Imperial Dawn

石坂萊季

Ep.1『SHADE』



夜が明けるたびに『俺』はその寒さに震え、遠い水平線の彼方から登りゆく朝日の眩しさに目を細める。


また…あの夢を見た。


物心ついた頃から何度も見ている、『俺』の知らない世界の夢だ…ー



ー…冷たい土の感触が頬から伝わってくる。


体内を循環するナノマシンが、自分の知らない記憶をリアルに追体験させるのだ。


視界は『俺』自身のものなのに、指の一本すら満足に動かすことができない。


霞む景色。


目の前に、誰かが居る。


その誰かの背後から登る朝日が逆光になり、顔まではわからない。


無様に地を這う『俺』を見下ろしながら、その人物はただ整然と立ち尽くしていた。


穏やかな風が髪を撫でる感触。


そこに混じる微かな血の匂いは、『俺』の感覚器に何処か懐かしいような感情をもたらすのだった。


やがて目の前の人物は足を屈め、地に伏す『俺』にそっと手を差し伸べた。


お前は…一体誰だ?


それは、全ての人間に平等にやって来る、『死』そのものなのかもしれない。と、『俺』は思った。


『死』が俺に囁く。


何度も見た夢の中で、同じく何度も投げかけられたその言葉を。


『…これは、お前の救済の物語だ。』




I m p e r i a l

D a w n




この数十年で、帝国の技術力は大きく進歩した。


『ナノマシン』。


それはまさに、人類史上類を見ない技術と叡智の結晶。


ナノテクノロジーと、高度な遺伝子研究によって生み出された眼には見えない微細な情報機器郡。


それまで主流だった携帯端末やコンピュータ端末に取って代わるかのように、ナノマシンは瞬く間に人々の生活に浸透していった。


新生児の出生と共に、公共の医療機関などで体内に注入される第四世代ナノマシン。


ナノマシンが体内を循環し始めると、人体のあらゆる神経や脳、感覚器に接続され、人体が発する微弱な電気信号を受信する。


そうした電気信号を受信したナノマシンは、身体的なデータのみならず個人の感情や思考さえも数値化し、全てを可視化することによって、人々は自らの身体を媒介にして他者と繋がり、広大なネットの海に漕ぎ出す事が可能となった。


端末を介さず、思い描くだけで様々な情報を他者と共有しネットする。


同じナノマシンを持つ者通しで、その五感や脳内にストレージされた個人の体験や記憶さえ他者と共有できる様になった時代。


新たな通信、情報革命を起こしたナノマシンは、この『クローレンツ大帝国』に多大なる力をもたらし、その技術の輸入を求める声は世界各国から寄せられた。


しかし、ナノマシンに関する情報は帝国内だけで秘匿されると共に、世界最強と謳われるこの国の兵士達へ軍事利用されることになっていく。


各兵士に投与された軍用ナノマシンは、戦場での恐怖や不安などの感情を自在にコントロールする事を可能にし、兵士一人一人の健康状態のチェックや心身のコンディションを整える役割を果たすと共に、作戦行動においても、兵士同士のナノマシンによる相互リンクであらゆる情報を並列化された軍は、一瞬の揺らぎも無く最も効率的な手段を用いて確実に任務を遂行するのだ。


『他者の感覚が自分の感覚のようにわかる。』


五感や思考、そして心。


その全てが制御され、統制され、管理されている。


『俺』たち帝国兵は、今日もそんな世界で闘いに身を投じ、そして生きている。


そう。


まるで、無機質な機械のように。



ー 皇暦2048年


前皇帝ルクセンが病により死去。


第一皇子サキュラス・レム・クローレンツがクローレンツ大帝国78代目の皇帝に即位する。


即位より約1ヶ月後、新皇帝サキュラスは、地上から争いを一掃する為の侵攻作戦『人類最後の聖戦(ラグナロク)』を始めるべく、突如として全世界に向けて戦線を布告した。


突然の世界併合宣言により世界各国が混乱に陥る中、帝国領南に隣接する、永世中立国家『シスタニア共和国』への侵攻作戦が瞬く間に開始されるのだった。


ー 翌2049年


軍用ナノマシンにより統制された帝国軍に、シスタニアはなす術無くその軍門に降り、敗戦国となる。


資源豊かなシスタニア国土の全てが帝国の管理下に置かれた事で、世界は更なる恐慌に見舞われたのだった。


状況を重く見た、帝国と大海を隔てた先の西大陸諸国は、未知の技術であるナノマシンで統制された帝国の次世代兵士達に対抗するべくC.V.A.F(クロヴィエラ・ヴィクトリエ連合軍)を結成。


帝国本土への核攻撃も視野に入れ、軍備の拡張に励む。

 

それにより世界は完全に東西に二分され、西の大国クロヴィエラと、東のクローレンツ大帝国の間では実に3年間もの間、一色触発の冷戦状態が続いたのだった。


ー…そして、皇暦2052年現在。


世界各地で両勢力の兵士達が睨み合う中、『人類最後の聖戦(ラグナロク)』の火蓋は切って落とされようとしていた。



★1

帝都アルトリア帝国国防委員会庁舎前広場

AM0:37


その瞬間、帝国兵士達は阿鼻叫喚した。


国防委員会庁舎前の広場に設置された緊急作戦本部のテント内。


その隅にセッティングされた中継モニター内で、後ろ手に縛られたスーツ姿の若い女性が、アサルトライフルで武装した全身黒づくめのテロリストによって地上60階の屋上から無慈悲にも蹴り落とされたのだ。


『…直ちに軍を撤退させろ!さもなくば、また無駄に人命が失われることになる!』


人質をその脚で蹴り落としたテロリストが、こちらが飛ばしている中継用のドローンに向かって声を荒げながらそう捲し立て、建物内へ退却していく。


その光景を目の当たりにしながらも、成す術のない帝国軍人達はただ慌ててふためくばかりであった。


「なんてことだ…!BELZEBZ(ベルゼブス)は何をやっている!」


「突入に成功したんじゃなかったのか?!」


「退却させろ!一時退却だ!」


慌ただしく怒号が飛び交う作戦本部内。


しかし不意に室内に響いた存在感のある足音に、そこに居た全員がモニターから視線を外し後方を振り返る。


そこには、軍服のコートを見に纏った細身の女性が葉巻を吹かしながら立っていた。


騒々しい現場の中で、まるでそこだけ時間が止まったかのように落ち着き払った様子で。


年齢は40代半ばだろうか?


ナイフのように鋭く尖り、冷徹な印象を与えるアイスブルーの瞳と、それを強調するかのような泣きぼくろ。


頭には帝国軍の黒い軍帽を被り、高貴な金髪は肩に付かないぐらいの長さで前下がりに切り揃えられている。


「貴様は…!軍務総省長官補佐のルカ・ブランク少佐…!?今は我々陸軍の作戦行動中だ!背広組の出る幕は無い!」


現場の指揮官らしき初老の男が眉間に深いシワを刻みながら、突然なんの前触れもなく現れた目の前の女へ向かって怒鳴り声をあげる。


しかし、そんな恫喝にも一切動じることなく、ルカの名で呼ばれた女は緩慢な動作で、口に咥えていた葉巻の煙を吐き出すと、その鋭い眼光で指揮官と思しき男を逆に睨みつけた。


取り巻きの上級兵士たちはその視線に射竦められ、まるで蛇に睨まれたカエルのように後退り、沈黙する。


睨み合う両者。


先に口を開いたのは女の方だった。


「…作戦…だと?」


口角を上げ、鼻白んだ様にそう言うと、彼女は懐から取り出した葉巻用のギロチンで先ほどまで吹かしていた葉巻の先端を切り落とした。


外の慌ただしさが嘘のように静まり返った作戦本部内で、その音はイレギュラーな彼女の存在をさらに際立たせるかのように鳴り響く。


自らの存在感を遺憾無く発揮し、その場の全ての注目を集めたルカの口が再びゆっくりと開かれた。


「…お前たち帝国陸軍特殊作戦班は、テロリストにより占拠された委員会庁舎へ、我々軍務総省の許可を待たずして陸軍特殊部隊BELZEBZを突入させ、あまつさえ人質1名の尊い命が奪われるまでに至らせた。この国に仇なす愚かなテロリスト共を駆逐するどころか、公衆の面前で奴等を付け上がらせ、挙げ句の果てには何も出来ないまま部隊を撤退させようとしている。それが作戦だと?だとしたら次の作戦はなんだ?みんな仲良く特攻でもして、人質諸共玉砕するつもりか?」


彼女は特に感情を高ぶらせる訳ではなく、あくまで静かな口調でそう言うと、突然空中を掌でさする様な不思議な動作をして見せた。


普通の人間であれば、突然のその行動を疑問に思うことであろう。


しかし、ナノマシンを持つ帝国軍人の彼らには、手を翳したその空中に、まるでホログラムの様に輝く文字の羅列が浮かび上がったのが見えたのだった。


ナノマシンによって脳のストレージにデジタル化されて保存された写真や書面を視界に表示させ、またそれを同じくナノマシンを有する他者の視界にも共有する事ができる。


指先で宙に浮かぶその文字列を数度なぞると、一枚の書面を空中に表示させ、彼女はそれを目の前の軍人達に突きつけた。


「…軍務総省ハザウェイ・ラングフォード長官からの通達だ。これより本作戦の指揮権は全てこの私ルカ・ブランクに移行される。我々軍務総省の直轄指揮だ。不満があるなら自らのナノマシンでこちらの作戦コードを照会するがいい。」


ルカは淡々とそう告げると、空中を手のひらで払う動作をして彼等の視界に映した書面を消し去り、未だ顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべている指揮官の男にゆっくりと歩み寄った。


「少将。中央基地に帰って首でも洗って待つがいい。」


自分より二回りは年上であろう老兵の肩に軽く手を置きながら、彼女はその耳元に顔を寄せて静かにそう告げた。


「…っ!…少佐風情がぁっ…!」


彼女に負けないぐらい殺気の混じった眼光で、ルカを睨みつけながら指揮官が吠える。


しかし、ルカは相変わらず毅然とした態度を崩さなかった。


「この国において、階級などはただのイミテーションだよ少将。弱いもの、実力の無いものは悪。強く、結果を残せるものだけが正義だ。覚えておくがいい。兵士が只の消耗品だった時代は終わった。ナノマシンによって兵士一人一人の質が上がり、個々の能力の差が均一化された今の時代において、あなたの様な古い考えを持つ者は淘汰されていくだろう。今のうちに退役後の身の振り方を考えておくのも悪くはない。」


ルカの言葉に男は拳を強く握り、ブリーフィング用の机にその手を振り下ろした。


その拳は大きな音を響かせ、机の上の書類やら何やらを散乱させるが、やがて彼は風船が萎むかのように深くうな垂れ、数人の部下に導かれるようにして作戦本部を後にする。


その背中が見えなくなるまで無表情で見守ると、まったく、嫌な役だ。と呟きながら、ルカはモニター前に設置されたコンソールパネルに据え付けられているマイクの頭を指で軽く掴み、その口をゆっくりと近づけた。


「…始めるぞ。」



★2

国防委員会庁舎上空

AM0:45


『…始めるぞ。』


ナノマシンを媒介して行われる体内無線から躍り出た言葉が全身を駆け巡る。


この瞬間、『俺』ロック・セブンスは歓喜した。


俺の所属する軍務総省所属、帝国特殊機動部隊SHADE(シェイド)の、事実上の凍結解除が今この瞬間に成されたからである。


事件は、今から約30分前に発生した。


帝国の軍備やそれに付随する予算等を主に管理運営している政府機関、帝国国防委員会の庁舎が謎の武装組織によって占拠されたのだ。


このところ帝国内では、この様なテロが頻発しているのだが、ここまで大掛かりなものは初めてだった。


しかし無理もないだろう。


この国の頂に君臨するサキュラス皇帝は、全世界に突如宣戦布告をし、地球上のありとあらゆる人間たちを恐怖と混乱の渦に巻き込んだ。


そんな帝国に抗議や反発が起きるのは全くもって当然と言える。


しかし、帝国の中枢でもある機関の一つを直接占拠するなどといった暴挙は、いくらテロが活発化しているとは言え異例の事である。


彼らの要求は、4年前この国が世界への宣戦布告と同時に、見せしめにするかの様に侵略したシスタニア共和国の解放だった。

           

それが5時間以内になんらかの形として成されない場合は、庁舎に残る人質38名の命を30分毎に一人づつ奪っていく。との事だ。


それを受け、BELZEBZという、俺がSHADEに来る前に在籍していた帝国陸軍の特殊部隊が庁舎内に突入を試みたが、それが敵に悟られてしまった為、人質になっていた庁舎職員が一人、見せしめの様にビルの屋上から突き落とされるという事態に至ってしまった。


人質の命が失われてしまったのは痛ましいことだし、悔やまれる事ではある。


しかし、俺たちからしたら今回のテロリストの要求はなんとも陳腐なものである。


無慈悲無情なこの国が、そんな事のために覇道への歩みを止めるとは到底思えないのだ。


この国の軍なら、人質諸共制圧するという暴挙に出てもおかしくない。


帝国の主要メディアである帝国報道局は、そういった、『帝国にとって都合の悪い事』を今までもいとも簡単に闇に葬ってきたのだから。


それをせずに、わざわざ少数精鋭の俺達が、凍結されているにも関わらず呼び出された理由。


それは、国防委員会委員長のアルタイル・マグファレス氏がその人質38人の中に入っていた事によるものだろう。


この国は強大すぎるが故に、政府上層部の人間達の姿は、皇帝という最早『神』に近い存在を除くと、民間人ではその全貌を拝むことすら叶わない。


全ての決定権を持っているのはたしかに皇帝だが、実際にこの国を動かしているのは、普通に生活しているだけの国民では知る由のない、真に暗い玉座に鎮座する影の権力者達なのだ。


そんなブラックボックスとも言える政治情勢の中において、アルタイル・マグファレスは所詮帝国国防委員会という一つの中層組織の長でしか無い。


しかし、彼は国防問題が発生した際、その発信役としてメディアにも露出する数少ない『国民が認知している帝国の権力者』なのである。


国民にも広くその顔を知られている彼を国が見捨てたとなると、世論を欺くのはいくら隠蔽工作の上手な帝国報道局でも容易ではないのだろう。


民が思うこの国の体制と実際の体制は違う。


それは、この国を裏側から見ている俺たちのような人間にしかわからない事だった。


実際はアルタイルよりも遥かに上の存在がこの国を操っているということを俺たちはよく知っているのだから。


西大陸諸国との世界大戦前夜とも叫ばれる昨今、国内で起こる余計な雑事を片付けるのが、この国の軍事の全権を握る軍務総省官僚でも一部の人間しか知らない、俺たちSHADE(影)の役割といったところなのだろう。


『…ロック、エリーナ。準備はできているか?』


SHADEの隊長、レオン・ジークからの入電に俺は高々に鼻を鳴らした。


隣で一緒に待機する俺の先輩、エリーナ・マクスウェルも同様、自信に満ち溢れた表情で腿のホルスターから拳銃を抜き、弾倉チェックをしながら頷いている。


『陸軍特殊部隊BELZEBZは庁舎地下から電気系統をシャットダウンし、地上へ続く搬送ゲートをこじ開けて侵入を試みたようだが、施設内には無数のF.A.S(外敵自動排除システム)が配備されており、そこから侵入が悟られたようだ。』


おいおい、なんて事だ。


隊長であるレオンの淡々とした説明に俺は頭を抱える。


まさかF.A.Sまで設置されているとは。


個人のナノマシン情報を読み取る事で敵と味方の区別を自動に、それも瞬時に行い、侵入者を排除する最新の自立型兵器だ。


マシンガンやドローン、地雷など形態も様々であり、ナノマシン技術の確立により、付随する様に生み出された次世代兵器の一つである。


「F.A.Sか…。烏合の衆にしてはなかなか手の込んだもん持ってるじゃん。…あれ怖いんだよな。人間より正確に動くし、ナノマシンをクローズド・モードにしてても見事に識別されるからな。」


事件の詳しい概要を聞き、俺はため息混じりに吐き捨てた。


三ヶ月前、俺がSHADEに配属されて初の潜入任務だった海上プラントの事件でも、F.A.Sには散々苦しめられたものだ。


「…センサーが体内のナノマシンを判別して、標的を識別。自動で敵を追尾しながらマシンガンを乱射…。確かに少し妙ね。新式の兵器を、ろくに訓練もされていない様な連中が所持しているなんて。」


先輩は、BELZEBZが突入した際の現場の映像を視界の隅で再生させながら思案げにそう溢したが、レオンの、待て。という一言に顔を上げた。


『…何故彼等のようなテロリスト達が最新の兵器を所持しているのか…。その件は、ここを制圧してからじっくり考えればいい。しかし、彼等がなんの訓練も受けてないかどうかはわからん。少なくともF.A.Sの取り扱いは出来ている。油断はするな。…お前達は、現在乗っているヘリから委員会庁舎へ向かって降下し、人質の集められている40階会議室へ突入。中にいる連中を速やかに無力化し、人質の安全を確保しろ。いいな?』


レオンの発言に、お?と思い、俺と先輩は顔を見合わせた。


俺たちは約15分ほど前に、根城である帝都第三軍事基地を、今搭乗している民間のヘリを使って飛び立った。


言うまでもなく敵に警戒心を持たせない為のカモフラージュだ。


先程のレオンの口振りでは、俺たちが出撃する迄の間に、既に内部の状況を把握する事までは成功していたらしい。


でなければ、この巨大なビルの何処に人質が居るかなどわかるはずもないのだ。


やけに仕事が早い。


三ヶ月のブランク等何も無い。といったところか。


「バロンのやつ、人質のいる場所をもう特定したのかよ。」


俺の発した言葉に反応するかのように、ナノマシンがレオンのものとは別の通信を受信した。


俺の視界の隅に、バロン・サイレスからのコールを告げるインジケーターが浮かび上がり点滅する。


『…覗きが趣味みたいなものですから。』


聞き覚えのある声が無線に入り込んできたのに対し、呆れた。と言わんばかりに先輩が肩を竦めて見せる。


やたらな事は言えないな。


いくら体内通信と言えど、作戦中である以上誰が何処でモニターしているかわからないのだ。


彼、バロン・サイレスはSHADEにただ一人のハッカーだ。


隊員達からは愛称を込めて優男や大卒、はたまたメガネなんて呼ばれてる。


彼なら敵のナノマシンや、施設内部の監視カメラ、警備システムをハッキングして誤情報を流したり、今回設置されているF.A.Sの様な自動制御の兵器を乗っ取ったりも出来るだろう。


今の時代には欠かせない、隊の中でも特別器用な奴だ。


『庁舎内では現在、敵武装勢力が設置したF.A.Sとは別に、施設に元々あった防御システムも作動しています。その動作履歴と監視カメラの記録情報をハッキングして、人質が集められている場所を特定しました。既に各員のナノマシンに情報を共有しておきましたので、あとはよろしくお願いします。』


バックアップは完璧。というわけだ。


簡単そうに言うバロンからのバトンを受け取りつつ、俺は肩を落としながら深いため息を溢した。


SHADEには俺たちの様に腕っ節で仕事する奴もいれば、こうやって頭や技術で稼いでる奴もいる。


適材適所というやつではあるが、こちとら好き好んで弾丸の飛び交う中を駆け回っているのではないのだ。


「器用な奴はいいよなぁ。こんな事なら、俺も大学出とくんだったぜ。」


俺の冗談に先輩は、あんたじゃ大学行っても無理。と軽く肩を小突いてきた。


失礼な。


一つ年上なだけだが、先輩はまるで子供の様に俺を見ている。


「私たちには私たちにしかできない事がある。そうやって世の中うまいこと回ってんのよ。そんなことより、今度は無茶しないでよね。久々の実戦任務で危ない橋を渡るのはごめんだわ。」


彼女の言葉に俺は苦笑いをした。


お互い様だろ。


俺の表情を確認し、その真意がわかってない様子で、さて。と、先輩は自分の膝を叩きながら立ち上がり、ヘリ側面のスライドハッチを開いた。


やれやれ。


バディを組んで僅か三ヶ月でここまで先輩風を吹かせてくるとはね。


開け放たれたハッチから、ヘリの響かせる轟音と上空を吹き荒ぶ突風が機内に流れ込んで、俺達の髪をなぶる。


下を覗けば、帝都アルトリアの美しい摩天楼が広がっていた。


『…それでは、検討を祈る。』


レオンの言葉を最後に無線は切られ、視界からもレオン・ジークのアイコンが消え去った。


しかし、久しぶりの実戦任務がロクなブリーフィングも無しで突然敢行されるとは思わなかった。


本来なら基地の自室で寝ている時間だ。


「そんな顔しないの。朝ごはん迄には帰れるわよ。じゃ。」


余程不満そうな顔をしていたのか、先輩は俺の肩を軽く叩きながらウィンクをして微笑んで見せると、お先。と言い残してなんの躊躇いもなく帝都の夜景の中にダイブした。


せっかちだな全く。


「…これより、帝国国防委員会庁舎奪還作戦を開始する。」


俺はそう言うと、ヘリのコクピットで操縦桿を握るSHADEメカニックのカリン・フェルトに親指を立てて見せた。


カリンは後ろを振り返ると、俺の顔を見て肩をすくめた。


ショートヘアのよく似合う、ボーイッシュな外見が親近感を抱かせる。


「あたしはこのまま第三軍事基地に帰投する。エリーナの足引っ張んじゃないよ?」


「わかってるよ姉御。んじゃ、行ってくる!」

 

カリンの言葉に苦笑いした後、俺は気合いを込めてそう言った。


次の瞬間、俺は先輩を追いかけてヘリから飛び降りた。


舞い上がる心地いい風を全身で受けながら、体内ではナノマシンを介してSHADE隊員全員に対して送られているオープン無線を聞いていた。


『…他の隊員は各自持ち場につき、備えろ。』


レオンの号令。


その上から、さらにまた別の回線が交差する。


視界に表示された名はルカ・ブランク少佐。


俺たち軍務総省所属部隊の実質的オーナーとも言える存在だ。


『…SHADE隊員に次ぐ。三ヶ月前の様な失態を繰り返すな。常に自分に与えられている現状がラストチャンスだと思え。クローレンツの旗に仇為す全ての者共を駆逐しろ。絶対的な力を持って、勝利と栄光を国に捧げろ。敗北や敗走は許されない。いかなる場合でも。求められているのは完全なる勝利のみ。ルールはそれだけだ。』


少佐の言葉がさらに俺の身を引き締める。


心地のいい緊張感が胸を高鳴らせている。


徐々に庁舎の屋上が近づく。


先輩のいる地点まで頭を下げて加速し並列すると、俺たちは腰に着けた射出器のスイッチを押した。


ベルトの両サイドからクモの糸の様な粘着質のワイヤーが射出され、庁舎の壁面にその先端が定着する。


降下任務用の特殊兵装だ。


どんな高度からの落下衝撃も和らげる、伸縮性と、ショックアブソーバーが内蔵されている為、ワイヤーの張りによる身体への負担は殆どない。


ヘリを操縦していたカリンが設計したものだ。


もちろん、使用には特殊な訓練が必要となる代物ではあるが…。


外壁に粘着した部分を軸にして、俺たちは体を回転させると同時にホルスターから拳銃を抜き、次の瞬間には庁舎40階会議室の窓ガラスに向かって拳銃の引き金を躊躇いなく引いていた。


全てが生まれ持った感覚みたいに手に取る様にわかる。


敵の位置。


人質の位置。


どこにどう弾を撃ち込めばいいのかが正確に。


体内のナノマシンが俺たちと現場の情報をリアルタイムにリンクし、まるで一つしかない数学の答えの様に教えてくれる。


これこそが、俺たち帝国の兵士が世界最強たる所以。


ナノマシンによって、兵士一人一人の能力の差は並列化され、全体としての質が爆発的に向上される。


降下用兵装ベルトのバックル部分にあるパージスイッチを左手で押しながら、右手に持った拳銃をすぐ近くに立っていた男に叩き込む。


同時に腰から射出装置が外れ、俺は会議室内に転がり込んだ。


先輩は、突入と同時に窓際にいた男に、降下したその勢いのまま蹴りを見舞っていた。


本当に容赦の無い女だ。


俺たちが室内に居た敵兵士四人のうち二名を早速沈黙させる頃、ようやく残りの二人が状況を理解し始める。


しかし勢いの止まらない俺は、着地と同時に最初に黙らせた敵が手にしていたライフルを床から拾い上げ、室内に居た残り二名の敵をすぐ様沈黙させた。


突入から僅か数秒の出来事である。


これこそが俺たちに与えられた力。


不安も恐怖も無い。


ただ自分の本能が命令したままに体が動いただけだ。


目隠しをされたまま部屋の隅に縛られ、並んで座らされている人質達の無事を確認し、俺と先輩は顔を見合わせた。


彼らは怯えていた。


無理もないだろう。


目隠しがされた状態では、現状を理解することは難しい。


「ー…動くな!」


不意に背後から聞こえた声に、俺と先輩は素早い動作で振り返り、銃を構えた。


その動作ですら、プログラムされているかの様に息ピッタリだ。


俺たちが突入してきた窓際の隅で、スーツを着た男が一人の老人を羽交い締めにし、手にした銃をそのこめかみに突きつけている。

 

どうやらテロリストが一人、人質に扮して潜んでいたようだ。


突入の際頭上を飛び越して背対してしまっていたが為にナノマシンでも感知できなかった訳だ。

 

窓からの突入を予期していたのか、たまたまだったのかはわからない。


しかしそれだけだ。


ナノマシンに頼りきりになってはいけないとつくづく思わされる。


こういった場合は自らの目で確かめ、判断する他無いのだから。


だが、それは今までナノマシンのない時代の兵士達が普通にしてきたことだ。


状況は手に取るようにわかる。


「…アルタイル委員長ね?」


エリーナ先輩の問いに、羽交い締めにされた老人が苦しそうに呻く。


俺の視界の中で、カーソルが老人の顔に合わされアルタイル・マグファレス本人である事と、このミッションの最重要ターゲットであることを告げる表示が点滅する。


「銃を下ろせ!でなければこのジジイの脳味噌をぶち撒ける!」


人質に紛れていた男は興奮した様子で、俺と先輩に大声で捲し立てた。


男がかなりの恐慌状態である事をナノマシンが警告として俺に知らせている。


「あんたこそ、早く銃を降ろして委員長を解放した方が身の為よ。折角、まだ生きてるんだから。」


先輩は口角を上げ、まるで小悪魔の様な笑みを浮かべながら男を諭した。


しかし、先輩の物怖じしないその態度に感情を逆撫でされた男は、歯をむき出しにして心の底からの憎悪を俺たちにぶつけてくる。


「黙れ!虐殺国家の犬共め!破壊と支配の先に何がある!」


銃を下ろさない俺たちに、男は怯えと怒りが入り混じった、まるで子供が泣き出す寸前のような表情を浮かべながらそう吐き捨てた。


言いたいことはよくわかる。


人類から争いを無くすために、武力を持って世界を強制的に併合するなど、正気では無いと俺でも思う。


きっと、俺たちも既に壊れている。


まさに帝国の犬なのだ。


「…先ずは今自分が置かれた状況を考えろよ。こんな状態でシスタニアを返せも何もないだろ。これは最後の警告だ。マジで直ぐに銃を下ろした方がいい。」


俺が更にワントーン落ち着いた声音で説得を試みるが、男の興奮は治らなかった。


「黙れと言っているっ!それ以上近づくな!」


さらに一歩下がり、背中を窓際に預けながらこちらに銃を向けて彼がそう叫んだ瞬間だった。


ピキン。という乾いた音が室内に鳴り響いたかと思うと、喚いていた男が手から銃を落とし、その場に崩れ落ちたのだ。


突然の沈黙。


俺は男の拘束から解かれたアルタイル委員長にすぐ様駆け寄り、テロリストと共に床に崩れ落ちそうになったその肩を支える。


「だから言ったのに…。」


先輩は構えていた銃を下ろすと肩を竦め、直ぐに無線を起動した。


「ラクア。あんた見てたならさっさと片付けなさいよ。」


彼女の言葉と共に体内無線が俺にも繋がり、ため息の様な息遣いが聞こえた。


恐らく、無線の主はいつもの様にタバコを吹かしているのだろう。


『…変装ぐらい見抜きやがれ。俺はお前達が突入した時から気付いてたぜ。』


無線から聞こえてきたセリフに俺は呆れて肩を竦めた。


窓の下の死角に人質と一緒になって紛れていたら外からでは分かる訳がないだろう。


ラクア・トライハーン。


俺たちSHADEの副隊長であり、スナイパーだ。


ラクアがこちらの様子をずっとスコープ越しに見ていたのは、ナノマシンの相互リンクでわかっていた。


運悪く窓に背中を向けて立っていた男に、警告していたのはその為だ。


アルタイルの身柄をこちらに渡し、諦めて投降していれば彼に狩られることはなかったのに。


「よく言うぜ。」


ラクアの居る位置から見えるだろう窓際まで移動しながら、俺は片手を挙げて見せた。


彼は500m程離れた真向かいのビルに居るはずだ。


カーソルが視界の中で、遠くの彼のいる場所を指し示す。


俺の視界が望遠され、銃を構えながらスコープ越しに気だるそうにこちらを見ているラクアの姿が確認できた。


トレードマークのカウボーイハットを被って、やはり口にはタバコを咥えている。


ラクアが体勢を整えていたにも関わらず狙撃で片付けずわざわざ俺達に突入させたのは、レオンの掛けた保険みたいなものなのだろう。


一応まだ正式には凍結中って事になってる訳だし、何より失敗は許されないのだから。


ラクアの弟子である、SHADEのもう一人のスナイパー、アリス・ルクミンも、俺達が乗って来たのとは別のヘリで上空からいつでも狙撃出来るよう待機している筈だ。


現場のリアルタイムな状況も全て情報としてナノマシンに共有されている。


個々で有りながら全として動く。


それが俺たちSHADEだ。


「…こちらエリーナ班。委員会庁舎40階会議室を制圧。人質も全員無事よ。」


向かいのビルにいるラクアに手を振る俺を横目に、先輩が無線でレオンに呼びかけている。


『…ご苦労。これより庁舎内部の安全確保と事後処理を行う。敵が設置したF.A.Sの撤去をする為、たった今zodiacが庁舎正面エントランスより突入した。お前達は、彼らに合流し残党がいれば捕縛しろ。』


無線でレオンから新たな指示が飛ばされる。


それを聞いた先輩が露骨に不満そうな表情を浮かべたのを俺は見逃さなかった。


「zodiacが来てるの…?」


軍務総省戦略機動部隊zodiac。


俺たちSHADEと同じく、陸・海・空どの軍部にも席を置かず、その統括省庁である軍務総省に直接飼い慣らされるもう一つの特殊部隊。


わずか8名で構成された少数精鋭のSHADEとは違い、30名以上のエリート隊員を有する、帝国が誇る最強の戦略機動部隊だ。


先輩は彼らのことが苦手だった。


そんな先輩を見て俺は苦笑する。


『zodiacに合流し、粗方片が付いたら帝都第三基地へ帰投しろ。彼等は事後処理の為、そのまま現場に残る。最後まで気を抜くな。』


レオンのそんな忠告を最後に無線は切られた。


まるで無線が終わるのを聞いていたかの様なタイミングで、俺たちのいる庁舎会議室の扉が勢いよく開け放たれる。


「…人質の安全確保急げ!怪我人が居れば近くの軍病院へ搬送!現場はバカみてぇに広いんだ!モタモタすんな!」


その場に良く通る号令と共に、全身黒づくめの兵士達が会議室に次々と雪崩れ込んでくる。


ヘルメットに、ナノマシンと連動したウェアラブルグラス。


全員が同じ銃を首からぶら下げ、違うのはタクティカルベストの胸の部分に刺繍された識別番号と階級章ぐらいだろう。


これぞまさにzodiacの兵装だ。


彼らは全員頭から爪先まで真っ黒だったが、一人だけその中に首から上を露わにした大男がいた。


さっきから隊員たちに大声で檄を飛ばしている人物だ。


「よぉ。フリードの兄貴。」


俺の呼び掛けに、大男がこちらを向く。


短髪の黒髪に浅黒い肌、左頬には昔敵に付けられたという古傷がある。


俺たちを見た大男は、眩しく光る白い歯を輝かせながら大仰に笑ってみせた。


「久しぶりだなぁお二人さん。下でモニターしてたぜ。相変わらず早え仕事だった。」


zodiac副隊長のフリードリヒ・スタンフォードが、まるで自分の弟・妹を褒めるみたいに、気さくに声を掛けてくる。


「元気そうね、フリードリヒ。」


先輩が対して興味もなさそうに、腕を組みながら兄貴に軽い挨拶をする。


SHADEが凍結されていたこの三ヶ月間、俺たちは根城である帝都第三基地の地下に潜っていた。


普段中央基地にいる彼等と会うのは文字通り久しぶりの事なのだ。


「ほぼ一瞬だったな。いくらナノマシンの加護があるとはいえ、やはりお前らは筋がいい。」


フリードの兄貴が俺の肩をバンバン叩きながら褒めてくれる。


筋骨隆々なたくましい腕で叩かれると地味に痛い。


そんなやり取りを交わしていると、その背後から同じように黒い戦闘服を見に纏った華奢な女性が、無駄口。と冷淡な口調で言いながら振り返りもせず俺たちの横を素通りしていった。


その声に兄貴は一瞬ピクリと体を震わせ、背筋をピンと伸ばして敬礼した。


エリーナ先輩も、さっきまでの横柄な態度を一変させ、サッと俺の背後に隠れて、現れた女兵士の様子を陰から伺っている。


「も、申し訳ございません!」


兄貴が狼狽したように目をキョロキョロさせている。


おお…相変わらずビビってるねぇ…。


萎縮している二人の先輩を前に、俺は悠々と現れた女兵士に歩み寄った。


「よお。ルノア。うちの隊長と違って、あんたはよく現場に現れるな。」


気さくに声をかけるが、女兵士は一瞬こちらに一瞥を送るだけで何の反応も示さなかった。


うん。いつも通りで安心したよ。


彼女はルノア・ジュリアード。


zodiacの裏若き隊長だ。


表情に乏しく、殆ど単語でしか言葉を発さないので、なにを考えているのか等さっぱりわからない。


「…ちょっと。ロック。あんたはどうしてそんな気軽にあいつに声を掛けられるわけ?」


と、先輩が俺に耳打ちしてくる。


そう。


先輩はzodiacが苦手と言うよりも、その隊長であるルノアが苦手なのだ。


フリードリヒの兄貴の様な大男でさえ、彼女にはうだつが上がらない。


しかし、確かに歳は上だが、俺にはそんなに怖い人だとは思えないのだが。


彼女が俺たちのオーナーであるルカ・ブランク少佐の右腕の様な存在だからだろうか?


「…このフロア…調べる。」


ルノアはこちらを見もせずに、左手首に巻いた端末を操作しながらそれだけを呟くとさっさと会議室を後にした。


俺は先輩と二人同時に、フリードの兄貴を振り返る。


律儀な男だねぇ。


ルノアが見えなくなるまで敬礼してるつもりか?


俺がそんな兄貴の脇を肘で軽く小突くと、彼は一度大きなため息を溢してから、手にしたライフルを構え直して苦笑を浮かべた。


「他のフロアは部下達と軍の補充要員が調べている。40階は俺たち四人で調査する。こいつらは人質の保護が最優先なんでな。」


こいつらとは一緒に会議室に入ってきたzodiacの兵士達だろう。


近くに兄貴がいると、ルノアの言葉を要約してくれるので助かる。


彼の言葉に、了解。と返事をすると、俺たちも銃を構え準備ができている旨を示す。


「んじゃ、悪いが手伝ってくれ。流石の俺達でもこの庁舎は広いからな。」


兄貴は困った様に微笑むと、ルノアに続いて会議室を後にした。


「…さっさと終わらせて帰るわよ。アイツ、怖いから。」


先輩に肩を叩かれ、俺は、ああ。と返事をする。


会議室から廊下に出ると、俺たちはルノアを先頭に陣形を組みゆっくりと進み始めた。


いくら俺達でも、突然F.A.Sの攻撃を受けたらひとたまりもない。


死角の無いよう、四人で隅々を警戒しながら各部屋の安全を確保していく。


「…クリア。」


通路の前後を兄貴とルノアが警戒し、左右の扉を開いて室内を確認するのは俺と先輩だ。


そうしてこのフロア内をくまなくチェックしながら廊下を進んでいくと、やがて他の部屋とは違う質感の扉に突き当たった。


鉄で出来た無機質な扉とは違う、木目調で温かみのある高級そうな作りの扉だ。


周りの装飾も、黒やブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気に仕上がっている。


扉の横に埋め込まれたプレートを見ると、そこには『委員長執務室』と書かれていた。


なる程。


「アルタイルの部屋か。」


俺の言葉に、ルノアがこちらに一瞬目をやり、それからフリードの兄貴に目で合図を送る。


兄貴は小さく頷くと扉の横に回り、そのノブにゆっくり手をかけた。


俺たちに目配せをし、直ぐに素早い動作で扉を開け放つと、開かれた入口からルノアを先頭に、俺達は執務室の中へ雪崩れ込む。


俺と先輩もその後に続き、死角の無い様に室内を隅々まで目視した。


F.A.Sが仕掛けられている様子は、無い。


部屋の丁度中央あたりでルノアがゆっくり立ち止まり、後ろに続く俺たちに手で、待て。の合図を送った。


その指示通り、俺たちは足を止め、前方へゆっくり視線を送る。


入り口から真正面の窓際。


そこに鎮座するように置かれた高級な木製の執務机。


備え付けられた黒い革張りのデスクチェアに、何者かが座っている。


背もたれをこちらに向けて、窓に映る帝都の夜景を眺めているようで、その顔を確認する事はできない。


「…こちらを向け。」


静かな口調で、アルタイルの椅子に座る謎の人物に銃を向けながらルノアが命令する。


その言葉に対し、背もたれの左右から少しだけ見えている肩が上下に揺れた。


笑っている?


「…ようやくお出ましですか。待ちくたびれましたよ。」


落ち着き払った声とともに椅子が音もなく静かに回転する。


拳銃を握る手に力が入り、俺は銃身に添えていた人差し指をゆっくり引き金に掛けた。


「…そんなに警戒なさらなくとも、武装はしていませんよ。」


こちらに見えるよう両手をヒラヒラと挙げながら、椅子を百八十度回転させ、男はこちらにその顔を露わにした。


「…やぁ。帝国軍務総省の若き兵士諸君。」


長い銀髪に赤い瞳。


その口元には冷笑。


冷酷な印象を全身に張り付けたような男が静かにそこに鎮座していた。


歳は若い様に見える。


30代半ばぐらいだろうか?


「あんたが首謀者?」


先輩が怪訝な表情を浮かべたまま男に問いかける。


彼は両手を挙げ、こちらに敵意が無いことを示しながらゆっくり頷いた。


「…そんなところです。あなた方の迅速な対応に敬意を表し、大人しく投降しましょう。」


不気味な男だ。


四人の人間に銃を向けられているにも関わらず、余裕綽綽といった態度。


それにこの男。


俺たちが来るのをここで最初から待っていた?


ルノアはそんな男の挙動をまるで気にする事のない様子で、銃を構えたまま横目でフリードの兄貴に合図をするとゆっくり男に歩み寄った。


それに倣い、俺と先輩も男との距離を徐々に詰める。


やがてすぐ側まで近づくと、兄貴は腰のポーチから黒い手錠を取り出して男の後ろに回り、一度椅子から立たせてから後ろ手に拘束した。


無駄のない、洗練された動作だ。


「…こちらルノア。首謀者と思われる男を確保。銀髪に赤い瞳。シスタニア人。」


兄貴が男を拘束する様子を横目に、ルノアが本部に連絡を入れる。


その間、俺はずっと拘束されている男と目が合っていた。


その目はまるで全てを見透かしているかのような怪しい色を帯びたまま、俺に静かに向けられている。


口元に、不気味な冷笑を携えながら。


★3

帝都アルトリア南区第三軍事基地地下

AM1:58


俺たちが根城である第三軍事基地に帰投したのは、拘束した銀髪の男を完全にzodiacに引き渡した後だった。


その後、男はzodiacによる取り調べの為に然るべき施設へ移送されるとの事だった。


俺達のベースである第三軍事基地は、軍務総省の庁舎に併設された広大な基地である。


庁舎は、地上50階地下6階となっており、地下4階から地下6階は俺たちSHADE隊員の為だけの区画になっている。


オフィスやブリーフィングルーム、更衣室やシャワールーム等がある地下4階。


普段隊員達が生活する居住エリアのある地下5階。


地下6階には、俺達SHADEや軍務総省の高官などが利用できるちょっとした地下街の様なものまである。


所属柄、あまり外に出れない俺たちが休日を過ごす場所だ。


映画館や酒場など、多種多様な施設が揃っており、休日の暇を潰すのには事を欠かない。


そこに配置されている店員やスタッフなども全て軍務総省の人間なのだ。


俺と先輩はzodiacの車両を使ってその第三基地へ帰投し、広大な施設の一角にある直通エレベーターを使って地下4階まで降った。


ブリーフィングルームの扉を開くと、そこでは既に見知ったSHADEの隊員達が顔を揃えて俺達の帰りを待っていた。


まるで大学の講義室の様なすり鉢状の作りの部屋に、各隊員がバラバラに散らばって座っている。


前から思っていたが、人数が少ない俺たちからしたら些か広すぎる気がしなくもない。

 

「二人ともご苦労。」


一番最初に俺たちを迎えたのは、隊長レオンの淡白な言葉であった。


俺は、うぃーっす。と軽く返事をすると、エリーナ先輩と共に、副隊長ラクアとその直属の部下であるアリスの直ぐ後ろの席に着いた。


いつもの定位置である。


「…なかなか現場に出なくて悪かったな。ロック。」


表情を全く変えないままで、突如レオンが俺に言った言葉に俺は面食らった。


どうやらルノアにさり気なく掛けた言葉をしっかりモニターしていたらしい。


ラクアが前の席で肩を震わせている。


となりの先輩まで。


「あ、いや、そう言うつもりじゃぁ…。」


俺がたじろいでいると、そんな俺の様子を見てレオンは少しだけ微笑みながら肩を竦めた。


「…まぁ、お前達が優秀なお陰だよ。西との世界大戦も迫り、様々な人間達が翻弄されている様なこんな世の中だ。そんな中でお前達は良くやってくれている。」


隊長様は俺たちを見てそう言うと、綺麗な金色の髪を揺らしながらリラックスした様に息をついた。


褒められちゃったよ。


「…全員揃いました。」


レオンはそう言うと振り返り、前方のスクリーンに体を向けながらそう言った。


『ご苦労。』


部屋の両側面に備え付けられたスピーカーから発せられる言葉と共に、照明がゆっくり暗くなりスクリーンにルカ・ブランク少佐の姿が映し出される。


どうやら専用機の機内の様だ。


相変わらず高そうな葉巻を吹かしている。


『今回の事件での迅速な対応が評価され、お前達SHADEに対して正式な凍結解除命令が下された。』


少佐のその言葉に、なんとなくだがブリーフィングルーム内の空気が少し和らいだ気がした。


この凍結期間は本当に退屈だった。


仕事ばかりしていると休みたい気持ちになるが、逆に休んでばかりいると、体が鈍って仕方ない。


そんな俺たちの心情を知ってか知らずか、ルカ少佐は言葉を続ける。


『それと同時に、お前たちSHADEに対し帝国政府最高機関である『七貴人』より、テロリストの殲滅命令が下された。』


七貴人?


帝国の頂とも言われる権力者たちが集まる議会。


この国でその存在を知っているのは、軍務総省でも一部の人間だけであると謳われる、この国を操る七人のフィクサー達だ。


彼らから俺たちに対し直々のオーダーが下ると言うのは、かなり異例な事である。


「…いずれ始まる世界大戦を前に、障害となるだろう国内の問題を本格的に片付けようってわけね。」


少佐の言葉に、隣の先輩が顎に指を当てながら一人思案している。


しかし、大丈夫なのか?


いつ起こるかわからないテロに対し、俺たちの様な少数部隊で対処しきるのだろうか。


これから、あの凍結期間が嘘だったかの様に忙しくなりそうだ。


『もちろん、無差別テロを起こす様ななんの大儀もない連中を相手に大立ち回りをしろと言うわけではない。奴らはハエのように湧いてくる。キリがない。』


俺の疑問に答えるかの様に少佐はそう前置くと、これを見ろ。と端末を操作してこちらのモニターに複数の写真を表示させた。


「…これは…。」


表示されていた写真には、今回のテロ事件を引き起こした武装集団複数名の死体の写真が映されていた。


現在も国防委員会庁舎に残って事後処理作業を続けるzodiacの隊員が撮影したものだろう。


俺と先輩が突入時に蹴散らした奴の写真もある。


「ん?」


次々に切り替わる死体の写真。


その中に、俺は奇妙なものを見た気がして首をかしげた。


腕に皆、何か黒い鉤爪の様なシンボルが刺青されているのだ。


これは…。


俺にはその刺青に心当たりがあった。


「…これ、私とロックが出動した海上プラントでの事件の首謀者達と同じ刺青…?今回の武装集団と三ヶ月前の奴らには関わりが…?」


先輩が写真を睨みながらそう溢す。


今から約三ヶ月前、俺達SHADEが凍結されるに至った帝国領海沖に浮かぶ海上プラントでの事件。


そこで交戦した武装集団の兵士にも全く同じ刺青があった。


『このシンボルの正体については現在調査中だ。おそらく、同一の組織。または、同じ思想のもとに動いている集団と考えていいだろう。それに三ヶ月前のテロリスト達は帝国のガンシップを、そして今回の武装集団に至っては最新鋭のF.A.Sを有していた。その観点から見ても、同じ組織である可能性は非常に高い。』


少佐の言葉に、レオンが顔を顰める。


「…三ヶ月前、ロックとエリーナが帝国籍のガンシップを目撃し、それと交戦した事実。そして最新鋭のF.A.S。…やはりこの国内に彼等のような集団に兵器を横流ししてテロを焚き付けている者がいると考えるのが自然か…。」


レオンの考察に、スクリーンの中の少佐が小さく頷いた。


『そうだ。それも、我々と同じく軍部に関係する何者かだろうな。なんの目的があるのかはわからんが、テロリストに内通している者が我が軍や、この軍務総省に潜んでいるかもしれない。七貴人はその面も含めてお前達SHADEに探らせようとしている。裏切りには相応の裁きを。と。』


成る程。


俺達が七貴人から選ばれた理由がなんとなくだがわかった様な気がする。


こんな事、大っぴらに嗅ぎ回れる筈もない。


その為の『SHADE(影)』。か。


スクリーンから死体の写真から消え、再び少佐の姿が映される。


彼女は一息つくかのように静かに葉巻を吹かした。


紫煙が画面の中を一瞬覆い、霧散する。


「…まずは、今回捕縛した首謀者『三名』の聴取の結果次第といったところですか。」


部屋の隅の方にノート型端末を開きながら座るハッカー、バロンがそう言った。


メガネの奥の瞳が怪しく輝いている。


待て。


今三名と言ったか?


俺たちがルノア達と一緒に捕らえた銀髪の男以外にも捕縛に成功した実行犯が居たのだろうか?


その疑問を残したまま、しかし、バロンの言葉に対して少佐が表情を曇らせながらゆっくりと首を横に振った。


『…さすがに情報が早いな。銀髪の男以外の2名は、zodiacの突入のどさくさに紛れて庁舎から脱出を試みようとしていた所を、補充要員である軍の兵士が捕らえたようだ。しかし、つい先程、zodiacから新たに報告があった。ほんの数分前の事だ。軍兵士に捕らえられた二名は護送車の中で間もなく死亡。結局聴取が出来るのは、お前達が拘束した銀髪の男だけとなった。』


淡々と事実を述べる少佐とは裏腹に、ブリーフィングルーム内の空気が一瞬にして張り詰める。


死亡?


死亡だと?


一体何が?


「…おいおい。その銀髪が口封じの為に何かしたか?」


くたびれたジャケットの内ポケットからタバコを取り出し、咥えてライターで火をつけながら副隊長のラクアが吐き捨てるように言う。


ブリーフィングルームは禁煙のはずなんだが…。


『…いや。彼ら3名は別々に移送されて居た。各々手出しは出来ん状態だ。』


少佐は、悩ましい。と言った様子で深いため息をつきながらそう俺たちにそう告げると、スクリーン越しにまっすぐ俺たちを見据える。


『…死因はおそらく、今流行りの『死病(インキュアブル)』によるものだ。クライムエイジ刑務所の勾留施設に送られるはずが、まさかそのまま軍の研究施設で解剖に回されることになるとは、夢にも思わなかっただろう。』


少佐の言葉に、自分の眉間に自然と皺が寄っていくのがわかる。


死病(インキュアブル)。


現在テロによる脅威とは別に、この国に住う人々の不安になっている病。


いや、それを病と呼んでいいのだろうか?


発症したものはいきなり心停止して苦しみながら死ぬ、と言う身も蓋もない事象なのだ。


各医療機関や研究機関が総力を上げて解明を急いでいるが、今のところ要因は一切不明。


ここ2、3年ほどで、国内の死者数は既に1500名に達している。


今のところ、帝国報道局の情報規制が功を奏しているものの、このままでは大規模なパニックになりかねない事案だ。


『死病(インキュアブル)の件は、現在帝国の研究機関が総力を上げて調査中だ。兎も角、奴らの我が国に対する攻撃は今後も続くだろう。お前達へのオーダーは、この『鉤爪の刺青(クロウ)』共に対し常に攻勢の立場を築き上げ、軍内部にいると思われる内通者を炙り出す事だ。武器、兵器を流すものが居なければ彼らは我々帝国に対して攻撃をするポテンシャルを失うだろう。』


少佐の言葉に、俺たちは全員スクリーンを見つめた。


その様子に彼女は眼光を鋭く研ぎ澄ませ、まるで見えない答えを掴み取るかのように、スクリーンの中でスッと俺たちに向けて手を伸ばす。


『…クローレンツの名の下に、仇なす全てを壊滅せよ。』


以上だ。


その言葉に、俺の体内の血液がまるで沸騰したかのように熱くなった。


なんだってやってやるさ。


俺達兵士には、それしかないのだから。



To be continued ...

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