第3話 結婚してない女の霊はネ、孤娘《グーニャン》ッテいう

 冥婚めいこんという風習らしい。

 落ちている赤い封筒を拾ってはいけない――、というのは台湾の常識だという。拾った男性は死んだ女性と結婚するしきたりだ。その風習を知らなかった僕は見事に引っ掛かってしまった。

 僕を取り囲んだ中年男たちは、死んだ女性の家族。あのポロシャツはげ頭が女性の父親だ。水産会社を営んでいるらしく、他の男たちは従業員だという。封筒の近くに遺族が隠れていて、通りすがりの男が封筒を拾うと遺族が殺到して捕獲するという手口だ。

 こうして僕とリウ凜風リンファの冥婚が成立した。

「ビックリしたなあ。なまら豪華な式だったべさ!」

 からっとした陽の声が飛んできた。

 陽の経営するお好み焼き屋『大阪の小陽』に帰ってきたのは午後九時半すぎ。今日は式やら親戚への挨拶やらで疲労困憊だ。

「こっちの結婚式は午前中スタートが普通なんだけど、冥婚の場合は午後スタートなんだな。遅くなっちまったべさ」

 テーブルに焼きそばが置かれる。目玉焼き乗せだ。

「ところでさ、なんで『大阪の小陽』って名前なんだよ」

「こっちには『大阪焼』っていうお好み焼きの亜種があるんだ。だから大阪って付けたの。それにこっちの人は『の』って文字が好きなんだよ、いかにも日本っぽくて」

 札幌出身の陽が堂々と大阪を名乗っている。ちなみに小陽シャオヤンは『陽ちゃん』的な意味らしい。時々『小腸』と読み間違えられホルモン屋と思われるという。

 台湾は日本に占領されていた過去があるが、かなりの親日国だ。日本の文化も受け入れられやすい。地下鉄(MRT)には渡辺直美の広告がデカデカと貼ってあった。

「それにしても冥婚か。良い画が撮れたべ」

 陽はスマホのカメラを僕に向け、にやにや笑っている。

「もしかして、今日の結婚式もアップするのか」

「もちろん。こいつは再生数稼げるべさ」

 陽はジャーナリストを自称して『陽ちゃんの闇CH』というYouTubeチャンネルを運営している。

 日本にいた時は歌舞伎町のヤクザや半グレから取材して裏社会の情報を発信していたが、台湾に来てからは台湾の裏社会に切り込んでいる。最近では台湾人の視聴者も増えているという。

 僕の冥婚騒動もYouTubeチャンネルのネタにされるらしい。

「晴人も動画編集ぐらい手伝えよ。タダで住ませてやってんだから」

 陽は昔からとんでもない奴だった。

 山名陽と出会ったのは幼稚園の頃。気の弱い僕は陽の家来にされた。家も近かったせいで、公園へ行く時も雪遊びする時もお供させられた。

 陽は高校へは進学せず、家庭の事情もあって独り暮らしになった。金払いの良いバイトを求め、すすきの界隈のぼったくりバーのキャストをしていたのが十七の頃。

 バーが摘発された後は、反社組織の下請けの窃盗団に入っていた。やがて脱法ドラッグの売人プッシャーみたいな悪い仕事もしていた。刺青を彫ったのもその頃だ。

 僕が就職で上京した時、陽も一緒に東京へ出た。そこでも歌舞伎町界隈で悪い仲間とのネットワークを広げていった。仕事の依頼人に中国人も多く、北京語の話せる台湾人青年とコンビを組んでいた。それで多少の台湾華語は話せるようになったらしい。

 そして二年前、陽は台湾へ移住し、ここ台北に『大阪の小陽』をオープンした。裏稼業に勤しんでいたかと思えば、なぜか今度は飲食店だ。陽の考える事は分からない。

「お好み焼き屋だけで食っていけんの?」

「まあ厳しいわ。だから小遣い稼ぎやってるべ、コイツで」

 陽はスマホをプラプラ振る。『陽ちゃんの闇CH』の登録者は一万人を超え、月五万円ほどの広告収益が出ているという。陽のサバサバしたキャラクターも人気らしい。

「ったく。たくましいね、陽は」

 社交性の高い陽は強い。台湾人の視聴者からの取材依頼や持込み企画にも応え、ちょっとした有名人になっている。西門町シーメンディンなど繁華街を歩いていると不良っぽい若者に声を掛けられる事もあるという。

 すると陽が店のテレビを指さした。

「見ろよ、晴人ってば有名人じゃん!」

 今日の結婚式の様子がニュースで放送されている。平和な台湾ではちょっとした事でもニュースになる。スクーターの接触事故でもテレビで報道されるくらいだ。

「冥婚って、そんなに珍しい風習なのか」

「ウチも噂には聞いてたけど、って感じだわ。最近じゃ滅多にないんじゃねえの。ま、詳しいところは本場の台湾人に聞いてみっか」

 陽は厨房に向かって「おーい、ジョジョ」と呼ぶ。

「ハイハーイ、なんデすか!」

 タオルを首に掛けた青年が厨房から顔を出す。工読生バイトのジョジョだ。

「おー、ハルトさーん。恭喜ごんじー恭喜ごんじー!」

 本名はワン梓豪ズーハオ。ジョジョというのは彼の英名イングリッシュネームだ。

 台湾では中学の英会話の授業で使用した英名を、大人になってもニックネームに使い続けるらしい。

「で、オレに何か用デスか」

 彼の英名は『ジョジョの奇妙な冒険』の主人公に由来している。彼は哈日族ハーリーズーと呼ばれる、いわば日本サブカルおたくだ。その影響で日本語も堪能だ。

「冥婚ってさ、ポピュラーじゃないの?」

「ンな事ないヨ。少なくトモ台北みたいな都会であるなんて、信じらんないヨ」

 やはり現代ではかなり珍しいらしい。

「落ちテル紅包ホンバオは拾うなッテ、子どもの頃から言いつけられテルよ」

「ウチも聞いた事あるべ。高校生が道端で紅包ホンバオ見つけて通報したんだけど、警察も拾うに拾えなくて大変だったとか」

 現代では少なくなったが、今なお台湾人の精神には深く根を張っているようだ。

「そもそも、どうして死んだ人と結婚しなきゃいけないんだよ」

「台湾だと未婚女性は家で供養できないんだ。理由は知らねーけど」

 陽が言うと、厨房からジョジョが付け足す。

「結婚してない女の霊はネ、孤娘グーニャンッテいう。孤娘は家族に悪い事を持ってくるんだヨ」

 未婚女性を家で供養すると祟りがあるそうだ。それで死んだ後でも籍を入れさせよう、という訳だ。

「男は家族と祖先に見守られテ死ぬ。でも女が実家で亡くなッタら、ちょット違う。あんまり目立ッタらダメなんだ。昔だッタら玄関から出ないデ、裏口から遺体を出さなきゃだッタよ。裏口がなけりゃ壁に穴を開けて棺を持ってったんだッテ」

「そっちの方が目立つ気がするけど……」

 僕は眉をひそめる。

神主シンヅウモ目立たないトコロに置かなきゃダヨ」

 ジンヅウ? と聞き返すと、陽が「位牌の事だべ」と補足した。

「女の人の神主は戸口の裏とかキッチンの隅とかに置く。トクに昔は、未婚女性の死者は一家の恥ッテ言われてたんだよ」

 未婚女性の霊は、速やかに家から追い出さなければならないという。

 陽が人差し指を立てて話し出す。

「冥婚の風習は日本でもあるべ。東北のごく一部だけど、死者同士の結婚式を描いて奉納するムカサリ絵馬があるし、沖縄だと奥さんの先祖の位牌を婚家に持ってくるグソー・ヌ・ニービチなんかが残ってるよな」

「陽も詳しいな」

 僕が感心すると、陽は得意げに鼻の下をこする。

「台湾版は娶神主ツァシンヅウって言ってさ、日本語にすりゃ位牌結婚って感じかな」

 あ、あぁ、と僕は小さく頷く。

「娶神主のパターンは三つ。一つは婚約後の女が死亡した時、位牌を相手の男に嫁入りさせる。二つは婚約後の男女が両方死亡した場合、位牌同士で結婚させる。三つめは婚約していない未婚女性が死んだ場合、位牌を生きている恋人もしくは友人知人と結婚させる。晴人の場合は三つ目のパターンに近いかな」

「んー、顔見知りでもなかったけど」

「ハルトさんみたいニ、知らない人同士のパターンもよくあるヨ」

 洗い物を終えたジョジョが厨房から出てきた。

「台中の彰化チャンホワのケースだト、亡くなった娘サンがお父サンの夢に出て『結婚したい!』って言った。それでハルトさんみたいに道で捕まッテ結婚したッテの聞いた事ある。保安バオアンの方じゃ家族の病気が治らないのが死んだ娘サンのせいになッテ、結婚を申し込んダのトカ」

「冥婚ってのは良い事づくめだべさ。相手の家と親戚になるワケだから金銭的な援助ももらえるんじゃないの。たしかあの子って社長の娘だったよね。玉の輿じゃん!」

 凜風の家は曽祖父の代からの水産会社だという。『倖福海老ハッピー・シュリンプ』という基隆キールン市では有名な企業で、エビの養殖と輸出を事業としている。

「昔は呪いがコワイから無理に結婚しテタけど、最近は運気アップのために自分から冥婚を申し込む人もいるんダッテ」

「奥さんの神秘的パワーで運気が上がるって話だね。いーよな男は。ウチも男だったら絶対に冥婚申し込んでたべ。金も儲かるし」

 陽はケラケラ笑う。完全に他人事だ。

「でもシャチョーは無理ダヨ。心がキレイな人じゃないと、紅包が見えないゾ。もし見つけテモ幽霊から断られるんダッテ。『拾うな!』って声が聞こえるトカ」

 ジョジョはモダン焼を持ってくる。彼の夕食だ。

 台北市内の大学に通うジョジョは、中正区のアパートを友人三人とルームシェアしている。いわゆる貧乏学生だ。台北の家賃は高騰している。ここでのまかないメシは重要な食糧だ。

 ジョジョは金属製の箸を片手に、スマホでYouTubeの動画を開いた。

「お。ウチの闇チャンネル見てんのか」

「チガウ。ふーたんネ」

 またかよ、と陽は苦笑する。

「ほわぁぁ、ふーたんカワイイなぁ」

 ジョジョは画面に食い入って鼻を伸ばしている。

「ジョジョ、何見てんの」

「日本人の旅系YouTuberだってさ。普段はテロップ中心のVLOG形式だけど、たまに顔が映るのが可愛いんだとよ」

 概要欄に『ふーたん旅行記』とある。アジア諸国を中心に旅動画を上げているチャンネルのようだ。

「こんなの何が面白いんだか。ウチの闇チャンネルの方が面白いっしょや」

 ふーたん旅行記の登録者は二万人。陽は対抗心を燃やしている。ふーたんこと比野ひの楓華ふうかは二十歳そこそこの美少女YouTuberで、対する陽は三十路前の裏社会YouTuberだ。可愛らしさとフレッシュさでは勝てるはずがない。

「そんなに好きなら、台北にも来てくれってコメントしろよ」

「したヨゥ。でもTwitter見たら、今は沖縄にいるミタイ」

 ジョジョみたいに日本語を話せて日本に詳しい若者は少なくない。逆に日本人は台湾語を話せないし、台湾の文化もほとんど知らない。

 自分が失礼な人間のような気がした。勉強しよう。

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