第2話 哎呀……。

 僕は死んだ女の子と結婚した。

 まずその経緯から話そう。僕が台北に来たのは昨日。理由は色々あるが、簡単に言えば日本に居づらくなったからだ。

「どーだよ。こんだけ暑けりゃ、な事だって吹っ飛ぶっしょや」

 台湾には幼馴染の山名陽がいる。彼女は二年前に台湾に移住し、台北の萬華ワンホア龍山寺ロンシャンスーの近所でお好み焼き屋を営んでいる。

 陽は50嵐ウーシーランというドリンクスタンドでジュースを買ってきた。陽が差し出したスイカジュースを受け取り、僕らはベンチに掛けた。

「こっちの名物と言えば生絞りジュースっしょ。まあ飲みな」

 極太のストローを吸うと、サラサラとスイカの果肉が流れ込んでくる。冷たくて甘くて、確かに美味い。

 陽は男勝りで、小さい頃から僕らに混じって遊んでいた。男子より運動神経が良かったし、気も強い。十五を過ぎても化粧もせず、今だってノーメイクだ。十代で肌を酷使しなかったのが良かったのか、台湾の気候と食事が合っているのか、今でも二十歳そこらに見える。

 この龍山寺周辺は台北でも異質だ。龍山寺は観光客も多く訪れる仏閣だが、少し離れると灰色にくすんだ古い建物が軒を連ねる。住民の雰囲気もどことなくデンジャーだ。

「スッキリするためにウチんとこ来たんだろ。部屋なら貸してやるし、ビザ切れるまで遊んでて良いべ」

 龍山寺駅前の広場には年寄りが多い。ランニングシャツ短パンでなぜか裸足。刺青をした爺さんも多い。寝転がって煙草を吸ったり、仲間と将棋を打ったり、旧日本軍の戦闘帽を並べたりしている。

「こんなの見てると、確かに忘れられるかもねえ」

 今年の一月、僕は胸に深い傷を負った。あまりに痛くて、あまりに苦しくて、僕はすべてを捨てて逃げ出した。仕事も家族も両親も、全部から目を背けた。

「日本人なら九十日までビザなし滞在可能なんだっけ。どうせだったら期限いっぱいまで居させてもらおうかな」

 僕は背伸びした。排気ガスと炒め物油と八角の匂い。南国の風が僕の鼻腔に入り込んでくる。

 その時、僕の手に何かが触れた。

「ん、何これ。封筒?」

 ベンチにポチ袋ほどの赤い包みが置いてあった。何だろうか、と僕は封筒を拾い上げて中身を覗く。

「えっ。お金」

 千ユェン札が六枚。日本円にしておよそ二万四千円。大金だ。

「これは、写真かな」

 一枚の写真も入っていた。二十歳くらいの若い女性が映っている。

「これって、警察に届けた方が」

 僕が封筒を摘まんでいると、陽は大きく目を見開いていた。

「……あ」

 僕は返す。

「へ?」

 周りの老人たちも一様に目を丸めていた。老人たちは異口同音に「哎呀あいやぁぁっ……」と発する。

 次の瞬間、茂みの陰から中年の男たちが飛び出してきた。

 男たちは野次馬を押しのけ僕に迫り来る。ざっと十人以上いる。あっという間に僕は取り囲まれた。

 するとポロシャツ中年男が前に出てくる。

「恭喜。恭喜。恭喜。正等妳!」

 ごんじー、と繰り返し肩を叩く禿げ頭。すると周りの中年男たちも汗だくの笑みで「ごんじー」と連呼し始めた。

「陽っ! この人ら何言ってんの!」

恭喜ごんじー。オメデトー、君を待ってたんだよ。だってさ」

 人垣から顔を出す陽。僕は「何の事だよ!」と声を張る。

「結婚おめでとう、晴人!」

 中年男たちに囲まれた僕は声を荒げる。「はあ?」

「アンタは、その写真の可愛い子と結婚する事になったんだ!」

 ただし、と陽は付け足した。

「その子、もう死んでるけどね――」

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