るう。

「上手だよねー」

「何度かご近所に手伝いに行ってて」

「食堂で下働きしてたの?」

「そんな感じですね」

(アルバイトです)


 食事のよい香りがただよって来たからか、丁度よく仕事が終わったからなのか。アーサーが顔をのぞかせたタイミングと、ウレイが味見係を求めてスプーンを手に振り返ったタイミングはぴったりと合った。

「先生、あーん」

 アーサーは手に荷物を持ったまま行儀悪くスプーンをくわえた。

「どうですか?」

 魔導王は美味、とうなずいて荷物を片付けに一度奥へ引っ込んだ。

「先生がねぇ……」

「え?」

「ウレイに懐いてる」

「いや、その、先生は保護者というか世話係というか……」

 深い意味はないだろうとウレイが難色を示すと、ミラはへっと鼻で笑った。

「言っておくけど、先生はまず初対面の女性を呼び捨てにしないよ」

「えっ」

「そのことに本人が気付いてないの。バカだねー」

「誰が何だと?」

 ミラの声を借りたアーサーはいつの間にか弟子の背後に立っていた。彼女は知っていたと言うように右手を頭の上でヒラヒラと振る。

「先生が無自覚なんですよー」

「だから何を」

ミラは師匠を見上げてニヤリと笑う。

「それはご自分で気付かないと」

「……リドと言いこの前からお前たちは何なんだ?」

魔導王は小休止のために食卓の椅子へと腰を下ろす。

「先生が鈍感なのでリドもやきもきしてるんじゃないですか?」

「だから何を?」

「教えません。あ、先生。ウレイの杖ですけどやっぱり向こうで調達しましょう。どれも完敗ですし」

「アシノクニか」

あしくに

名前からして日本っぽい、とウレイは頷いた。

(お米と醤油もあるかな……あとお味噌……)

「ウレイ、ご飯盛るよー?」

「あ、はい」

 魔導王とその弟子は、夕食用のパエリア風タラ炊き込みご飯をうまいうまいと頬張った。




 こちらの世界では豊葦原水穂とよあしはらみずほくにを略してあしくに、と呼ぶそうだ。

 翌日早朝、果ての塔から精霊の道を介してたどり着いたあしくには、日本人なら真っ先に想像する江戸時代劇の様相であった。

(日本だー!!)

 お出かけ用の新しいメガネと、見習い用の赤茶色のローブを被った魔女見習いウレイは、久々のにはしゃいだ。そのそばには赤いローブから中性的な美貌をかもし出しているミラと、小柄なあしくにの国民から見れば巨人のようなアーサーが立っている。周りからすれば完全に浮いているのだが、今のウレイは全く気にならないようだ。

「嬉しそうだねウレイ」

「人の感じとか建物の感じが懐かしくて……」

「ウレイの住んでいる場所もこんな感じなのか?」

「いえ、時代はちょっと古いですけど……でも懐かしいです。見慣れた感じ」

「そうか」


 餅は餅屋と言うように、杖は杖屋で売っているそうだ。ウレイはアーサーとミラに連れられあしくにで有名な大店おおだなへと連れて行かれた。

 どんと構えた入母屋いりもや屋根。正面玄関と屋根の一部は魔除けのために朱色に塗られ、内壁うちかべは真っ白。商店というより神社のようなたたずまい。

(は、派手……)

「どうした?」

「ああいや、派手だなと思いまして……」

 雰囲気に圧倒されたウレイが頭を下げ「お邪魔します」と立派な敷居をまたぐと、香木こうぼく特有の清涼な空気が吹き抜けていった。


「わ……」

 見上げれば所狭しと天井まで積み上げられた杖の箱や棚が新入り魔女を出迎える。

(すごい……)

「いらっしゃいませ! あら先生!」

 看板娘らしき若い女性は魔導王の姿を見るとパッと顔を明るくした。

「修理ですか? 父を呼んできます」

アーサーはふるふると首を横に振って弟子ミラに視線を送る。

「弟子が増えたんです」

「あらまあ!」

 看板娘は天井をぽかんと見上げていたウレイにさっと近寄った。

「あら? この人……」

「あ、こ、こんにちは」

「何だ葦原こっちの人じゃないですか!」

 異世界といえど感覚で出身ルーツが同じと気付いた彼女はウレイの手を気安く握った。

「家族一同先生にはお世話になっておりまして!」

「あ、そうですか。私もお世話になっていて……」

「いい方ですよね!」

「はいとても」

 看板娘と自然に話したウレイははたと気付いた。

(あれ? 私異世界こっちに来てから全部言葉通じてる……?)

 よく考えれば奇妙なことだった。よく似ているとは言えアーサーたちが使う言語はアルファベットではない。さらに、あしくににも漢字・ひらがな・カタカナに近い物は並んでいるが全く同じ文字ではない。一個一個をじっくり観察すると頭の中で意味が崩壊してしまう。

(でも全体を見る分には何となく読める……。何これ? 異世界人に与えられる都合の良い能力チート……?)

「お客さま?」

「はっ、すみません」

「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか? ああ、書いていただけると嬉しいです」

(書く)

 客用の名簿なのだろう。墨が染みた筆と和綴わとじの本を差し出されたウレイは困ってしまった。

(あ、あれ私この世界の文字書けたっけ? 今のところ読むしかやってないような……)

 彼女は頭が真っ白になってしまい、店員の女性の声も耳に入らない。するとトン、と優しくアーサーの大きな手が背中を押した。温かい大きな手。

 ウレイはハッとして、筆を受け取った。

(大丈夫、たぶん)

 ウレイの手は筆の動きに慣れないながらも、あしくにの文字で“挿頭草かざしぐさ 雨鈴うれい”とつづった。

「ふむ。店主を呼んで参ります」

 店員は「おとうさーん、じゃない、店長〜」と大きく声を出しながら階段箪笥を上がっていった。

 ウレイが振り向くといつものアーサーの顔がそこにあった。

「……ありがとうございます、先生」

 アーサーはふっと微笑んで、戻ってきた杖屋の店主と店員を見やった。

「お客さま、奥の部屋へどうぞ」


 杖屋の店主タカヤはいかにも堅い職人肌の精悍なだった。タカヤはウレイの顔が見たいと言い、フードを取った彼女がそれなりに若い娘だと気付くと娘のサヤと交代して手首の内側を調べさせた。

「どうだ」

「うーん、エドヒガンかな」

「ヤマザクラの方がしっかりしてるが……」

 サヤはウレイの内手首を人差し指でこすって父の鼻の前に持っていく。

な。エドヒガンだ」

「でしょ?」

「それなりに鼻が利くようになったなおめぇも。ただなぁ……アーサー様」

「うむ」

 アーサーはこの職人一家とは既知きちの仲らしく、遠慮なくミラの声で応対した。

「いま取り置いてる分だと古い樹がねェんでさ」

「取り寄せるにはどのくらいかかる?」

「そうですねぇ、五日……いや六日か七日か」

「ではしばらく近くに泊まろう」

「ようございますか?」

「ないのだろう? 構わん」

「ありがとうございます。ではお待たせしますが、その分よいものをお出し出来るよう……」

「いい、いい。そう固くならず。いつも通りの仕事を期待している」

「へい」

 杖職人はあぐらをかいたままアーサーに深くお辞儀をすると、ウレイにも同じように頭を下げて工房があるさらに奥へと戻っていった。

「ええと……?」

「はい、ウレイさまのお力に合いそうな古い木材がないので、取り寄せとなります!」

 看板娘のサヤは明るい顔でそろばんを弾き、杖の値段をアーサーに提示した。

「前金はこのくらい頂きます」

「わかった」

魔導王は立ち上がって、弟子二人を連れて早々に店先へ向かう。

「あ、あの先生……」

「行こう」

 ウレイは思わず差し出されたアーサーの手をしかと掴んだ。

「あれまぁ!」

 あの堅物カタブツの先生が! と、看板娘のサヤは笑った。

「仲良しなんですね!」

「え?」

「ではよろしく頼む」

「はい! ご来店ありがとうございました!」

 頭にハテナをたくさん浮かべるウレイを引き連れ、魔導王一行は宿を探しにあしくにの大通りへと繰り出していった。

「はぁ、にしても……」

サヤは人通りに消えたウレイの背中を見つめながらうっとりとした。

「ほんと、サクラみたいな良い魔力かおり……」

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