第48話 君は比野楓華じゃない。劉凛風だ

 そう僕は呼んだ。

 波打ち際の彼女は表情を変えずに僕を見詰めている。遺影で見た顔と同じだ。そして口元だけを微かに綻ばせた。

 彼女は儚げな笑顔を見せ続ける。あの遺影と同じ笑顔を。

「先月の十一日、君は死んだ事になった。それで僕が君の位牌と結婚する事になったんです。だけど、君は死んでいなかった」

 微かに目を細める彼女。僕は続ける。

「君は自宅アパートで、林田圭司という男に殺された事になっている。その瞬間はアパートの防犯カメラにも映っていたよ。でも、アレは君じゃなかったんだね」

「何を言っているか、意味が分かりません」

 彼女は薄く口唇を開いた。日本語の発音に全く違和感がない。日本人と話しているみたいだ。

「塩塚瀬里加さんをご存じですよね」

 僕が瀬里加の名を口にすると、彼女は短く息を吸った。反応した。

「彼女、悲しんでいました。泣き喚いていました。君が死んだと思って、大好きな君が殺されたと思って」

 彼女は無表情を努めているように見えた。

「でも、殺されたのは、ホントは……比野楓華さんなんだよね」

 そう、僕は確信している。

 林田圭司に殺害され、部屋に火を点けられたのは劉凜風ではない。YouTuberの比野楓華だ。

「その証拠が、コレなんだ」

 僕はスマホを立ち上げた。林田圭司のSNSの書き込み。陳刑事に見せてもらったのをスクリーンショットした物だ。

【君は言ったじゃないか。運命の出会いだって。だから僕らは結婚するって。約束破って酷いじゃないか】

「初めは劉凜風を付け狙っていたストーカーかと思った。だけど林田圭司の狙いは劉凜風じゃなかったんだよ」

【どうしても僕と結婚できないのなら、君を殺してあげる。それで僕も死んであげる。天国で一緒になれるでしょ】

「ほら、最後にこう書いてあるんだ」

【愛してるよ。僕の

「それで僕は思ったんだ。劉凜風と比野楓華が、と」

 一時期、比野楓華はチャンネルスタッフを雇い、動画撮影と編集を委託していた。

「その時期、楓華さんのチャンネルスタッフとして働いていたのが林田圭司。元テレビ局のADらしいですね」

 林田の事もネット掲示板に書かれていた。あくまでも掲示板なので真偽は定かではないが、林田圭司の名前で検索するとこのような情報が出てきた。

 林田は群馬のローカルテレビ局で勤めていた後、フリーランスの映像編集者に転身。クラウドソーシングで仕事を請け負い、サイトには林田圭司の本名で登録していたようだ。

 主に企業プロモーションやYouTubeの映像編集を請けていて、比野楓華は撮影も含めて依頼していたらしい。

「しかし何らかのトラブルで、林田とのスタッフ契約を破棄したのだろうと噂されていたんだ。原因は察せるよ。この林田の書き込みで」

 僕はスマホのスクショを見せた。

【愛してるよ。僕の

 凛風は滑らかに文字を目でなぞる。読めているのだろう。

「解雇の原因は、林田の一方的なアプローチ。いや、ストーカー行為だろうね」

 その事も林田圭司のSNSに書いてあった。

 もともと『ふーたん旅行記』のファンだった林田は比野楓華に変質的な愛情を抱いていた。動画撮影と編集を安価で請けると申し出たのも林田からだった。

 スタッフとして旅に同行してゆく内に、林田は妄想を抱いて勘違いし始める。そこから林田のストーカー行為が始まった。楓華も身の危険を感じただろう。

 楓華は逃げるために、撮影を名目にアジア諸国を回る。しかし資金は尽きる。仕方なく日本へ帰国し、沖縄に部屋を借りて細々と暮らすようになった。その頃に動画更新の頻度が落ちたのも、林田から身を隠すためだったのだ。

 林田はそれを裏切り行為だと思った。

 今年の七月、楓華は台湾へと渡った。おそらく旅行か、YouTubeの撮影のつもりだったのだろう。

 林田は彼女の台湾での居場所を突き止め、彼女を殺害する。事件後の書き込みも残っていた。

【ふーたんをぎゅっと抱き締めた。天国で一緒になろうって約束して。首を絞めてあげた】

 死因は頸部圧迫か。素手による扼殺だ。

 その後、部屋に火を点けた林田は自身も手に火傷を負う。比野楓華の遺体は焼けて判別不可能になり、状況証拠から劉凜風のものと判断された。

【待っててふーたん。僕も今から天国へ行くから】

 比野楓華を殺害後、林田は自殺を図る。僕が見つけた空きビルだ。さすがに躊躇したのか現場には無数の吸い殻が残されていた。

「証拠だってあるよ」

 僕はポケットに忍ばせていた物を摘まみ出す。ブレスレットだ。

「君の遺品だって。部屋に焼け残ってたんだって。でもこれ、君の物じゃないよね。だって君は、このブレスレットを身につけられない」

 凜風はピアスホールを空けるのに失敗して耳が化膿した。その際に金属アレルギーになっている。腕時計の金具が触れているだけでも肌が腫れる。銀製のアクセサリーなど着けられるはずがない。

「防犯カメラに映っていた劉凜風は、んだよ。だから僕は思ったんだ。あの場所で殺されたのは、君じゃなかった。比野楓華さんだった」

 すると彼女は僅かに口元を綻ばせる。

「念のため、比野さんの動画を確認したよ。彼女がアジア旅をしている時の動画では、これと同じブレスレットを着けていたんだよね。だから確信が持てたんだ。あの防犯カメラに映っていたのが比野楓華だって」

 僕は太平洋を背にする彼女をまっすぐ見据える。

「君は比野楓華じゃない。リウ凛風リンファだ」

 エメラルドグリーンの海は潮騒を奏でる。遠くから海鳥の声も聞こえていた。真っ直ぐ見つめ合う僕ら。

 そして彼女は口を開く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る