『Alice ‘s melancholy 』


帝国国防委員会庁舎爆破未遂事件から三日後の出来事だった…。


★1

帝都第三軍事基地 SHADE オフィス 

AM9:30


「おふぁよぅございましゅ…。」


俺が自分のデスクに向かって、先日委員会庁舎で起きた事件の報告書を纏めていると、そんな締まらない挨拶と共にオフィスに入ってくる者が居た。


SHADEのスナイパーであり、副隊長ラクア・トライハーンの弟子、アリス・ルクミンその人である。


「…おはよう。」


寝癖を立てたまま、あくびをしてオフィスに入室してきた彼女に対し、アイヴィーの淹れたコーヒーを啜りながら新聞を読んでいた隊長、レオン・ジークが顔も上げずにそう返す。


いつもの光景ではあるが、俺はため息が出た。


いいのか?SHADEよ。


帝国特殊機動部隊よ。


先日の委員会庁舎での事件で俺たちの凍結は解除され、今この国を脅かそうとしているテロリスト達相手に本格的に戦おうとしているその矢先なのだ。


あまりに締まりが無さすぎるではないか。


そんな俺の葛藤を意にも返さず、アリスは自分の席にヨタヨタ歩み寄ると、椅子に座るなり机に突っ伏して夢の続きを見にいってしまった。


確かに、先日の事件は休職明けにしては大変なお祭り騒ぎだった。


しかし、七貴人からの命令が下った今となっては、そんな事を言ってる場合ではないはずだ。


これでは、凍結中のあの怠惰な日々となんら変わりがないでは無いか。


隊長であるレオンが言わないなら、変わりに俺が言ってやる。


俺は、よし。と気合を込めると思い切って立ち上がった。


隣のデスクに座って書類を纏めていたエリーナ先輩が、不意に立ち上がった俺を見上げる。


「なに?急に。」


「あのバカ同期に一言言ってくる。」


俺は先輩にそう告げると、肩を怒らせながらアリスの背後に歩み寄った。


コイツ、気持ちよさそうにヨダレまで垂らしてやがる。


「おい。アリス。」


…。


「おい!起きろ!」


そう言いながら肩を揺さぶって見るが、アリスは目を覚まさず、それどころか森の中でクマさんにどうだとか寝言を言っている始末。


なるほど…。


よくラクアに殴られている理由がわかる気がする。


俺は深く息を吸い込み、拳を握った。


「起きろっつってんだろうがァァァ!」


叫びながらグーでアリスの頭をド突く。


「痛たッッ!!」


彼女は頭を抱えて飛び起き、うぅ。と呻くと、涙目になりながら俺の顔を見上げた。


「いたぁい…。ひどいよロックぅ…。」


甘ったるい、何というか普通の男だったら思わず萌えさかって…いや、そんな事を言っている場合ではない。


「お前!ラクアが出張中だからってちょっと弛みすぎじゃないのか?周りを見てみろよ。俺と先輩は報告書纏めてるし、バロンとアイヴィだって鉤爪の刺青(クロウ)についての情報捜査を続けてる。隊長のレオンに至っては…ー」


言いかけながら、レオンをチラリと振り返る。


彼はコーヒーを飲みながら悠々と新聞を読んでいるだけだった。


「…何か?」


レオンがこちらを見、無表情で俺に問いかける。


思わず俺は彼から目を逸らしてしまった。


「いや…なんでもありません。……兎に角!お前も寝てるだけじゃなくて、SHADEの一員として捜査に貢献しろ。バロンとアイヴィーを手伝うとか、作業場に居るカリンを手伝うとか。考えればやることなんていくらでも有るだろ?何だったら射撃訓練をするとかさぁ!」


俺が捲し立てた言葉にアリスは、うぅ…。と困った様な表情を浮かべて言い淀んでいる。


彼女は俺と同じ日にこの隊に入った言わば同期だ。


確かに、ラクアには劣るが狙撃の腕はなかなかである。


しかし、今現状この前の様な大事件がいつ起きてもおかしくはない。


今出来ることをやっておかないと、後で大変な目に遭いそうな気がして、俺は居ても立っても居られなかった。


しかし…。


「…その時が来たら、ちゃんと頑張るから。」


アリスはあっけらかんとそう言うと、ニコリと俺に微笑んで見せるのだ。


その笑顔に、俺の憤りは空中に霧散してしまった。


深い深いため息が溢れ、それ以上何も言うまい。と、トボトボ自分の席に戻って行く。


あの無垢な笑顔を向けられると、何も言えなくなってしまう。


いや、女として可愛いとかそう言う事じゃなく、なんだか笑って誤魔化されたような感じだ。


「…玉砕ね。」


こちらを見もせずに掛けられた先輩の一言に、もう一発口から巨大なため息ミサイルを発射しつつ、俺は自分の作業に戻った。


言うだけ無駄か…。


振り返れば、アリスは再び夢の世界に旅立っていた。



それからしばらくして、そろそろ基地の地下街に飯でも食いに行こうかと先輩と相談していると、体内無線が入電した。


視界に表示された相手の名前はルカ・ブランク。


自分達のオーナーからの通信に、皆が一瞬緊張した様だった。


「…こちらレオン。」


いち早くレオンが入電に応え、他の隊員達は少佐の言葉を待った。


『…私だ。急だが飛び入りの仕事があってな。新たなテロの可能性もある。』


「一体何が?」


…レオンめ。


さっきまで優雅にコーヒーブレイクをしていたとは思えないようなキビキビとした口調で喋りやがって。


そんな事を思いつつ、俺達全員に対して発信されている無線に俺も耳を傾ける。


『…帝国皇家に連なる家臣家の一つ、ティアマット家は知っているな?』


「…もちろん知っていますわ。」


少佐の問いに答えたのは、アイヴィーだった。


彼女の実家であるアレクサンドラ家もまた、代々帝国皇家に使える家臣家の一つであり、現当主でアイヴィーの父でもあるダグラス・アレクサンドラは特殊兵士養成所Area51の所長であり、七貴人の一人でもある。


故に、その辺の事情は彼女が一番詳しいだろう。


俺には正直あまりわかってない。


「ティアマット家と言えば、帝国の大手兵器メーカー8社の筆頭株主です。ティアマット・インダストリアル社のCEOとしても知られる、当主ローレンス・ティアマットはみなさんもご存じでしょう?」


いやいやお嬢様。


そんな事を聞かれても…。


しかし、CEO云々は無視しても、ティアマット・インダストリアル社の名前で少しはピンと来た。


T.I社は、現在帝国軍で使われている兵器のシェア90%以上を誇っている会社だ。


俺も陸軍特殊部隊『BELZEBZ』にいた時は、T.I社製のアサルトライフル、『アーリー・ブロー』を使っていた。


因みに軍務総省所属になってからは、省が独自に開発したオーダーメイドの武器を使用している為あまりお目にかかってはいないが、恐らく製造自体は提携しているT.I社の工場でされているのではないだろうか?


「その、ローレンス氏に何か?」


レオンの問いに少佐が、ああ。と相槌を打つ。


『早朝、ローレンス氏宛に『アノニミティ』なる人物から脅迫状のようなものが届けられた。』


少佐の言葉と共に、ナノマシンのストレージにその内容と思われる文が送られてきたので、俺はそれを開いた。


「…貴社兵器の生産、開発を直ちに止め、氏は自らの口で自身が闇に葬った真実を公の場で公表するべし。さもなくば、取り返しのつかない事態になる。…アノニミティ。」


視界に表示した内容を俺が読み上げる。


「闇に葬った真実…ねぇ。あの規模の会社なら、そんなものいくらでもありそうだけど。」


さほど驚いた様子のない先輩の言葉に、少佐が唸る。


『…確かにその通りだがな。問題はローレンス氏が、このような脅迫文が届いたにも関わらず二日後に帝都で予定されていた新型兵器の展示発表会を強行すると言い出した事だ。』


少佐の言葉には、どこか呆れのような色が混じっている。


腐っても帝国の名門貴族だ。


その展示発表会で脅迫状の内容通り、自社の暗部を公表するつもりなどないだろう。


だとすれば、その強行はアノニミティなる人物からすれば挑発にもとれる。


それにそのアノニミティの正体が俺たちの追っている『鉤爪の刺青(クロウ)』と関係しているなら、ローレンス氏が真実を公表しようがしまいが何かしらの工作を仕掛けてきても不思議はないだろう。


「このご時世によくもまぁ…。」


先輩が肩をすくめる。


会社のCEOってのは変わり者が多いと聞くが、どうやらそれを地で行くタイプらしい。


『それに当たりローレンス氏の身辺警護、それから展示発表会当日の会場警備にはzodiacと軍の兵士が当たる。お前達からは一人、彼の息子であるライオネル・ティアマットの警護について貰いたい。』


少佐の言葉と共に視界に表示される顔写真。


まだ10歳ぐらいの普通の少年だ。


その笑顔からは活発な印象を受け、いい意味で名門貴族の子らしさがない。


『先日の委員会庁舎での事件の処理もまだ片付いていない。そんな中での厳戒態勢だ。些か人手不足でな。しかし、テロの可能性がある以上、お前達にも警備計画に参加してもらう。』


レオンが、なるほど。と納得して頷いている。


現在俺たちは七貴人から、国内で起きるテロを未然に防ぐよう命令を受けている。


事件に大きいも小さいも無いが、テロの可能性がある以上はどんな些細な事にでも一枚噛め。と、そう言う事なのだろう。


『ライオネルは現在、帝都中央区のエンパイア・グラン・ホテルに滞在中だ。今は軍の兵士が警護に当たっている。アノニミティなる人物が鉤爪の刺青(クロウ)と関係が無いとも言い切れない。今まで同様奴等の情報捜査を続け、同時進行で警護任務に当たってくれ。采配はレオン。お前に一任する。』


少佐からの命令に、レオンが、わかりました。と返事をしながら俺に視線を送ってくる。


なんだかとても嫌な予感がする。


少佐との通信が終わると、レオンは、ふぅ。と一息ついた。


なにを言い出すか、皆がその顔を凝視している。


それから更に少し間を空けて、レオンは俺たちを一瞥すると口を開いた。


「…アリス。お前がいけ。」


予想外にも、レオンが指名したのは俺ではなかった。


「えっ…。私…ですか?」


一応少佐からの無線は起きてしっかり聞いていたらしいアリスが、引き攣ったような顔を自分で指差しながらレオンに確認する。


「そうだ。」


…グッジョブだレオン。


さすがは俺達の隊長!


「…でもぉ…。」


「でもじゃない。」


我らが隊長様の有無を言わさない言葉に、アリスは泣きそうな顔になりつつも、はぁい。と言いながら立ち上がった。


今回ばかりは逃げられない事を悟ったようだ。


「よろしく頼む。準備が出来次第エンパイア・グラン・ホテルへ迎ってくれ。」


レオンはアリスを一瞥してそう言うと、再び新聞紙に視線を落とし、部屋を後にするアリスにそれ以上の事は言わなかった。



「…本当に、大丈夫なの?」


アリスがオフィスを去った後、先輩が不安そうな表情でレオンに問いかけた。


「…ロックの言う通り、いつまでもラクアの腰巾着と言うわけにも行かないだろう。ルーキーは我が隊の期待の星だ。先ずは難易度の低いミッションから大切に育て、少しずつ自立を促してやる。それが私の役目さ。」


なんだ、俺がアリスに発破を掛けていたのを地味に聞いていたのか。


てか、そんな事を言いつつ俺は最初から難易度の高いミッションに放り出された様な気がしなくもない。


「まぁ、結果よかったよ。アリスにもいい経験になるだろうしな。さすが隊長だぜ。」


俺がにこやかにそう言った瞬間、室内が沈黙に包まれた。


ん?


見回すと室内にいる全員の視線が俺に集まっている。


なんだこの空気は。


まさか…。


「…何を言ってるんだロック。お前にはアリスの内偵を行なってもらう。わざわざ発破をかけるぐらいだ。さぞ同期思いなのだろう?」


なんだ。


やはりこうなるか。


嫌な予感的中かよ…。


「内偵って…本気か?警護任務中のアリスを見守れと?」


「そうだ。」


アリスの時と同じく、有無を言わさないと言った感じだ。


「彼女が現着する時間を見計らってお前も出ろ。」


レオンは無表情で続けると、それ以上言う事はもう無い。と言わんばかりに目を逸らし、次にバロンとアイヴィへ視線を向けた。


「バロンは情報捜査を続けろ。その間、アイヴィはティアマット・インダストリアル社とローレンス氏の身辺調査を行ってくれ。何か出るはずだ。」


レオンの号令に、バロンとアイヴィーが相槌を打つ。


「了解です。」


「頑張ってね。ロック。」


そう言って悪戯に微笑みながら先輩が俺の背中を叩く。


「なぁ…。先輩も一緒に来てくれよ。」


明らかにテンションの下がった俺の泣き言に、彼女は肩を竦めて見せる。


「い・や・よ。子守の子守なんてごめんだわ。」


エリーナ先輩の辛辣な言葉に、俺はガックリと肩を落とすのだった。


★2

帝都アルトリア中央区 エンパイア・グラン・ホテル

1Fロビー 

AM 10:40


憂鬱だ。


私アリス・ルクミンは、もう何度目かもわからないため息を吐きながら、ホテルのロビーを歩いていた。


ラクアさんは私を放っておいて一体何をしてるんだろう。


私はスナイパーだ。


ラクアさんには及ばないけど、狙撃の腕には自信がある。


でも、警護なんて私にこなせるような気が全然しない。


私は胸の中の不安を払拭するように、自分の顔を二度、パンッパンッと叩くと、ナノマシン通信の回線を開いた。


「アリスでぇす…。いま現場に到着しましたぁ。」


寝起きとあまり変わらない様な低いトーンで報告をすると、レオン隊長との無線が繋がる。


『ご苦労。軍の人間がいるだろう?彼らから仕事を引き継げ。』


りょーかい。


隊長の言葉に、私はロビー内を見渡した。


それにしても華やかなホテルだなぁ。


綺麗な装飾に、行き届いたサービス。


さすがは帝国最高のホテルです。


まぁ確かに、たまにはこう言うのもいいかも。


そんなことを考えながら華やかなロビーを眺めていると、軍服を見に纏った女性がエレベーターホールの前に立っているのを見つけた。


私はゆっくり、往来する人々を掻き分けながら軍の女性に歩み寄って行く。


「あの〜…。」


私が自信なさそうに声を掛けると、軍の女性は鋭い視線を私に向けた。


「なにか?」


うぅ…。


怖い。


私も一応軍人だけど、軍部の人って何でこんなに怖いのだろう?


「…私、軍務総省のアリス・ルクミンと申します。」


私が名乗ると、女性はあからさまに怪訝な表情をして、私をつま先から頭のてっぺんまで睨め付けた。


「…あなたが?」


うわぁ。


薄ら笑いを浮かべてバカにしてるぅ。


よし。


あんまり好きじゃないけど、こうなったら権力さんの出番だ。


「ええ。警護任務の為参りました。私が引き継ぎますので、対象の場所まで案内しなさい。」


私の命令口調に、女性は眉間に皺を寄せた。


沈黙し、私の顔をじっと見つめてくる。


おそらく、ナノマシンで作戦コードの照会をしてるんだと思うけど。


「…こちらです。」


私の保有する作戦コードで、私が本当に軍務総省の人間だと分かった彼女は、無表情でエレベーターのボタンを押した。


開いた扉の中に入ったので、私も後に続く。


「対象は最上階のスイートルームにいます。このエレベーターは安全性確保のため、ライオネル氏専用。最上階直通運転です。一応数名の兵士が監視役で外から見張っています。」


淡々と説明する女性を、はぁ。と言いながら見つめる。


態度は怖いけど、その横顔はとても整って見えた。


綺麗な人だなぁ。


身長が高く、肩にかからない短めの赤髪。


こんな人が軍にも居たんだ。と、私は素直に感心した。


やがてエレベーターは最上階に到着し、扉が開く。


「スイートは一番奥の部屋です。では、よろしく。」


ふん。と鼻を鳴らしながら、降りる私につっけんどんに言い放つ。


「あ、はい。」


エレベーターを降り、御礼を言おうと私が振り返ったその瞬間。


私はふと違和感を感じた。


何か、妙な気がする。


帝国の軍部には、私みたいな小娘が軍務総省所属という事をよく思わない人は多いけど、それとは何か違う。


なんだろう?


まるで、何かを忌むような。


…そうか。


あの目だ。


冷たいような、何かを憎悪するような…。


戦場や作戦中、敵兵士から向けられるのと同じ視線。


「まって!」


閉じかけたエレベーターの扉を静止しようとして手を伸ばす。


扉が閉まりゆく瞬間。


彼女は唇に人差し指を当て、声は出さずに口だけを動かして何かを言った。


薄らと口の端に笑みを浮かべながら。


エレベーターの扉が閉まる。


一体、なにを言ったんだろう?


私の手は扉の前で、伸ばされたまま固まっている。


「…アノ…ニミティ。」


そう、言ったのだろうか?



「失礼します。」


長い廊下を歩き、私は突き当たりにあるスイートルームの扉をノックしながら中にいる人物に呼びかけた。


返事が無い。


しばらく首を傾げたまま待っていると、ガチャリ。と音を立てて扉が開いた。


扉の隙間から覗いた顔は、写真で見たままの少年ライオネル・ティアマット君その人だった。


「…あのぉ。軍務総省から参りましたぁ…。」


苦笑いで自信なく言う私を少年は上から下まで見回す。


なんだか今日はやたら見回される。


「入れ。」


「あっ、はい。」


無愛想に言われて少々戸惑いながらも中に入る。


随分広い部屋だ。


天井も高く、ベッドにはカーテンみたいな幕が付いている。


掃き出し窓の外には広いテラスがあり、帝都の景色が一望できるだけでなく、ジャグジーにプールときた。


子供一人には明らかに広すぎる。


「所属と名前を言え。」


私がスイートルームに感動していると、ライオネル君が腕を組みながら、こちらを睨みつけてそう言った。


「えっ、私の?…えっと、名前はアリス・ルクミン。所属はさっきも言ったけど、軍務総省。」


私の自己紹介に、彼は怪訝な表情を浮かべてみせた。


「なんだお前。本当に軍務総省の人間かよ。所属って聞かれたら普通は隊の名前とか階級とか言うだろ!」


な、生意気な子…。


お金持ちの子供はみんなこんななのかな?


「…えーっと、それはちょっと…。」


私が困ったような笑顔を浮かべて渋っていると、ライオネル君の表情がぱぁっと変わった。


なんというか、目が輝いている。


「言えないんだな?!軍務総省としか言えないって事はもしかして、zodiac?!」


ハズレだ。


「あのぉ…。zodiacでは、無いの。」


私が顔の前で手のひらを振りながら言った瞬間、ライオネル君の表情がまた最初の時のような仏頂面に戻った。


「チッ!んだよ。つまんねーな。」


彼はそう吐き捨てると、更に私に一歩近づき、またもや上から下まで凝視する。


私、そんなに変かな…??


「…まぁ、見るからに精鋭感はゼロだしな。バカ丸出しって感じ。」


バ、バカ丸出しぃ…?!


驚愕する私を差し置いて、おもむろにライオネル君がこちらに向かって手を伸ばしてくる。


え?


彼が何をするのかわからずに首を傾げていた次の瞬間。


まだ幼い小さな手が私の胸を鷲掴みにした。


「キャッ!」


思わず変な声が出る。


「んー。まあ乳はデカイな。」


そう言いながらも手は胸を揉み続けている。


私はその手から逃れるように一歩下がると、自分の胸を抱えるように守りながら、少年を非難した。


「ちょっと!あんまり大人をバカにすると、お姉さん怒るよ!」


私が頬を膨らませながら言うとライオネル君は、ふん。と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「うるせぇ。バカ丸出し!」


憂鬱だ…。


こんな子供にまでバカにされるなんて…。


そう思いながら項垂れていると、ライオネル君はこちらを向いて、ニコッと笑った。


まるでさっきまでのやり取りなど無かったようにだ。


「おいお前!暇だからちょっと付き合え!」


彼はそう言うと私の手を掴んでリビングの方へと引いていく。


「…ちょっ!」


バランスを崩しそうになりながら彼について行くと、リビングの真ん中に置いてあるソファに座れと促された。


座ればいいの?と聞きながら大人しくそれに従う。


は!?…凄い!何だこのソファ!


今まで座ったどんなソファよりもフカフカだ。


ここでこのまま寝てしまいたい。


「ほれ。」


おもむろに何かを投げて寄越すのでキャッチしてみると、それはゲームのコントローラーだった。


「え、ゲーム?やった事ないよ。」


「いいから。」


戸惑う私に対して彼はめんどくさそうにそう言うと、手慣れた動作でゲーム本体のスイッチを押して起動させた。


『VR-War』


タイトルが、スイートルームに見合う大きなディスプレイに表示される。


「あ!これ知ってる。」


最近流行っているオンラインゲームだ。


確か、軍部とかでも大会が開かれたりして話題になっているやつ。


空軍の技術チームが開発したゲームで、ネットで無料配信されてたはず。


なんでも、ナノマシンに直接ダウンロードすれば、仮想空間でリアルな戦場を体験できるという代物らしい。


ライオネル君は普通にディスプレイに繋げてプレイしてるようだけど。


「どうやればいいかわかんないよぉ。」


私がボヤくと、彼は首を横に振りながら深いため息をこぼした。


「お前、本当バカ丸出しだな!軍務総省の人間ならバトルロイヤルで優勝して見せろ。」


画面を素早いコントローラー捌きで進めながらライオネル君が無慈悲にも言い放つ。


でも、まぁいいか。


よくわかんないけど、どうせ暇だし付き合ってあげるとしよう。


★3

帝都第三軍事基地 SHADEオフィス

AM 11:30


静かな時間が流れている。


レオン隊長はファイルを手に何かを調べている。


エリーナさんは、ロック君の報告書を確認している。


カリンさんは自分の作業場にいるだろうし、ラクア副隊長は元々留守。


アリスさんとロック君は言わずもがな。


バロン君は私の隣の席で、情報捜査を続けている。


私、アイヴィ・アレクサンドラも、今回のティアマット・インダストリアル社脅迫の件について、独自に捜査を開始していた。


「…どうだ?」


席を立たず、視線だけを私に向けて隊長が問いかける。


「そうですねぇ。兵器開発実験中の事故の揉み消しや、強制的な企業買収。軍務総省との癒着疑惑に、物言わせぬワンマン経営。鉤爪の刺青(クロウ)以外の人達からも脅迫を受ける材料には十分すぎるぐらいですね。」


私の報告に、隊長は、そうか。と静かに返事をした。


「具体的に言うなら、実験中の事故で死亡した人の遺族、買収された企業の経営陣。同業他社。つまらない理由で解雇された職員や取締役等…。」


その中から犯人を特定するのは骨が折れそう。


「だが、企業買収に関しては相応の大金が動き、両社同意の元だったはずだ。解雇された職員や取締役にも、それなりの金が支払われている。考えられるとすれば、同業他社によるの業務妨害行為と、事故の被害者遺族等による怨恨説。まぁ、そもそもただ単に鉤爪の刺青(クロウ)の標的にされた可能性も捨て切れんが。T.I社の兵器開発がストップすれば、今後の世界大戦にも大きく影響するわけだからな。」


隊長の意見を私は頭の中で噛み砕く。


確かに帝国の兵器産業を牛耳るこれ程の大企業が、お金の件でトラブルを作ったとは考えにくい。


となると…。


「被害者遺族たちによる怨恨説…か。」


私の呟きに、隊長が頷く。


人の感情というものは、時に何を起こすか分からないもの。


天秤が釣り合うかどうかは、その人次第なのだ。


「無くは無い話だ。鉤爪の刺青(クロウ)関連はバロンが調査している。アイヴィはそちらの方面から探ってみてくれ。」


私は、了解。と返事をすると、再びデスクに顔を向けた。


隠蔽された兵器開発実験中の事故…。


おそらく通常の検索では詳しいところまで見つけられないだろう。


少し調べただけでも解る通りT.I社はゴシップや問題の温床だ。


それ自体が隠れ蓑になってしまっており、正確な情報を見つけるのはほぼ不可能。


「有るとすれば、T.I社の情報網の中か、あるいは…。」


私が一人考えていると、隊長が体内無線の回線を開いた。


相手は、ロック君のようだ。


「…状況はどうだ?」


隊長に問われ、ロック君は無線の向こうでうーん。と唸っている。


『向かいのビルの屋上から見張ってるけど、特段なんも無いよ。平和なもんだ。アリスのやつ、おぼっちゃま相手にゲームしてやがる。』


ロック君の報告に、私は思わず笑ってしまった。


エリーナちゃんの言う、『子守の子守』と言う言葉を思い出したからだ。


ロック君の報告に、エリーナちゃんも微笑んでいる。


「そうか。まぁ、何かあるとしたら明日の発表展示会だろうな。脅迫を無視して強行する訳だから、アノニミティなる犯人が仕掛けてくるとしたら明日だ。」


隊長の言葉に、ロック君がため息を溢す。


『おい…まさかそれまでアリスに張り付いてろってか?てか、こうなったらもう普通逆じゃね?俺のいる場所、かなりいい狙撃ポイントなんだけど!』


「馬鹿。それじゃ意味ないじゃない。あんたがアリスに発破かけたんでしょ?」


エリーナさんの鋭いツッコミにロック君は、ぐぬぬ。と、なにも言えないようだ。


「万一何かあったらお前がサポートしろ。いいな?」


レオン隊長はそれ以上何も言わずに無線を強制的に終わらせた。


さて、私も何か見つけないと。


そう思いつつ、私は軍務総省のアクセス権を使ってT.I社のネットワーク上にあるクリアランスを一つづつ突破していく。


私は本来衛生担当だが、これぐらいならバロン君の手を煩わせるまでも無い。


企業のセキュリティなど、軍関係の物に比べればお安い御用だ。


ある程度まで潜ると、私は色々な情報が山積みになっている中に、それらしいファイルを見つけた。


開くとそこには、ティアマット・インダストリアル社の兵器実験の実態と事故の事例が列挙されている。


その中に、こんな記録を見つけた。



今から約一年前。


T.I社が帝都郊外に持つ巨大実験施設『Spring-7』内で、新型ミサイルの演習中に軌道演算システムが誤作動し、発射されたミサイルが実験の様子を見ていた研究者達の元に着弾。


演習用の模擬弾であった為、最悪の事態には至らなかったものの、立会人としてその場にいた軍の将校一名が殉職。研究者やエンジニアなど他数名が重軽傷を負った。


T.I社は、事故の責任を自社のものとは認めず、軌道演算システムを開発した研究所に全て責任を押し付けた。


それにより、開発元の研究所は事実上の解体に追い込まれ、死んだ被害者の遺族には莫大な金を払ってその口を塞いだとされている。


後に研究所は改革などとメディア写りのいい言葉を使って、T.I社の資本の元に再建されたが、そこにかつての技術者は一人も居なかったという。


「かつてその研究所に属し、仕事を奪われた技術者か、はたまた殉職した将校の遺族か…。」


だいぶ目標は絞れた。


あとは可能性のある人間をリスト化して、当たって行けばいい。


「念の為、トラブルリストも確認しておきますか。」


★4

帝都アルトリア中央区 エンパイア・グラン・ホテル

最上階スイートルーム

PM20:30


「何してんだアリス!」


やはり憂鬱だ。


あれからしばらくゲームに付き合わされ、やれ下手くそだのセンスがないだの言われ続けたかと思えば、今度はおもちゃの拳銃で射撃訓練まがいの的撃ちゲーム。


スイートルームの広いテラスを利用して、室内から室外に設置した小さな的目掛けてプラスチックの弾を放つ。


そもそも最上階なので、風が強くて子供用の空気銃じゃなかなか的に当たらない。


同じ空気銃でも、狩猟用のものとかなら当てる自信はあるけど…。


「お前、軍人の癖に射撃が下手くそだなぁ…。風を読むんだよ風を!」


そんなの言われなくたって実戦では毎回やってるもん!と嘆きたくなるが、我慢我慢。


「あ、あのさぁ…他に無いのかな?」


「他にってなんだよ。」


私の質問に、ライオネル君は眉と口をへの字にしながらそう言った。


「ほら、拳銃だけじゃ無くて、ライフルとか!」


そう。


そもそも的が遠すぎる。


この空気銃の有効射程は精々10mぐらい…じゃないかな?


的までの距離が15mぐらいだから、もう少し長いバレルの銃なら弾道が少しは安定してなんとか当てられそうな気がしなくも無い。


「なんだ、そういうことか。早く言えよ。」


ライオネル君はあっけらかんとそう言うと、こっちこっち。と私を寝室の方に来るよう促した。


彼に着いて行くと、寝室の壁際に大量の銃(どれもおもちゃだけど…)が置いてあるのが見えた。


さすが御曹司。


趣味にもお金がかかってるなぁ…。


「しょうがねえから特別に好きな銃選ばせてやるよ。」


そして、さすが御曹司。


実に偉そうだ。


まぁいいか。


ここまで来たら最後まで付き合ってあげよう。


私はその中にあるスナイパーライフルを手に取った。


持った感じはやはりおもちゃなので軽いが、バレルの作り自体はあまり本物と変わらないようで、少し感心する。


「じゃあ、これにしよっかな。」


私はボルトアクション式のスナイパーライフルを手に取った。


ラクアさんが普段使っているのと同じタイプだ。


「へぇ。それでいいんだ。スナイパーライフルは狙いやすい様でコツがいるんだ。お前みたいなバカ丸出しに扱えんのかよ。」


えぇ、そうですとも。


「そちらさんよくわかってらっしゃる。」


私は不意に訪れたチャンスに得意ぶって、ライフルを抱えたまま小走りでリビングルームに戻った。


おもちゃのくせに生意気にも着いているバイポッドを立て、床に設置してから伏せる。


ボルトを引き弾を給弾っと。


空気を供給するためのポンプが内蔵されているのだろう、実物より引きが重くてちょっとびっくりする。


ちらりとライオネル君の方を見ると、心なしか目を丸くしている。


右手でグリップを軽く握り、人差し指をトリガーに添えて、左肘は床についたままストック部分に手を添え、頬に当てて銃身を固定する。


「狙った獲物は逃さないんだから。」


舌舐めずりをしながらスコープを除き、レティクルの中心に的を収める。


すごい。


スコープ自体は本物じゃん。


私はまた一つ感心し、おおよその距離からスコープの倍率とピントを合わせ、風を読む。


的から少し離れたテラスの手摺の向こう。


ホテルの紋章が描かれた旗が揺れていたのでそれを目安にしよう。


普段から慣れ親しんだ動作。


当たる。


そう思うと同時に私は引き金を引いた。


もちろんおもちゃなので、衝撃も銃声もない。


弾は私の狙い通り的に当たり、カンッ。と金属の鳴る甲高い音を響かせた。


即座にリロード。


同じ動作を繰り返し、連続して隣に並ぶ的全てに弾を当ててみせた。


よし。


私はスコープから顔を上げると、ライオネル君を振り返ってウィンクして見せた。


彼は目をキラキラ輝かせ、まるで目の前に欲しいおもちゃがあるかの如く私を見ている。


「…す、すげー!アリス、お前もしかしてスナイパーだったのか?!すげー!おもちゃでこんなこと出来るなんて!」


えっへん。と胸を張って見せると、ライオネル君は力が抜けたようにソファに沈み込んだ。


「そんな事できるなら早く言えよ!バカ丸出しとか言って悪かったな!」


少年らしい表情を浮かべながら、彼は私に手を差し出してきた。


私はニッコリ笑いながら、その小さな手をとって握手を交わす。


素直な子供って可愛い。


私は、ふぅ。と一息つくと、ライオネル君の隣に座った。


「スナイパーとかカッケェ!マジカッケェ!」


スナイパーである事を明かしたらいけないんだけど、今ので完全にそう思われちゃったみたい。


「やっとわかってくれた。ライオネル君は私がちゃんと守るからね。」


得意げに胸を張って私がそう言うと、彼は少し恥ずかしそうに、自分の身は自分で守れるやい。と凄んでみせた。


「明日は、ライオネル君もお父さんの会社の発表会に行くんだよね?私も着いて行くから。」


私が言うと、ライオネル君はあからさまに不機嫌な顔をした。


「あいつなんか父さんじゃないよ。」


ふと言った彼の言葉に、私はその横顔を覗き込む。


俯き、今まで見せなかったような暗い顔をしていた。


「今回の展示会だって、本当は来たくなかったんだ。友達と遊んでた方が楽しいもん。なのにあいつが、『世界的な兵器開発の責任者である私の息子がそんなことでどうする。』とか何とか言って無理やり。普段家にも滅多に帰ってこないくせに。」


そうだったんだ。


確かに、幾ら展示会の準備で忙しいとは言え親子で別の場所に宿泊してるなんて変だ。


きっと、ライオネル君は寂しいんだろうな。


「お母さんは?」


私が問いかけると、ライオネル君の表情がさらに曇る。


もしかして、聞いちゃいけない事だったかな。


「…もういない。それだって全部あいつのせいだ。あいつが母さんを追い詰めて、放ったらかしにして!…貴族だからって家に閉じ込められて。何かあったら全部母さんのせい。それで母さんは心を病んで…俺が学校から帰ったら…。」


アイツは、母さんが死んだ日も帰ってこなかった。と、消えそうな声で続けた。


沈黙。


こんな時、どうしてあげたらいいんだろう。


わからなかったから、私は黙って彼を抱きしめた。


親の存在を知らない、私のような人間が言ってあげられる事なんてたかが知れているのだから。


「あ、アリスっ!む、胸がっ!」


私の胸の中でライオネル君が喚く。


私は体から彼を離すと、その顔をキョトンと覗き込んだ。


「…お、お前の胸は爆弾かよっ!窒息するぞ!」


顔を赤らめてる。可愛い。


「よし!ゲームの続きしよっか。」


私の提案に、ライオネルくんは元気に、おう!と答えた。


やっぱり、こういうのもたまには悪くないかもね。


★5


翌日。


「おい!アリス!起きろ!」


まだ幼さの残るそんな声と共に体を揺さぶられる。


「…ラクア…さぁん。待ってくらさぁい…。」


「寝言言ってないで起きろ!護衛が寝ててどうすんだよ!」


その言葉に、私はサッと上体を起こした。


「ひゃぁ!ごめんなさい!」


見渡すと、そこは昨日からいるエンパイア・グラン・ホテルのスイートルーム。


昨夜ゲームで白熱していたが、そのままソファで眠ってしまったらしい。


肩にはふかふかの毛布が掛けられている。


ライオネル君が掛けてくれたのかな?


「やっと起きた!お前兵士のくせに眠りが深すぎるぞ!俺が敵だったらどうすんだよ!それに俺の部屋で普通に、しかも俺より早く寝ちゃうし!どうなってんだ!」


怒られた…。


言葉もないです…。


目の前でライオネル君が腰に手を当てたまま頬を膨らませている。


そう言う彼は、もう着替えも終わり外出の準備を済ませてあるようだ。


少々生意気ではあるが、やはり育ちの良さは伺える。


「とりあえず、朝飯食おう!」


彼はニカっと笑って元気にそう言うと、私の手を引き立ち上がらせ、リビングに置かれたテーブルセットまで私を連れて行く。


卓上には、朝ご飯と呼ぶにはかなり豪華なメニューが並んでいた。


普段朝ご飯なんて食べないから、ものすごく美味しそうに見える。


…というか、私の分もあるの?


そういう様な表情を浮かべてポカンとしていると、ライオネル君が椅子に座りながらニッコリ微笑んだ。


「お前の分は俺が頼んでおいたよ。兵士なんだから、いっぱい食って力つけろよ。」


優しい。


「ありがと。」


私は素直に喜んでそう言いながら、彼の向かいの椅子を引いた。



豪華な朝ごはんを二人で食べた後、私たちは専用のエレベーターを使ってホテルを後にした。


ロビーを出るとそこはアルトリア中央区。


ホテルの前は帝都の中でもかなり活気のある通りだ。


路上にはライオネル君専用の移動車両が待機しており、私達は二人並んで後部座席に着く。


これから彼のお父さんのいる、発表展示会の会場へ移動するのだ。


その後は軍やzodiacの仕事だから、ライオネル君とはそこでお別れ。


なんだかんだで結局、彼とはゲームをしたりしただけだったけどちょっぴり寂しい。


やがて車が走り出すと、ライオネル君も少し寂しそうな表情で私を見つめていた。


何か言いたそうにしているので、どうしたの?と聞いてみる。


「なぁ。アリスとはもう会えないのか?」


この任務が終わってしまえば、もう会う事はないだろう。


名門貴族の子と、帝国の影を生きる私。


その立ち位置からして当然だ。


だから、彼の不安そうな質問にはあえて答えず、私は、あっそうだ。と、自分の腰にぶら下がっているカラビナに手を掛けた。


そこには、自分で作ったクマさんの小さいぬいぐるみが二つ並んでぶら下がっている。


昔から運が良いと言われているのもあって、何かの時にはお守りがわりに人にあげたりする。


私はそのうちの一つをカラビナから外して彼に差し出した。


「これ、あげる。」


ライオネル君は一瞬ポカンとした様子で、差し出されたクマさんを眺めていたけど、すぐにニッコリと微笑んで、何も言わずにそれを受け取った。


「あーあ。一回でいいからアリスの本物の射撃を見たかったなぁ。」


ライオネル君が唇を尖らせ、腕を頭の後ろに回してそう言った。


そんな彼の顔を微笑ましい気持ちで眺めていた矢先だった。


ライオネル君の背後の窓の外。


黒塗りの車が、こちらに並走する様に近づいてくる。


嫌な予感がして、自分の側の窓を振り返ると、そこにも全く同じ黒塗りの車がいた。


更に隣の車線から、前後にも車線変更して同じ車種の車が現れる。


私達の乗る車を中心として、前後左右を走る車全てが同じ車種だった。


え?


もしかして囲まれてる?


ミラー越しに運転手さんを見ると、前後左右に視線を移動させながら余裕のない表情をしていた。


何かが…始まる。


「ライオネル君ッ!」


その予感に、私は彼の名を叫び、その肩を掴んで座席の方に倒す。


うぉっ!という声がライオネル君から溢れた。


更に私は、覆いかぶさる様に自分の体を彼の上に重ねた。


「アリス?!一体!?」


慌てるライオネル君の身を守りながら、私は腿のホルスターに下げていた拳銃を抜く。


ライオネル君の目が驚きと不安で猫のように丸くなっていく。


「少しだけ、このままふせててね。」


あんまり不安にさせたくないので、私は無理に笑顔を作ってそう言った。


何が起きているのか分からず狼狽するライオネル君を嘲笑うかのように、並列した左右の車から銃撃が見舞われる。


私たちが座る後部座席の窓ガラスが音を立てて砕け散る。


運転手さんはパニックになり車両を蛇行させるけど、前後左右にピッタリ着けられていて逃げ場がない。


「アリス…怖い…助けて…。」


ライオネル君が頭を抱えながら弱々しく私に縋る。


大丈夫だよ。


そう言おうとした瞬間、私の視線は車の天井についている天窓に釘付けになった。


上空をヘリが追走している。


更にそのヘリは、高度を下げてこちらに近づいてきていた。


まさか、上からも?!


突如現れたヘリは、私たちの乗る車の20mぐらい上で高度を固定すると、そのまま上空を並走し始めた。


側面のスライドハッチが開かれ、機内から何者かがこちらに向けて降下しようとしている。


その手にサブマシンガンを構えながら。


「危ないっ!」


私は叫びながら、手にした拳銃を上空に向かって数発放つ。


天窓が割れ、その破片をライオネル君が被らない様、彼に覆いかぶさったまま。


ヘリの機内から現れた人物は、私の銃撃にも臆さずにワイヤーを使って降下を始める。


何を企んでいるのかわからないけど、やらせる訳にはいかない。


そんな思いとは裏腹に、ヘリから降下した人物はこちらにむけてサブマシンガンで牽制射を放ちながら徐々に近づいてきた。


そして、まるでそれを見計らっていたかの様に、左右を並走していた車両が、私たちの車両を挟む様に勢いよく追突してきた。


「きゃぁっ!」


ものすごい衝撃に思わず叫び、その振動で手から銃が落ちる。


私の拳銃は助手席の下に滑り込む様に入って行ってしまった。


手を伸ばし、銃を取ろうと前屈みになった瞬間。


覆いかぶさる私の懐から、ライオネル君が消えた。


え?


状況を確認するべく、すぐさま顔を上げる。


そこには、軍服を身に纏い、顔にフルフェイスのヘルメットを被った人物が、片腕にライオネル君を抱えて宙に浮いていた。


さっきヘリから降下してきていた人物だ。


車に衝撃を与えて気を逸らしておいて、その隙に空からライオネル君を割れた窓の隙間から引き摺り出したようだ。


フルフェイスの中からこちらを覗いている目が見える。


その目は、私がホテルのエレベータで会ったあの女の人の目と同じだった。


『…アノ…ニミティ…』


言葉に出さずにそう言ったエレベーターでの時のように、彼女はフルフェイスの上から唇のある辺りに人差し指を立ててみせた。


「ライオネル君ッ!」


私はすぐ様落ちた銃を拾い上げ、それを女に向ける。


しかし、女の体はライオネル君と共にヘリに巻き上げられていき、銃口の向く先には既に居なかった。


咄嗟に体勢を変え、天窓から上空を狙う。


「アリスッ!助けてっ!アリスッッ!」


だめだ。


万が一ライオネル君に当たったら…。


風に揺られるワイヤーに捕まっている対象を、拳銃だけで撃ち抜く自信は、私には無い。


私は、彼がヘリで連れていかれるのをただ茫然と見ているしかなかった。


その時。


『アリスッ!ボケっとしてんなよ!』


突如ナノマシンに入電し、呆然としていた私の体がビクンと動く。


後方から、大きなバイクのエンジン音が聞こえ、私は後部座席から後ろを振り向いた。


あれは…。


「ロック?!」


ロックが、バイクで私たちを追って来ている。


彼はバイクのハンドルから両手を離し、首から下げていたサブマシンガンを構えると叫んだ。


『伏せてろッ!』


その声に、私は後部座席の上に顔を伏せた。


マシンガンの乱射が始まる。


突然の銃撃に驚いたのか、それともライオネル君を連れ去ると言う目的を完了したからなのか、私の乗っている車を囲んでいた車団が一斉に散開していった。


突然の出来事に頭が回らない。


ライオネル君が…拐われてしまった…。



「ロックッ!」


運転手さんに車を止めてもらうと、私は降りて駆け出した。


ロックはすぐ隣にバイクを停めると、私を見る。


「ライオネル君が!どうしよう…私…。」


狼狽する私の言葉に、ロックは何も言わず、背中に背負っていたライフルケースを私に手渡した。


これは…私のだ。


わざわざ持って来てくれたんだ。


「バカ。お前が助けるんだろ?乗れ。」


ロックの力強い言葉に、私は、うん。と頷くと、ライフルケースを背負い、彼の後ろに跨った。


「…レオン。アノニミティの狙いはローレンスでも展示発表会でも無い。息子のライオネルだ。たった今襲撃を受けて拐われちまった。」


ロックが隊長に無線をつないでそう報告すると、隊長は深いため息をついた。


『…やれやれ。バロンを使って位置の特定だけはしてやる。彼を生きて連れ帰り、アノニミティを確保しろ。』


隊長の言葉に、私たちは声を揃えた。


「了解!」


次の瞬間ギアが入り、バイクは前輪を浮かせながら発車した。


そのまま大通りを猛スピードで加速していく。


「きゃぁぁぁ!」


慌ててロックの腰に手を回す。


「ちと荒くなる。相手はヘリなんでな。振り落とされんなよ!」


「それ、先に行ってよぉ!」


バイクに乗るのは初めてで、体感速度が半端じゃ無い!


私、絶叫系は苦手なのにぃ。


まるで締め付ける様にロックの腰にしがみついていると、私達のナノマシンにバロンさんから敵の追跡情報が送られてきた。


『ライオネル君を拐ったヘリは、帝都北区の方へ向かっています。でも、これ現行の軍用機ですよ。これじゃあ追いかけてこいと言っているようなものだ。敵はもしかして…。』


バロンさんが言いかけた言葉に私が首を傾げていると、ロックが捕捉してくれた。


「つまり、帝国軍の何者かが関与してるって事だ。一体何のつもりなのかわからねぇが、とっ捕まえりゃ全て解決だ!」


ロックはそう言ってさらにスピードを上げた。


吹き付ける強い風に私は目を強く閉じる。


そうしていると、ライオネル君が私の名前を泣き叫んだ瞬間の表情が思い浮かんでくる。


「…私…ライオネル君に守るって言ったのに…。」


自然と私はロックの背中に額を当てて、そう溢していた。


「目の前で拐われて、何にも出来なくて…。」


涙が、風に乗って後方に流れて行く。


悔しい。


こんな思いをしたのは初めてだ。


何の為に私が側にいたの?


「…バカ。泣くな。だからこれから助けに行くんじゃねぇか。まだ遅くない。お前が助けてやれ。」


「…うん…。」


ライオネル君。


ごめんね。


必ず助けるから。


★6


バロンの指示のもと敵のヘリを追って辿り着いたのは、帝都郊外の小高い丘の上だった。


そこから見渡すと、丘を下ったすぐ麓の部分に古い研究施設の廃墟があり、そこに例の軍用ヘリが止められているのが確認できた。


「アリス。お前はここで俺を援護しろ。」


俺の言葉に、アリスは食い下がった。


「嫌だ!私も行く!私がライオネル君に怖い思いをさせちゃったから。」


両手の平を顔に当てて泣くアリスの肩を掴み、俺はじっと彼女を見つめた。


てかコイツ、こんな泣き虫だったんだな。


「ライオネル君…今頃泣いてる。怖いって言ってた。私が…私が助けなきゃ。」


冷静さを失っている。


こんなアリスを見るのは初めてだ。


「俺が乗り込む。お前はライオネルと、俺を守ってくれ。いつだって、そうしてきたじゃないか。お前たちスナイパーが背中を守ってくれているから、俺たちは安心して戦えるんだ。」


俺が言い聞かせる様に言うと、アリスは涙の溜まった目をこちらに向ける。


「…ほんと?」


「ああ。」


その頭を軽く撫でてやり、俺は銃を抜く。


アリスは一度強く頷くと、ケースからライフルを取り出した。


涙を拭い、近くにあった切り株にバイポッドを立ててスタンバイする。


「よし。行ってくる。任せたぞ。アリス。」


その言葉に、アリスはまた力強く頷いた。


「絶対、私が守るから。」


そう言ってスコープを覗くアリスを背に、俺は丘を下っていった。



建物の影に隠れ、周辺を見回す。


見える範囲に人はいない。


まだ昼前だが、木々に囲まれているせいか辺りは薄暗く、鬱蒼としている。


俺は早速、アリスへ無線を飛ばした。


「アリス。何か見えるか?」


その問いに、すぐに返事が返ってくる。


『ここから見える感じだと誰もいない様に見えるよ。ヘリにも誰も乗ってないみたい。』


彼女の言葉に、俺は銃を構えながらさらに廃研究所へ歩を進める。


「クソ。どこに隠れてやがる。」


ナノマシンを使って聴覚を研ぎ澄ましてみたが、辺りは不気味に静まり返っていた。


「ここにいるわよ。」


静寂を破り突然聞こえた声に、俺は銃を構えたまま振り返る。


そこには赤髪の女兵士が立っていた。


その傍に、ライオネルを伴って。


彼は泣き腫らした顔で俺を見ている。


口にはテープの様なものが貼られ、声が発せない様にされていた。


その背中には、女が握る銃が突きつけられている。


「…あなたも軍務総省の人かしら?」


「あんたがアノニミティか?」


俺は質問には答えずに逆にそう問いかけた。


「そうよ。」


随分正直なものだ。


その返事に俺は肩をすくめた。


「あんた、素人かよ。帝都のど真ん中であんな目立つ拐い方して、しかも現役の軍用機で。それで足がつかないとでも?」


しかし、俺の指摘を女は鼻で笑った。


「…そんなことはどうでも良いのよ。」


「なんだと?」


俺が訝しんで睨むと、女はライオネルを銃口の先で突きながらまた一歩俺に近づいた。


「私の人生はね、あの男ローレンス・ティアマットへの復讐の為だけにある。後の事は、どうでもいい。捕まろうが吊るされようが、どうでもね。」


そう言いながら、女は忌々しそうな表情でライオネルを見下ろした。


…やはりそうか。


アイヴィーによって、今回の犯人に対し、ある程度の調べはついていた。


一年前に起きた、『spring-7』での実験事故で死んだ軍の将校と、T.I社の言いがかりで解体に追い込まれた研究機関。


その両方と深い繋がりのある人物は、たったの一人に限定されていたのだ。


「…あんたは、一年前の事故で死んだ空軍将校の妻、エミリだな?」


俺の問いに、女は、ええ。と小さくつぶやいた。


やはり達観しているのか、誤魔化すつもりも一切無いようだ。


「…こんな事をしても、死んだ夫は帰ってこない。わかるだろ?あんたの夫の死は事故だった。」


俺は説得を試みようと、構えていた銃を下ろして語りかけた。


不意に、委員会での事件の時の先輩を思い出す。


アドルフの手によって爆破された橋に自ら飛び込んでいき、その命を落としたレン・マッケンジー。


やり場の無い感情と、彼を止めることの出来なかった後悔をぶつけるかの様に、アドルフをただ恨んでいた先輩。


その姿が、目の前の女に重なる。


不運な事故で失った夫。


その悲しみは恨みとなり、その矛先は実験を主導していたローレンス氏に向けられる。


だが、俺の予想に反してエミリは首を横に振るのだ。


「事故で死んだのは仕方のない事よ。悲しかったけど、それでローレンスを恨んでいたんじゃない。問題はそれ以前の話。」


「どう言う意味だ?」


俺の問いに、エミリは堰を切ったように語り始めた。


「私の夫は空軍の技術チームにいた。私も空軍。彼とはそこで出会って結婚した。…彼はね、T.I社と癒着していたの。褒められたものではないけどね。」


その言葉を俺は吟味する。


空軍の技術チームと言うと、カリンと同じだ。


帝国空軍に設置された、エリート技術者集団。


軍で使用される兵器や装備などを独自開発、研究しているエンジニアリング部門だ。


確かに、兵器開発という分野ではT.I社と似通う部分はある。


それに、この女自身空軍に現在も居るのであれば、ヘリから降下して人を拐うような芸当が出来るというのも頷けた。


「…空軍少将だった彼は、その権力をもって多くのプロジェクトにT.I社を採用し、同社の兵器シェア90%を実現させた。もちろんタダではないわ。多額の賄賂を受け取っていた。」


全てを包み隠さず吐露するエミリの淡々とした言葉を俺は黙って聞いていた。


賄賂に談合か。


汚い世界の話だ。


よくはわからないが、同じ軍人の中にそう言ったジャンルの人間がいると思うと反吐が出る。


「…それだけじゃないわ。今回のT.I社の展示発表会で公開される新兵器の殆どは、技術チームにいた頃に夫が基礎を作り上げた物ばかり。ローレンスは、商業的支援だけじゃなく、技術的支援も受けていた。T.I社があそこまで大きくなったのは、私の夫のお陰だった!」


声を荒げる彼女の様子に、ライオネルが肩を震わせた。


自分の父親の裏の顔を見せられて、彼はどう思っているのか。


「あの男はね。あの事故を期に全てを手に入れたのよ。それどころか、夫のような存在を闇に隠蔽して、自分はのうのうとトップにのさばっている。あいつは夫の葬儀にも顔を出さなかった。あれだけの事をしてもらっておいて何の一言もなかった。都合の悪い事は全て金の力でねじ伏せて。許せない。」


感情が高まるにつれ、エミリの手に握られている銃がライオネルに強く押し当てられる。


まずいな。


それそろケリをつけないと。


「…どんな理由があろうと、あんたの夫がやっていた事も、T.I社のやった事も許されない事だ。そしてもちろん、あんたが今やっている事もな。」


「黙れ!」


エミリがそう吠えた瞬間、それが合図だったかのように、研究所の廃墟の中から数名の人間が現れ、俺は瞬く間に取り囲まれた。


手にはアサルトライフルが握られている。


「伏兵か…。」


俺は両手を挙げながらそう言って、取り囲んでいる奴らを見回した。


軍人じゃ無い事は一目でわかる。


銃を握る手が震えているからだ。


銃の安全装置を外していない者まで居る。


おそらくこいつらが、先程アリスとライオネルの乗る移動車を黒塗りの車で取り囲んでいたのだろう。


「…彼等はもと、T.I社が研究委託をしていた先の研究員達よ。事故の責任を身勝手にも押し付けられ解体された研究所の。私達のように、あの会社に恨みをもつ人間は沢山いる。」


なるほど。


先輩も言っていたが、やはりあの規模の会社ともなれば恨んでいる人間など五万といるのだろう。


改めてそいつらを見ていると、その中には、カメラを回している者もいた。


俺がそのレンズを見ているのに気づいたのか、エミリが恍惚な表情を浮かべ、緩慢な動作で口を開くのが見える。


「…今から、この子を処刑するその様子を撮影するわ。そして、その映像を展示会会場に届けてやるの。この子の死体と一緒に。同時にT.I社の不正の証拠も、一斉にメディアにリークする。そうすれば会社の株価は大暴落。あの男ももう金だけでは逃げられない。」


狂っている。


そんな事のために、全てを投げ売ろうと言うのか?


罪のない子供を拐い、殺すような事を?


「バカな!不正の証拠を掴んでいるなら、正々堂々戦えた筈だろ!何故なんの関係もない人間を、それも子供を巻き込む?」


「何度もやろうとしたわよ!でも、ダメだった。裁判になれば結局、優勢なのは戦えるだけの体力と財力を持ったあの男よ。だから私は一番あの男にダメージを与えられる方法をずっと考えていた。」


さぁ。とエミリはライオネルを自分の前に引き寄せると、そのこめかみに銃口を当てた。


その狂気に恐怖するライオネルが失禁しているのが見える。


「あなたはそこでただ見てなさい。変な真似をしたら、彼らがすぐにあなたを蜂の巣にするわ。」


両手を上げたまま、俺は取り巻きの連中を一瞥した。


ここまである程度黙って見聞きしていたが、思わず笑いが込み上げてくる。


「…好きにしろ。」


俺が笑いを堪えながら言うと、エミリは怪訝な表情を浮かべて俺を見つめた。


ライオネルは、声を発せないながらに何かを叫んでいるようだった。


「何のつもり?」


俺の突然の言動を訝しむエミリに対し、俺は首を左右に振って見せた。


「…そもそもそいつを助けにきたのは俺じゃないんだ。」


「?どう言う意味?何が言いたいのッ!?」


ナノマシンの回線は開かれている。


位置取りも申分ない。


「だから言っただろ?素人共。その子を助けるのは俺じゃない。…そうだろ?アリス。」


俺の言葉に、ライオネルの目が見開かれる。


『ー…うん。ありがとう。ロック。』


体内無線にアリスの声が入電したのとほぼ同時。


一発の銃声と共に、ライオネルを盾にしていたエミリの肩から血が噴き出した。


その銃声を合図に俺は真っ直ぐ走り出す。


そんな俺を止めようと、俺を囲んでいた奴らがこちらに向かって照準を合わせようとするが、俺に銃を向けた順番に銃弾が叩き込まれていった。


まるで守護神。


副隊長ラクアにも負けないぐらいの精度だ。


アリスの場合、ラクアの使うボルトアクション式とは違うセミオートライフルを使用している分、速射性も高い。


俺は今銃すら抜いていない。


全てあの、ドジでダラけてばっかりのアリスがやっているのだ。


ライオネルと俺を守る為に。


俺はアリスの狙撃に守られながらライオネルの元まで駆けつけると、口に貼られたテープを剥がしてやり、彼をそのまま担ぎ上げた。


「…怖がらせて悪かったな。安全な場所まで連れて行く。少しだけ我慢してくれ。」


俺の言葉に、ライオネルは泣きながら何度も頷いていた。


「アリスが…助けてくれてるの?」


小さな少年の問い掛けに、俺は微笑みながら答える。


「そうだ。アイツがお前を守ってくれる。やりゃ出来る女なんだよ。アイツは。」


自分で言っていて、俺は嬉しくなった。


悪かったなアリス。


お前は、俺の自慢の同期だよ。


★7


ロックがライオネルくんを救出し、私のいる丘の上まで戻ってくるのが見える。


彼に抱えられ、泣いているライオネル君に向かって私は大きく両手を振って見せた。


私の姿を見つけると、ライオネル君はロックの腕から飛び降りて私に向かって走ってきた。


飛び込んでくる彼を私は両手で受け止める。


「アリスぅ…怖かったよぉ…。」


弱々しく泣きじゃくるライオネル君の頭を私は優しく撫で、強く抱きしめた。


「怖い思いさせちゃってごめんね。もう大丈夫だよ。」


「アリスかっこよかった。」


ライオネル君が涙を拭いて、笑顔で言ったその言葉に私は少しだけ驚き、やがて胸が温かくなった。


普段はラクアさんに怒られてばかりだけど、少しだけ自分に自信を持てた気がする。


現場には、レオン隊長が呼んでおいてくれた軍の増援が到着し、事後処理の為に慌ただしく動き始めている。


私が狙撃した人達は、今回の脅迫事件の重要参考人として、全員が軍の人たちに連れて行かれた。


ライオネル君は、私達を迎えにきた軍の装甲車を見てまた、カッケェ、カッケェと喜んでいた。


やっぱり可愛い。


彼が大切そうに握りしめているクマさんを見ながら、私はその隣で微笑んだ。


ライオネル君を展示発表会の会場へ送り届ける為、私とライオネル君は装甲車に乗り込んだ。


ロックはバイクでその後からついてくる。


疲れたのか、ライオネル君は私の膝に頭を預けて、寝てしまっていた。


私はその寝顔を見ながら、頭を撫でる。


無事でよかった。


そして、私でも誰かを守れるんだ。


心の底からそう思った。



会場に着くと、ライオネル君は着替えの為別室に通され、私とロックは彼の着替えが終わるのを扉の外で待っていた。


「…そぉいえば、何でロックがいたの?」


廊下の壁に身を持たせながら私が問いかけると、ロックは頭を掻きながら、いや…。と口籠った。


「…ただ偶然近くを通っただけだ。」


そっぽを向いてそう言うロックをみて、私はまた微笑んだ。


なんだよ。と、つっけんどんに言う彼を見て、やっぱり男の子ってかわいいな。と思う。


そんなやりとりをしていると、通路の奥から物々しい雰囲気がこちらに向かってくるのを感じて、私たちはそちらに視線を向けた。


メガネをかけた頭の良さそうな人が、厳しい顔をしながら数人のSPに囲まれてこちらに歩いてくる。


ローレンス・ティアマットさん。


ライオネル君のお父さんだ。


「…軍務総省は一体何を考えてるんだ?急遽展示発表会を中止しろとは。今日まで準備を重ねてきたと言うのに!犯人グループは捕まったんだろう?!大損害だ。どうしてくれる。」


歩きながら周りのSPに向かって、言っても仕方ない文句を撒き散らしている。


「全てライオネルのせいだ。あいつが居なければ。」


前を通り過ぎる瞬間に吐き捨てられた心無い言葉に、私の心は急激に冷めていった。


「待ってください。」


一歩踏み出しながら放った私の一言に、ローレンスと取り巻きのSP達が足を止めてこちらを振り返る。


「なんだ?お前は。」


睨めつけるような強い視線がローレンスから向けられ、一瞬たじろぎそうになるが、私は踏ん張った。


足が自然と震えてくる。


「…ライオネル君のせいとはどう言う意味ですか?」


私の詰問に、ローレンスはゆっくりと目を細めた。


「…お前だな?ライオネルの護衛についていた兵士は。みすみす連れ拐われるようなヘマをやらかしやがって。」


彼はそう言うと、肩を怒らせながら私に歩み寄ってきた。


その鋭い視線を、私は真っ向から受け止める。


目を逸らしてはいけない。


何故か強くそう思った。


「それはたしかに、私のミスです。弁解もありません。申し訳ございませんでした。」


私は深々と頭を下げる。


「これだから無能な兵士は。我がT.I社の武器、兵器がなければ何の役にも立ちはしない。もっと感謝して欲しいものだ。」


頭ごなしに、心無い言葉が浴びせられる。


でも、ライオネル君が拐われたのは私の責任だから仕方ない。


「…おい。おっさん。」


不意に私の背後からロックがそう言いながら前に躍り出る。


「…確かに、今回は俺達のミスもあった。それに関しては俺も言い訳はしねぇよ。無能だなんだ言われても仕方ない。だけどな?ライオネルに対して今お前が言った言葉は取り消せよ。あいつには何の落ち度もないはずだ。アイツは無関係なのに、あんなに怖い思いをしたんだぜ?父親なら、展示会なんかよりアイツの心配をしてやれよ。」


私は、ロックの言葉に頭を上げた。


「ふん。ミスを認めるのはいい事だ。しかし、先ほどの言葉を取り消すつもりはない。あんな息子、居ない方がマシだ。足ばかり引っ張りやがって。私に取っては展示会の方が大切なのだよ。何せいずれ来る世界大戦にこの国が勝つか負けるかは我が社に掛かっているのだから。」


胸が苦しくなる。


どうして、実の父親がそんな事を言えるのだろう。


感情が抑えきれず涙が溢れてくる。


ダメ。


私は俯いたままロックの前に歩み出ると、ローレンスに正対した。


「なんだ?お前。私の言う事に何か意見でも?」


「…いや。意見は無いです。」


声が震えている。


私は、自分の感情が爆発するのを止められなかった。


次の瞬間、私は力一杯握り込んだ拳をローレンスの顔面に叩きつけていた。


ロックが、あ、おい。と驚きの表情を浮かべ、手をこちらに差し出したままの状態で固まっている。


私にフルパワーで殴られたローレンスは吹き飛び、床でそのまま失神した。


SPが彼を両脇から抱え、退散して行く。


彼らは、帝国警察局の人間だ。


この国の警察は、軍務総省所属である私たちには何も言えない。


また権力さんのお世話になったけど、後悔はしていなかった。


私は踵を返すと、ロックの手を引いて唖然とする人々を置き去りにその場を立ち去ろうとした。


「アリス!」


その時、背後から掛けられた明るい声に私は振り向むいた。


そこには、着替えの終わったライオネル君が立っていた。


彼は私に駆け寄ってくると、ジャンプして私に抱きついてくる。


どうやらライオネル君はこれが好きなようだ。


私はまたその小さな体をキャッチする。


「本当にありがとな。俺、アリスにあえてよかった。」


先ほど泣き腫らしていた表情から一転し、彼は最初に会った時の様な活発な笑顔を私に見せた。


「私も会えてよかったよ。」


私がライオネル君を床に下ろしながら微笑むと、彼はポケットから何かを取り出して私に差し出してきた。


「これ、クマのお返しだ。」


そう言われ目を丸くしながらよく見ると、それは美しく銀色に輝く、ネックレスだった。


いかにも高そうだ。


「これを私に?」


私が問いかけると、ライオネル君はにっこりと笑って力強く頷いた。


「ああ。母さんの形見。」


それを聞いて、私は両手の平を胸の前でブンブンと振る。


「そんな大切なもの受け取れないよぉ。」


「いいから!ほら、しゃがんで。」


彼に言われるまま、私は足をかがめて目線を彼に合わせた。


すると、ライオネル君は小さな手を私の首に回して、そのネックレスを私に付けてくれたのだ。


「…いいの?」


困ったように私が聞くと、彼は真っ直ぐ私を見ながら頷いた。


幼い男の子とは違う、少しだけ男らしい表情で。


「俺、もう少し大きくなったら軍に入る。アリスみたいなカッコいいスナイパーになるんだ。あんな男の会社なんて、最初から継ぐ気ないもん。」


その言葉に私は嬉しくなる。


自分が誰かの目標になれるなんて、思いもしなかったから。


「楽じゃ無いぞぉ?」


私が小突きながら悪戯っぽく言うと、ライオネル君は腕を組んで、わかってるし!と頬を膨らませた。


「いつかそこでまた会えたら返してくれよ。」


私は、彼が付けてくれたネックレスを握りしめて、頷いた。


「わかった。その時まで大切にするね。ありがとう。」


私がそう言って微笑むと、ライオネル君は頬を赤くしながらも、おう!と力強く拳を突き上げた。


★8


「おはよー。」


俺と先輩がSHADEのオフィスへ入ると、レオンとバロン、アイヴィがいつもの様に既に出勤していた。


「おはよう。」


レオンは相変わらず朝刊を読みながらコーヒーを飲んでいる。


そこだけは何があっても譲れないようだ。


俺たちが自分のデスクに座るのを確認すると、レオンはサッと席から立ち上がり、俺たちのデスクの上に読んでいた朝刊を広げた。


その紙面に、俺と先輩は視線を滑らせる。


『ティアマット・インダストリアル社CEOローレンス・ティアマット氏辞任。連日の不祥事報道受け。』


『新CEOは軍部から?』


また、様々な憶測を呼ぶ様な見出しが紙面を彩っている。


「今回ばっかりは報道局もまともな記事書いたみたいだな。」


俺の言葉に、先輩が肩をすくめる。


「まぁ、よかったんじゃない?それにしても、ライオネル・ティアマット誘拐の実行犯であるあの女、エミリが持っていた不正の証拠が決め手になるとは、皮肉よね。」


それにしても。と先輩が続ける。


「アリス、よく頑張ったわね。後で話聞いたけど、私でも殴ってるわ。」


アリスがローレンスを殴り倒した時の事を言っているらしい。


確かに、あんなに感情を昂らせるアリスを見たのは初めてだった。


いつもはラクアの後ろにビクビクしながら隠れてんのにな。


てか殴ったのがもし先輩だったら気絶じゃすまなかっただろう…。


「アイツ、帰りの道で大泣きしてて大変だったよ。寂しい、寂しいって。」


俺が苦笑しながらそんな事を言っていると、オフィスの扉が開き、俺たちはそちらに視線を向けた。


「…おふぁようごじゃいましゅ…。」


話題の人が出勤してきたようだ。


今日はいつもより少し早い。


あ、そうか。今日ラクアが帰ってくるんだ。


ちゃっかりしてんなぁ。


でも、また寝てたら結局怒られるだろ。


「おはよう。」


レオンがいつものように、そちらを見もせず朝刊を持って自分のデスクへ戻りながら挨拶を返す。


アリスは自分のデスクに着くと、早速机に突っ伏して夢の続きを見にいってしまった。


そんな様子を黙って見ていると、ふいに先輩がクスっと笑ったのでそちらに視線を向ける。


「今日は怒らないの?」


その問いに俺は苦笑しながら、必要ねぇよ。と肩をすくめた。


先輩が、どうして?と首を傾げる。


その様子に、俺は微笑んでみせた。


「やる時はやる女だからな。俺の同期は。」


それに…。


「…それは、ラクアの仕事だろ。」


俺の言葉に、先輩はまた笑った。


振り返ると、気持ちよさそうに眠るアリスの首元には、美しい銀色のネックレスが輝いていた。



To be continued…

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