Ep.2『2nd coming』


★1

アルトリア丘陵国立自然公園

AM5:30


クローレンツ大帝国の帝都、アルトリアの街並を望む広大な国立自然公園。


大陸を縦断するクローレンツ山脈の狭間に拓かれたこの地は、まさに自然と人が作り出した要塞都市と言える。


高い山々の間を縫って高くそびえ立つ高層ビル群。


その山陰から差し込む朝日は、まるでこの世界の全ての闇を照らし尽くしてしまいそうな程眩く、そして美しかった。


大自然と近代建築の調和された近未来型要塞都市。


それがこのアルトリアだ。


「…待たせたな。」


帝都の街並みを見渡せる、国立自然公園の展望デッキに備え付けられたベンチに腰掛け、美しい風景に身を委ねている私を、背後からやってきた無愛想な男の声が現実へと引き戻す。


振り返ると、そこには純白の、見るからに高級なスーツを身に纏った男が一人立っていた。


長い金髪を後ろで一つに束ね、左肩から胸にかけて下げている。


そんな、まるでセレブのような出立には似合わない、やたらとシンプルで安っぽい腕時計。


清らかな朝に合っているようでそぐわない、鋭く尖っためずらしい金色の瞳。


気に入らない。


私はこの男が嫌いだった。


「…予定通りSHADEに掛けられた凍結命令が解除された。」


私が短くそれだけを告げると男は、知っている。とだけ返して私の隣に腰掛けた。


「こちらの作戦の手筈も整った。時期に動き出すだろう。」


私と同じように、ぼんやりと朝焼けの空を見つめながら、男はそう続ける。


その言葉に、私はあの不気味な銀髪の男の顔を思い出した。


この世の全てを憎んでいるかのような、シスタニア人特有のあの暗く赤い瞳を。


「あの男、信じてもいいのか?」


私のそんな問いかけに、隣の男は肩を竦めて見せた。


「少なくとも利害は一致している。俺は基本的に他人を信用しない。だが、利用できるなら何だって利用する。目的達成のためなら、どんな事でも俺はやる。」


それは暗にこの私ですら同じ扱いだという事を言われているようなものだった。


相変わらずのようだ。


この男が信頼していたのは、きっと『あの女』だけだろう。


こうして、直に会って会話を交わしているこの私すら信用していないのは明白だった。


「…しかし、SHADEは手強い。おそらく一筋縄ではいかないだろう。あの何を考えているかもわからないシスタニア人に力を与えるのは危険すぎる。」


私はそう言いながら隣りの男に目をやった。


口の端に笑みを浮かべている。


随分と余裕なものだ。


「…俺はな、今まで一度もギャンブルで負けたことがないんだ。それは、負けるとわかっている勝負をしないからに他ならない。世界大戦が始まってしまえば、全てが有耶無耶になる。我々の作戦を遂行する為には、なんとしてもSHADEを。そして軍務総省の連中を攻略しなければならない。そう。それこそ、どんな手段を使ってもだ。」


彼はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。


金色の瞳が鋭く私を見下ろす。


「…A1(エーワン)。お前は予定通り現場に赴き、あのシスタニア人のバックアップに回れ。SHADEの連中を常に監視し、休む暇を与えるな。そうすれば…」


必ず付け入る隙が生まれる。


男は私にそう言い残すと、やってきた方角、国立公園の駐車場のある方へ歩いていった。


私と交わしていた会話など、まるで存在しなかったかのように。


A1という無機質な名で呼ばれるのにも慣れた。


なんの捻りも温かみもない名前。


最も、そちらの方が私には似合っているのかもしれないが。


「…あんたの部下、残念だったな。残ったのは結局あの銀髪1人だけだった。『V-75』計画はまだまだ不完全な様だな。」


振り返らずに私が言うと、それに反応し男は私の背後で立ち止まったようだった。


「…死病(インキュアブル)か。その件もある。計画を急がなくてはなるまい。あれは、神に近づき過ぎた人類への罰…いや、我々人間が自ら作り出してしまったカタストロフィなのだから…。」


そうなのかもしれない。


私は初めてこの男の言葉に共感した。


この世界は狂っている。


乱れすぎ、均衡を保てなくなった力のバランスは、いつかこの世界を滅ぼすのだろうか?


『神に近づきすぎた人類への罰』とは言い得て妙だ。


「私は引き続き帝国政府への内偵を行う。SHADEの事はA1。お前に任せるぞ。」


そう言い残すと、再び男は歩き出す。


そう。


これは、私が背負ってしまったカルマなのだ。


いつか私の『償い』は終わるのだろうか?


そんな事を思う私をまるで励ますかの様に、心地のいい朝の風が吹き抜けた。


『あの女』が、昔のように何処かで私を見守っているかのような錯覚。


私はその風の流れる行方をふと振り返る。


そこにはもう、あの男の姿は無かった。



★2

帝都第三軍事基地地下四階ミーティングルーム

AM7:30


事件から一夜明け、俺たちSHADEは本格的に鉤爪の刺青(クロウ)の捜査に乗り出すべく、再びミーティングルームに集まっていた。


「本日から本格的に捜査を開始する。尚、ルカ少佐は今日から一週間、査察任務の為本土には居ない。よって我々SHADEは、zodiacと連携し、謎の武装勢力である鉤爪の刺青(クロウ)に対し攻勢の立場を築く為に独自に動くこととなる。」


レオンがミーティングルームの正面に立って、まだ少し眠気の冷めていない俺たち全員を見回しながらそう言った。


前から思っては居たが、彼の背広姿はこの雰囲気に映える。


俺たちはと言うと、いつもそれぞれが自由な服装でミーティングに参加している為、側から見たら講義を受ける学生達の図である。


「ロック、エリーナはこの後、例の銀髪の男が勾留されているクライムエイジ刑務所に併設された拘留施設に向かい、zodiacによる聴取に立ち会え。」


レオンの指令に、俺と先輩は、了解。と立ち上がりながら返事をする。


「カリンは、帝国の兵器管理リストと連中が使用していたガンシップやF.A.Sの情報を照合し、それらの出所を探れ。」


俺達に続き、あいよ。と元気のいい返事が俺と先輩の後方から響く。


カリン・フェルトはSHADEのメカニックだ。


姉御肌で男勝り。


世界屈指の技術を有する帝国空軍の兵器開発チーム出身で、兵器に関する知識はもちろんのこと、ありとあらゆる車両や銃器、さらには戦闘機まで乗りこなす多彩な女だ。


副隊長のラクアと揃って酒癖が悪いのが玉にキズだが。


「バロンとアイヴィーは、過去の事件や彼らに関連しそうな情報をネットやデータベース、E.I.Aのトラブルリストから洗い出せ。」


俺達に習い、ハッカーのバロンと衛生担当のアイヴィーが返事と共に立ち上がる。


「…俺たちの出番は当分無しか?」


いつもの如く俺の前の席にいるスナイパー兼副隊長のラクアがあくびを噛み殺しながらレオンに問いかける。


情報戦において、狙撃を生業としているラクアとアリスは手持ち無沙汰になってしまう事が多々ある。


しかし、レオンは安心しろ。と一言言うと、得意げに微笑みながらスナイパー二人の顔を交互に見回した。


「お前達は、バロンとアイヴィーのバックアップにつき、必要があれば調査の為、現場まで足を運んでくれ。」


レオンの命令に、ラクアは、へい。と気もそぞろな返事をすると、隣の席で自分のノートに一生懸命落書きに興じる弟子のアリスの頭を結構な力で殴りつつ立ち上がった。


アリスは半泣きで頭を押さえながら急いで立ち上がりラクアに続く。


相変わらず見ていて面白いコンビだ。


「私はここに残る。各員何か解れば全て私に報告しろ。以上。」


はいはい。


隊長さんは今日も待機ね。


そんな事を思いつつも、その号令と共に俺たちは各々ミーティングルームから散っていった。


「ロック。早速クライムエイジに行くわよ。」


先輩が腕時計の時刻を確認しながら俺の肩を軽く叩き、そう言った。


「なあ。どうせならバイクでもいいか??」


思いつきで言ってみる。


「…乗りたいんでしょ?しょうがないわね。いいわよ。」


俺のお願いに先輩は肩をすくめながらも了承してくれた。


流石先輩だ。


「よし!じゃあ回してくる!ゲート前で集合な!」


俺は先輩に向けて掌を挙げながらそう言うとすぐに駆け出した。


バイクは、戦い以外に何もない俺の生きがいでもある。


自分専用車を軍務総省から与えられてはいるものの、潜入捜査が主では任務で乗る機会はあまりない。


俺は現在いる地下四階のエレベーターホールまで小走りに駆け寄ると、上階へ向かう為のスイッチを押した。


俺たち専用のエレベーターである為、来るのを待つことはない。


すぐに扉の開いたエレベーターに乗り込むと、俺は地下一階の階数ボタンを迷いなく押した。


車両ドックはこの帝都第三基地の地下一階にある。


階が上がるにつれ、寝起きの気だるさが徐々にクリアになり、俺の口角が自然と上がる。


俺たちのミッションが始まったのだ。


その実感が体を熱くする。


少しだけ胸を躍らせながら、俺は開きかかった扉の隙間に体をねじ込みそそくさと外に踊り出た。


エレベーター前の電子ゲートをくぐると、階下に収納してある車両を出す為に、中央のターンテーブルが回転しながら下に下がっていく。


ゲートを潜った人間のナノマシン情報を認識し、収納してある車両を自動的に引き出してくれるシステムだ。


無論、緊急時にはその時間が惜しいので、ドックの脇に揃えて駐車されている車両にそのまま乗って出撃する事もあるが。


階下に収納されている車両がどうしても必要な場合は、基地の車両スタッフがあらかじめ回してくれている場合も多い。


俺は、再び競り上がってきたターンテーブルに歩み寄る。


その中央に、専用車である俺のバイクがセッティングしてあった。


車両スタッフの手入れが行き届いている為、黒いボディは新車の様にピカピカだ。


俺は早速それに飛び乗ると、ハンドルの右手部分にある認証キーに自分の親指を当てた。


指紋認証の様であるがそうではない。


認証キーに触れることで、バイク自体が俺のナノマシン情報を読み取り、起動するシステムだ。


ピピッという小さな認証音が鳴った後、心地よいエンジン音をドック内に響かせながらバイクに火が灯る。


スロットルをひねる。


更にその音をドック内いっぱいに鳴らし、その余韻に浸る。


そうしてバイクとの会話を楽しんでいると、今度は前方のゲートがゆっくりと開き始める。


その先は緩やかだが長いスロープになっており、地下一階の車庫から地上へ直接出ることができる構造だ。


今度はギアを入れてからスロットルを捻った。


クラッチを少しずつ離すと同時にバイクは風を切りながら勢い良く発進した。


地上に出て、経路に沿って第三軍事基地内にある軍務総省庁舎前のロータリーに回ると、其処には既にエリーナ先輩が腕を組みながら待機していた。


俺がそのすぐ目の前でバイクを停車させるのと同時に、彼女は身軽な動作でシートの後部に飛び乗った。


「よし。じゃあクライムエイジまでドライブでも楽しむとしようぜ。」


サイドミラー越しに先輩に言うと、先輩は精々安全運転でよろしく。と言わんばかりに両肩を竦めて見せた。


彼女の腕が俺の腰に回されるのを感じると、俺はバイクを発進させた。


目指すは帝都アルトリア中央区。


罪人達の墓場とも揶揄されるクライムエイジ刑務所だ。


昨晩の委員会庁舎占拠テロを起こした首謀者と考えられている銀髪の男がそこの留置施設に拘留されている。


連行されていく時に俺に向けられていたあの目。


一体、彼は今何を考えているのだろう?


その真実にたどり着くべく、俺たちは走り出すのだった。



★3

クライムエイジ刑務所中央監視室

AM8:35


まるで、そこは神話の世界の話に出て来る魔宮の様に見えた。


窓の代わりに頑丈な鉄格子が至る所に埋め込まれた石造の建物は天高くそびえ、その四つ角には巨大な監視塔が設けられている。


帝国が誇る地上の孤島クライムエイジ刑務所は、重犯罪を犯した人間に取ってもはや墓場の様な場所だった。


仮に万が一建物を脱出出来たとしても、常に建物四隅の塔の上からその目を光らせているスナイパーに狩られるか、防御システムが働いた際にのみ起爆する地雷型F.A.Sの餌食となるだろう。


この刑務所からかつて脱獄に成功した犯罪者は誰一人として居ない。


一般人は遠くからその出で立ちを見る事しか出来ないが、犯罪等に縁のない帝都の民からすれば、その建物は何処かシンボリックな街のオブジェの様に見えているのかもしれない。


銀髪の男は、この施設内に併設されている留置所に拘留されているとの事であり、俺と先輩は早速その門を潜るのだった。


「状況は?」


俺とエリーナ先輩は到着するなり、例の男が居る取調室の様子を見る事が出来る中央監視室に入った。


そこにはzodiac隊長のルノア・ジュリアードと、その部下数名が詰めており、物々しい雰囲気を漂わせていた。


ルノアの姿を確認するなり、前回同様そそくさと先輩が俺の背後に隠れる。


「…割らない。」


ルノアの方も相変わらず、口を。という主語が無い。


彼女はこちらを見もせずにそれだけを言い放つと、何処か疲れた様な表情を浮かべながら本当に小さく溜め息をついた。


「昨日の夜からぶっ通しか?少しは休めよ。」


「…。」


俺の言葉が聞こえているのかいないのか、彼女は黙ってモニターに映る二人の人間を凝視している。


相変わらず口数の少ないルノアの様子に肩を竦めると、俺は背後に隠れている先輩を促して、モニターが見える位置まで歩み寄った。


画面の中には、zodiac副隊長であるフリードリヒ・スタンフォードと、彼らと共に委員長執務室で拘束した銀髪の男が机を挟んで対峙している様子が映し出されていた。


取調室の何処かに設置されている高性能のマイクが、室内の音声を拾い、映像と共に監視室内に流している。


『…なぁ。少しは会話しようぜ?男同士で睨み合ってるだけじゃつまらないだろう?飽きちゃったよ俺。』


フリードの兄貴の、何処か呆れた様な声がスピーカー越しに聞こえる。


それに対し、監視カメラを通して見る銀髪の男は特に疲れている様子も無く、微笑を浮かべている様だった。


まるでそこに張り付いているかのような作られた表情だ。


そこから思考を読み取るのは不可能だろう。


『…一体どうやってあんな小人数で庁舎をジャックしたんだ?それにあの最新鋭のF.A.Sは?正直ただのテロリストにしておくには勿体無い色男だぜ。今後の参考の為に、是非教えてもらいたいんだがな?』


兄貴は画面の中で、大きく椅子の背もたれに寄りかかりながら目の前の男にそう投げかける。


『…どうとでもなりますよ。所詮は全て同じ人間が作り出したものなのだから。あなた方が使うナノマシンもね。』


男のつかみ所の無い返答に、兄貴は首を横に振り肩を竦めてみせた。


『誤摩化さないでちゃんと教えてくれよぉ…。そういうあんたも、ナノマシン使ってるじゃないか。帝国が秘匿している技術を、どうやって手に入れた?…あ、そういえば、死んだ二名に関しては死病(インキュアブル)だったらしいな。あんたは何ともないか?』


その問いかけに、銀髪の男は少しだけ気分を害したかの様に、ふん。と鼻を鳴らして嘲笑を浮かべた。


『…帝国の軍人がテロリストである私の安否を気遣うなど。…心配には及びません。私は至って元気ですよ。』


『相手が誰かなんて関係ないって。実際。…まぁ、今あんたに死なれたら困るってのが本音なんだが。』


腹の探り合いだ。


お互いスタンスは違えど、ずっと相手の出方を伺っているのだ。


『人の命を何とも思っていない貴方達帝国兵もまた、国から使い捨てにされる消耗品であるとは悲しいですね、ま副隊長殿?上から与えられた任務に疑問も抱かず、貴方達は『殺して奪え』と言われたら迷わずそうするのでしょうね。例えそれが道端に落ちている石ころでも。相手が生まれたばかりの赤子でも同様に。』


その一言に、一瞬フリードリヒの兄貴は肩を振るわせた。


この一言は効きそうだ。


『…ま・あ・な。悲しい事だが。でも、それも結局は下らん例え話だ。そうだろう?何故なら俺の今の仕事は『あんたとおしゃべりする。』ただそれだけのことだからだ。あんたが俺との会話をもう少し楽しんでくれりゃ、俺も今日一日無駄に人を殺さず、家で趣味の筋トレができるんだよ。』


しかし、兄貴はわざとらしい仕草で男の挑発を受け流した。


その辺に関しては、さすがだ。と俺は思う。


俺なら挑発に乗って、感情的になってしまうかもしれない。


まぁ、ナノマシンが感情をコントロールしてくれている限り、無意味にキレたりする事はそうは無いのだが。


『まぁ、そう焦ることもないですよ。時期に、全てわかることです。』


何か含みを持った様な銀髪男の言い草に、隣でモニターを覗いていた先輩が顔を顰めながら唸る。


「…嫌味な奴ね。いけ好かない。」


俺は、ああ。とだけ返すと、更にその隣にいるルノアの表情を伺った。


こちらはいつもの事ながら無表情である。


おそらくルノアに関してはナノマシン云々は関係なく、ただ彼女の性格の問題なのだろう。


「…このままだとキリが無さそうだ。俺たちが行くか?」


試しにルノアに提案してみるが、いい。の一言で返されてしまった。


一体何の為に来たんだ俺たちは…。


自嘲気味にそんな事を思いながら、先輩と顔を見合わせていると、突然けたたましいアラート音と共に監視室に通信が入った。


緊急回線?


コンソールパネル内に備え付けられたタッチパネルを操作し、ルノアが卓上マイクに顔を寄せた。


「…何?」


不機嫌なのか、彼女がその一言だけを冷たく送ると、慌ただしい現場の様子が監視室のスピーカーを通して返って来た。


『…隊長!刑務所上空に、帝国籍のガンシップが現れ、こちらの認識信号を無視しながら上空を旋回しております!』


「…機体番号確認。作戦コード照会…。」


無表情のまま、抑揚のないトーンでルノアが部下であろう無線の相手に号令を飛ばす。


『…それが…機体番号がマーキングされている箇所がペンキの様なもので塗りつぶされており、確認が出来ません…。ナノマシンによる認証も拒絶されて…ー 何っ!?』


zodiac隊員の言葉が途中で途切れると同時に、爆発音と激しい揺れが俺達のいる監視室まで伝わり、俺は瞬時に身構えた。


「何が起きたの?」


そんな揺れにも驚いた様子などなく、ルノアがマイクに向かって冷静に問いかける。


『…こちら屋上!!上空を旋回していたガンシップによる攻撃が開始されました!!負傷者多数!!』


「ー…ルノアッ!」


突然開始された状況に、俺は今この場で全ての権限を握るzodiac隊長の名前を叫ぶ。


彼女は、スッとキレのある動作でこちらを向くと、ただ無言で頷いた。


それに対してすぐに俺も頷き返す。


「いくぞ先輩!!」


隣の先輩の肩を軽く叩き、次の瞬間俺達は全速力で走り出した。


「一体何が起こっているの?ガンシップは帝国籍なんでしょ?」


俺の隣に並び、所内の廊下を全速力で駆け抜けながら、先輩がそう聞いてくる。


「分からない。リモート状態のまま制御不能になっているか…ー」


そこで言葉を切り、減速せずに突き当たりを左に折れて階段を駆け上る。


屋上に出る扉はこの上だ。


ナノマシンにより、初めて来る施設であっても視界にマップ情報と位置情報が映し出されている為、それがわかる。


「ー…何者かに奪われたかだ。」


俺がそう続けるとほぼ同時に、俺たちは屋上へ出る為の防火扉の前にたどり着いた。


慣れた動作で先輩は腿のホルスターから拳銃を抜くと、素早く扉の横に周り、ドアノブを捻る。


先輩のアイコンタクトで、俺たちは一気に無線のあった刑務所の屋上に躍り出た。


銃を構えながらすぐ様辺りの様子を伺う。


そこら中から銃声が鳴り響いていた。


「近いな。」


銃声の響く方向に目を凝らすと、上空をホバリングしながら断続的に機銃を掃射する一機のガンシップと、それに対抗するべく、物陰に隠れながら手にした銃の引き金を引くzodiacの隊員達の姿が視界に入った。


血を流し、倒れている者もいる。


zodiacに協力していた、この刑務所の刑務官や警備員達だろう。


彼らはこうした突然の戦闘には慣れていない為、不運としか言えない状況だ。


辺りの惨状に目を配らせながら、資材格納用のコンテナの裏に身を潜めている黒づくめの兵士達を見つけると、ガンシップの攻撃の隙を見計らって俺たちもそこへ転がり込んだ。


「おい!何があった?!」


俺は駆けつけるなり、自国のガンシップ相手に役に立つかどうかもわからないアサルトライフルをコンテナの影から身を乗り出して放っていた一人の兵士の背中に問いかけた。


zodiacの隊員。


ルノアの部下だ。


「SHADEの若造か?…見ての通りだ。突然現れた正体不明のガンシップから攻撃を受けている!」


「屋上に対空装備は?」


先輩が問いかけるのと同じタイミングで、兵士は乗り出していた体を素早く引っ込め、新しい弾倉に交換しながら、そんなもんあるわけねぇだろ。と捲し立てた。


「此処は刑務所で、軍基地じゃない!おまけに中央区。帝都のど真ん中ときた。そんなもん使って、民間のエリアにアレを墜落させたらそれこそ沙汰だ。」


正にその通りである。


こんな街中でガンシップを撃ち落とすわけにはいかない。


しかし、このままでは一方的に攻撃されるだけで手も足も出ないだろう。


帝国のガンシップに通常兵器など幾ら当てたところで焼け石に水。


そんな事は、この国の兵士である俺たちが一番よく知っている。


俺はzodiacの隊員とは反対側の端から少しだけ顔をのぞかせ、敵機の様子を確認した。


黒い機体にクローレンツの国旗にも描かれている対になった不死鳥の紋章があしらわれている。


両翼には先程から攻撃を見舞っているバルカン砲が二門と、ご丁寧に空対地ミサイルまでぶら下げている始末。


「…先輩。あのガンシップ二世代ぐらい前の機体だよな?」


ナノマシンによる機体の識別が拒絶されている為、俺は自分の記憶を頼りに先輩に問いかけた。


その問いに、先輩も俺の隣に並んで敵機の姿を目視するべく物陰から顔を覗かせる。


「…そう言えば、三ヶ月前の海上プラントでの事件の時も、あれ位の中古のガンシップを敵が保有していたわね…。あの時は確か…。」


三ヶ月前、俺達が凍結に至る原因となった、俺がSHADEに入隊してから初めて潜入捜査に参加した事件。


先輩はその時の事を思い出している様子で、しかしその後すぐに首を横に振った。


「ダメダメ!あの時みたいな無茶は出来ないわ!どのみち、例え武器があったとしても、撃ち落とすわけにはいかない。」


すぐ側で、掃射される弾丸が俺達が身を隠しているコンテナ内の物資を貫き、中ではじける音がする。


慌てて監視室を飛び出して来たはいいが、これでは…。


俺がどうするべきか画策していると、急にガンシップの掃射が止んだ。


俺と先輩はお互い目で合図を送ると、コンテナの脇から再びゆっくりと顔を覗かせる。


先ほどまでこちらに向け機銃掃射をしていたガンシップが、空中をホバリングしたままの状態で高度を建物の外壁に沿って下げて行く。


「?…何だ?どうするつもりだ?」


完全にガンシップの高度が自分達の立っている場所より下になると、俺たちを含めた兵士、警備員十数名は銃を構えながら屋上の縁までゆっくり移動した。


縁に取り付けられた手すりから、下の様子を伺うべく顔を覗かせ、ガンシップが降下して行った下方を確認する。


ガンシップは、俺達の居る屋上から2フロア分下がったぐらいの高度でホバリングをしたまま空中で静止していた。


それを見た瞬間、俺の身体中に嫌な予感が駆け抜ける。


「おい!先輩!あのガンシップが正対してる場所って…!」


「モニターに映っていた取調室!?」


俺と同様にそれに気付いた先輩は、即座に無線を開き、ルノアと取調室にいるであろうフリードリヒの兄貴への共通回線を開いた。


「こちら屋上!!ガンシップは、取調室の壁を空対地ミサイルで吹き飛ばす気よ!」


先輩がそう捲し立てるのとほぼ同時。


建物の下方から、もの凄い爆音と衝撃がやって来た。


俺は巻き上がる煙と熱に顔を庇いながら下を確認しようと縁を覗き込むが、止めどなく舞い上がる爆煙で下の様子を伺うことができない。


「…壁に穴を開けてあの銀髪を連れ去るつもりか…。」


確かにこの刑務所の分厚い壁を破るには、これ位しないとダメかもしれない。


しかしここまでするリスクと手間を考えたら、常軌を逸しているとしか思えなかった。


次の瞬間、ガンシップのローターに巻き上げられた煙が一気に上空へ霧散した。


そこには、再び高度を上げたガンシップから降ろされたウィンチに掴まり、こちらを見下ろすあの銀髪の男がいた。


長い銀色の髪が、上空を吹き荒ぶ強風にたなびいている。


直様男を目掛け、屋上に居た全員が一斉に銃を構えた。


ハッキングによるリモート操作だろうか?


中が伺えないのでわからないが、何者かが遠隔でガンシップを飛ばし、この男の脱出を手伝っている可能性は十二分にある。


わざわざ有人飛行でリスクを犯してここまで派手に動くとは考えにくい。


俺たちは、クライムエイジの屋上とその上空でそれぞれ睨み合った。


男はこちらに向かい、冷たい嘲笑を浮かべながら、ウィンチを掴む手とは反対の手で、自分のこめかみを人差し指で指し示すジェスチャーをして見せた。


体内通信を促すジェスチャー?


先程の取り調べ中思わず聞き流してしまっていたが、この男シスタニア人なのに、やはりナノマシンを保持しているのか?


すぐ様俺は目の前の男に視界を合わせ、体内通信を開く。


『…やぁ。帝国の飼い犬君達。短い時間だったが世話になった。』


まるで勝ちが確定したような歓喜のトーンが、ナノマシンを通して俺の体を駆け巡る。


奴からの体内通信は隣の先輩にも届いているらしい。


先輩は不快そうな表情を隠さず、上空に浮かぶ男を鋭く睨みつけている。


「てめぇ!最初から全て計画してやがったな?!」


直接発せられた俺の叫びに、彼は満面の笑みを浮かべた。


周りにいる兵士たちが俺の言葉に、状況が飲み込めないと言った様子で俺の方を見ている。


どうやらこの体内通信は俺と先輩だけに発信されているようだ。


ガンシップの起動音が凄まじいのもあり、彼らがこの状況を理解できないのも無理はないだろう。


『世界最強の軍と一塊のテロリストでは力の差が歴然なのは分かっているのでね。常軌を逸した者たちを相手にするなら、こちらも振り切れていないと。』


銀髪の男はそう言うとわざとらしく肩を竦めて見せた。


『…私はフロレイシア。お前たち帝国を破壊し、新たな世界を創り出す者の名だ。覚えておくといい。』


「目的は…一体何なんだ?!」


問いかけと共に引き金に添えた指に力が入る。


俺のその様子をまるであざ笑うかの様に冷笑を浮かべると、フロレイシアと名乗った銀髪の男は更に言葉を続けた。


『武力で全てを捩じ伏せるのは君たちの常套手段ではあるが、無闇に銃を撃つのは良くないよ?セブンス君。このガンシップは私のナノマシンに連動している。私の生体反応が消えれば、このガンシップも同じくこの帝都中央区の何処かに墜落する事になる。それがどういう事か、優秀な君達ならわかるだろう?』


…クソッ!


ナノマシンリンクだと?


やはり、帝国に関係する人間なのだろうか?


いや、外見はどう見てもシスタニア人に見える。


まさか、軍に居るとされる内通者は、ガンシップやF.A.Sだけではなく、ナノマシンの技術までテロリストに横流ししていると言うのか?


俺は初めて、俺達が戦おうとしている敵に対して戦慄を覚えた。


こいつらの後ろ盾は、一体…?


無意識に、俺は自分のナノマシンでフロレイシアをスキャンする。


通信回線以外をクローズドモードにしている様で、固有の認識情報は読み取れない。


しかし俺達にはわかる。


ハッタリなんかじゃない。


彼を殺せば、彼のナノマシンにリンクされているガンシップも落ちる。


清々しい程に用意周到である。


帝都に住まう約八百万の民間人を危険にさらす事になってしまう。という事か…。


それに今、奴は俺の名前を呼んだ?


帝国の影とまで呼ばれる俺達SHADEの情報まで握っているというのか?


『ー…ロック。エリーナ。』


突然割り込んできた無線から掛けられた声に、俺と先輩は一瞬顔を見合わせる。


「ルノアか?どうした?」


すぐ真上を漂うフロレイシアに視線を戻しながら俺は無線の主であるルノアに応答した。


ただ事ではない様子が無線を通して伝わってくる。


いつもの感情の籠らない話し方とは少し違い、何か不穏な空気を声音から感じ取ったのだ。


『…委員会庁舎に残って事後処理を行なっていた他のzodiac隊員から報告。庁舎地下で時限式の爆薬が発見された。それも大量に。』


「何ッ!?」


ルノアの報告に先輩が驚きの声を上げる。


『…量と配置からして、委員会庁舎を丸ごと吹き飛ばせる威力。設置にも相当の時間がかけられてる。おそらく庁舎を占拠する前から計画的に行われていた可能性がある。被害予想は甚大。爆破まで残り五時間程度しか残されていない。』


バカな…。


中央区の中でも特に建物が密集している場所に位置する委員会庁舎が爆破されれば、多くの民間人が巻き込まれ、命を失う事になる。


これこそが奴の、フロレイシアの狙い?


だとすれば、一度此方に投降して見せたのは時間稼ぎだったとでも言うのだろうか?


ルノアの言葉がまるで聞こえていたかの様に、フロレイシアが声を上げて邪悪に笑う。


『ハハハハッ!その様子だと、自分たちの置かれた状況にやっと気付いたようだね。…ここから第二幕の始まりだ。』


「第…二幕…?」


困惑する俺と先輩を前にフロレイシアは甲骨の表情を浮かべながら激しい風に煽られる銀色の髪をかき上げて見せた。


キザな野郎だ。


何もかもが気に食わない。


『…委員会庁舎に仕掛けた爆薬の起爆装置は、二年前帝国が捕らえた特A級テロリスト、アドルフ・ストラドス死刑囚が過去に設計したものだ。彼を直ちに釈放し、私と共に西側諸国へ亡命させろ。起爆装置はこの世でただ一人、開発者である彼にしか解体することができない。それに、このガンシップと同じく私が死ねば起爆する様、私のナノマシン情報を起爆装置にリンクしてある。君たちは従う他ないのだ。』


不敵な笑みを浮かべながら最後にそう吐き捨てると、フロレイシアは掴まったウィンチに巻き上げられ、ガンシップの機体の中へと消えていった。


「待て!」


俺の叫びも虚しく、スライド式のハッチが彼の手によって閉じられる。


彼を飲み込んだガンシップは、すぐ様南の方角へ向けて旋回すると、もの凄い勢いで空の彼方へ飛び去って行った。


同時に巻き上がる烈風に俺たちは目を庇う。


「空軍に協力を要請し、衛星から追跡させろ!」


「すぐに負傷者を医務室へ!」


「ガンシップの管理リストを探ってあの機体の出所をあぶり出せ!」


様々な人間の怒号が飛び交う中、俺はフロレイシアを乗せたガンシップが飛び去った空の彼方をずっと睨みつけていた。


ふと隣にいる先輩を見ると、彼女もまたその空を睨みつけていたが、その目は俺が今まで見たことのないほどに鋭い光を帯びている様だった。


「…アドルフ…ストラドス…。」


拳を握り締めながら小さく呟いた先輩の声には、はっきりと憎しみの色が滲み出ていた。



★4

アルトリア南区帝国第三軍事基地

PM 11:45


相変わらず薄暗いブリーフィングルーム。


室内は緊張感に包まれ、そこに集まったSHADEの隊員達は隊長であるレオンの言葉を待っていた。


「…始めよう。」


腕時計の時刻を確認すると、レオンはそう言って立ち上がった。


彼はスクリーンの前にキビキビとした動作で移動すると、その場に集まった全員を一瞥してからゆっくり口を開いた。


「…今から約二時間前。クライムエイジ刑務所を襲撃し、尋問中であったフロレイシアと名乗る男を連れ去った帝国籍のガンシップは、国防委員会の庁舎屋上に着陸した。」


彼の説明と同時に、プロジェクターで映し出された画像が切り替わる。


鉤爪の刺青(クロウ)による庁舎占拠事件から一転。


今度は爆破テロの標的にされたわけだ。


アルタイルの爺さんも大変だな。


あのフロレイシアは、事態がここまでになる事を恐らく最初から計画していたのであろう。


レオンは続けた。


「フロレイシアは単身委員会庁舎の屋上に停められたガンシップ内で待機していると見られる。スナイパーを配置すればいつでも攻撃することは可能だが、ナノマシンリンクがある為に無闇に手出しができない状況だ。彼がもし死ぬ事があれば、庁舎諸共吹き飛ぶ事となる。事前に入念な計画があった事だろう。」


そのやり口は、やはり今まで無作為にテロ行為を行なっていたテロリスト達とは一線を画している様に思える。


フロレイシアの死か、設定されたタイマーの時間切れか。


どちらにしても結果は同じ。


それを回避する為には、爆薬の起爆装置を設計したとされる死刑囚を釈放し、彼にそれを解除させる他ない。


その後死刑囚と共に西へ亡命する事が望みだと言っていたが、その亡命にも何か策がありそうだ。


レオンの言う通り、今全てはあの男の計画通りに推移していると言える。


「彼の目的は死刑囚アドルフ・ストラドスの釈放と、西側諸国への亡命。」


—…アドルフ・ストラドス。


その名を知らない者はこの国には居ないかもしれない。


2年前、帝国とシスタニア共和国を隔てる運河に建設された巨大連絡橋『シルバーサンライズブリッジ』を爆破し落橋させた凶悪犯。


元々は理論物理学や流体力学等様々な科学に明るい研究者だったそうだが、4年前の帝国によるシスタニア侵攻によって祖国シスタニアを奪われた復讐のためにその技術を駆使し前述の犯行に至ったそうだ。


俺はシスタニア侵攻作戦には参加していないが、帝国によりシスタニアが併合されて間も無くして起きた大規模な爆破テロの首謀者。


それが、アドルフ・ストラドスだった。


「ダメよ。」


突然、隣の先輩が声を荒げながら立ち上がった。


それは、はっきりとした拒絶の意思が籠った言葉だった。


あの時ガンシップの飛び去った空を、憎しみを込めて睨みつけていた先輩のあの目を思い出す。


「…エリーナ。座れ。」


レオンに制され、先輩は不快そうな表情を崩さないまま渋々と言った様子で再び席に着いた。


やはり、死刑囚と先輩には浅からぬ因縁があるのだろうか?


レオンは一度小さく咳払いをすると居住まいを正し、再び話し始めた。


「…敵は何を考えているのかもわからない男だ。探り探りの状態でこちらから仕掛けるにはリスクが高すぎる。」


彼はそう言った後、何処か先輩を諭す様に、だがその為のSHADEだ。と微笑を交えて言うと、プロジェクターの画像を再び切り替えた。


「…我々自身の手でアドルフ・ストラドスを庁舎まで移送し、彼に爆弾を解体させる。起爆を止める手立てはそれしかない。チャンスはその後。アドルフの身柄を引き渡すその隙でフロレイシアを生きたまま確保する。」


その、どう考えても運任せな作戦にミーティングルーム内が少し騒ついた。


危険だ。


あの男が、そこで捕まるような人間には思えない。


やはり、ここまで来たら計画通りに亡命しきるだけのカードを持っていると考えるのが筋だろう。


どうやら、他の隊員達も俺と同じ考えのようだ。


「おいおい。そんなの作戦とは言えねーんじゃねーのか?確実性がない。もしまた何か奥の手を隠し持ってたら、それこそ死刑囚とあの色男、二人とも取り逃すことになるぞ。」


俺の前の席で椅子に背中を大きく寄りかからせながら、副隊長のラクアが呆れた様な声を出す。


俺はそのすぐ後ろに座っているので、彼のカウボーイハットのつばが顔に当たりそうになる。


室内では帽子を取れよ。


「それに、死刑囚をそんなに簡単に釈放なんて出来んのかよ?仮にできたとして、アドルフが解体に素直に応じると思うか?帝国に復讐するために爆破テロを起こした張本人だぜ?」


ラクアに同調しながら俺がそう問いかけると、レオンが静かに口角を上げた。


得意げな表情。と言う奴だろうか?


何を考えているかわからないといった点では、俺たちの隊長であるレオン・ジークも例外ではない。


「…釈放の件は軍務総省長官であり七貴人議長でもある、ハザウェイ・ラングフォード氏が直々に法務省に掛け合い取り付けたらしい。アドルフは既に一時的に釈放され、護送車でこの基地に向かう手筈になっている。超法規的措置という奴だ。その為の二時間だったわけだ。」


レオンの言葉に室内が一瞬静まる。


俺たちのオーナーであるルカ・ブランク少佐。


そしてそのルカ少佐の直属の上官であるのがハザウェイ・ラングフォード軍務総省長官である。


この帝国において軍務総省長官は、政府最高機関『七貴人』の長である事も意味している。


つまりは帝国皇家を除くと、この国の実質ナンバーワンであると言う事だ。


隣の先輩を見ると、不愉快そうな顔をしている。


死刑囚であるアドルフを釈放するという作戦の方針に、明らかに気分を害しているようだった。


「…アドルフに関しては、彼を信じる他あるまい。彼を説得し、変な気を起こさせない様にシフトするのも我々の仕事。と言うわけだ。もちろん、今回の作戦を提唱した七貴人も死刑囚にそれなりの見返りを用意している事だろう。」


「…ちょっと待ってよ。」


先程まで黙っていた先輩が再び立ち上がり、彼女に全員の視線が注がれる。


「なんだ?」


そんな先輩を、まるで試すかのような視線でレオンが見据えた。


「変な気を起こさないようにシフトするのも私達の仕事?冗談よね?復讐に取り憑かれ凶行に走り、死刑囚となってただ死を待っている人間なのよ?」


「無理だ。と言うなら君は何もやらなくていい。」


先輩の言っていることは全員がわかることだろう。


しかし、レオンはそれをキッパリ切り捨てた。


そんなレオンの言葉に、先輩は言葉を失い、鋭い眼光でレオンを睨みつけた後、静かに着席した。


よくない雰囲気だ。


失敗も許されない。


しかし、レオンはそんな俺たちを全く意に介さない様子で一息をつくと、部屋全体をゆっくり見渡していた。


ルカ少佐が国外査察とやらで不在の今、俺たちは軍務総省長官及び、七貴人議長であるハザウェイ・ラングフォード氏の命に従う他ないという事なのだろう。


「アドルフの護送。引き渡し、はあくまで仮だが、そちらはロックとエリーナに任せる。ラクア、アリスは上空で万が一の場合に備えて狙撃態勢を取れ。残りの人員はテロリスト達の洗い出しの続きに取り掛かる。アドルフが到着次第作戦開始だ。…以上。」


先ほどの先輩とのやりとりがあったにも関わらず、レオンの采配に変更はなかった。


そんな中で作戦が開始されようとしている状況に、ラクアが少しだけ身を乗り出した。


「…おい、レオン。お前…ー」


「わかったわ。」


ラクアが何かを言いかけた直後、先輩がそれを遮るかの様にハッキリとした声でそう言った。


レオンは一瞬ラクアの方に目をやると、すぐに先輩の方に視線を送る。


「そうか…。よろしく頼んだぞ。アドルフに何としても起爆装置を解体させなくてはならない。その意味がわかるな?エリーナ。」


まるで念を押すかの様な隊長の鋭い視線と言葉に対し、先輩は返事をする事なくただその視線を真っ直ぐに受け止めていた。


「現在、委員会庁舎はzodiacが包囲している。フロレイシアが取れる行動は限定されつつある。ロック。エリーナを頼んだぞ。何かあれば責任は私がとってやる。まぁ、庁舎が吹き飛ぶ結果になればそれどころでは無いだろうがな。」


「あ…あぁ。」


レオンに急に名指しされ、俺は曖昧な返事を返した。


普通逆じゃないのか?


エリーナ、ロックを頼む。だろ。立場的に。


しかしレオンは俺のそんなどっちつかずな返事に満足したのか、それ以上は何も言わずにそそくさとブリーフィングルームを去っていった。


他の隊員達と、腕組みをしながら隣で険しい表情を浮かべている先輩を横目に、レオンの後を同じスナイパーであるアリス・ルクミンと共に追ってミーティングルームを離れようとしていたラクアの背中を俺は咄嗟に追いかけた。


「ラクア。」


「…あ?なに?」


相変わらずやる気の無い様子でラクアが俺を振り向いた。


さっきレオンの采配に異議を申し立てようとしていた感じからすると、まるで別人の様な反応だ。


「…今のアレ、何だよ?先輩の様子もおかしいし…。」


ラクアにしか聞こえない様、小声で俺が問いかけると、彼は何かを思案する様に数秒間虚空を見上げ、次の瞬間には思い立った様に戯けた表情を作って俺の肩をポンと叩いた。


「…お前、準備があるんならとっとと来い。死刑囚が到着する前に整えとかねぇと、またレオンとエリーナが怒る。」


彼はわざとらしくそう言うと、俺の腕を引っ張ってブリーフィングルームを出た。


後ろからひょこひょこツインテールの髪を揺らしながらアリスもついて来る。


「お、おい!」


喚く俺を無視し、ブリーフィングルームの扉から少し離れた廊下の角で急に立ち止まると、不意にラクアは俺を振り返る。


これは、いわゆる内緒話ってやつか?


にしてもベタなやり方だ。


「…いいか、ロック。こいつはかなりデリケートな問題だが、お前はエリーナのバディだから話しておいた方がいいだろう。副隊長権限だ。」


真面目なのかふざけているのか分からないトーンで急にそう言われたので、俺は少し緊張した。


「…レン・マッケンジー。名前だけなら知ってんだろ?」


…レン・マッケンジー。


彼の言う様にその名前だけは知っていた。


「…俺がSHADEに来る前、先輩とバディを組んでいた男か?」


「そう。SHADE創設時の初期メンバーであり、この部隊設立以来、初の殉職者でもある。」


殉職。


全ては俺が此処に来る前の話では有ったが、四年前のシスタニア殲滅作戦後、SHADEメンバー2名が立て続けに死亡していた事はレオンから事前に聞かされていた。


それからしばらくして配属された俺とスナイパーのアリスがその補充要員だったのだ。


殉職したのは初代SHADE隊長のイルーザ・ロドリゲスとそのレン・マッケンジーという隊員。


どちらもかなり優秀な兵士だったと聞いている。


そう言えば、確か現在zodiacの隊長であるルノア・ジュリアードも、その頃はまだSHADEのメンバーであり、しかもイルーザ隊長に次ぐ副隊長であったという話を聞いた時は驚いた物だ。


「…そのレンが死んだ原因となったのが、あのアドルフ・ストラドスが引き起こしたシルヴァー・サンライズ・ブリッジ爆破テロなんだよ。」


ラクアのその一言で、俺の中の全てが繋がった。


…そう言う事か…。


無意識に、俺は自分のナノマシンで事件の概要をネット検索していた。


様々な記事が写真付きで視界に投影される。


死傷者約1800名を出したとされる帝国史上最悪の爆破テロ。


その中には、民間人、軍人、大人、子供も大勢いた。


その爆破テロをたった一人で実行したとされるのが、例の死刑囚アドルフ・ストラドスだった。


つまり、先輩のかつてのバディの命を奪ったのが、アドルフ。という事になるのだろう。


「じゃあ、あのテロに巻き込まれて…ー」


俺がそう言いかけると、ラクアは、少し違う。と、首を横に振りながら手で制した。


「あいつが死んだ直接の原因は、爆破による物じゃない。その後の崩落に巻き込まれたんだ。自らそこに飛び込んでいったんだよ。馬鹿な奴だろう?」


「なに?一体何故?」


驚いた俺の問いに、ラクアは、ふぅ。と重々しく息をついた。


「簡単さ。逃げ遅れたシスタニア人の子供を救う為だ。あいつは、イルーザ隊長や俺達の静止を無理やり振り切って、崩落しかけていた橋に単身で突っ走って行きやがった。目の前の人間が救えなくて世界が平和に出来るのか?人の命を奪うだけが兵士じゃないだろう?そう吐き捨ててな。そういう、見ているこっちが恥ずかしくなる様な男だった。あいつは。」


「ー…男が揃ってコソコソ話なんて、趣味が悪いわね。」


その聞き慣れた声に、俺の心臓は一瞬で縮み上がった。


そばにいたアリスも驚きのあまり前につんのめり、壁に額をぶつけている。


「せ、先輩…。」


いつのまにか俺達のすぐ真横にエリーナ先輩が立っていた。


しかしラクアはその状況にも驚くことなく、いつもの能天気で気の抜けた様な表情を浮かべている。


「…コソコソ話?違うなぁ。…俺は副隊長として、期待のルーキー君に先輩との上手な付き合い方を教えてやってたんだよ。なぁロック?」


ラクアが、不必要に強い力で俺の背中を叩く。


そんなわざとらしいやり取りが余計に癇に障ったのか、先輩は冷たい口調で言い放った。


「ロックには関係のない事よ。」


何か心に冷たい釘を打ち込まれた様な感覚。


まだ知らない先輩の過去が俺の前に壁となって現れたような、そんな気持ちだった。


そして、その強い怒りを込めた先輩の言葉に、ラクアの瞳の色もどこか暗い輝きを帯びる。


「…おい。」


彼は鋭い口調で言うと、まるで威圧するかの様に先輩の方へ歩み寄り、彼女を廊下の壁に追いつめた。


それを見ていたアリスが、まるで自分が怒られているかの様な動作で、俺の後ろに隠れる。


「な、何よ。」


ラクアは、突然の展開に動揺する先輩にそっと顔を寄せると真っ直ぐにその瞳を見つめる。


これは、止めた方がいいのだろうか…?


しかし、俺の心配は次のラクアの言葉に杞憂に終わるのだった。


「…あの頃とは環境も状況も違う。お前はロックのバディで、上官だ。そんなお前が冷静さを欠いていたら、次に死ぬのはロックや、もしかしたら俺やアリスかも知れねぇんだぜ?それ、わかってんのか?」


「ー!?…別に冷静さを欠いてなんか…!」


狼狽する先輩の様子に、ラクアは近づけていた顔を離し、深い溜め息をついた。


こんなラクアの姿を俺は初めて見る。


いつもふざけている様で締めるところは締めている。


そう言っていたのはエリーナ先輩自身だったか?


「…あのな。この際だから一つ言わせてもらう。確かに、そもそもあのテロをアドルフが起こさなければレンは死ななかったのかも知れねぇ。だが、あいつが死んだのはあいつ自身が馬鹿だったから。そして…」


ラクアはそこまで言うと一瞬、ほんの一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた。


「…銃弾ぶち込んででもあいつを止めてやれなかった俺たちが大馬鹿だったからに他ならねぇ。それだけの話なんだよ。」


その言葉に先輩は驚いたような、衝撃を受けたとも取れる表情をし、力なく壁にもたれ掛かった。


「…お前以外の隊員はそれを認めてる。レオンも、あのルカ少佐でさえな。皆わかってるんだ。レオンがこのミッションにお前達を選んだのは、まぁ、つまり、そう言う事かもな…。仲間の死を忘れろとは言わない。だが、乗り越えなきゃならねぇ。俺たちは死んでいった奴らの分も立ち止まるわけには行かないんだからよ。俺から言えることは以上だ。」


ラクアはそう言うと、俺の後ろでびくびくしているアリスに、行くぞ。と促して、その場から立ち去って行った。


後ろ手を振りながら、ま、精々頑張れ。そう言い残して。


「…先輩。」


その場に残された彼女になんと言葉を掛けていいかもわからずに、俺はそれだけを絞り出す様に言った。


壁にもたれ掛かる先輩にゆっくり歩み寄りながら。


「…ごめん。確かに関係無くなんかはなかった。ラクアの言う通りね。私、いつまで過去に捕われてるのかしら…。」


先輩は壁にもたれさせていた体をシャンと立ち上げると、力なく微笑みながら俺にそう呟いた。


「ラクアも、きっと後悔してるんだな。レンを止められなかった自分を…。」


「…さぁ。わからない。でも、結局はみんな同じ…なのかもね。」


先輩はそれだけを答えると、俺の顔を見上げて真っ直ぐに瞳を覗き込んできた。


力強い、先輩らしい眼差しだ。


「もし、また私が冷静さを失う様な事が有ったら、ロック。その時は私を止めてね。」


先輩の懇願する様な表情に、俺は微笑んだ。


『ロック。エリーナを頼んだぞ。』


レオンの言葉がそんな先輩の表情と重なり、俺は拳を固く握る。


「もちろんだ。逆に俺がバディとして先輩の足を引っ張る様なら、遠慮なく言ってくれよ。」


先輩を真似たかの様な俺の言葉に、その時は殴るわ。と言いながら先輩も微笑んだ。


俺たちは固く握手すると、二人肩を並べてその場を後にする。


今回の任務に込められた個々の目的を再認識出来た。


先輩は、ある意味で過去を清算する為。


俺はそんな先輩と、そして仲間達と、これからも共に歩んで行く為に闘うのだ。


今はそれだけ分かっていればいい。



★4

第三軍事基地軍務総省専用ロータリー

PM 12:45


身支度を終え、俺と先輩は死刑囚アドルフ・ストラドスを乗せた護送車を基地のロータリーで待っていた。


隣に並ぶ先輩を見るといつものポニーテール姿になっている。


戦闘服のスリットから除く白い足が眩しい。


スナイパーであるラクアとアリスは、レオンの命令通り基地のヘリポートから、カリンの操縦で現地に飛び立っていた。


精々頑張れ。か。


他の隊員達も、俺たち二人を信じてオペレーションルームで情報捜査を続けながら待機している筈だ。


「…来たわ。」


先輩が、遠くを睨みつけながら静かにそう言った。


彼女が見つめる先に、俺も視線を送る。


ゴツい装甲の護送車が、丁度基地のゲートを通過する所だった。


あの車の中に、二年前の悲惨なテロ事件の首謀者が乗っている。


そう思うだけで、俺の気は一段と引き締まった。


「先輩。」


俺がふと声を掛けると彼女は、わかってる。大丈夫。とだけ返事をし、深く息を吸い込んだ。


まるで自分自身に言い聞かせているかのようだ。


護送車が徐々に近づいて来る。


操縦しているのはクライムエイジの刑務官だろうか?


車両はこちらに近づくにつれ緩やかに減速していき、軍務総省庁舎前のロータリーへ進入すると俺たちの目の前で停車した。


エンジンは掛けたまま、操縦席と助手席から、まるでこの護送車の様にゴツい刑務官二人が物々しい空気を漂わせながら降りて来る。


偏見なのかもしれないが二人ともやたら目つきが悪い。


「ご苦労様です。」


しかし、見た目によらず礼儀は正しいようであった。


SHADEはいくら軍務総省所属とはいえ、俺や先輩の様な二十歳そこそこの隊員で組織された部隊だ。


若造が。と、嫌な顔をする者はそう少なくない。


「護送はこちらが用意した車両で行う。彼をこちらへ。」


先輩の命令口調に戸惑う様子も見せず、刑務官二人は揃った動作で敬礼をするとそのうちの一人が護送車後部の扉を解錠するべく車両に歩み寄った。


「…その…。奴の調子はどんな感じなんだ?」


何気なく俺が問いかけると、残ったもう一人の刑務官は少々怪訝な表情を浮かべた。


「それが…。随分と余裕なもんで、鼻歌なんか鳴らしている始末でして。」


その答えに先輩は上品とは言えない派手な舌打ちをかました。


ダメだって先輩。


俺は急に不安になった。


胃が痛くなってくる。


「気分が良さそうだな。と言うと、こう答えたんです。今日はとてもいい天気ですから。と。」


俺はその言葉に、なにか薄ら寒い物を感じた。


あの男の狂気に触れた様な、そんな感覚。


いや、単に刑務官の話し方の問題なのかも知れない。


そんな事を一人考えていると、両腕を手錠で拘束されたスーツ姿の男が刑務官に連れられてこちらにやって来た。


「お前が…アドルフ・ストラドスか。」


俺の問いかけに、連れてこられた男はニヤリと微笑むと、空を見上げながら目を閉じ、深呼吸をした。


「両腕を。」


刑務官に促され、彼は手錠で拘束された両腕を前に差し出した。


鍵穴に鍵が差し込まれ、手錠が外される。


両手が自由になった瞬間、アドルフはにこやかに微笑んだまま刑務官に小声で、ありがとうございます。と一言呟いた。


刑務官に背中を押され、アドルフは俺と先輩の元にゆっくりと歩み寄って来る。


短めに切られたシスタニア人特有の銀髪。


掛けた眼鏡の奥では、同じく彼等特有の赤い瞳が怪しく輝いている。


「こんにちわ。私がアドルフ。アドルフ・ストラドスです。以後、お見知り置きを…。」


優雅。とも言えるその立ち振る舞いに、先輩は明らかに不快そうな表情を浮かべていた。


「俺たちがお前を現場まで運ぶ。お前には作戦に協力してもらう事になる。概要は聞いているな?」


彼を前に固まった先輩を尻目に俺が確認すると、概ねは。とアドルフが落ち着いた様子で答える。


彼は吹き抜けた風に耳を傾けるかの様に、再びゆっくりと青い空を見上げた。


「本当に、いい…天気ですね。」


「そうね。まるで『あの日』の様な。」


突然アドルフに対して投げかけられた先輩の言葉に、俺は戸惑う。


刑務官二人は、何か面倒くさそうな空気を察知して、さっさと乗って来た護送車に戻り、出発する準備に取り掛かり始めた。


アドルフはうろたえる様子も無く、真っ直ぐに視線を空から落として先輩を見据えた。


「『あの日』…ですか?」


彼のその問いに先輩の眉がつり上がる。


早速まずい雰囲気だ。


「忘れたとは言わせない。2年前。シルヴァー・サンライズ・ブリッジでの出来事をね。」


「おい、先輩…。」


突然の修羅場的展開に慌てる俺に対し、先輩に明確な敵意を向けられているアドルフはそのにやけたままの表情を崩さなかった。


「あぁ。『あの日』ですか。覚えていますよ。ちゃんと。確かに今日の様な秋晴れの日でしたね。」


声音の中に一片の闇を混ぜたかの様な、しかしそれでいて屈託の無い様なその笑みに先輩は更に一歩彼に歩み寄った。


「…あなたの復讐は成功したのかしら?」


その問いにはさすがに意表をつかれたのか、アドルフは俯いて寂しそうに微笑むだけだった。


「おい。先輩。もういいだろ。」


俺はそう言うと先輩を先に行くよう促した。


庁舎の脇に護送の為の車両が用意されているのだ。


「…そうね。」


彼女は冷たい視線をアドルフに向けてから踵を返すと、車両の停めてある方へそそくさと歩いて行く。


「…どうやら、凄く嫌われている様だ。」


自嘲気味な笑みを浮かべながらアドルフが言ったのに対し、サッと頭に血が昇り、次の瞬間、今度は俺が彼の胸ぐらを掴んでいた。


「おい。あんまり調子に乗った事抜かすなよ?自分の立場わかってんだろうな?次、俺や彼女に対して不愉快な発言をしたら、俺がただじゃおかない。自分が囚人だってことを忘れるな。」


まったく自分らしくない台詞である。


言った後にそんな事を逡巡したが、後悔はしていなかった。


すいません。と落ち着いた謝罪がアドルフから溢れる。


「…わかっています。この二年間塀の中で嫌という程考えた。」


そう言ったアドルフの顔からは微笑みが消えていた。


俺は彼の胸ぐらを掴んだ手を離すとアドルフを真っ直ぐ見据えた。


狂気では、無いのかもしれない。


そんな感想を抱く。


殺人犯や狂人の持つあの独特なオーラ。


それとは違うものを目の前の男から感じるのだ。


「…久しぶりに外の空気を吸えた事が嬉しくて、つい調子に乗ってしまいました。御許し下さい。」


彼は丁寧な動作で深く頭を下げると、同じく俺の瞳を真っ直ぐ覗き込んできた。


この死刑囚の心情がわからない。


一体、今彼は何を思ってここに立っているのか?


変な行動を起こさぬ様警戒しながら、慎重にアドルフを連れて護送用のセダンまで移動すると、先輩は既に後部座席で腕を組みながら鎮座していた。


俺はアドルフを先輩の隣に乗る様に促すと、自分は操縦席の扉を開く。


「よろしくお願い致します。」


丁寧な口調は、俺たちの感情を逆撫でしようとしているのではなく、元々の彼の人となりなのかも知れない。


証拠とまではいかないが、ほんの少しだけ会話を交わした彼の笑みには、何か嫌らしさの様なものを感じなかったのである。


そんなアドルフの一言を先輩は無表情のまま無視した後、後ろから俺の座った操縦席の椅子をつま先で軽く小突いてきた。


うわぁ。機嫌悪…。


そんな事を思いつつも俺は車のエンジンを掛け、車両をゆっくり発進させた。


委員会庁舎までは此処からだと、ハイウェイを使って恐らく30分位か。


長いな…。


この空気の中では特に。


「…ねぇ。あなた。何故あんなテロを?」


いきなりかまされた先輩の直球ストレートに、俺は思わず急ブレーキを掛けてしまった。


基地を出た所にすぐある信号で勢いよく車が止まる。


「お、おい!先輩!」


俺は後部座席を振り返った。


しかし先輩はそんな俺には目もくれず真っ直ぐに隣のアドルフを見据えている。


その突然の問いかけに、アドルフ本人も面食らったかの様だった。


「何故…ですか…。」


それでも、彼は自分に対して投げかけられた問いに答えるべく、真面目に思案している様だった。


信号が代わり、俺は心を落ち着かせながら再び前を向くと車を発進させた。


心臓が酷く高鳴っている。


先輩、頼む。到着するまで大人しくしていてくれ…。


アドルフにはこれから爆弾を解体して貰わなければならない。


もしものことがあれば委員会庁舎諸共、俺たちも仲良く月まで吹き飛ぶことになる。


「憎んでいるからでしょ?私たちを。」


俺の心配を他所に先輩がアドルフに畳み掛けている。


アドルフはその問いを受け、未だ思案する様な表情を浮かべていた。


「…こんな事を言ってしまうとまた怒られてしまうかも知れませんが…。正直、あの時の感情や気持ちを思い出す事が出来ないのです。申し訳ない。」


真剣ではあるが曖昧な彼の返答に、先輩が顔を顰めたのをミラー越しに確認する。


「ふざけないで。悪魔にでも取り付かれていたとか言うつもり?」


鼻で笑いながら投げられたその問いに、アドルフは表情を曇らせながら俯いた。


「ある意味では…、そうだったのかも知れません。」


そう言いながら、彼はゆっくりと顔を上げる。


「…報復心という名の悪魔にね。…二年という時間を塀の中で過ごし、今になってあの時の事を思い出そうとしてもはっきりとは思い出せない。きっと激しい憎悪と報復心に支配されていたからでしょう。あの出来事が自分自身の中でもある意味トラウマになっているのかも知れません。」


「…確かに、あなた達シスタニアの民間人からすれば、私たちも悪魔に見えたでしょうね。皇帝の号令と共に突然攻めてきた私たち帝国軍が。」


先輩の言葉に、アドルフが彼女の顔を寂しそうな表情で見据えた。


「…祖国を理不尽に奪われようとしている民衆が、抵抗しない方がおかしい。あなた方帝国軍のした事は最早オーバーキルだ。自分達の持つ力を知りながら、他国への見せしめの為に多くの人が殺された。」


アドルフは、物静かだが何処か腹の中に重たい鉛が詰まっているかの様な声音で言葉を吐いた。


そうか。


そうなのか。


やられた方からすれば、こちらにどんな大義名分があろうともそうなってしまうのだろう。


例えそれが、世界平和の為であってもだ。


「私たちは民間人には『徹底的に手を掛けてはいない。』戦場での殺人を正当化するつもりは毛頭ないけどね。」


先輩の言葉を聴き、アドルフの表情は段々と陰鬱なものになっていく。


「…確かに…そうでしたね。」


その言葉には何処か皮肉の色が混ざっている。


「…あなたは『黒き死神』の異名を持ち、シスタニアの地で恐れられた一人の帝国兵を知っていますか?」


アドルフからの突然の問いかけに、先輩が目を見開いた。


言葉を失い、彼女の動きがピタリと止まる。


その様子にアドルフは気付いていない。


こまめに運転しながら後部座席の様子をミラー越しに確認している俺のみが、先輩の変化に気付いていた。


「…黒い戦闘服に身を包み、夜だけに戦場を駆け抜け、短期決戦の銃器ではなく素手や刃物をあえて使用する。相手に極限までの痛みと苦しみを与えながら数々の返り血に染まる。戦場で出会ったら最期。その卓越した戦闘能力を前にしては、一個師団ですら歯が立たない。」


馬鹿な。


幾ら帝国といえど、そんな兵士が存在する訳がないだろう?


その疑問には先輩が答えてくれた。


「…そんなの、シスタニアの人間が作り出した妄想よ。いくら帝国の兵士でも、一人で一個師団を潰せる程の能力のある人間など存在しないわ。帝国の兵士は戦う事に誇りを持っている。自分達が戦うその地で、二度と悲しい争いが産まれない様、徹底的に争いの因子を撃滅する。その為に戦っている。だから、無意味に死を招く様な死神なんて存在しない。」


アドルフは先輩の言葉を聞き、冷静に俯きながら眼鏡のズレを人差し指で直した。


「私は、『彼女』を実際に戦場で見ました。」


彼のその言葉に先輩が何かを言いかけて止める。


彼女?


死神の異名を持っていたのは、女性兵士だったのか?


「まだあどけなさの残る少女でした。私は恐ろしくなった。死神とまで言われ恐れられる兵士が、まだ成人もしていないであろう少女であるとは…。アレはもう兵士ではない。『兵器』だ。その目には何も映っていなかった。」


俺とエリーナ先輩が沈黙する中アドルフは続けた。


「私の大切な人は、私の見ているその目前で『彼女』に殺された。」


「バカなっ!?帝国兵が無意味に民間人を傷つけるなんて…!」


俺の声は悲痛な叫びに聞こえたかもしれない。


俺たちの誇りに矛盾する様に思えたからだ。


しかし、先輩は何も言わない。


俺の疑問に答えたのは奇しくもアドルフ本人だった。


「いえ。その人はシスタニア軍の軍医でしたので、正確には民間人では有りませんでしたが、いくら軍属だからと言って軍医やカウンセラーにまで手をかけるなんて…。『彼女』はその人を切り刻んだ。動かなくなるまで、何度も何度も…。私がそんな死神の様な『彼女』と対峙して何故生き残っていたか。それは、あなたが言う様に『民間人だった』からと言うだけです。」


アドルフの声は震えている。


俺には想像もできない、彼の記憶の断片。


「この国は恐ろしい国だ。自分達に歯向かう物は誰だって容赦しない。その中で育ったあなたたちにはあなた達なりの誇りが有るのかも知れませんが、我々他民族から見れば、あなた方は突如祖国の平和を奪うテロリストと変わらないのですよ。」


彼の重い言葉に、先輩は何か言葉を選んでいる様だった。


「…そうね。でも、その目的が単なる『復讐』であるあなたと、大義がある私達とでは雲泥の差が有るわ。百歩譲ったとして、何も変わらない。」


何処か力の抜けた様な口調ではあったものの、先輩がアドルフに強い言葉で言い放つ。


その言葉を受け、アドルフは自嘲気味に笑った。


「……そうかもしれませんね。」


アドルフはそれだけを絞り出すかの様に言うと、ゆっくり目を閉じ、自らにまつわる呪われた話を静かに語り始めるのだった。


To be continued ...

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る