第3話 ソラとルカとサメ

「わー! 猫だーっ!」


「わぁかわいい!」


 小さなお客さん二人は、接客に出たココを見て目を輝かせた。

 どんより曇った木曜日。空に溶け込むような、灰色の飛行機がFLAPを訪れた。

 カウリングのシャークマウスが、遠くからでもよく目立つ。革ジャンを着た強面のお兄さんが乗ってるかと思ったけど、ぎぎぎとドアを開けたのは小さくてかわいい二人組だった。くしゃくしゃの髪の男の子と、ボブショートの気が強そうな女の子。


「おねーさん、この子おねーさんが飼ってるの?」


「うん、わたしの飼い猫。どっちかって言うと相棒かな?」


 男の子の質問に笑顔で答える。ふんっ、とココが姿勢を正した。


「相棒かー。じゃあぼくとルカの関係とおなじだね!」


「まって。ソラはあたしのお婿さん、あたしはソラのお嫁さん、でしょ?」


 ……おおお、およめさん? おむこさん!?


「そうだけど、相棒じゃない?」


「いーえ、あたしはソラのお嫁さんです!」


 ちょっと拗ねた感じで胸を張る女の子。でもなんとなく、ちょっと得意げ。


「二人はもう結婚してるの!?」


「まだだよ!」


「もうすぐよ! あと十二年!」


 男の子の声に被せるように女の子が言う。十二年ってことはいま六歳なんだ。


「わたしはここのマスターのマロン。それと、店員のココ。おふたりさん、お名前は?」


「ぼくはソラ! ソラ・ユーティライネン!」


「あたしはルカ。ルカ・クラナよ」


「ソラとルカ。よろしくね!」


 小さなカップルはきょろきょろと店内を見回した。ココはおもしろそうに二人を眺める。


「マロン、このお店はカフェじゃないの?」


「いや、カフェだよ? どうして?」


「あれとか、これとか。これエンジンでしょ?」


 ソラが指差したのは奥に飾ってあったプロペラ。それと、アリオンMk.Ⅱのエンジンだ。


「ああ、それはね?」


 足元に寄ってきたココをほいっと抱き上げて、わたしはカウンターから出る。

 二人の横にそっと並んで、


「ここが飛行機カフェだからだよ」


「ひこうきカフェ?」


「もしかしてっ」 


 ルカがはっ、と口を押さえた。


「このお店、飛ぶの!?」


「えっ、そうなの!?」


 ぶふっ! わたしは思わず吹き出した。

 なんてかわいいカップルなの! 

 ちょっと出た涙を拭きながら、ふぅー、と息を整えて。


「──そうじゃなくて、飛行機をテーマにしたカフェなの。わたしのパパが始めてね、それをわたしが継いだんだ」


「あ、そういうことかー!」


「なぁんだ、びっくりしちゃった」


 そもそもなんで飛ぶと思ったんだろう? ふふ。


「ちなみに、あれは昔の飛行機のプロペラ。そこのエンジンは、常連さんの飛行機に載ってたんだよ」


「そうなんだ! ふしぎなカフェだなぁ、いままで行ったとこと全然ちがう」


「そこがこのお店のなのね」


「うん、そういうこと」


 わたしが頷くと、ルカは自慢げに目を閉じた。





 カップをふたつ、お湯をいれて温める。

 棚から大きな板チョコを出すと、ソラとルカが目を見開いた。ふっふー、見たことないでしょ? まな板くらいのチョコなんて。

 トントン包丁で薄く切る。二人分だから、いつもよりちょっと多めだね。

 チョコをしまって、カップのお湯を捨てる。かわりに、切ったチョコをそれぞれに。それから、ミルクパンにミルクを入れて、コンロに掛けた。炎は小さめ。流れてるクラシックはサビに入ってテンポが上がる。

 スツールでココがミルクを見張ってるうちに、小皿を二つとクッキーを六枚。甘さひかえめで焼いたやつ。

 なあ、とココが合図した。鍋の縁からぷくぷくと、泡が出てきたいいタイミング。

 カップに少しミルクを入れてスプーンで混ぜると、一気に甘そうな茶色に変わる。ソラとルカはその様子をじーっと見ている。

 ミルクを足して、もっかい混ぜて。あったかくてとっても甘い、ホットチョコレートの出来上がり。


「さあどうぞ!」


「「わぁー!」」


 ふわふわした湯気が二人を包む。カップを受け取ったソラとルカは、


「あったかいね!」


「うん!」


 と顔を見合わせた。

 今日は少し寒いもの。その中を飛んできた小さな二人にはぴったりだよね。


「あっまーい!」


「これおいしい!」


「ほんと? それはよかった」


 ココはエンジンのそばで丸くなる。

 ふと外を見ると、滑走路の端っこに二人が乗ってきた飛行機があった。風防が長いから三人乗りかな。あれ、そういえば。


「大人の人は一緒じゃないの?」


「うん。おじいちゃんはおうちだよ?」


「おじいちゃんずーっとなにか書いてるの」


 ソラとルカは口々に言う。ってことは作家さんかな? 前に来てくれたセラフィさんみたいに。


「でも前は軍人さんだったっていってたよねー? パイロットだったって」


「へー、軍人さんだったんだ?」


「あたしたちの乗ってきた飛行機も、もともとはおじいちゃんのやつなのよ」


 ルカはそう言うとクッキーを咥えた。ココがじっと目で追いかける。こらこら、お客さんのでしょ。

 仕方ないと一枚出すと、ココは尻尾を振りながらドアの横まで歩いていった。ココの定位置でもあるそこは、クッションとお皿が置いてある。ちゃんとお皿に入れてからかりかりし始めて、ほんとに店員の自覚があるのねとしみじみ思った。

 飾ってある飛行機の模型たち。その内のひとつをそっと手に取る。ソラとルカの乗ってきた飛行機、台座にはグラヴラーA3と書いてある。


「あ、ぼくたちの飛行機だ!」


「あたし、こっちの方がいいわ」


「えー、いいじゃんサメ!」


 よく見ると、この模型にはシャークマウスがついていない。灰色一色、つるつるだ。


「もっとかわいいのがよかったなぁ。こいぬとか」


「こいぬかぁ。……かわいすぎない?」


「なんでおじいちゃん、サメの絵なんて描いたんだろ。マロン、わかる?」


「一応、知ってはいるよ?」


「ほんと? なんでなの?」


「へー教えて!」


 おほん! わたしは咳をひとつした。


「あれはシャークマウスっていってね、相手を怖がらせるためだったり、お守りの代わりに描いたものなの。戦争のときはけっこう描くパイロットが多かったみたい」


「ちなみにあのシャークマウスはエリアナ海軍一の練度を誇った攻撃隊、シャクリシャーク隊のものですね」


「へー……えっ?」


 ココがてってってと走っていく。バタンと後ろ手でドアを閉め、眼鏡をくいっと直すのは。


「あっ、トゴリアさん! いらっしゃいませ!」


「お元気そうでなにより、マロン。私にもホットチョコレートを貰えますか?」


「はーい!」


 トゴリアさんは甘いもの好きだ。チョコを出しながら、トゴリアさんとははじめましてのソラとルカに話しかける。


「この人はトゴリアさん。飛行機を直す会社をやってるんだよ」


「そうなんだ! ぼくはソラ!」


「あたしはルカ。よろしくね」


「ソラとルカ、ですね。こちらこそよろしく」


 トゴリアさんは二人に名刺を渡した。

 わー名刺だぁ、と見とれているソラ。ルカはそれをバッグにしまってから、

「おじさんはあたしたちの飛行機のサメ──しゃーくまうすだっけ、あれについて詳しいの?」


 そう聞いた。


「もちろん。さきほども言いましたが、あれは昔の戦争の時、この国で一番操縦が上手だった攻撃隊のものです」


「こうげきたい?」


「敵の船をやっつける飛行隊のことですよ」


 ソラの質問にやさしく答えるトゴリアさん。


「名前はシャクリシャーク隊。全員が戦争を生き抜き、沈めた船は五十を超えるという、伝説的な飛行隊です」


「……おじいちゃん、すごい人だったんだ」


「でも、いっぱいひとを殺した……ってことだよね?」


 恐る恐る、ルカはトゴリアさんをうかがった。

 トゴリアさんはふー、とゆっくり息を吐いて、ブルーの瞳でルカを見据えた。


「……それが戦争というものなのです。人を殺せば褒められる。たくさん殺せばもっと褒められる。君達のお祖父様のように直接的に殺したわけではなくとも、生きているだけで人殺しになってしまう。人を殺す政府に協力しているのですから」


「じゃあ、どうすればよかったの……?」


 ソラとルカはさらに訊ねる。


「こうすればよかった、という答えは有りません。どの国も自分たちの幸せを最優先して行動した結果、戦争が起こってしまった。幸せを求めるのは決して悪いことではないのですが」


 FLAPの空気が重く沈む。ソラもルカも、トゴリアさんもわたしもココも。ゆっくり静かに、ハープの音色が流れていく。わたしはそぅっとホットチョコレートをカウンターに置いた。


「ありがとう」


 トゴリアさんはごくり、と一口それを飲む。

 そして、再び口を開いた。


「自分だけでなく、相手を思いやること」


「「えっ?」」


「個人的な意見ですが、我々にできる一番のことはそれかと。世界中の人々が他人を思いやることができたのなら、戦争は起こらないと私は考えます」


「ほんと?」


「ぜったい起こらない?」


「それはわかりません」


 えーどっちだよー! とソラ。トゴリアさんはすこし笑って、


「それだけじゃ足りないかもしれない。君達が正しいと思うことをすればいいんですよ」


 かたん、とカップを置いた。

 それからナプキンで口を拭いて、それから、と続けた。


「善悪はどうであれ、君達のお祖父様はその時やるべきことをやった。生き残って、君達を育てている。それは誇るべきことだと思いますよ」


「……そっか!」


「わたしもそう思うよ」


「……マロンもそう言うなら」


 ずっとうつむき気味だったルカが顔を上げる。ソラがルカのお皿を見て言った。


「ルカ、クッキーいらないのならぼく食べちゃうよ?」


「だめ! あたしのよ!」


 ルカはクッキーの皿をぱっと引き寄せる。

 トゴリアさんはなにか言おうとしたけれど、そんな二人を見て静かに微笑んだ。

 音楽は次の曲に切り替わる。リズムに合わせ、楽しそうにココが尻尾を振っていた。

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