第14話 マフィアの人ダね。こわいから近付かない方が良いヨ

 店に戻ると、チェン刑事が奥の席に座っていた。

 陳刑事と目が合った。面倒臭い事になりそうだ。苦笑いで「ニーハオ……」と挨拶しておくと、陳刑事は鋭い眼光で僕を睨む。

「冥婚男人嗎。請坐在這邊ッ!」

 なにか早口で喋っている。僕が「えっえっ?」と戸惑っていると、陳刑事は僕の腕を掴んで引っ張る。

「冥婚男、こっちに座れッテサ」

 オムソバを持ってきたジョジョが訳してくれた。

「コノ人さっきからうるさいヨ。ヤマナはどこダー、ヤマナはどこダーッテ。シャチョーは留守だッテ言ってるのに」

 焼きそばを豪快にすする陳刑事。ソースが僕の手に飛び散った。食べながら何かを高速で喋っているが、僕には分からない。

 陳刑事は食べ終わっても動こうとしない。大きなゲップをし、腕組みして座している。

「正是今天、揭發那個女人的原形」

 ジョジョが「今日こそヤマナの正体ヲ暴いてやる、ッテ」と訳す。

 陽の正体、か。

 陳刑事は陽が地元暴力団と関わりがある、と踏んでいる。暴力団。僕は見た。路地で見た事は、言わない方が良いだろう。

 こう見えて陳刑事は鋭いかもしれない。凜風の死についても、僕らと同じく他殺の線を疑っている。

 陳刑事は「回去!」と百元札を置き、ガニ股歩きで出て行く。

「やっと帰ッタよ」

 ジョジョが食器を下げてゆく。どこか清々しい顔だ。

「ハルトさーん、一人でご飯食べられましタかー」

「ああ、ついでに散歩してきたよ」

 ふーんがぁ、とジョジョは相槌を打ちながらテーブルを拭く。

「散歩デモ西はダメだよ。危ないカラ」

「えっ、龍山寺の西側って事?」

 陽がいた路地のあった方角だ。

「あっちヘイシェーフイの人たちいるカラ」

 へいしぇえ? と聞こえたまま繰り返すと、ジョジョは伝票の裏に『黑社會』と鉛筆で書いた。日本風に書くと『黒社会』となる。

「マフィアの人ダね。こわいから近付かない方が良いヨ」

 字面から意味は察せた。日本語で言う暴力団だ。龍山寺周辺には黑社會ヘイシェーフイ黑道ヘイダオとも)と呼ばれる台湾マフィアの縄張りがあるという。この辺りの風俗店や蛇料理屋は黑社會が取り仕切っているらしい。

 やはり陽が会っていたのは黑社會の人間か。

「どーシタのハルトさん。顔がムズカシイよ」

「いや、何でもないから。大丈夫」

 陽、何をしているんだ。


 午後五時前。

 店先に陽のスクーターが止まった。陽はステップに置いたビニール袋を足で挟んでいた。青ネギがはみ出ている。

「陽。どこ行ってたんだよ」

「見りゃ分かるべ。買い出しっしょや」

 厨房にビニール袋を置く。卵や大量の鰹節が出てきた。

「買い出しって、どこまで」

北門ペイメンの方だよ。迪化街ディーホアジエに市場があって、そこらで食材買ってんだ。香辛料なら何でも売ってんだよ」

 陽は目を細めて笑顔を見せる。僕は彼女を遮った。

「遅くないか。もう二時間は経ってるぞ」

 僕は陽の目を真っ直ぐ見据える。陽も食ってかかるように僕を睨み返した。

「食材選びにこだわるのは当り前だべ」

 陽はネギを一束掴んで厨房へ入ってゆく。

「おい、待てよ。そんなので納得できるかよ」

「はいはい。この話はおしまーい」

 陽は何かを隠している。


 僕は二階に上がってソファーに沈み込む。

 陽が密会していた、あの男。黑社會の人間と見て間違いなさそうだ。陽は黑社會と何の繋がりがあるのか。

 何気なしに僕はスマホの画像フォルダを開いた。僕の妻、劉凜風の写真が表示される。

 ヨシオさんから送られた凜風の画像。彼女は若々しい笑みを向けている。彼女の笑顔を見ていると胸が苦しくなる。故人の写真は笑顔であればあるほど、気の毒に見える。

「あー、おしまいおしまい。陽の事で変な想像するのやめよ」

 僕は陽のMacBookを開き、動画編集ソフトを立ち上げた。陽から撮影した映像のカットを頼まれていた。作業しながら変な考えを忘れよう。

 陽のスマホから取り込んでおいた動画を確認する。僕と凛風の結婚式の映像だ。凛風の位牌と僕に向かって大量のフラッシュが焚かれていた。

 思えばここから今回の一件が始まった。

 僕はトラックパッドを爪で叩き、指先を見つめる。これは陽がいつも使っているパソコン。店の収支やYouTubeチャンネルの依頼のやり取りも、このMacBookで作業している。

「少しだけ。少しだけだから、本当に」

 陽が悪い事をしているかもしれない――、その僕の考えを否定したかった。神経質な僕自身に陽の潔白を証明したかった。

 魔が差してしまった。僕の指は陽のメールボックスへ伸びていた。するとパスワードの入力を求められる。

「そ、そうだよな。そりゃパスワードくらい掛けるか」

 僕は冷静に戻る。やはり覗き見など悪趣味だ。しかし頭の中では陽の誕生日や、好きなミュージシャンを思い出そうとしている。

 僕はキーを叩く。『youyamana』『osakanoshouyou』思いつく限の言葉を入れるが解除されない。そこで僕は、ダメ元である数字を入力してみる。

『1004』

 するとロックが解除され、メールボックスが表示された。

 僕は口元を覆う。『1004』。僕の誕生日だ。背中に冷たい汗が滲んだ。どうして僕の誕生日をパスワードに。僕は目を擦ってメール一覧を見渡した。

 陽宛のメールの差出人の名前が羅列されていた。台湾人らしき見慣れない漢字の名前も多くある。

 僕からのメールもあった。八月二十五日という事は、僕が台湾に来た日だ。北海道の新千歳空港から『今から行く』と伝えた時だ。

 その前後に『劉芳雄』という名前も複数ある。ヨシオさんからだ。僕は台湾華語が分からないので、陽を通して連絡してもらっていた。結婚式の段取りを取り継いだのも陽だ。

 メールボックスを見ていて妙な事に気付いた。僕はそのメールの送り主の名前と、受信日時を見比べる。

【劉芳雄――2022/08/23 10:37】

 あり得ない――。

 僕が台湾に来て紅包ホンバオを拾ったのは日。それがきっかけで僕と凜風の冥婚が成立した。つまり凛風の一家と関わりが出来たのも八月二十五日だ。

 ヨシオさんからのメールは日。

 僕が冥婚する二日前からやり取りがある。その日だけではない。八月二十日、八月十八日もあった。

 最も古いメールは八月十一日。凜風が死んだ日だ。

 どうして冥婚騒動より前からヨシオさんとやり取りしている。考えたくはないが、やはり陽が凜風の死に関与しているのか。

 僕はカーソルを八月十一日のメールに合わせる。指先が震えていた。こんな事をしてはいけないのは分かっている。しかし陽への疑いを晴らすにはメールを見るしかない。

「なに見てんだ――」

 陽の声。心臓が竦み上がった。

 ドアを振り向くと、エプロンを掛けた陽が苦笑していた。見られていた。鳥肌が逆立ち、毛穴から冷や汗が吹き出す。

「困るベ。仕事の書類も入ってんだからさぁ」

 僕は素早くメールボックスを閉じる。

「ご、ごめん。新着メールの通知が来て、たまたま触ったら開いちゃったんだよ」

「なーんだ。そういう事ならしゃーないか。誰からのメールだった?」

「いや。そこまでは見てないから、分かんないよ」

「そかそか」

 大きく二度頷く陽。僕の肩の力も抜けた。陽はけらけら笑いながら店へ降りていった。

 上手く誤魔化せたか。一気に肩の力が抜けた。僕は冷や汗を拭い、再びメールボックスを開く。

「……え」

 ヨシオさんからのメールが、全て消えている。

 いつの間に消えた。僕はキーボードに指をかざしたまま硬直する。いつ消えたのか。考えられるとしたら、今だ。

 陽が、スマホから消した。

 そうとしか考えられない。陽は僕が勝手にパソコンを使っているのを見て、ヨシオさんからのメールを削除した。つまり、あのメールは陽にとって都合が悪いもの。見られてはいけないもの。

 僕はメールボックスを閉じた。

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