第13話 う、うわぁ。ヤクザじゃん
台北に戻ってきたのは午後三時過ぎ。
平日でも台北駅は混雑する。台北捷運(MRT・地下鉄)と台湾鐵路(JRのようなもの)と台湾高速鐵路(新幹線)の三つの路線が交わる。いわば国土全体のハブ駅だ。
MRTで
『大阪の小陽』ではジョジョがビーチサンダルを脱ぎ散らかし、テーブルに突っ伏して昼寝していた。
「あれ。陽はいないの」
呼び掛けると、ジョジョは気だるそうに顔を上げる。
「ご飯でも食べに行ッタんじゃナイ?」
僕も昼食をとっていない。言われてみれば腹が減ってきた。僕は昼食を求めて街へ繰り出す。
八角の甘い香りが鼻を衝く。台湾特有の匂いだ。漢方薬みたいな臭いなので日本人の感覚では食欲をそそる匂いとは言えないが、嫌いではない。ときどき動物園の象の臭いがすると思ったら、
財布には現金が五百元ちょっと。コンビニやMRTで使える悠遊カードというICカードに残高が百二十元。台湾では百元(およそ四百円)もあれば食事には事足りる。
適当に入った店で、
見た目と味のギャップに驚かされたが、慣れたら上手く付き合っていけそうだ。しかも二品で百元以内に収まった。
台北でもディープな街と言われている龍山寺。薄暗い商店街では平然と豚の解体をしているし、地下街には占い屋やパワーストーン屋が密集している。たまに空きビルらしき寂れた建物もある。
昼間は龍山寺への参拝客も多く、観光地として有名だ。ただし夜は出歩かない方が良い。この辺りは台北でも治安の悪いエリアだ。
陽はこういう環境に身を置きがちだ。危険なにおいに惹かれて身を委ねているのかもしれない。
陽は昔から素行は良くない。幼稚園の頃は男子をよく泣かせたし、陽と遊ぶのを禁止する家もあった。今となっては口も悪いし、和彫りの刺青が肩から腕まで入っているし、典型的な近寄りがたい人だ。
陽も容姿は悪くない。ちゃんと化粧して女らしい服装をすれば、寄ってくる男もいると思う。しかし陽の恋愛を聞いた事がない。金銭目的や遊びで付き合っている男は何度かいたが、ちゃんとした交際は知らない。
陽は自活能力が高すぎる。以前は夜の歌舞伎町で裏社会系YouTubeチャンネルを運営し、今は異国の地で飲食店を経営して生計を立てている。陽は一人で生きてゆける。誰の力も借りずに。
僕は駅の西側へと歩いてゆく。この先は観光地でもないようだ。初めて通る道。どこか街並みが陰気になってきた。薄暗いアーケードで、
「な、何だよ。ここ……なんか気味悪いなぁ」
路地に並ぶ雑居ビル。そのうちの一つのシャッターが半開きになっていた。足元に吸い殻が散乱している。その薄汚いフィルターに目が留まった。
「この煙草って」
他の銘柄の半額ほどで売っている物だったはず。たしか以前に陽も吸っていた。
屈み込むと、シャッターの隙間から異様な瘴気のようなものが漂ってきた。臭い。犬や猫でも死んでいるのか。じっと見ていると、薄闇から拳ほどの大きさのゴキブリが這い出して来る。僕は思わず短い悲鳴を上げた。
引き返そうとした時、アーケードの先に後ろ姿が見えた。
黒のタンクトップにハーフパンツ。足元はビーチサンダル。ひとつ結びにした髪が後ろで揺れる。左の肩口から肘の下まで埋め尽くすように施された虎の刺青。
間違いない。陽だ。
僕は軽トラックの陰に身を潜める。何をしているのだろう。
陽は落書きだらけの路地を足早に進んでいった。僕はビンの破片を踏みしめて追ってゆく。湿っぽい路地に室外機が無数に回り、むせ返すような熱気が立ち込めていた。
陽は角を曲がる度に辺りを見回している。誰にも見られていないか確認しているのか。両腕を広げれば壁に触れそうな狭い路地。進めば進むほど陰気さが増してゆく。
さらに進むと『制服店』『按摩』『三温暖』と書かれた看板が並んでいる。恐らく風俗店だ。夜になればオープンするのだろう。
「你準時來了」
曲がり角の先から男の声がした。身を屈め、角の先を見据える。
「遵守約定。因為是買賣所以」
陽だ。中国語なので分からない。男と何やら話している。
僕は息を殺す。それにしても恐そうな男だ。オールバックの髪、耳には金のフープピアス。タンクトップから伸びる太い腕には龍の刺青が手首まで巻き付いている。
「う、うわぁ。ヤクザじゃん」
台湾では老若男女タトゥー率が高いが、あの男は街で見た若者とは異質だ。どう見ても堅気の者ではない。
「什麼ッ!」
とつぜん陽が声を荒げた。
「喂喂、平靜下來」
男が陽を宥めているようだ。男が陽の肩を叩くと、陽は短く息を吐いて頷いた。
すると陽はポケットに手を入れ、何かを取り出した。
お金だ。
「……是有錢人」
男は金を受け取り、紙幣の枚数を数える。おそらく全て千元札だ。二十枚はあっただろう。という事は八万円相当。大金だ。
金の受け渡しが終わると二人は別れる。陽がこちらへ来る。
僕は慌てて駆け出した。汚い路地を走り抜け、表の通りまで逃げる。湿った壁に背中を付け、大きく息をついた。
見てはいけない物を見た気がする。
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