第4話 肩透かしなほど平穏

 明け方にニワトリの高い鳴き声で叩き起こされた挿頭草かざしぐさ 雨鈴うれいは、可愛らしい花の装飾がされた天井を見て自身の記憶を探った。

 金曜の夜、上司と大喧嘩をして最悪な気持ちのままトラックに……己を助けようとした女子高生もろともかれた。そのあと見知らぬ場所で殺されかけるという恐ろしい思いをし、魔導王と呼ばれる大柄な男性アーサー・ベルランスに保護された。

「……イセカイショウカンがどうたらこうたら……まさかね」

 だが体を起こしてみても見知らぬ可愛らしい北欧風の室内は変わらず、白い上質なナイトウェアがさらりと肌を撫でる。眠る前に寝巻きだ、と説明されて半ば押しつけられたシルクの一枚着だ。

(綿どころか絹100%だよね? 一体いくらするのか)

 起き上がった彼女は寝巻きけん肌着の上に夜空色のローブをぽっとかぶり、凝った刺繍ししゅうがあしらわれた細帯でウエストを締めた。

「こんな感じ?」

 ほんのりハチミツの香りがするロウソクと、その横に置いた黒ぶちメガネを手に取ったウレイはブーツに足を差し込んでリビングへ向かった。


「おはようございます……」

 そろそろと開けた扉の向こうは無人だった。だがぼんやり覚えている昨日の状態そのままではない。いくつか物が動いている。

「さすがに早起きすぎたかな……でも先生起きてそうな……。あ」

分厚いガラスの向こうで人影が動いていた。

ウレイは上着もかけず、戸を開けて外へ踏み出した。


「う、さっぶ」

 ぴゅお、と体温をさらっていく高い空の風。ウレイは己を抱きしめてアーサーの元へと歩いていく。

「先生……」

 畑から香草をんでいた魔導王はぎょっと目をいて、急いで肩にかけていた羊毛の分厚い上着を魔女にかけた。

「ここ、ニワトリいるんですね」

 ウレイがふるふると身震みぶるいをしたのを見て、アーサーは取ったばかりの卵の包みを彼女に持たせる。

「あ、あったか……」

 両手に卵を抱えたウレイはふにゃりと笑ってその場にしゃがみこんだ。ひとまずはこごえずに済む。

「ふぁ……いい天気」

雲よりも高いところにあるからなのか、果ての塔は常に快晴だった。昼も夜も。

(卵、どう食べるのかな? オムレツかな?)


 アーサーは急いで今朝の必要分の香草をみ、寝ぼけたままの雨鈴うれいを連れて屋内へと戻った。

「っくしゅ」

(なぜ上着を着てこなかったんだ彼女は……)

 アーサーはウレイの手を引いて彼女に与えた寝室へ向かうと、クローゼットを指してここに上着があるから、と示してキッチンへ戻ろうとした。だがツンと袖を引かれたので振り向くと、下方で黒い瞳とぶつかった。

「先生声が……」

(あ、そうか彼女は理由を知らないから……)

 アーサーが紙と羽ペンとインクを呼んで飛んで来させると、ウレイは「おお、魔法だ」と感心した。

“私は基本女性から声を借りないようにしている”

メモを書いて見せると、ウレイは寝起きの頭で何とか理解して頷いた。

「でも不便でしょう? 私の声も使ってください」

“いや、いつもこうなので”

「そうですか……」

ウレイは自分では役に立てないのかとしょんぼりして、上着を手に取った。


 ポンチョのような羊毛の上着を手に入れたウレイはリビングに戻り、煙突の下にレンガで組まれたかまどを使って朝食の準備をしているアーサーのそばへ寄った。

「先生」

「んっ」

声ではなく、喉が鳴った音ではあるものの返事をしたアーサーに、彼女はふっと微笑んだ。

「お手伝いします」

(え、料理を?)

 ウレイは読み書きができる。ある程度教育を受けた女性ならば、高貴な身分かもしれない。なのに料理を手伝うと言い出すのは奇妙だ。

(座っていてくれて構わないのだが……)

「何をすればいいですか?」

(え、ええとじゃあ……)

羽ペンと紙を呼びつけ、“香草ハーブを洗ってくれる?”と書くとウレイは頷いた。

「これですか?」

(そうだ)

「わかりました」

 ウレイは水に浸かった菜葉を手に取りザブザブとかき混ぜて汚れを落とすと、ザルに上げて食べられる葉と虫に食われた葉をより分け始めた。

(……あれは料理をしたことがあるな。慣れた手つきだ)

ぷち、ぷち。タン、タン。コトコト。

料理をする音だけが続くものの果ての塔は静かで。

時折、ニワトリが鳴く声が風に乗って届く。

(……静かだな)

 ウレイは昨日殺されかけたと言うのに、ここは平穏そのもの。

(実は嘘でした。ドッキリ大成功〜、って、言われたら信じちゃうかも……)


 セロリやニンジンを煮込んだ豆入りのスープ、大麦のパン。卵は予想と外れ目玉焼き。ウレイが千切ったハーブは生のままサラダとして皿に添えられた。

「いただきます」

ウレイが両手を合わせてお辞儀をすると、アーサーは不思議そうに見つめた。

「食事の前の……お祈り? です」

(なるほど)

 ウレイは魔導王と呼ばれる人が自分の真似をして両手を合わせているのが面白おかしくて、ふっと笑った。

アーサーは彼女が微笑んでくれたことに何よりも安心した。

怖い思いをしたまま気を張っていては、いつか潰れてしまうから。

(安心できる場所だと思ってもらえるなら良かった)

「先生は……」

 ハッと顔を上げると微笑むウレイがいた。目の周りでパチパチと光が弾けたような気がした。

「もうずっとここに住んでるんですか?」

(うむ)

「先生と呼ばれていらっしゃいますよね。昨日の白いローブの方がお弟子さんですか?」

(そうだ)

「そうなんですね」

 会話が途切れるとウレイは再び食事に集中した。アーサーは彼女の一挙一動が気になって、途中から食事の味がわからなくなった。


 いつ話そうか。悩んだ挙句、弟子を待つより筆談をするべきだと思ったアーサーはウレイと並んでソファに腰掛けた。

“ではまずあなたが置かれた状況から話そう”

「はい」

 アーサーはおよそ百年前にあった、ノイブン王国と魔導議会の経緯をざっと書き記した。聖女と魔女の代理戦争。二人は死に、アーサーも声を失ったこと。

「そんなことが……」

“ノイブンも議会も同じあやまちを繰り返そうとしたので介入させてもらった”

「じゃあ、先生が間に入ってくれなかったら私は魔導議会のものに……」

 ウレイはあまりの恐ろしさに自分を抱きしめた。そんな彼女を見て、彼は細い肩を抱き寄せる。

“大丈夫。あなたのことは私が守り抜く”

「……はい」

アーサーがトントン、と背中を叩いてやるとウレイは緊張をいた。

“本当は召喚式そのものを阻害する方が良かったが、途中で考えを変えてね”

 しかし己も欲に負けたのだとは言えず、魔導王は真実を伏せて続けた。やっと微笑んでくれたウレイが自分を拒絶する状況は避けたかった。何より、やはり拒絶されるのは怖かった。

“……私が本格的に介入すれば、ノイブンはどちらを警戒していいか迷うだろうし、議会も私とノイブン両方に挟まれれば動きにくくなる”

「なるほど……」

アーサーはウレイへの罪悪感からもう一度彼女を抱きしめた。

「先生?」

(本当に、すまない。君を巻き込んで)

ウレイは彼がなぐさめてくれているのだと思って、広い背中に腕を回した。

「私、先生に呼んでもらえて良かったです」

「……」

 二人は体を離し、アーサーは続きを書き出す。

“議会いわく、異世界から呼んだ魔女には無限にも近い魔力があったそうだ。だから私はあなたに魔導を教えようと思う”

「わ、わたし魔法使いになれるんですか!?」

(うむ)

肯定してやると、ウレイは赤くなった頬を両手で包んだ。

「ひゃあ〜夢みたい。子供のころ魔法使いに憧れてたんです!」

“それは良かった”

「勉強したら物を浮かせたりできるんですか!?」

(うむ)

「ホウキで空を飛んだり!?」

(無論)

「すごい! 元の世界で一回死んじゃったけど死んでなくて良かった!」

(……今ものすごいことを聞いたような……)

“元の世界で死んだ?”

「え? ああ。車にかれたんです。女子高生……じゃない、聖女さんが助けてくれようとしたんですけど、もろともかれてしまって。ははは」

ウレイは死にかけたと言う壮絶な出来事を他人事ひとごとのように話した。

(……つらい出来事から気を逸らしたいのかもしれんな)

「あ、お話を中断してしまって。えっと何でしたっけ?」

“異世界の魔女は無限にも近い魔力を持つということ。それから、召喚者に魔力を分け与えられるそうだ。あなたの場合は私だ”

「なるほど。あれ、でも魔力は自分の体で作れる量は変わらないんですよね? 分け与えるというのはどうやって……」

ウレイが疑問を口にするとアーサーはきゅっと口を結んで目を逸らした。

「…………」

「先生?」

“……外部に魔力を分け与えるためには術者の体液が必要になる”

「体液? えーと、血とか?」

「血に始まる全てですよ」


 声がした方に振り向くと白いローブの弟子リド、それから赤いローブの者と、緑のローブを着た魔導士が三人玄関先に立っていた。三人とも被っていたフードを取り、顔を見せる。

栗色の髪、緑の瞳の白肌の男性リド。

金髪碧眼で白い肌、整った顔立ちが中世的な赤いローブの持ち主。

焦茶の巻き毛、チョコレート色の肌の緑色ローブの持ち主。

「血も唾液も、魔女さまは余すことなく全てに上質な魔力をお持ちです。おはようございます先生。私の声をどうぞ」

「うむ、助かる。まあその、リドの言う通りでな……。先に紹介しよう、三人とも直弟子じきでしだ。白いローブのリドは昨日会ったね。赤いローブがミラ」

「よろしくお願いします、魔女さま」

 すらりとした四肢が美しいミラは女性だった。

(リアル男装の麗人……! ヅカみたい!)

「緑のローブがセル」

 アーサーほどではないもののたくましい肉体を持つ褐色のセルは、屈託くったくのない笑顔を見せた。

「初めまして、魔女さま。お会いできて光栄です」

「よ、よろしくお願いします……」

「朝ご飯食べに来ました」

「おいおい正直」

「三人分か? 全く、卵は無料じゃないんだぞ」

 アーサーが腰を上げ、キッチンへ立とうとするとそでがツンと引っ張られた。

「あの、私が作ります」

四人はウレイから飛び出た予想外の言葉に目をいた。




 魔導士たちはウレイが慣れた手つきでオムレツを作り出すのを呆然ぼうぜんとながめた。

「ど、どういうことですか? すでに読み書きができる方なんですよね?」

「うむ。実はサラダを作ってもらったのだが手慣れていた」

「読み書きができる方なら高貴な方では……?」

四人はひそひそと話していても周りが静かなのでウレイの耳にも筒抜けだ。

「……あの」

「はい!?」

「味付けは塩とコショウでいいですか? それとも他に……」

「こ、胡椒は高価なので食材には使いません!」

「あら。じゃあ何を入れたら……?」

「……うちではフェンネルをよく使う」

「ええと、どれですか?」

アーサーが生のフェンネルをカゴごと渡すと、ウレイはああと頷いた。

「セロリみたいなやつですよね、使ったことあります。……いい香り」

ウレイは迷いなく茎葉けいようの若葉を刻んで溶き卵の中へ散らす。

(上手にできるといいな)

「……読み書きができてフェンネルの扱いも知っているのに魔導は知らないと」

「不思議ですね。ミス・ウレイの腕前があれば魔導を習う下地はほぼ完璧だと思うのですが……」


 先ほどのサラダと共に出されたオムレツは丸々としていて、魔導士たち四人は興味津々と皿をのぞき込んだ。

「おいしそーう」

「私も食べたい……」

「先生の分もあります」

「何!?」

「食べたいかなと思って……味見程度ですけど、どうぞ」

ウレイは小さく作ったオムレツを小皿に取り、アーサーの前へ差し出した。

(ウレイの手料理)

 魔導王はいそいそと席についた。

(先生がはしゃいでる……)

(普段女の人には素っ気ないのに珍しいな)

(先生、だから言ったのに! 無意識ですか!?)

 師匠が「いただきます」という謎の呪文と共に手を合わせると弟子は目を丸くした。

「その呪文?」

「ウレイの国では食事の前にこの呪文で祈りを捧げるそうだ」

「なるほど。イタダキマス?」

「俺も真似しよ。いただきます」

「い、いただきます」

 四人の口に卵が消え、静寂が訪れる。そのまま彼らは黙って手を動かすものだからウレイは心配になった。

(え、感想言えなくなるほど不味まずい!?)

「……これいつもの畑のフェンネルですよね?」

「そのはずだが。何だろうな、作ってもらったからなのか味が違うような……」

「嘘!?」

「すっごくおいしい。お代わりしたい」

「あ、そっち! よかったです!」

「これ塩と牛乳とフェンネルだけですよね? ほかに何も入ってませんよね?」

「い、入れてませんが……美味しくできますようにとお祈りしました?」

「なるほど、そのせいですかね?」

「うむ。魔力を持つのだから術になってもおかしくないな」

「うん……??」

ウレイが一人困惑する中、魔導士たちは黙々と魔女の手料理を味わった。

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