第7話 したっけ晴人に任せるわ

 翌朝、僕らは三人で街へ出た。

 深夜に帰す訳にもいかないので欣怡シンイーもアパートに泊めた。よほど疲弊していたのか、硬いソファーでもぐっすり眠っていた。

 陽はスマホで自分を撮影しながら歩いている。

「さてさて、とんでもない事態になったべさ。昨日、晴人が冥婚した女の子……なんと他殺だったんだ!」

 目を見開いてカメラに近付く陽。彼女は凜風殺人事件(仮)の捜査にノリノリだ。間違いなく百万回は再生されると意気込んでいた。

「なのに警察は信じてくれない。それで妹ちゃんがウチのチャンネルに依頼してきたってハナシだべさ。おぉおぉ可哀想になぁ」

 しかも依頼者が妹の欣怡というのもドラマティックだし、他殺と言うのも信憑性がある。

「おっしゃ、絶対に犯人を捕まえっぞ。チャンネル登録カモーン!」

 朝食は豆漿トウジャン屋で済ませる事にした。

 朝飯時の店は行列が出来るが、回転が速いのですぐに席が空く。意外と早く席に通された僕ら。注文用紙にオーダーを書いて店員に渡すと、程なくして三杯の豆漿が運ばれてきた。とにかく早い。

「揚げパンを豆乳に浸したヤツさ。シリアルみたいなもんだよ」

 一口食べてみる。とんでもなく甘い。豆漿が一杯25元。1元を4円で計算すると、たった百円。

 通貨はユェン。圓と表記される事もあるが発音は同じだ。他にもNTD(ニュータイワンドル)・NT$・TWD(タイワンドル)と表記されるが、全て同じ『元』だ。

「豆乳にも砂糖が入ってるからな。信じられねえ甘さだろ」

 台湾人は基本的に家で料理する習慣がない。朝食は通勤途中に外食するか、途中で弁当を買って職場で食べる。日本人と違って冷めた米を食べないので、大概は店で食べて学校や会社に向かうという。

凜風リンファさんのアパートって新北シンペイ市の泰山タイシャンの方だっけ。欣怡さんが場所知ってるんだよね」

 僕の言葉を陽が訳すと、欣怡は小さく頷いた。正確な住所は欣怡から聞いていて、陽がGoogleマップに登録してる。

 今日からアパート周辺の聞き込みを始める。YouTuberというか探偵みたいな仕事だ。なぜか僕も駆り出される事になった。

「で。この子も陽のチャンネルに出演するの」

 そうなるね、と陽はにやりと笑む。しかし大学の事もあるので顔出しはNGらしい。後でモザイクを掛けるのは晴人の編集作業になるようだ。

 シナモン風味の豆漿を一気にかき込む。甘い。外を眺めると人通りも増えていた。日が高くなると南国の暑さが顔を出す。表の公園には老人たちが日陰に集まって体操(たぶん太極拳)していた。

「不思議な国っしょや。顔も日本人と似てんのに、生活習慣や文化が結構違ってるべ」

 台湾の面積はおよそ三万六千平方キロメートルで、九州より少し小さいくらいの大きさだ。その中に二千三百万人が暮らしている人口密度の高い国だ。

 沿岸部の平地に人口が集中し、中央は険しい山岳地帯になっている。台湾最高峰の山は玉山ぎょくざんで、かつては新高山にいたかやまと呼ばれていた。日本統治時代は日本一高い山はここ台湾の新高山であり、富士山は日本で六番目だったという。

 民族も多様だ。同じ漢民族でも戦前から台湾で暮らしている本省人ほんしょうじん、戦後に渡ってきた外省人がいしょうじんと分けられる。タイヤル族・ブヌン族・アミ族などの原住民も少数いるが、八割以上が本省人だ。

 陽のような商業移民も珍しくない。外僑がいきょう居留証を持つ日本人は一万二千人以上。エンジニアや教師としての長期滞在者もいる。

「ウチら日本人には分かりにくいけど、台湾には言語の種類が多くてね。ウチも北京語ならちょっと話せんだけど、それ以外はサッパリでさ。地下鉄でもアナウンスを四種類も流すんだ」

 公用語である北京語、外国人向けに英語、他に閩南ミンナン語、客家ハッカ語が流れる。乗り換えの多い駅では日本語のアナウンスもある。台湾人同士でも、世代間や出身地によって言葉が通じないケースも珍しくない。

「じゃあ欣怡さんが喋ってんのも北京語なの?」

「そだな。若い人は百パーセント北京語を理解できるベ。戦後は学校で習う言葉が北京語になったからな」

 後で凜風の轉後頭タンアウタウで実家に行くのだが、北京語ならスマホの翻訳アプリで何とかなりそうだ。

「啊! 在這樣的地方做著什麼!」

 店先で角刈りの男が怒鳴った。

 僕らの方に指を向け、すごい剣幕で迫ってくる。僕は肩をすくめたが、陽は飄々と笑っていた。知り合いか。

「何してんだ、って朝飯食ってんだよ。見りゃ分かるっしょや」

「用明白的言詞對我說!」

 はいはーい、と面倒そうに手を振る陽。男は陽の前で腕組して立ちふさがる。

「誰、この人」

「台北市政府警察局のチェン刑事だよ。うちの近所の萬華ワンファ分局の所属だってさ。毎度毎度うっとうしい奴だな」

 陳と呼ばれた刑事は早口で陽をまくしたてる。

 顔を真っ赤にして怒っている陳刑事。色褪せた黄色のポロシャツにハーフパンツ、靴だけはビジネス革靴。変な格好だ。

「てか刑事って。陽ってば、何やったんだよ」

「何もやってねえべ。どうやらウチ、この人に目ぇ付けられてるらしいんだ」

 僕は陽を覗き込む。

「何もやってないのに?」

「いやあ、怪しい外人なんだってさ、ウチ。裏社会系YouTuberだし。それでウチも、麻薬売買とか犯罪の片棒担いでんじゃねえかって疑われてんの」

 陳刑事が僕と欣怡の顔を嘗め回すように見る。四角い顔の血走った目が近付いてきた。陳刑事は「是誰!」とまた声を荒げた。

「こっちはウチの幼馴染。テレビ見てねえのかよ、死んだ子と結婚式やってたじゃん。んで、こっちが嫁さんの妹」

 説明すると、陳刑事は何やら捨て台詞を残して去って行った。僕が「何て?」と尋ねると、陽は呆れたように鼻で笑った。

「末永くお幸せに、だってさ」


 僕と陽は地下鉄(MRT)で泰山までやって来た。

 この辺りは台北市中心部から離れ、物価も若干安いという。学生街らしく若者が多い気がする。

「こりゃ酷いわ」

 最上階の四階が煤けている。ガラスも割れて鉄骨が剥き出しになっていた。角の窓周りが真っ黒に焦げている。あそこが出火元、凜風の住んでいた部屋だ。

「ここらは人通りが多いわりに道が狭いからな。消防車の到着が遅れたんだろ。それで大惨事ってか」

 二週間前の火災で、三階以上の住民は退去しているようだ。修繕工事が入っているのか、ハンマーやドリルなど機材の音が轟く。

 すると胡椒餅フージャオビン屋台のおばさんが「あああっ!」と僕を指さす。

「是TV映出的人!」

 TVだけ聞き取れた。やはり、あのニュースか。

 どこからともなく人が集まり始めた。スマホを取り出して撮影する者もいる。一緒にツーショットを撮ろうとするおばさんもいた。

 陽がスマホのカメラを立ち上げ、集まった人たちから話を聞き取っている。人々は興奮気味に何かを話していた。スムーズな聞き込み調査だ。そこで僕は察した。

「もしかして。このために、僕を」

 僕を客寄せパンダにして、陽は見物人たちに聞き込んでいった。一時間もすれば、近隣の情報は大体集まった。

 星巴克咖啡スターバックスコーヒーで涼みながら情報をまとめる。

「近所の人の話じゃ、劉凜風は人付き合いの良い性格だったみたい。アパート前の早餐ヅァォツァン屋で油絛あげパン蛋餅たまごやきを食べるのが毎朝の日課だった」

 その証言は早餐(朝食)屋で聞けた。他の常連客も凜風の事は覚えていた。

「大学じゃ日本語を専攻していて、日本語も堪能だった。日本人観光客の道案内もしてたらしいべ。良い子じゃねえか」

 そこで新情報さ、と陽は煤けたアパートの一室を指さす。

「凜風にはルームメイトがいる」

「ルームメイト。同じ大学に通ってる学生さん?」

 こくりと陽は頷いて続ける。

「そうゆう事。火災が発生した時は夏休みだったから実家に帰省してたんだってさ。運の良いこった」

 ルームメイトの帰省が六月下旬頃。事故が起きた時、アパートには凛風しか住んでいなかった。

 すると陽が顔を顰めてぼやく。

「ちょっと妙な事があってさ。凜風はあの早餐屋には毎朝通ってたんだけど、先月からパッタリ来なくなったんだってさ」

「生活費節約で自炊を始めたとか?」

「台湾人の自炊なんて聞いた事ない。そもそも凜風は『倖福海老』の令嬢だ。節約する必要なんてねえべ。つーか台湾では外食の方が安い」

 そうなのっ、と僕は眉を寄せる。逆にスーパーで食材を買った方が高くつくという。

「同じアパートの住人にも聞いたけど、家の出入りはあったみたいだし、長いあいだ家を空けてたってワケじゃなさそうだ」

 そっか、と僕はコーヒーに口をつける。

 外は暑いが、室内には強烈な冷房が入っているのでホットでも充分だ。僕は陽に目を遣る。

「先月だろ。その頃、凜風さん何か言ってなかったかな。その頃に何かあったかどうか。実家の両親に聞けば何か分かるかも」

 なるほど、と陽は手を叩いた。

「したっけ晴人に任せるわ」

 僕は目を見開く。「えっ、僕?」

「だってこの後、里帰りするべさ。凜風の」

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