第4話 ふたりのクッキンガール
ココの耳がぴくっ、と立った。
「どうしたの?」
わたしが聞いても答えてくれず、じーっと窓の外を凝視する。
程なくしてガラスがびりびり言い始め、わたしもやっと気が付いた。
窓の外、空の中にきらりと光る一つの点。
かすかに聞こえるエンジン音。単羽製エンジン特有の、軽くてがろがろした響きが個性的。
聞き慣れたその音にわたしは微笑む。
あの子はコーヒーが苦手。やかんを火に掛け、ローズヒップの缶を取る。
窓ががたがた、小刻みに震える。ココがふわぁ、と大きなあくび。
もうすぐ沸くかなと思った頃、ようやく外が静かになった。
「まーろんっ!」
「いらっしゃいま……ぶえっ」
カウンター越しに飛びつかれ、言いかけてた言葉がぷつんと途切れる。にやにや笑って、
「ほら、そんなカタイ挨拶なんてやめよう! 友達なんだから!」
そんなことを言ってきた。
「いやでも、取り敢えずはお客さんだし」
「お客じゃなければいいの? じゃあお金払わなかったらいい?」
「いやそれはそれで困るっていうか……」
「冗談だよ!」
笑いながらようやく椅子に腰を下ろす。
てってってっ、とココが駆けてきた。
その首根っこを優しくむんず! と掴み、
「クック! 元気にしてたっ?」
「ふみゅ」
じたばたするココ。
というか、えーと。
「……リンシア、その子の名前ココだよ?」
「えー、似てるからよくない? ねぇ、ククック……痛っ」
ココが実力行使に出る。爪は立ててないから本気ではないんだろうけども。
愛想を尽かしたかのようにドアの側の定位置に戻っていってしまった。
「ちぇー。マロン、おかわりぃー」
「まだなにも頼んでないでしょ! あとその言い方、酔っぱらいみたい」
「じゃあいつものちょーだい」
「ローズヒップね」
沸きたての熱湯をポットに入れて、茶葉をジャンピングさせながらわたしは言った。
「お菓子かなにか、いる?」
「あー、いつものでいいよ」
片手をひらひらと振ってくる。
「……あのさ、来るたびに違うお菓子注文してるよね? いつものって?」
「そうだっけー? じゃあ……」
カウンターの上のメニューを見上げるリンシア。目をつむり、指をくるくる回して、ほい。
「これにする」
メニューの一点を指差した。
「……」
どれかわからない。しかもコーヒーの欄。
「コーヒーにするの? 駄目とは言わないけど──」
「えっ?」
もう一度メニューを見て、ようやく気付く。
「あは、ごめんごめん! こっちにする!」
こんどは栗のパウンドケーキを指差す。
「はいはい」
この子大丈夫かしら。苦笑いしながら、パウンドケーキに刃を入れた。しっとりした生地の感触。うん、うまく出来てるな。三切れをお皿に載せて、甘酸っぱい香りの紅茶と共に、ことんとカウンターに置いた。
「おまたせ」
「ありがとっ!」
キラキラした液面を少し眺めて、ふぅと冷まして。一口飲んで、リンシアの顔がふわっと緩んだ。
「マロンのはいいねぇー、落ち着くよー」
「ふふっ」
リンシアがケーキを一欠片、口に運ぶ。
それをじーっと見つめながら、
「おいしい?」
「うん!」
満面の笑顔で頷かれて、わたしはほぅ、と息をつく。
よかった、すごい嬉しい。
前にお試しで作ったときは砂糖と塩を間違えてひどい味になったからなぁ……。
なんでそんなベタなことやらかしたんだろ。たしか、瓶の位置が入れ替わってたんだったっけ? 気をつけなきゃ。
ふとココを見ると、すーっと目を逸らされた。ん?
「そうそうマロン、聞いてよー」
二切れ目にフォークを入れながら、リンシアが切り出す。
「どうしたの?」
「なんかね、父さんと母さんが一日だけ家を空けるのよ。仕事だからしょうがないんだけどさ。それで、うちの弟たちにごはんを作ってやらなきゃいけないわけ」
そう言ってリンシアはずいっと身を乗り出した。
「そこでさ、どうせならめっっっっちゃすごい料理作って生意気なあいつらを驚かせてやろうと思うのよ! ほんと、いっつも悪口ばっか言うんだから、
「あらら、それはひどいね」
呆れ顔、思いつき顔、怒り顔。リンシアの表情筋は大忙しだ。
「まったくあのガキどもは! 私がババアだったら母さんはどうなるのよ! 妖怪になっちゃうじゃない。マロン、私そんなに不細工かな……」
いきなり不安そうに聞いてくるから、わたしは思わず吹き出しちゃった。
「そんなことないよ! かわいいかわいい」
「だよねーマロンわかってるぅ! それでなんだっけ? そうそう料理よ料理! マロン、子供が好きそうなの教えてくれない? 私でも作れるやつで!」
「子供が好きそうなやつね。ちょっと待ってて」
少しカウンターを空けて、わたしはキッチンに積まれた本をあさった。
たしか、子供向けレシピばっかの本がどっかにあったはず。背表紙はどんなだっけ?
「見っけ!」
「さっぱりお魚レシピ」の横にあった。
「子供が喜ぶメインディッシュ」。ベージュの厚い本だ。
カウンターに戻ると、ココが仕方ないなぁって顔でリンシアに抱っこされてた。
「かわいいなぁキミはぁ……おーよしよし」
「……もしもしー、リンシアー?」
「あっごめんねー!」
とん、とリンシアの前に本を置く。
「うわ、分厚い!」
「たくさん載ってるからね。この中から選んだら?」
「そうする!」
パラパラと中を読んでいく。
写真つきのレシピは見ているだけで美味しそう!
ビーフシチュー、クリームシチュー。チキンのハーブ焼き。ステーキフリット、マキモノ、etc……。
これは難しそう、こっちは時間がかかる、とうんうん唸るリンシア。
十分くらいして、ようやく手を止めた。
「これ、良さそう!」
「どれどれ。わ、おいしそう」
これならそんなに難しくないし、子供受けも良いだろう。それに、わたしも作ってみたい。
「じゃあ、お店閉めたら一緒に作ろっか」
「いいねいいね! そうしよそうしよ!」
「リンシア、じゃがいもはこれくらいで上げちゃって」
わたしは鍋の中のじゃがいもに串をぷすりと刺しながら言う。
「上げたら、タオルでくるんで皮を取ります」
「うわ、すごい! 簡単に剥けるね」
タオルを開くと、真っ白なじゃがいもがこんにちは。それを全部、棒で根気よく潰していく。
これが結構疲れるんだよね。
かわりばんこにボウルを持ったり潰したり、ちょっと息が上がったころにようやくできた。
お鍋に潰したじゃがいもと、出しておいた牛乳、バター、砂糖を入れる。火は中くらい。
「焦げ付かないようにね!」
「わかってるー!」
リンシア、けっこう上手!
コンコンコン、ヘラの音が小気味よい。
しばらくたつと、ほどよいなめらかさになってきた。
塩と胡椒でちょっと味見。うーん、もうちょっとしょっぱい方がいいかも。
ちょっとだけ塩を足して、リンシアはヘラの先を指ですくった。
頷いてる。わたしも少し……うん、おいしい!
フライパンにオリーブオイルをひいて、玉ねぎを炒める。
パチパチするからか、腰が引けちゃってるリンシア。
飴色になるまで頑張って。
「マロン、このくらい? 透き通ってきたけど」
「うん、じゃあひき肉入れよう」
ジャーッて跳ねる。リンシアのヘラさばきはおっかなびっくり。
「代わろっか?」
リンシアは首をぶんぶん振って、ぐっとフライパンを握った。
「大丈夫。これを克服しなきゃ作れないから!」
お肉の色が変わってきたころには、だいぶましな姿勢でヘラを振るっていた。
薄力粉をふるい入れ、白ワイン、ブイヨン、トマトピューレ、ケチャップ、それから塩とナツメグを混ぜたものを加える。これはじゃがいもを茹でる前に作っといたもの。
塩と胡椒で整えて、グラタン皿へ。
さっきののっぺりじゃがいもたちを上に載せる。スプーンで平らに整える。
「リンシア、そこまでしなくてもいいんだよ?」
「え、やるなら完璧にしたいじゃん! 真っ平らだよ真っ平ら!」
リンシアの納得のいく出来になりチーズをのせて、ようやくオーブンが閉まったのはそれから五分後のことだった。
「いい? 開けるよ?」
「早く早く!」
チーズの香ばしい香りがもれてきて、リンシアが待ちきれないとばかりにわたしを急かす。
ずりずりと引き出すと。
「わーすごい!」
「おいしそう!」
カリッと焼けた表面。いかにもおいしそうな黄色と茶色が、食べて! とばかりに飛び込んできた。
リンシアは口が半開き。食べたいオーラがものすごい。
食器棚から小皿をふたつ。ココがちらっ、と覗いてる。
ふたりの熱い視線を注がれながら取り分けて、テーブルへ。ごめんねココ、あなたは食べちゃだめなんだ。
簡単にお祈りしてからフォークを取る。
リンシアはというと……ほっぺを押さえてた。
「ん~! おいひー!」
んぐ、と飲み込んでから、
「マロン、これすっごくおいしい! ほんとに! すっごい! あっつ!」
「ちょっとちょっと、落ち着いて! やけどするよ!」
コップをあおるリンシア。
熱いから少し冷まして、わたしも。
「ん~!」
「んぐっ、でしょー!」
おいしい! 覗き込んでくるリンシアに思わず頷く。
「これ、ほんとに私に作れるの?」
「……やった通りにやれば出来るよ!」
「こいつは弟たちも喜ぶわ。どんな顔するか楽しみだなぁ!」
なんだかんだ言って、リンシアはいいお姉ちゃんだ。
ココが羨ましそうに一声鳴いた。ごめんね、あとでごはん作るから!
あんなにあったミートパイ、気付けば二人で食べきってた。
これ、FLAPでも出そうかな。
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