第22話 ウチの晴人に手ぇ出したら、殺すぞ

 アキラに連れ出された僕は、なぜか夜市に繰り出していた。

 龍山寺駅前の艋舺夜市。台北市内でもかなりディープな夜市らしい。

「旦那、腹減ッテんだろ。メシ食うか」

 人相の悪いアキラが歩くと人ごみが割れてゆく。酷い混雑でも彼といるとスムーズに歩ける。

 名物だというカジキマグロの唐揚げをおごってもらった。衣が油っこいが、中はさっぱりとした赤身だ。台湾料理特有の八角の匂いもなく、甘辛いソースに塩味が効いている。

「何か、雰囲気が恐いんだけど。ここ」

「安心しな。ここらは日桃幫ジッタオパンが仕切ッテるシマだ」

 士林夜市とは空気感が違う。どこも薄明るく、観光客も少ない。明らかに偽物のアディダスのサンダルが五百元で露店に並んでいる。

 奥には蛇料理屋や風俗店のネオンがけばけばしく輝いていた。僕の前を拳ほどの大きさのゴキブリがのろのろと横切ってゆく。

 屋台裏のテーブルに着く僕ら。アキラが椅子に座って足を組むと、周りの客から明らかに距離を取られた。

「で、何の用なんですか」

「決まッテんだろ。アンタの嫁さんの話ダ」

 凛風リンファか。僕らが病院へ行っている間に、何か分かったのか。

「そのリザって子、推進党の連中と関係があるみたいダ」

「推進党って!」

 元マフィアの幹部が主催する政治団体だ。

「凜風さんと、どう関係が?」

「誘拐されたんダよ」

 誘拐っ! と僕は声を上げる。周りの客から視線が集まる。

「去年の十二月の話ダ。リザが小綿羊スクーターで大学から帰る途中、黒のワンボックスに止められタ」

「それが、推進党の……」

 アキラの刃物のような目が僕を睨む。

「現場は大安ダーアン。近所の住民が目撃しテタ。車から出テきたのは男が五人、黑社會の連中ダッタとさ。それでリザは車に押し込まれタ」

「マジで。てか大安ってアパートから遠くない?」

「火事のあっタ泰山タイシャンに越しタのは今年の三月。誘拐騒動の後だ」

 そんな事件もあれば引っ越すのも仕方ない。

「なんで凜風さんが、そんな目に」

「推進党にトッテ邪魔だからダ。あんだけデモに参加してんダ。写真も撮られるしSNSにも載るしテレビにも映る。それに、あのルックスだぞ」

 アキラはスマホを差し出した。まとめサイトのようなページだ。繁体字の漢字の羅列に、所々画像が添付されている。その中の一枚に、僕は目を細めた。

 獨立的少女戰士――。

「独立の戦乙女ッテとこか」

 添付画像には凜風が映っている。どこかの広場に大勢の学生らしき若者が集まり、凜風は演台に上ってスピーチしていた。熱い汗で額に髪が貼り付いている。

「去年の九月。この写真は228和平公園か。この子、独立派の学生の間じゃ、カリスマだッタみたいだな」

 堂々とした凜風の佇まい。エネルギーの塊だ。

「この時も推進党の妨害があッタ。それデも学生は怯まない。その原動力はリザの存在ダ」

「それで連中は、凜風さんを狙ったのかな」

 凜風さえいなくなれば、学生デモは空中分解する。そこで凜風を脅迫しようと、手荒な手段に出たという事か。

「でも無事だったんだよね。警察が動いたの?」

「リザを助け出したのは、警察じゃねえんダよ」

 アキラは小さく息を吐いてスマホをしまう。

「リザを助けたのは、日桃幫ダ」

「えっ。つまり君たちって事?」

 難しそうな顔をしたアキラは額を指で押さえた。

「この件に俺は関わッテない。ただ話によれば、警察より早くに動いたのはうちの連中ダ。誘拐から三十分後には場所を突き止めテ、リザを救出したらしい」

 僕は口元を隠して言う。

「つまり、凜風さんと日桃幫が関係してたって事」

 ダろうな、とアキラは煙草をくわえる。

「ちなみに引っ越し先の泰山のアパート。持ち主の不動産屋は日桃幫のフロント企業ダ」

「またそこで繋がるのか」

 ああそれから、とアキラは声をひそめる。

「誘拐の実行犯、五人トモ死んだぞ」

「ええっ!」

 僕は目を見開く。

「事件から一週間後、淡水河に浮かんデる死体が見つかった。五人全員ダ。警察はろくに調べもせず、事故ッテことになったけどな」

「まさか、殺された……」

 サアな、とアキラは煙草に火を点けた。

「殺しだッタとしても犯人は不明。俺らの幫会の誰かが殺ッタかもしれねえし、そうじゃないかもしれねえ」

 凜風を襲った男たちが翌週に死亡。偶然にしては出来すぎだ。

「トころで旦那、アンタ姉さんと付き合ッテんの?」

 僕は思い切り噎せた。

「そんなワケないよ。陽とは幼馴染!」

 ははあん、と相槌を打つアキラ。厳つい顔が緩んだ気がする。

「君も日本にいたんだろ。その時、陽とコンビ組んでたって」

「あの時は色々と稼がせテもらったよ、日本語も練習デキたし。姉さんと組んデたのは、二年半だっけか。ヤリ手だよ。東京の黑社會とも知り合い多いしさ」

 アキラは吸い殻をアスファルトに捨て、火種を踏み消した。

「旦那も姉さんト長い仲なんだろ」

「幼稚園からだから、かれこれ二十年以上になるかな」

 思い返してみれば、僕は陽の事なら何でも知っている。僕の人生は陽の人生と重なっていた。

 その時、僕の隣に誰かが座った。

「何だよアンタら。変な組み合わせだべさ」

 陽だ。くわえ煙草で、台湾ビールの缶をテーブルに置いた。

「ジョジョが大騒ぎしてやんの。ハルトさんがマフィアに拉致られたー、って。どうせアキラだろうと思ったら、予想通りだべ」

 陽は黒くて四角い何かを齧っている。豬血糕ズーシエガオという、もち米を豚の血と和えて固めた物だという。

「んでアキラよ、何の用だったべか」

「だいたい旦那に伝えといタっす。後は旦那から説明してもらッテ」

 アキラが鋭い目を僕に向ける。反射的に背筋が伸びた。

「なーにビクビクしてんダ。情けねえナ、オイ」

 テーブルの下からアキラが僕の足を蹴った。

 僕が「いててっ」と漏らすと、アキラは実に愉快そうに笑う。部活の面倒くさい先輩みたいな絡み方だ。

 その瞬間だった。

調子乗オダってんじゃねえべ、お前……」

 陽がアキラの髪を掴んだ。冷たい目で見下ろす陽。

「何してんだ陽!」

 アキラは青ざめた顔を引き攣らせて絶句していた。陽は無表情のままぽそりと口唇を動かす。

「ウチの晴人に手ぇ出したら、殺すぞ」

「スミマセン……つい調子に、乗りすぎテ……」

 陽はアキラの顔面をテーブルに押し付ける。周りの客が驚いて立ち上がり後ずさってゆく。アキラの顔が恐怖に歪んでいった。

「や、やりすぎだ陽。もう止めろよ!」

 しかし陽は力を緩めようとしない。アキラは「歹勢パイセェ歹勢パイセェ!」と上擦った声で謝罪を繰り返す。

「けど、こいつ晴人の事ナメてるべ。いっぺんシメねえと」

「もう良いって! 僕は怒ってないから!」

 陽の腕にしがみつくと、不意に力が弱まった。

「それもそだな。したっけ許してやっか」

 けろっと怒りが収まった陽。アキラの髪を放す。

「おーいアキラ、晴人はウチのだーいじな親友だべ。イジメるな。それに年上は敬わねえとな、これは世界の常識!」

 乱れた髪型で冷や汗を滲ませ、アキラは「スミマセンでした!」と僕に頭を下げる。顔から血の気が引いている。

 満足げな陽の指には、アキラの髪の毛が何本か絡まっていた。

「そうそう。謝りゃいいんだよ!」

 陽の感情は山の天気のように変化しやすい。ニコニコ笑っていたかと思えば、突然の猛吹雪のように怒り狂う。しかもスイッチが分からない。これが陽の恐い所だ。

「ちょうど良かったよアキラ。アンタに頼みたい事があったべさ」

 何すか、とアキラは髪を整えて聞き返す。

「探してほしい奴がいる。劉凜風の妹、劉欣怡――。その偽者だべ」

「偽者を探すっすカ。ややこしいナ」

「凜風の死の真相究明、それをウチに依頼してきた張本人なんだよ。あの偽者、凜風の事を何か隠してるべ」

 陽は偽欣怡の特徴を子細に伝えた。

「見つけてくれたら、また報酬は弾むべさ」


 その日の深夜、スコールが降っていた。

 僕はソファーに寝転び、スマホで凛風リンファの写真を眺めていた。ひまわりのような眩しい笑顔。この子を襲った男たちが、死んでいた。調べれば調べるほど、凜風が得体のしれない存在になってゆく。

「まーた凜風の写真眺めてるべか」

 陽が缶ビールを持ってテーブルの向かいに座った。

「ま、二面性なんて誰だって持ってるべ。ショック受ける事はねえ」

「二面性って言えば陽もだよ。あんなに怒らなくても良かったじゃないか」

「ダメなんだよ。晴人が馬鹿にされたら、なまらムカつくべ」

 陽はビールを飲み干し、缶を握り潰す。忙しなく煙草を取り出そうとする動作。なかなかライターの火が点かず舌打ちした。

「気にするなよ。僕は気が弱いんだし、人から馬鹿にされても笑って誤魔化せるんだ。そうして世の中上手くやってきたんじゃないか」

「ダメだ。アンタは弱い、だからウチが守る……。そうして今までやってきたべさ」

 真っ直ぐな言葉。僕は笑みとため息を一緒にこぼした。

「ウチは、晴人の姉ちゃんだべ」

「三か月だけ、早く生まれただけだろ」

 僕が凜風の画像を眺めていると、陽は僕の隣に座った。

「な、なんだよ……」

「可愛い嫁さんの写真ばっか見てんじゃねえよ」

 すると陽は僕の脇腹を肘で小突いた。

「嫉妬しちまうべさ」

 その声はスコールに掻き消されそうだった。陽が発した、女の声。それは湿気たうす暗い部屋に掠れて消えた。

「別に変な意味じゃねえべ。あんなちゃんこい泣き虫の晴人が、ウチがいなきゃトイレも行けない晴人が、こんな十九歳の可愛めんこい嫁さん貰うなんてなーって、感心してんだ」

 幼かった僕にとって、陽は頼りになる姉だった。子供の僕は、陽がいないと何も出来ないし何も決められなかった。

「いつの間にか、いっちょ前になりやがって。ウチは寂しいべ」

 ため息をこぼす陽。僕は陽を頼っていた。しかし陽も僕を頼っていたのかもしれない。

「そんなんだったら、僕が就職した時はどう思ったの」

「生意気だ! 晴人のくせに東京で小学校の先生だとか出来るワケねえよ! パチンカスにでもなってろ! って感じ」

「じゃあ、僕が……茉由まゆと婚約した時はどうだったんだ。飲み会も開いてくれたし、みんなと祝ってくれただろ」

 台湾へ移住していた陽だが、婚約の報告をすると飛んで戻ってきた。陽は新宿のクラブを貸し切って、気前よく全額奢ってくれた。

「……嬉しかったさ」

 そう言った陽は僕に煙草をくわえさせる。

「アンタが婚約したって聞いて、ウチも泣いたんだよな」

 僕は噎せた。煙草のせいか、陽の言葉のせいか。

「何だよそれ、両親かよ」

「両親じゃねえけど、肉親の気分だわ」

 僕の口から煙草を奪い、陽は慣れた様子で煙を吹かす。円形の煙が天井へ上った。

「嬉しかったけど、なーんか虚しかった。やがて子供が生まれて、父親になって、アンタは家庭を持つって事だろ。そこにウチは必要ねえべ。そう考えるとさ、アンタが遠くへ行った気がしてさ」

「しんみりすんなよ、似合わないな。僕はどこへも行かない」

 どこへも行けなかった。

 婚約祝賀パーティーの後、僕は酔い潰れて歌舞伎町の路上で眠ってしまった。それで警察に起こされ、ポケットから覚醒剤が出てきた。

 心当たりはないが、酒のせいで記憶もなかった。僕は逮捕されて起訴されて有罪になった。執行猶予は付いたものの、教師という職も、婚約者も、社会的信頼も、全てを失った。

 僕は、一人になった。

「ホント、陽だけだよな。僕の味方は」

「この世の中、誰が味方で敵かなんて分からねえ。ただ、これだけは言える。ウチは信用してくれて良いべさ」

 陽は静かに言って灰皿に煙草を押し付けた。

「そうだよな。僕は、陽だけは信用できる」

 中学三年の秋。僕と陽はあの汚れた畳の上で誓った。

 あの男の顔が忘れられない。あの男は毎晩のように僕の夢に現れる。いかに陽が助けてくれようと、忘れられない。

 僕は、人を殺したんだ――。


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