第5話 FLAPのドリップ
今日は不思議な始まりかたをした。
夜中に突然目覚ましが鳴るし、わたしはいつもより二時間も早く目が覚めてしまったし、ふと気付いたらココが爪でわたしの髪を梳いているし!? あなたそんなに器用だったっけ?
早起きにしても早すぎるから二度寝することにした。ココがベッドから降りて一階へと走っていったのまでは覚えている。
すこし経ってからもう一度目覚ましに起こされて、ぼさぼさ広がる髪を押さえ付けながら階段を降りた。カフェ「FLAP」は一階がお店、二階が家になっている。カフェにつながるドアのノブはたまにばちってなるので、寝ぼけあたまでもそこは気をつけてカチャっと開けた。
「久しぶりだな、マロン」
「かー」
え。いや「かー」はココのあくびだろうけどちょっと待って。
彼を膝にのせて、コーヒーを飲んでいるその人は──。
「パパ!?」
二、三日休みを貰ってきたんだよ。
パパはココを撫でながらそう言った。
五年ぶりくらいだ。突然パパが軍に戻ってこいと言われて、わたしがFLAPを継いでから一度も顔を見ていなかった。
すこし老けた? いや、ダンディーさが増したという感じかな。ちょっとかっこよくなった。
「でも、なんで休みを貰えたの?」
「上司の気遣いだ。なんでも孫が出来たらしくてな、それで気が緩んだんだろう。娘に会えないのも辛かろうと言われたよ」
パパはそういいながらポケットをまさぐった。ジッポやら小銭やら、いろいろ出てくる。
「お、あったあった」
ことん、と紙の箱がテーブルに置かれた。
黒くてつるっとした、上品なふたに金色の文字でjacksonと書いてある。
「ジャクソン重工業の万年筆だ。お偉いさんがくれたんだが、俺は書類仕事はあまりしないからな、お前にやるよ」
「──いいの?」
蓋を開けてみる。しゅっと音が鳴る。
わわ、綺麗。木材がアクセントで入った、真っ白な万年筆。きらりきらりと輝いている。
「すごくかっこいい。ありがとう!」
わたしがそう言うと、パパはむっふーと得意げにうなった。子供みたいだった。
ふー、と大きく息を吐いて、わたしは撫でられる。
「お前も大きくなったもんだなぁ」
「まぁずいぶん経ったからね、成長するよ」
「そうだな。帰るまで、娘がちっちゃなままな気がしていたよ。それがどうだ、一人前の女になってるじゃねぇか」
「えへへ。伊達にマスターやってるわけじゃないもんね!」
さっき着替えたばっかりのエプロン姿で仁王立ち。腕も組んでむっふーと息を吐く。
「そういうところ、昔から変わらねぇな」
まだまだ子供だな、とパパは笑った。
あれ、なんか悔しいぞ。
ちょうどお昼どきのFLAP。レコードから流れるジャズにのせて、ココが尻尾をすりすり揺らす。パパは煙草を吸いながら、たまに来るお客さんとお話している。
夫婦のお客さんのオーダー、モカとブレンドを淹れているとき、パパと話していた常連さんがこっちに話を振ってきた。
「嬢ちゃんよ、そこのエンジンの話は親父さんに言ってないのか?」
常連のビリーおじさんが指差したそれは、ココのお気に入りのオブジェ。マッケイさんのアリオンMk.Ⅱに載ってたエンジンだった。
「なんだマロン、なにかあったのか? 俺にも聞かせてくれよ」
「わかったけどちょっと待って」
モカとブレンドが先だよ。
カップをふたつ、香ばしい香りで満たす。
木苺のムースと一緒に召し上がれ。
初めましてのお客さん、気に入ってくれると嬉しいな。
さて、と。次はパパ達か。
「お待たせしましたっ」
「おうおう、もうおじさんが半分くらい話しちまったぞ! ハッハッハッハ」
「おうマロン、もう半分くらい聞いてしまったぞ! ハッハッハッハ!」
むー! 少しくらい待てないのかしら! パパとビリーおじさんはコーヒー片手に笑い合う。
「もう、どこまで話しちゃったんですか?」
「じいさんが機体の不調で悩んでるってとこまでだよ」
「それぜんぜん最初じゃないですか」
そうだったか? はっはっはっは! ビリーおじさんはまた笑った。
「もう歳だからなあ!」
「ほぼパパと同じでしょう!?」
「いや、ビリーは俺の二個下だ」
「なおさら! というかほとんど変わってない!」
「「ハッハッハッハ!」」
酔っ払いみたい。楽しそうだからいいけど!
ココが側によって来て、呆れた顔でにゃあ、と鳴いた。
「で、マッケイさんのアリオンを直したのか? お前一人で?」
「ううん、トゴリアさんっていう航空機関連会社の常連さんがいるんだけど、そのひとにエンジンのリバースエンジニアリングを頼んだの」
ほう、とパパがすこし驚いた。
「お前、よくそんな言葉知ってたなぁ」
「え、パパが教えてくれたんだよ?」
幼いころ、ずっと使っていたストーブが壊れてしまったときのこと。わたしはそのストーブの優しく包み込まれるような暖かさが大好きだった。でも、古いタイプで交換用パーツも売っておらず、修理のしようがなく。
「新しく買い換えるか」
それを聞いたわたしの顔はどんなんだったっけ。多分、すっごく悲しい顔だったと思う。
だから、パパがその後言ったその言葉がまるで魔法のように聞こえたんだ。
──まあ、壊れた部分をそのまんま新しく作るってやり方もあるが。リバース・エンジニアリングっていうんだがな──。
結局安いからって買い換えたんだけど、その魔法みたいな言葉はずっとどこかで覚えていたの。
「よく覚えていたな、そんなこと」
「でしょでしょ?」
「大したもんだよなぁ嬢ちゃんも。お陰であのじいさん、結構遠くまで出かけてるみたいだって話だぜ? プレイムとかルフィンとか」
ビリーおじさんは有名な街をふたつ挙げる。
プレイムといえば中心を通るグラナ通り、ルフィンは天使の輪岬が有名な海沿いの街。
プレイムはリンシアと二人でドーナツ食べに行ったことある! ふわふわで美味しかった。
ルフィンは行きたいけど行けてないんだよね。最近忙しいし。
お休み取れたら、今度行ってみようかな。
そんなことを考えていると、からんっ、とお客さんが来る音が。
いらっしゃいませー、とぱたぱた向かうと——。
「こんにちは」「マロン、またきたよー!」
ひゃああっ。美しさと可愛さのダブルパンチ!
セラフィさんと、ソラとルカだった。
空いているテーブルにご案内。
「元気にしてたかしら?」
「そ、それはもう。執筆の方はどうですか?」
「いい感じよ、とっても。ヤマブキさんも応援してくれてるしね」
マロンのおかげよ、なんて言われちゃってもう顔が暑い暑い。
「あー、マロン照れてるー!」「かわいいー!」
「ちょっと、やめてっ」
パパには聞かれたくなくてちらっと見たら、ビリーおじさんと大声で笑っていたから多分大丈夫だ。ふぅっ。
あ、そういえば。なんでセラフィさんと小さなカップルが一緒なんだろう?
「そこでたまたま会ったの!」
尋ねたら、ルカが教えてくれた。
ほら、こんな可愛い二人がいたら、思わず声をかけたくなるでしょ?
セラフィさんの言葉になるほど、と頷く。
メニューを見ていたソラが、はいはーい! と手を挙げて、これ、と指差した。
「今日はあついから、ぼくはこれにする!」
「じゃああたしもそれにする」
「私も同じのでお願いね」
ふふ。なんか、まるで三人ともお友達だね。歳の差なんてないみたい。
その様子が微笑ましくて、わたしは少し吹き出した。
「みんなおそろいね? かしこまりました!」
カウンターに戻って、カップボードからグラスを三つ出す。
冷蔵庫から凍らせたラズベリーを持ってきて、六個くらいずつ入れる。
「お、どこ行くんだ?」
「ミント採ってくる!」
パパにそう答えて、裏庭へ。ココもゆるりとついてきた。
葉っぱがもさもさだ。ミントってすぐ増えちゃうよね……。そろそろ刈らなきゃ。
ごそごそやって、黄緑色の若い葉っぱを探す。
ふたふさあれば足りるかな、っと。
日向ぼっこしたいココはまだ居たそうだった。休憩にするらしい。
流しでさらっと洗って、グラスに入れたラズベリーは……うん、いい具合に溶けてる。
スプーンでペースト状になるまで潰して、シロップを一杯。氷をかんかん、上から入れる。
ミネラルウォーターの栓をぷしっと開けて、ゆっくり注いで。
ガラス細工のような、ピンクと透明のコントラストを壊さないよう、さっとストローを刺して。
ミントをてっぺんに飾れば、ラズベリーソーダのできあがり!
木のトレイの上で、グラスの中で氷が踊る。
「おまたせ、ラズベリーソーダです!」
布のコースターに載せると、グラスに模様が映り込んだ。
「「きれいー!」」
子供たちは嬉しそう! 頑張って縫ってよかった。
「ありがとう」
セラフィさんも優しく笑う。
えへへ。
夫婦のお客さんが、また来るよ、と手を振った。
わたしはトレイを胸に抱いて、ぺこりとお見送り。
ココが猫用の扉をくぐって、みゃっと鳴く。
ひょう、と窓から潮風が流れて、どこか遠くから、プロペラの音を響かせた。
ふくらはぎに、ココが頭をこつりと当てる。頑張ろう、なんて言っているみたい。
そうだね、と笑いかけて、お店の中を見渡した。相変わらず笑っているパパとビリーおじさん。ソラとルカは目をキラキラさせて、セラフィさんは楽しそうにお話してる。
なんだかとっても嬉しくなって、窓を大きく開けた。カーテンがふわりと揺れる。
空の向こう、雲の隙間で、何かがきらりとあいさつした。
(おしまい)
フラップ・アンド・ドリップ 〜飛行機カフェのまったりドラマ〜 そらいろきいろ@新作執筆中 @kiki_kiiro
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