【長編】アラサーメガネは魔導王の甘い妻

ふろたん/月海 香

第一幕

第1話 非正規OL、異世界の魔女になる

 金曜の夜、上司と大喧嘩をした。

「お前のような役立たずはうちの部署に必要ない!」

三十歳を前にしてうだつの上がらないパートタイムのOLにはありがちな、普段から積もったストレスを上司の前で爆発させてしまい、売り言葉に買い言葉。

 だから帰り道、疲れてクタクタの私は青信号を突っ切ったトラックの前で無気力にたたずむしかなかった。


(あー、死んじゃうんだ私)


別段いい思い出もない。いい人もいない。かと言って不幸でもない。近所付き合いがない一人暮らしでも充実はしていた。

上司と喧嘩はしたが普段からあんな悪態をつく人じゃない。反抗した私も悪かったから、仕方がないことだ。


(別にいいか、死んでも……)


 そう思っていたのにふっと視界に飛び込んできたのは可愛らしい女子高生。くりくりの薄茶の目。ピンと立ったまつ毛。綺麗な白い肌。カバンに推しのぬいぐるみまで付けちゃって。

こんな可愛い子がどうしてこんなことしたの?


(人がかれるのなんて放っておけばいいのに。いい子だな……)


神さま、もしいらっしゃるなら、私よりこの子を助けてください。

私はどうでもいいです。きっと今日が最期さいごの日だったんだろうし。

……本当は死にたくないけど。




「––––成功だ!!」

 次に聞こえたのは窓が割れんばかりの大歓声、それと戸惑いの声。

私と手を取り合ってしていたのはさっきの女子高生。なぜか二人一緒に、丸い模様……何だろうこれ? ゲームでよく見る魔法陣みたいなものが……その上に転がっていた。

「二人いるぞ!?」

「ま、魔女だ! 魔女だー!」

(魔女? なに?)

あたりは一転して騒然。戸惑いの声は悲鳴に。華やかな式典は逃げ惑う人でいっぱいに。

「え? あの……?」

「どっちが魔女だ!?」

「魔女を殺せ! 早く!」

(こ、殺す……!?)

とても穏やかじゃない。血の気が引いて女の子を見ると彼女も顔面蒼白。

「あ、あの……!」

女の子は口を開きかけた。

次の瞬間、私たちは兵士らしき男二人の手で引き離された。

腕を乱暴につかまれる。痛い。

「は、離し……!」

「きゃあああー!!」

女の子はパニックになる。途端、彼女の体から金色の光があふれ出す。

「こっちが聖女さまだ!!」

「ならこいつか!!」

さっと向けられた冷たい目。恐ろしい顔。むき出しの殺意。

(あ、死ぬ……)

さっきみたいにトラックでかれるなら別にいい。事故だから。突っ込んできた運転手だってクタクタだった。過労だ。むしろ可哀想なのはいた彼の方で。

だけど殺されるのは–––––怖い。

「や、やだ……たす……」

助けて、誰か。

「誰か、死にたくない……!」


 死んじゃったんだろうか、私? そう思ったけど違った。

私は誰かに抱き上げられて空中に浮いていた。

「……?」

夜空色のローブが視界いっぱいに広がっている。さらさらして肌触りがいい。

「ま、魔導王……!」

(まどう、おう?)

顔を上げるとローブと同じ夜空色の瞳とぶつかった。

足元であふれている金の光が反射して、満月の夜みたい。

(だれ?)

フードの中からのぞく一文字に結ばれた口。体が大きい男の人。左手にはすらりと長い木の棒……杖?

「……聖女を召喚すると聞いて便乗させてもらった」

変な声だった。男の人と女の人と老人と若者とを全て混ぜたような。

「こちらの用は済んだ。さらば」

魔導王はさっと杖をかかげ、煙のようになって私と一緒に消えた。

その場に残された人たちは変わらずに戸惑いと、恐怖で固まっていた。




 青い空。空中にポンと小島があって、その上に白い石造りの塔が建っている。こんな光景は映画やアニメでしか見ない。

私はあまりの現実感のなさにぼうっとするしかなく、空中を歩いて島に降り立った魔導王の腕から下ろされても、しばらくぽかんとしていた。

「ここ……?」

ここ、どこですか? と聞こうと魔導王の背中を見ると、彼は塔の横にたたずむ小さな平家ひらやから出てきた白いローブの男の人に「先生!」と声をかけられていた。

(先生……教師なのかな)

振り向くと空に浮かんだ小島は当然ですと言わんばかりに断崖がむき出しになっている。

(落ちたら死ぬのかな……)

街灯にいざなわれるのようにふらりと崖に寄る。

ふと、さっきの怖い状況が頭によみがえる。

またあんな怖い思いをするくらいなら、ここからポンと飛んでしまおうか。

 考えていたことを見透かされたのか、戻ってきた魔導王は私を背後からぎゅっと抱きしめた。

「えっ。あ、え?」

有無を言わさず抱き上げられ、彼は平家へとずんずん進んでいく。

(こ、この人大きい……!)

地面に立った状態で抱き上げられて気付いた。

魔導王と呼ばれたこの人はやたらと背が高い。

肩幅もしっかりあって、もし目の前に立たれたらもはや壁だ。

(し、身長2mくらいあるんじゃない……?)


 私は抱えられたまま平家の玄関をくぐった。私自身、男の人に抱えられたまま家に入ることなんてないしビックリで、彼を先生と読んだ白いローブの男の人も私たちを驚いた目で見ていた。

「せ、先生」

「彼女に服を。いや湯浴みが先だ」

「は、はい!」

不思議だった。魔導王はさっきの誰でもない声ではなく白いローブの人と同じ声になっていた。

(変なの……)

白い石壁の可愛らしい室内。北欧を思い出す家具や調度品が、幼い頃あこがれていた魔女の家を思い出させる。

足元を見るとパンプスが片方脱げていた。ストッキングは伝線してボロボロ。スーツのスカートだって硬い地面で引きずったみたいにボロボロで……。メガネは何とか無事。

(ああ、かれた格好のままだ)

非正規雇用パートタイムなのに格好だけはちゃんとしろとの命令で、オフィスレディらしい服装は心がけていた。

(それなりにお金かかったのにな……)

頭が空っぽのまま目の前に差し出された青と白のマグカップを受け取り、口をつける。鮮やかな赤茶色の液体。

(紅茶だ。……セイロンじゃないな、何だろ)

いつも飲んでる安いティーバックのセイロンティーではない。もっと香りがいい。でもアールグレイじゃない。

甘くて、スパイスが立ち上る不思議な紅茶。

ほ、と息をついて顔を上げると魔導王が私をのぞき込んでいた。

夜色の瞳。人によっては無骨と表現する、男らしい端正たんせいな顔立ち。心配してくれたのか、目元はさみしげに映る。

「……ええと」

「先生、準備できました!」

「そうか」

魔導王はふっと顔を逸らして立ち上がった。

「––––すまない」

彼は消え入りそうな声でそう言って。

私は着替えのローブと一緒に浴室に押し込められた。




 猫足バスタブから上がると、や白ローブの人と同じような一枚着が用意されていた。頭からすっぽりかぶって、首元を紐で、腰は細帯で締めるらしい。

(アニメで魔法使いが着る服だな)


「異世界の魔女?」

「あなたはそう呼ばれる存在だ」

 湯上がりにハニーミルクをもらった。食卓の小さなテーブルを囲んで私と先生と白ローブのひと三人。先生の声は相変わらず白いローブの人と一緒。

「名の通り、異世界から召喚する」

「異世界召喚って、本当にあるんですね……」

お話の中の出来事だと思っていた。まさか現実に降りかかってこようとは。

「魔女、なんですか? 私」

「女性なら魔女、男なら魔導士と呼ばれる」

「まどう……。魔法、じゃないんですね」

「あなたの世界では魔法と呼ぶのか?」

「ええまあ。お話の中でそう言う不思議な力を使う人が出てきたりしますね」

「不思議な力? 魔力のことだろうか?」

「魔力……そうですね。そんな言い方します」

魔導王、先生は相変わらず他人の声で喋っている。

(喋れないわけじゃない。けど本人の声じゃない……変なの)

「あなたは魔法が使えるのか?」

「魔法はお話の中のものなので、現実にはありません」

魔導術まどうじゅつがない世界なのか?」

(この世界だと魔導術まどうじゅつって言うんだ……)

「ありません。一応、ないことになってます。信じてる人もいますが」

そういえば私も、子供の頃は魔法を信じてた。ホウキを持って魔女っ子ごっこしてたっけ。

先生は何か考え込んで、席を立った。


 彼は遠くで本の背表紙に指を滑らせて何かを探している。

私はふと白いローブの人と目が合って何となくお辞儀をした。

「お邪魔してすみません」

「邪魔だなんてとんでもない。異世界の魔女さまに来ていただけるとは、先生も光栄だと思いますよ」

魔女さま。どうも今の私はありがたい存在のようだ。

「……その、色々わからないのですが」

先生は白ローブの人が答える前に戻ってきた。

「文字は読める?」

「自分の国の言葉なら……」

「ではこれは?」

パラリと開かれた謎言語の本。絶対に読めない、と思ったけど。

(……不思議と読める)

文字の形がアルファベットに近い。

しかも何となく意味が頭に入ってくる。

「……いわく、異世界の魔女とは魔導において最上のである」

「読めるようだな」

「不思議と……」

受け取った本の最初のページを開くと、魔導術まどうじゅつについてのあれこれが書いてある。


魔力とは。

古きいわく、世界のはじまりからあった力である。

いわく、それは真理万象に通じ全てに作用する。

いわく、獣の内では血と共に作られ、生まれながらに持つべき者と持たざる者に分かれる。

いわく、その量は後生こうせいの訓練に左右されない。


魔導術まどうじゅつとは。

古きいわく、魔力を作用するべき箇所かしょみちびすべ。ゆえに魔導術まどうじゅつ

いわく、魔導術に善も悪もない。全ては術者の思うまま。

いわく、使えば相応の結果と因果が返ってくる。のろうならのろわれる覚悟をせよ。


のろい……」

先生は口をついて出た単語にピクリと反応した。

「……話を戻すが魔導を使えるか?」

「いえ。こんな魔法みたいなことは全く」

「……そうか」

本から顔を上げると魔導王と目が合った。彼はふっと微笑む。

「リビングにある本は好きに手に取って読んでいい」

「はい、ありがとうございます……。ん?」

「どうした?」

「その、言い方的にここに長く留まる前提に聞こえて」

先生は驚いた顔をしてから視線を逸らした。

「……呼んでしまった以上、そう簡単に帰すことは出来ない。ここは果ての塔と言って自然界の大いなる魔力が集まる場所だ。一度入ればがあなたを覚える。魔導士も魔女も滅多な実力では入って来られない。かくまうには丁度いい」

「かくまう? さっきの怖い人たちから?」

「……異世界の魔女は、膨大ぼうだいな魔力を生む貴重な存在だ。魔導士にもそれ以外にも狙われて当然……」

(そうなんだ。怖いな……)

「だが、私がそうはさせない」

「それは、どうも……」

「……さて、では腹ごしらえをして休もう」

「はらごしらえ」

思わずオウム返しにすると立ち上がった先生はふっと笑った。

「ケーキはないがあなたの歓迎会といこう」

「どうも……」

「リド」

「あ、はい」

先生はリドと呼んだお弟子さん? と一緒にキッチンへ向かった。

 木目と群青色と白色が美しい調度品は、ある程度大柄な先生に合わせて作られていた。

「あの、先生?」

後ろから呼びかけると彼は意外そうに振り向いた。

「座ってなさい」

「まだ先生のお名前を聞いていません」

「ああ、失礼した」

先生は体ごとこちらに向いて左胸に手を添えた。

「アーサー・ベルランスと申します」

挿頭草かざしぐさ 雨鈴うれいです。雨鈴うれいが名前です。よろしくお願いします」

「ウレイ、よろしく」

アーサー先生は嬉しそうに笑って、リドさんにお鍋を出すように指示した。




 先生が作ってくれたのはハヤシライスっぽい料理だった。細長いお米のようなものが入っていて、知った味なので安心した。

私は緊張や疲れが出たのか強い睡魔に襲われて、先生に抱えられて廊下の一番奥の部屋に連れて行かれた。

「先生」

おぼろげにアーサー先生の袖を引いたところまでは覚えている。そのあとはあやふやだ。

「先生は、どうしてさっきと声が違うんですか……?」

先生の声は暗く沈む。

「……昔、ほかの魔導士に声を奪われてね。永久に失った」

先生には声がない。

「そう……不便ですね」

「……おやすみ」

優しい大きな手に撫でられて、異世界の魔女は夜の闇へ旅立つ。

魔女わたしは夜空に溶けていく夢の中で、果ての塔が小鳥のように歌うのを、金色の光が波打つのをながめていた。

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