第47話 ようやくお会いできましたね。比野楓華さん
翌朝は八時過ぎに目が覚めた。
名護市は沖縄本島の北部。那覇バスターミナルで名護行きのバスの席を取った。僕が一番奥の席に乗り込むと、観光客で席が埋まってゆく。みな
一時間ほどでサービスエリアに停車する。バスから出ると熱風が吹き付けた。海が近い匂いがする。道路側へゆくと、エメラルドグリーンの海が見えた。
その時、僕のスマホが鳴った。ヨシオさんからのビデオ通話だ。
『貴様、どこにおるのだ!』
僕は受話するなりインカメラを海に向けた。
「沖縄です。こっちの方角にヨシオさんがいるんですかね」
南を向いた僕。インカメラを覗くと、画面にヨシオさんのしかめ面が現れた。
『日本へ帰っとったのか。何をしとる』
しばらくと言っても、ヨシオさんとは三日前に会ったばかりだ。
「凜風さんの一件の仕上げです。最後に確かめたい事がありまして」
眉を寄せるヨシオさん。『確かめたい、だと?』
「僕も確信は持てないんですが……」
湿った南風に吹かれ目を細める。ヨシオさんもしばらく黙っていた。僕はガードレールに腰掛け東シナ海を眺める。
『美しい海だな』
ぼそりとヨシオさんはこぼす。
再びインカメラを海へ向けた。微かにヨシオさんの表情が綻んで見えた。
『羨ましいな、貴様らは。夏は海、冬には雪が降り、秋には紅葉、そして春には桜。毎日のように姿が変わってゆく』
「そう言えば四季がある国は、珍しいとか。でも大変なんですよ。僕が生まれた札幌なんて、冬は交通マヒするし」
ヨシオさんは吹き出すように笑う。
『その四季、貴様ら日本人が守ってやれ』
正午前、ようやく辺野古のバス停留所に到着した。
停留所の前に公民館がある。山々から九月の蝉が最後の叫びを振り絞っていた。緑の多い長閑な田舎町だ。
住宅地域の先にはキャンプ・シュワブという広大な米軍駐屯地がある。浜辺を埋め立てて普天間の飛行場が移設されるという計画だ。
県道沿いを東へ歩いて行くと、堅牢な金網フェンスに行く手を阻まれた。ここからキャンプ・シュワブ。日本の土地ではなくなる。アメリカ軍は名護市と宜野座村にまたがる広大な山林と海岸を基地としていた。
県道沿いのフェンスには『美しい海を返せ』『基地移設反対』などと横断幕が掲げられている。『沖縄に米軍はいらない』『日米同盟を破棄しろ』『人殺しは帰れ!』など攻撃的な言葉も散見している。
しばらく進むと人のざわめきが聞こえた。拡声器を通した叫び声。第二ゲートの前に人だかりが出来ている。
日焼けした老若男女がプラカードを掲げて「沖縄の土地を返せ!」と叫んでいる。反対活動家という市民たちだ。基地に入ろうとするトラックの行く手を阻み、道路に座り込む老人もいる。
横断幕に書かれた文字を見て、僕は首を傾げる。『移設反对!』。中国簡体字の『对』が使われていた。さらにはハングル文字のプラカードを持っている女性もいる。
辺りには活動家のテントがある。赤いラッピング軽自動車も停まっていた。中国の五星紅旗の入った『我々は基地反対を支持する』のメッセージ。『中国共産党 友の会』という団体らしい。
基地職員がゲートの奥に現れると、市民の興奮は頂点に達した。
市民たちは言葉とは聞き取れない罵声を上げ、金網フェンスを揺らし始める。角材で有刺鉄線を殴りつける。暴徒だ。フェンスに群がる様子はゾンビ映画のよう。
ついには防衛局の職員が駆けつけ、暴徒化した市民を説得しに来た。しかし市民たちは職員の服に掴みかかり、帽子を脱がせ、道路に引き摺り倒して無理やり正座させた。耳元で「説明しろ!」「市民の事考えてんのか!」と怒鳴りまくる。
やがて数人の市民が僕に気付いた。
「おい兄ちゃん、何見てんだオイ!」
目が合った僕は戦慄した。角材を持った老人がにじり寄ってくる。
危機感を覚えた。言葉は通じるかもしれないが話は通じない。僕は本能的に逃げ出した。ゲートから懸命に走り去る。
町に戻りコーラを買って喉を潤す。僕はデモ隊を見物しに来たのではなく、比野楓華を探しに来たのだ。
少し歩いて喫茶店を見つけた。すみませーん、と断って戸を開けるとドアベルが鳴った。奥から出てきたエプロン姿の壮年男性が僕を見て不思議そうな顔をする。よそ者は珍しいようだ。
窓際の席でアイスティーを注文する。
「あの。基地のアレって、いつもやってるんですか」
アイスティーを持ってきたマスターは、僕の質問に苦笑する。
「毎週やってるね。ホント迷惑さ。町は汚れるし、子供も怖がるし」
マスターは辟易した感じで手を振った。マスターは「兄さんは観光?」と聞いたので、僕は「ちょっと人捜しを」と答える。
「比野楓華という人です。名護市に住んでる女性なんですが」
「んー。名護と言っても広いからねぇ」
「清掃活動とかやってる人なんですけど」
それだったら、とマスターを壁に目を向ける。ポスターだ。
「海岸クリーン計画。住民のボランティアで毎週やってるんだ」
辺野古の海を守ろう――、とある。開催日時は毎週日曜日、朝九時から十一時と午後三時から五時。今日もやっているようだ。
「そこの浜辺がキャンプ・シュワブの境目になってるんだ。活動家が残したゴミを拾うのも活動の一つだね」
はっと顔を上げる僕。マスターは小さく頷く。
「午後は俺も参加するから、良かったら送ってあげようか」
昼過ぎ、マスターに車に乗せて貰って海岸までやって来た。
エメラルドグリーンで遠浅の海。小さな港があり漁船が何艘か浮かんでいる。子供が浜辺で足を浸けて遊んでいた。その傍らの木陰でボランティアの人たちが休憩している。
マスターが「おまたせー」と声を掛けると、若い人たちが「お疲れさんです」と返した。三十人ほど集まっている。
「彼は、うちのお客さんで――」
マスターに紹介されると、ボランティアの人たちは爽やかな挨拶をくれた。市外からのボランティアもいるそうだ。
「ええと。ここに比野楓華という方はいらっしゃいますか」
僕が尋ねると、リーダーの男性が名簿を取り出して確認した。
「あっ、ヒノフウカ! 名護市内からの人ですね。今日、来てます!」
いた――。僕の心臓が早鐘を打つ。
すると男性スタッフたちが「もしかしてYouTubeやってるって言ってた子?」「ああっ、めちゃ可愛かったじゃん!」「俺、チャンネル登録したよ」と騒ぎ始める。
「では、比野さんはどちらに?」
「あれ、おかしいな。午前の部はいたのに」
まさか入れ違い――。すると若い女性スタッフが手を挙げた。
「さっき浜辺の方へ行ったよ」
僕は港を飛び出し、浜辺へ駆け出した。
海水浴場のような広い海岸ではない。人の声はなく、緩やかな潮騒が一定のリズムで聞こえる。生命感溢れる陽光が細波を白く照り返していた。
砂浜は無骨な金網で断ち切られている。フェンスより向こうキャンプ・シュワブ。フェンスには『No Base 基地いらない』や『海を返せ!』という横断幕が掛かっている。これもハングル文字の読み仮名が打ってある。
その時、波打ち際に人影が揺らいだ。陽炎か蜃気楼かと思った。
黒髪で痩身の女性の後ろ姿。体つきが若い。サンダルを手に持ち、浅瀬に足を浸けて佇んでいた。
まさか、あの人が。
僕はその後ろ姿に駆け寄ってゆく。スニーカーの中に砂が入るが構わない。会えた、やっと会えた。
「……比野楓華さん、ですか」
僕が呼び掛ける。彼女は静かに振り返った。
透明な白い肌は日に焼けて赤みが差している。陽光は艶のある髪を映えさせ、儚げな瞳は茶色い虹彩を浮き上がらせる。
「初めまして。僕は、藤園晴人といいます」
僕が名乗ると、彼女は目蓋をひくりと震わせた。反応した。
「はい。私は、比野楓華です」
透き通るような声。彼女の声は静寂の浜辺に掠れて消えていった。
「ようやくお会いできましたね。比野楓華さん。YouTube見ました。友達の台湾人があなたのファンでして。最近は沖縄でボランティア活動をされている、とか」
「ええ、そうです。よくご存じで」
彼女は波打ち際をなぞるように歩いて行く。
僕も彼女に並んで砂浜を歩いた。彼女の足跡を打ち寄せた波が舐めて消してゆく。彼女の足跡は残らない。まるで幽霊のよう。
彼女は『海を返せ!』の横断幕に手を掛けた。
「汚い言葉で罵って、何が平和なんでしょうかね」
横断幕を引き剥がした彼女。口唇を噛みしめ、悔しげに横断幕をたたんでゆく。
怒りと不満を噛み殺した表情。無表情の奥から烈しさが滲み出す。僕が思っていたとおりの顔だ。
「僕はあなたと話したくて、台湾からここまで来たんです。比野楓華さん、いや……」
僕は改めて彼女を見詰める。
そして言った。
「
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