第38話 じゃあ、リザはどうして、殺されなきゃいけなかったのよ
第一発見者の僕と陽は、警察で事情聴取を受ける事になった。
僕を担当するのは、またもや
「デ。君は無断で空きビルに侵入した、ト」
蔡刑事が流暢な日本語で質問する。詰問かもしれない。
「結果的にはそうなんですが、色々事情がありまして」
二週間前に火災で亡くなった
「それで煙草の銘柄が同じだったからッテ、例のビルに入った。そこで死体を見つけた。そういう事ですか」
僕は頷く。目瞬きすると悍ましい死体が脳裏に浮かぶ。
あの物体を人間の腐乱死体と認識すると、胃の中の物が全て引っ繰り返って出てきた。本物の変死体など初めて見た。
陳刑事が食品用のフリーザーパックをテーブルに置いた。スマホが入っている。それを指先でドンドンと叩き、台湾華語で何かを言って腕組みする。その言葉を蔡刑事が訳した。
「身元は持ち物から特定できタ。君の予想が当たったよ」
死体は林田圭司だった。
死後二週間以上が経過していた。高温多湿の気候のため、腐敗はかなり進んでいる。眼球はこぼれ落ち、体表は溶け出た脂で覆われて緑に変色し、内臓は液状化して体内からハエが孵化していた。
「検死しないと確定はしないが、おそらく死因は自殺ダろう」
ドアノブにタオルが結ばれていた。座った姿勢で首を吊ったらしい。
ドアを開ける時に引っ掛かっていたのは、林田の首吊り死体。ドアを蹴破った拍子に負荷の掛かった頸部が千切れ、頭部が部屋の隅に転がっていたという。
陳刑事はスマホをもう一台テーブルに置く。僕の物だ。
「君たちの映像も確認させてもらッタ。劉凜風の自宅に侵入して放火したのは、この林田圭司で間違いなさそうだ」
アパートの映像も提出せざるを得なかった。はじめ警察は、劉凜風は火災による事故死として決着をつけかけていたが、僕らの持っていた映像によって放火殺人と認識を変えた。
「それで、凜風さんを殺した動機は?」
「我々が知りたいぐらいダ」
そう言って蔡刑事はため息をついた。
「スマートフォンの中を見ても、電話帳に劉凜風どころか台湾人は一人もいない。全く接点が無い」
このままでは被疑者自殺で迷宮入り、という事になる。
凜風は無関係の男に殺害された。彼女の愛する日本という国の人間に。日本人観光客に通訳したり道案内したりするという凜風。お人好しとお節介が祟ったのか。最悪の結末だ。
「被害者の劉凜風さんは、君の奥さんデしたね。
蔡刑事の流暢な日本語の言い回し。僕は頷いたまま俯いた。
僕と陽が警察署を出ると、もう陽が沈みかけていた。かれこれ三時間ほど警察で事情を話していた。
警察署の前で、僕らに大勢のテレビクルーが押し寄せてきた。陽が中国語であしらって取材陣を押しのける。また僕の顔が撮られてしまった。空きビルで日本人の死体が発見される。そして第一発見者が冥婚で有名になった僕。またメディアは僕に注目した。
僕らはタクシーで『大阪の小陽』に戻った。
倒れ込むようにテーブルに突っ伏す僕ら。ジョジョが心配そうに水を二つ持ってきた。僕らは一気に飲み干す。
「ニュースやッテたよ。死体見つけたッテ?」
もうテレビで報道されているらしい。
「それより、シャチョー。お客来テるよ」
奥のテーブルにアキラが座っている。アキラは陽に駆け寄り「お勤めご苦労様デした」と一礼する。
「別にパクられてたワケじゃねえべ」
夕食時になり、徐々に客足が増えてくる。家族連れも来店した。僕らは声をひそめて日本語だけで話す。
「林田は間違いなく事件に関与してるべ。警察は凛風の事件を再捜査するっぽいけど、アンタら日桃幫はどうするべか」
「あのアパートの管理人、警察ダケじゃなく幫会にも映像の件を黙ッテやがった。初めは大事になるのが恐かったけど、良心が悼んダとか言ってやがるよ。だから火事でカメラが壊れたとかデタラメ言ッテたんだ」
つまり幫会側も凜風殺害の件を今日になって知ったらしい。林田圭司は日桃幫による報復で殺された、という説はなさそうだ。
林田圭司は空きビルで首を吊っていた。凜風を殺害した罪悪感で自殺したと思われる。現場にはペットボトルや食べ物の包み紙が落ちていたという。煙草の吸い殻も二箱分ほど捨ててあったそうだ。
台北は変化が激しい都市だ。ビルの建て替えも多く、店舗の入れ替えも激しい。そんな中で路地には古いビルが一棟丸ごと空いている事もある。林田はその一つを見つけたのだろう。泊まっているホテルを放り出し、数日間あの空きビルで潜伏していた形跡があった。
近隣は同じような空きビルも多く、夜にしか開かない蛇料理屋や風俗店しかないので、ほぼ住民はいない。窓を閉め切った空きビルからは、さほど臭いが漏れなかったようだ。だから発見が遅れた。
「
犯人が死亡している。報復しようにも、拳を振り下ろす先がない。
その時、店に誰かが駆け込んできた。僕はその人を見上げる。
瀬里加だった。
彼女は額に汗粒を滲ませている。走って来たのだろう。その割に顔は真っ青だ。
「あの男、死んでたって」
ぽそりと零した瀬里加。僕は何も答えられなかった。
瀬里加は薄い口唇を噛みしめて俯いている。華奢な肩が小刻みに震えていた。彼女は絞り出すように言葉を続ける。
「本当に、あの男だったの。リザは林田って奴に殺されたの」
「警察も落ちてたスマホが林田圭司の物だって調べを付けてた。奴が凛風を殺したってのも、あの映像の通りさ」
「じゃあ、リザはどうして、殺されなきゃいけなかったのよ」
「凛風と林田は接点がない。考えたくはないけど、恨みも憎しみもなくて、行きずりで殺したかもしれねえ」
「リザは、何の理由もなく……殺されたって」
瀬里加は崩れるように膝をついた。
テーブルに顔を埋め、声を殺して泣く。弱々しい嗚咽が僕らを包んだ。
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