第36話 同じ目に遭わせて、殺してやりたい
僕らはスクーターで福林路を南下する。士林市場あたりで左に曲がり、実践大学の裏を通って内湖区へ入った。
二十分ほどスクーターを飛ばした。都市部の喧噪から離れ、町並みは生活感に満ちてゆく。MRT西湖駅の近くでブレーキを掛けた。
ここか、と陽は建物を見上げる。大通り沿いにある八階建てのビル。壁面は灰色の染みで汚れているが構造はしっかりした造りだ。看板には『瑞光大飯店』とある。ホテルらしい。
陽はフロントに駆け込んだ。早口で何かを聞いている。
僕は後ろで黙って見ていた。陽はフロントスタッフにスマホを見せている。あの謎の男のスクリーンショットだろうか。
しばらくして陽はガッツポーズして振り返る。
「ドンピシャかも」
僕らはラウンジのソファーに掛ける。陽はテーブルの上に無造作にスマホを置いた。
「日本人の男が一人で泊まってるらしい。しかも八月十日から」
「防犯カメラのスクショも見せたんだけど、ここに泊まってる奴と似てるみたいだべさ。名前はハヤシダケイジ」
林田圭司と書くらしい。
「特徴も一致してるべ。しかも最後に見た時には、右手に包帯を巻いてたらしい。映像の奴も右手を火傷してたよな」
けどさ、と陽は眉をしかめる。
「もう二週間も戻ってないらしいべ。荷物も部屋にそのままだってよ」
火傷に包帯を巻いている所を見られているという事は、犯行後に一度このホテルへ戻っている。
そして、その後。
「もしかして、逃げた?」
「誰、これ。知らない」
瀬里加は僕のスマホに目を落とし、枯れそうな声でそう言った。
昼過ぎ、僕らは國父紀念館の近所のドリンクスタンドに瀬里加を呼び出した。例の動画に映っていた男を見せるためだ。
「名前は林田圭司。年齢は分かんねえけど、見た目はこんなんだべ」
瀬里加は震えるように首を横に振る。名前にも聞き覚えがないようだ。
「こいつが、リザを」
瀬里加の声が揺れていた。男の動きを決して見逃すまいと、両目を見開いている。
「こいつが、殺したの」
陽は「多分な」と呟きマンゴージュースを吸っている。瀬里加は画面を握り締めて凝視していた。
僕は瀬里加の顔色を伺いながら尋ねる。
「この男、合鍵持ってたんだ。ところで瀬里加さんも持ってるんだよね……合鍵」
「何なの、私がこの男に鍵を渡したとでも言いたいワケなの!」
瀬里加は目を剥いて僕に詰め寄る。僕が「ご、ごめん!」と肩を竦めると、陽が割って入ってきた。
「まあまあ、落ち着きなって。アンタが犯人だって疑ってるんじゃない。もしかしてアンタの鍵が盗られたとか、そういう可能性もあるかなーって思ったんだ」
「鍵なら、ちゃんと日本に持って帰ってたわよ。今だってほら、ちゃんと自分で持ってるし」
瀬里加は不愉快そうに鍵を取り出して見せる。
「どちらにせよ、あの男が合鍵を持っていたのは事実なんだ。だから凜風と親しい仲の人間かなと思ってさ、アンタに聞こうと思ったんだよ。心当たりがあるかと思ってさ」
瀬里加は沈黙したまま動画を見ている。僕らは声を掛けられなかった。
「許せない……私、この人を絶対許せない。よくも私の大切なリザを」
瀬里加は歯を食い縛っていた。見開いた両目から涙が零れている。
「殺したい。同じ目に遭わせて、殺してやりたい……」
悲痛な声を絞り出す瀬里加。握り込んだ拳が震えていた。
すると陽は僕を一瞥する。
「晴人、アンタも顔と名前で当たってくれねえか。家族に」
「えええ、マジかぁ」
家族にこの映像は酷だろう。みんな凜風は火災による事故死だと思っている。もし叔父の志豪氏が知ったとなると、想像を絶する恐ろしい事が起こるかもしれない。
一番言いづらいのはヨシオさんだ。ヨシオさんは凜風を溺愛していた。凛風に先立たれて辛い時だというのに、それが日本人の男に殺害されたと知れば、また倒れるかもしれない。
テーブルに突っ伏して泣く瀬里加。僕は彼女の肩に手を置いた。
「この男は僕らが見つけ出す。絶対に逃がさない」
瀬里加はピクリと引き攣った。ゆっくりと泣き顔を上げる。
「神様は見てるんだ、人殺しなんかした奴が逃げ切れるなんてあり得ない。必ず捕まる」
「必ず……?」
そう呟いた瀬里加は目を丸くして僕を見ている。猜疑と恐怖を混ぜたような瞳の色。そんな目で見ないでほしい。
ふと僕は気付いた。そうだ。瀬里加は知っている。僕の、僕らの秘密を。
僕らも人殺しなんだ。
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