第2話 声なき魔導王

 魔導王とは揶揄やゆとして呼ばれ始めた。

古くから魔力を自在に扱う者たちが自らを魔導師まどうしと名乗り、国と時代を越えて存在できる己らこそ真の統治者だとおごり始めた頃、私は既に何人か弟子を抱える魔導士だった。

 魔導たちは一市民らとも王族とも住まいを分け、自分達の活動域を魔導界と称した。私は昔ながらの“自然を敬い、その力を借りる魔導士”で居続けるつもりで、に誘われても首を縦に振らなかった。

「新しい世で魔導界に属さず生きていけると?」

「生意気な。魔導の王のつもりか?」

その言葉、そっくり返そう。


 自然すら操る力があるとおごった彼らを避けようとしたのは私だけではない。市井しせいの人々もそうだった。

 おごった者たちはおごった者同士で群れていればよい。そう思って静観していたのだが、彼らをうとう者からすれば私と魔導界は対立して見えたようだ。私は知らぬ間に持ち上げられて市井しせいの人々からも“魔導王”と呼ばれた。

 魔導界彼らと争う気はないし、魔導界彼らとの接触を切るつもりもなかった。

 しかし、まつり上げられた結果それまでのように街中には住めなくなった。私を排除したい魔導界の若きいのししたちが連日家への襲撃を繰り返し、近所に住む何の罪もない者たちが被害をこうむる状況は避けたかった。

 きっかけとしては丁度よく、私は世界の果てに存在すると言う“塔”を目指して放浪ほうろうの身となった。




 “塔”は古い魔導士の間でもおとぎ話の存在だった。

古き師いわく、塔は世界の果てにある。

いわく、遥か天空にあるとされ、世人せじんには見えぬと言う。

いわく、神が造ったものであるとされ、しかしその手によって打ち捨てられたものであるとも。


 神たるものが人の形をしているとは思わない。人のように泣いて笑って、嫁を取ったの取られたのと浅ましいことをするような存在だとは思わない。

 だが大いなる自然を相手にしていて、神と呼ぶような大きな力があるとは常々感じる。それらを神と呼ぶなら、私たちはあまりに小さい獣だ。


 “塔”は自らを求める者に試練を課すと言う。周囲には大嵐が吹き荒れているとか、大海を渡らなければたどり着けないとか。ある程度の覚悟はしていた。

 しかし私に訪れたのはある日突然訪れた不眠と、悪夢と言う試練だった。

生きたまま獣に食われる夢。

覚えのない罪で首が飛ぶ夢。

魔導士同士で戦い、周囲が炎の海に包まれ、その原因が自分だと思い知らされる夢。

精神的な疲労は肉体にも影響する。

まず胃が食べ物を受け付けなくなり、吐き戻しを繰り返して食欲が完全に失せた。

手が震え、汗ばみ、深く眠ろうと思っても訪れるのはいくつもの悪夢。

またか。

まだなのか。


 “塔”の試練が終わったのはそれから何日後だったか。

 気付けば白い塔が立つ大空の小島に座っていた。

“果ての塔”は私を受け入れた。

何日もの不眠が続いていた私はその場で気を失った。久しぶりに訪れた深い眠りは心地よさを感じる間もなかった。ただ眠りをむさぼった。


 目が覚めた時には外界で十年が経っていた。ほんの二、三時間気絶していただけだと思ったのに。

“果ての塔”にいる間、私と外の時間は大きくずれるらしい。

 これを利用しない手はないと思った。だが、街の情報が入ってこないのはまずい。それでは人界から完全に切り離されてしまう。


 私は久しぶりに弟子をつのった。

魔導界と対立していると言う勘違いは未だ色濃く、血気盛んな若者たちが集まった。実物の私が彼らが求めるような人物ではないと気付くと、ほとんどはあっという間に離れていったが何人かが手元に残った。

一人一人、ゆっくり相手をした。

畑のたがやし方。

ナイフやフォークにはじまる身近な道具の作り方。

怪我のための薬草の扱い方。

魔力に頼らずとも生きていける先人の知恵。

コツコツと地味に。

 地道なことを嫌がらずにこなした弟子たちは立派に育ち、それぞれの街へと戻った。

町医者のようなことをする者もいれば、貴族相手に人を惹きつける薬を作る者もいた。ただ、それぞれが良いと選んだ方法で充実した生活をしているようだったから、満足した。


 私は久しく取った弟子たちと協力しながら果ての塔の小島を豊かにしていった。家畜は案外すんなり定着したが、畑の作物がなかなか育たずに苦労した。果ての塔にある魔力は地上で扱うそれと質が違うようで、芽吹いても貧相だった。あるいは種のまま枯れた。

 結局育ったのはオリーブの木と片手で数える程度の香草だけ。なぜこの種類なのか、という疑問は尽きなかったが明確な答えは出なかった。

 足りないものは街へ降りて買うしかなくなり、外界と完全に関係が切れる恐れも同時になくなった。




 弟子から伝え聞いた魔導界の動向は恐ろしいものだった。

 まず魔導界は、関わる魔導士や魔女の多さから一枚岩の組織にはなりきれず、議会と協会に分かれたそうだ。比較的穏やかな性分のものが協会へ、過激なものが議会へ名を連ねている。

 それから、魔導士との関係がこじれたノイブン王国と魔導議会かれらは、お互いを排除するために異世界から力ある聖女と魔導士を呼ぶ羽目になり、代理戦争のような状態だと言う。

 聖女と言うのはノイブン王国がそう呼んでいるだけで、本質は魔女だ。人の傷を癒したり、悪い空気を遠ざけることができる力を持つ魔導士や魔女は昔からいる。彼らを巫女と呼ぶ地域もある。いつから聖女、などという考えができたのか。

 二人は望みもしない戦いに投入され、消耗した結果心中を試みた。以後、魔導議会で幽閉されているらしい。

「何と恐ろしいことを……」

 どちらも若い女性だと言うからなおのこと不憫ふびんに思った。

助けに行こう。元の世界に返してやろう。

 私は単独、魔導界に踏み込んだ。


 現状を打破するために協力したい、と申し出たら議会あちらは異様に下手したてに出てきた。何でも、私が隠居している間に古い世代の魔導士はおおかた寿命がきており、議会は老人会のようになっていた。何人かはボケて古い術を暴発させるらしく、下の世代によってひつぎに封印されていた。

(同世代が一人もいないのか……。ではこの騒ぎは若者たちの仕業か?)

 推測は当たっていた。おごってはいたがそれでもある程度良識のある魔導士はすでにおらず、魔導議会はより過激な思想を持つ若い世代が動かしていた。そこへ私のような古い魔導士がひょっこり現れたものだから、若い世代は慌てたようだ。


 聖女と魔女への面会を申し出ると、事実上の議長となっていたイドラ・ファントルマンが簡単に許可を出した。うすら気味の悪いものを感じつつも、二人の安否が気になっていた私はいて面会の準備を進めた。

 イドラは最初から私をほかの魔導士同様封印するつもりでいた。

争った結果、聖女も魔女も死に、私はその場にいた別の魔導士に声を奪われ逃げ出すしかなかった。


 声を出せないと言うのは魔導士にとってかなり大きな痛手だ。呪文の詠唱ができなくなる。おまけに、私の声を奪った魔導士はイドラの命令ですぐ殺されていた。声を奪った術者本人がいなくなれば私の声は二度と戻らない。

 なぜ、と後悔する日が訪れた。

気力が落ち、声を取り戻す方法を求めても気休めに終わり、世界が色褪いろあせて見えた。

私は外界との関わりをやめて果ての塔に引きこもった。

 けれど、私の境遇を知った直弟子の何人かが孫弟子にあたる者たちを果ての塔へ向かわせた。

 若者が私に、わざわざ苦労して訪れる価値などないのにと思いつつ弟子たちの好意に甘えて孫弟子たちを受け入れた。

 また地道にコツコツ、若者と畑をたがやす日々が戻ってきた。




 私は孫弟子やその弟子、さらにあとの世代と関わりを持ちながら、魔導議会とイドラ議長の動向を探った。

 以前“異世界の魔女”を召喚したのはイドラとその取り巻きたち。召喚者たちは異世界の魔女から無限にも近い魔力を得ていたと言い、魔女を殺してしまったのは痛手だと話していた。

(己が若い乙女を食い物にしておぞましいことをしたとは微塵みじんも考えていないのだろうな)

ノイブン王国はイドラを筆頭とする魔導議会をより嫌い、以前にも増して反発している。

(また強硬手段に出なければいいが……)




 不安は的中した。ノイブン王国は再び聖女を召喚し、今度こそ魔導議会を、いや魔導士も魔女も全て滅ぼそうと目論もくろんだ。

今度こそ阻止しなければならない。

 だが本来なら術の発動そのものを阻害しなければならなかったのに、異世界の魔女が持つという誘惑が頭を離れなかった。

(阻止ではなくこちらの味方につければ……)

 魔導議会の召喚式を邪魔し、私が魔女を召喚できれば、ノイブンは議会を狙うだけでは済まなくなる。目を逸らすには丁度いい。私は古い術を知ってはいるが、魔力生成量は並みだ。だが異世界の魔女から魔力を得られれば……。

誰の心にも悪の囁きは訪れる。

私は力を欲し、誘惑に負けた。




 魔導協会と新しい世代の直弟子に協力を頼み、議会が行う召喚式を邪魔してもらっている間、ノイブン王国が準備を進める召喚式に潜り込んだ。

 変装し、自らを聖職者と称する聖属性の魔道士たちに紛れ込むのはそう難しいことではなかった。召喚式を一部書き換え、聖女の召喚と同時に魔女も呼べるように改変する術も難なく仕込めた。


 いざ召喚の当日を迎え、成功したその瞬間訪れたのはノイブン王国の王侯貴族らの悲鳴。恐れ、怒り、異物への強い嫌悪。人が無知から簡単におそれをいだくことをすっかり忘れていた。聖女と魔女は訳もわからず手を取り合っておびえていた。

 聖女はノイブンに放置しても何とかなる。だが魔女はその場で殺されそうだった。それは困る。せっかく呼んだのだ、ひとまず魔女を安全に保護して……と、寄った私の耳に届いたのはか細い女性の声だった。

「やだ、死にたくない……!」

 少し考えれば、自分がやったこともイドラと変わらないと分かったはずなのに。

若い女性を食い物にして大いなる力を得ようなどと、なんと浅はかなことか。




 果ての塔へ連れ帰った異世界の女性をよく見れば、服は引きずられたようにボロボロだった。家の中へ招こうと声をかけに戻ると、彼女はうつろに小島の下の青空をながめていた。

あらゆる気力をなくしていた頃の自分が重なって見えた。

あんな怖い思いをして、もう生きる気力などなくなってしまったのかもしれない。

 けれど、そこから飛ばれては困る。

私は君をイタズラに呼んだ罰を受けていないし、叱責しっせきの一つも食らわなければ気が済まない。

自然と彼女を抱きしめ、抱えたまま家へ入った。

初めて訪れる女性を抱えて家に入るのは婚儀の時だけ。

 私はまた軽薄で馬鹿なことをしたが、ようやく異世界の魔女ウレイを寝室へ運ぶことができた。

 案の定声のことを聞かれて……気付くだろうとは思ったが、彼女は早かった。ほかの魔導士に声を奪われたのだと説明したら、「不便ですね」と返ってきた。

私の境遇を嘆いて可哀想にと言う人が多い中、不便、という感想は新鮮だった。確かに不便だ。違いない。

だが可哀想と言われるよりは柔らかく、淡々とした言い方が嬉しかった。


 リビングへ戻ると孫弟子のその孫弟子であった一人、リドが不安そうな顔をして待っていた。

「眠った」

「そうですか。……今後はどうなさるんですか?」

「しばらく養生させる。議会は私に召喚を邪魔されたから今後数百年はを呼べないはずだ。異世界からの召喚には惑星直列に合わせるか、惑星を使わないのならほかの条件が揃わないといけないからな」

「そうではなく、先生自身の話ですよ」

「ん?」

「若い女性を家に連れ込んで、何も起こらないと?」

……この弟子は何を言っているのか。

「こんな老いぼれと若い娘がどうこうはなるまいよ」

「そう言うことは鏡を見てからおっしゃってくださいませんか? 先生だってまだ内実ないじつ壮年でしょう」

はな。中身は数百歳の老いぼれジジイだ」

「先生、私は真剣に申し上げております」

「わかったわかった。彼女との距離感には気をつける。お前も明日は忙しいのだろう? 早く帰りなさい」

リドはなんとも不満そうに自分の街へ帰っていった。


 ウレイに対してあるのは呼んでしまった罪悪感と責任感だけだ。ほかには何もない。

果ての塔に冷たい夜風が吹き、見上げれば空はいつも通りの快晴。

(ここはいつも変わらないな)

今宵こよいは私も早く休んで、明日以降に備えよう。

 ウレイに叱り飛ばされるでも刺されるでも、何でも甘んじて受け入れる。私はそれだけのことをしてしまったのだから。

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