第21話 何にせよ、あの偽欣怡を捕まえねえとな

 一階のロビーに下りてきた。

 病院とは思えないほど賑やかな雰囲気。待合ベンチでは患者がポテトチップスを食べているし、スマホで電話している看護師もいる。

「これぐらいガヤガヤしてる方が良いベ。話も聞かれにくいし」

 台湾の医療業界は日本よりも早く新しい技術や機器を導入し、海外の免許を取得している医師も多いという。しかしこのフランクな雰囲気だ。医師はTシャツの上に白衣を羽織っただけだし、看護師はハーフパンツの人もいる。受付がロビー中央なので、検尿を提出する時に全員に見られるらしい。

「どうなってんだよマジで」

「ワケ分かんねえし、ウチが聞きたいよ。とにかく、ウチらの知ってる欣怡は偽物だったって事さ」

 壁にもたれた陽が額を押さえる。

「何にせよ、あの偽欣怡を捕まえねえとな」

 僕は目だけで陽に向く。

「どうして」

「決まってんだろ。撮れ高だよトレダカ。こんな急展開、撮影してYouTubeにアップするしかないだろ。それに、このままじゃ後味悪い。捕まえて吐かせるっしょや」


 病室に戻った僕ら。先ほどと空気は打って変わって、病室では欣怡を交えた家族が談笑していた。

 欣怡は僕を見つけるなり立ち上がった。

「ハルトサン、TVミマシタ! ワタシハ、アニタデス」

 拙いながらも日本語で自己紹介する欣怡。手元にメモ紙を隠し持っている。ヨシオさんに日本語の挨拶を教えて貰ったのだろう。

「それにしても……デカいな。凜風も、こんなに大きかったべか?」

 いや、とヨシオさん目を細める。

「欣怡は特別だ。誰に似たのか大柄で人懐っこい」

 小五で体重50キロを超えていたらしい。台湾は食事が高カロリーな上に、常に何かを食べられる環境にある。成長期の子供が台湾食を摂取し続ければ、彼女のように巨大化しても不思議はない。

「凜風は補習班じゅく通いだったが、欣怡はそうでもなかった。自由奔放に育った結果が、これだ」

 ピアノにバレエに英会話に、そして塾。台湾の小学生は習い事を詰め込みがちだ。ほとんどの子は学校から帰って習い事の課題をこなす。学校の宿題も少なくない。

「如果減肥體重增加了!」

「うっそ、マジかよ!」

 欣怡と陽が楽しげに話している。

「高校の時に軍訓教官に一目惚れしてダイエットしたんだとさ。したら筋肉が付いて余計にデカくなったって。なまらスゲえな。そこらの野郎より頼もしいべ。女子だけど、もう兵役行っちゃえよ!」

 台湾の男子には、四ヶ月の兵役が義務づけられている。そのため高級中学(高校)で射撃訓練があるらしい。実弾を使うので、もちろん軍訓教官の指導の下に行なわれる。訓練と言っても三年間に一度だけ。それもたったの五発。

 高校卒業後の進学先は『大専校院』、いわゆる大学・専科学校・独立学院・科技大学に分かれる。

「独立学院って?」

「単科大学って分かるべか。ようはユニバーシティとカレッジの違いさ。大学ユニバーシティってのは、十二以上の学科と三つ以上の学部を設置しなきゃいけない。その条件を満たしていない大学カレッジが独立学院っていうべ。ジョジョなんかが通ってんのが独立学院だな」

 台湾の大学受験も熾烈らしい。まさに受験戦争。中堅大学では学歴の価値がない、と言われるほどのシビアさだ。

 欣怡は台中の教育大学へ進学。小学校教諭を目指して、講義にレポートにボランティアにと、忙しい毎日を過ごしている。

「ハルト、ハルト。Facebook」

 スマホを突き出してくる欣怡。Facebookのフレンド申請を求めているらしい。申請が済むなり、欣怡は僕の過去の投稿に片っ端から『いいね』を付けていた。

「まあ何にせよ、ヨシオさんが無事で良かった」


 淡水から台北市内までの道のりは遠い。

 国道に沿ってゆっくりスクーターを走らせる陽。彼女の背中にしがみついた僕は辺りの景色に目を泳がせる。淡水河に夕陽が沈んでゆく。

「陽、どう思う。欣怡さんの件」

「偽者の事か。わざわざ嘘ついて依頼したってワケだ。こりゃ何か、裏があるだろうな」

 やがて排気ガスの臭いが濃くなる。台北が近付いている。

 店に戻ると、夜の八時を回っていた。夕食時を過ぎていたので、客足は落ち着いている。

「お帰り。大丈夫ダッタの?」

「大丈夫だったよ、意外と元気そうでビックリしたけど」

 ジョジョの手元のスマホからは動画の音声が漏れている。またナントカという日本の旅系YouTuberの動画だ

「それより妙な事があってさ」

 妙な事? とジョジョが聞き返す。

「あの欣怡、偽者だったよ」

「ニセモンッ!」

 ま、そういう事だべ、と陽は店の奥へ入ってゆく。

「ったく汗かいたべさ。シャワー浴びてくるわ」

 のそのそと階段を上がってゆく陽。

 僕はテーブルに着いて突っ伏す。色々と疲れた。腹が減った。そう言えば夕食がまだだ。

「ハルトさん……アレ」

 不意にジョジョがやってきた。

「どしたの。ヒソヒソ話しちゃって」

「何か、いるヨ」

 ジョジョは顔を上げず店の入り口を指差す。僕は目を向けた。

「おう、旦那。今アンタだけカ」

 アキラだ。

 開襟シャツから覗く胸の刺青。オールバックの人相の悪い顔をして、ずかずかと店の中へ入ってくる。

「姉サンは?」

「……風呂、ですけど」

 答えると、アキラは不愉快そうに舌打ちした。

「旦那、立テ」

 アキラが乱暴に僕の腕を掴む。ジョジョが短い悲鳴を上げた。

「な、何すんだ!」

「アンタにも用があるんダ、外で話すぞ」

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