第2話 物書きと少女

 軽くて聞き慣れない音が聞こえて、わたしは窓から外を覗いた。

 ブロンドの飛行機が一機、滑走路の上で旋回している。足元のココが、かぁ、とあくびをひとつ。わたしのふくらはぎを尻尾でぺしんと叩いてから、お出迎えのためにドアの方へと走っていった。 

 ──見慣れない飛行機。はじめましてのお客さんかな。小さくなるエンジン音を聞きながらそんなことを考える。

 ブロンドの飛行機、たしか名前はクレイア。

 タイプAとかBとか派生型があったはずだけど、そこはあんまり詳しくないな。

 窓の外のクレイアは、きれいな姿勢で接地した。もわっと土けむり。スマートに滑走。

 風を切る感じがかっこいい。

 ちょっと先を横切って見えなくなった。

 窓から目を離し、後ろ手でエプロンを結び直す。ココはドア横の定位置で待機中。

 今日もお出迎え、お願いね。





 からん、とベルが鳴った。

 すっと立ち上がり、にゃあ、と一声。


「あら、かわいい猫ちゃん」


 ドアを開けたのは、きれいな女のひと。

 眼鏡がとっても印象的だ。


「いらっしゃいませ!」


「それからかわいい店員さんね」


 女のひとはにこっと笑った。

 あぅ。眩しい。

 思わずぺこりと顔を隠す。

 うおう、落ち着けわたし!

 なにしてんの、という顔のココ。面目ない。

 きぃ、と椅子を引いて、女のひとはカウンターの席に座った。ちょうどわたしの真ん前。


「コーヒーをもらえるかしら」


「かしこまりましたっ。豆は何にしますか?」


「お勧めは?」


「お、オリジナルブレンドです」


「じゃあそれでお願い」


「はい!」


 ふう、緊張する……。慣れてるはずなのに! えっと、オリジナルはどれだっけ。

 からり、と豆をコーヒーミルへ。

 よいしょっと。

 今日はレコードじゃなくラジオをかけてる。流れてるのはアルペジオ。

 ゆっくり、丁寧にハンドルを回す。

 ごりごり。ぱきぱき。

 いつもクラシックを流してるからか、単調なアルペジオは異質な感じ。目の前の女のひとにうまくマッチしている。

 それにしても──綺麗なひとだなぁ。

 がるがるミルを回しながら、わたしは見つめていたらしい。物を書く手を止めて、女のひとがこちらを見た。あっ。


「す、すみません! 邪魔しちゃって」


「──ふふ。いいわよ、どっちにしろ全然書けないもの」


 そう言ってぽい、とペンを離す。

 なんとなく、疲れた感じがする言い方だった。

 ちょっと気になるけど、その前にコーヒー!

 ちょうど挽き終わったので、わたしはフィルターをセットする。

 ぱかり、とミルを開けた。こんもりできた、コーヒーの山。こぼれないようにフィルターの中へ。

 ……うーん、静電気やだなぁ。

 くっついたままの粉を、さっさっと落とす。

 なかなか取れないけど。まぁいいか。

 お湯もナイスタイミング。

 壁面にそってくるくる入れる。

 ──いい匂い。おいしくできてるはず。

 ドリップが終わる。ほかほかと温かいカップをことり、とカウンターに置いた。


「お待たせしました!」


「ありがとう」


 湯気がふわり、と舞い上がる。

 一口飲んで、ふぅ、と長く息を吐いた。


「おいしい。ほっとする味ね」


 わ、嬉しい。


「ありがとうございます」


 にやけてしまうのが自分でもわかった。

 なぁるる。

 カウンターの下からココの声。

「良かったね」なのか、「顔ゆるゆるだぞ」なのか。後者だったら恥ずかしいなぁ。

 女のひとが屈みこんで、よいしょっとココを持ち上げた。

 彼は全く暴れない。よくできた猫だこと。


「この子、名前は何て言うの?」


「ココっていいます」


「可愛い名前ね。貴女が名付け親?」


「いえ、お父さんが付けました」


「へぇー……」


 撫でられてゴロゴロいってるココ。

 君も顔ゆるゆるだぞ。

 崩れた顔を見つめていたら、ふと聞きたいことがあったのを思い出した。


「あの、えっと……」


「セラフィよ」


「ありがとうございます。セラフィさんは作家さんなんですか?」


 カウンターの上の原稿用紙をちらっと見る。


「ええ。ペンネームはイカルガ」


 ──イカルガ? 聞いたことあるぞ。

 だけどわたしが思い出す前に、セラフィさんがつぶやいた。


「でも最近全っ然書けなくてね」


 あ、これが俗に言う──。


「スランプ、ですか?」


「そうね」


 そう言って寂しそうに笑った。

 そして、ふと思いついたように言う。


「貴女の名前、教えてもらえる?」


「マロンです」


「マロンね。じゃあマロン、ちょっと相談があるのだけどいいかしら」


「……相談、ですか?」


「ええ」


「お聞きします」


 わたしはコーヒーミルを脇にずらす。


「私の小説のことなのだけど」


 セラフィさんは鞄から紙を取り出した。

 それと数冊の本も。


「私の作品は、人物の感情描写が少なすぎるらしいの。そのせいで、ストーリーは面白いのに読みにくくて人気が出ないって」


 ふむふむ。


「ヤマブキさんいわく、もうすこし登場人物の心の動き? みたいなものを書き込んでもらえると読者も増えるに違いない、と」


「あの、ヤマブキさん? って──」


「あらごめんなさい、編集の人よ」


 セラフィさんはコーヒーを一口含み、ゆっくりと飲み込んだ。


「……でもね、私は感情を文字に起こすのがとっても苦手なの。全く書けないわ。それこそ人が空を飛べないのと同じくらいね」


 カウンターの後ろにある飛行機の模型を一瞥して、「勿論飛行機を使えば飛べるけど」と付け足した。


「付け焼き刃のような感情表現を入れたところで、作品は良くなりはしない。むしろ悪くなるに違いないわ。だからといって、アドバイスをもらったのに今のままで書き続けるのもなにか、抵抗感があってね」

 

 なるほど。わたしは深くうなずく。


「マロンだったらどうする? 今のままか、それとも変えるのか」


 わたしはさっきセラフィさんが出した本をちらり、と眺めた。しっかりした装丁が五冊、並んでいる。

『月の影』、『三つの約束』、『理』、

『追憶』、『海と翼』──。

 ん?


「『三つの約束』?」


「あら、読んだことある?」


 これって。


「お見せしてもらってもいいですか?」


「ええどうぞ」


 ずしり。結構な重みがある。なぜか懐かしく感じながら、表紙をめくった。





 序章


 私は空に、あるものを見た──。





「これっ! あの本!」


 わたしは思わず叫んでいた。唐突に思い出した、昔の記憶。ママが生きていた頃の。

 セラフィさんは微笑みながら、わたしを見ていた。


「……ご、ごめんなさい」


「大丈夫よ。どうしたの?」


「わたし、この本大好きです!これ、ちっちゃい頃ママと一緒に読んでた本でっ……って、セラフィさんが作者さんですか?」


「三つの約束は私の処女作ね」


「すごいっ!」 


 興奮冷めやらぬといったわたしをみて、セラフィさんは静かに笑う。

 その顔は、とっても嬉しそうだった。


「よかったら、どこが面白かったか教えてもらえないかしら?」


「はい! 一番面白かったのが、ふくろうとナナがお城の前で二つ目の約束をするところ! ナナはあんまり乗り気じゃなかったけど、ふくろうはナナのことを思って約束を持ち出してて、ナナもその事をうすうすわかってから約束して! お互いを大事に想ってる感じがすごく伝わってきて、もうあのシーンとってもお気に入りなんです!」


「待って。私、そこまで詳しく書いたかしら? 確かに私の思ってる通りの内容だけど、二人の内心なんて書いてないわよ」


 え、そんなこと。


「読んでたらわかりますよ。文字にされてなくたって、文面からひしひしと伝わってきました、二人の想い!」


「そうなの?」


「ええ。セラフィさんの他の作品は読んでないですけど、もし同じような感じだったら」


 わたしはさっきの質問に答えを返す。


「そのままの作風で、いいんじゃないですか?」


「……!」


「無理して感情描写しなくても、セラフィさんが思い描いてるイメージは文章にしっかりあらわれていると思います」


「そうなのかしら。でもヤマブキさんは? 彼女はそうは感じてないみたいだけど」


「文章だけ見てアドバイスしたのかも。ヤマブキさん、忙しい方ですか?」


「ええ。彼女、とっても頑張り屋さんなの」


 ヤマブキさん、疲れてるのかもしれない。疲れてると、なかなか感情移入? できないよね。


「セラフィさん、ヤマブキさんに休暇を取るように勧めてあげるというのは……」


「確かにね。そうしてみるわ」


 セラフィさんはかちゃりとカップを置いた。

 足元でうとうとしていたココが、すっくと立ち上がる。


「貴女のおかげで元気がでたわ」


 椅子を引きながらセラフィさんが言った。

 お役にたてて何よりです。そう言いたかったけれど、


「!?……っ」


「ありがとう。また来るわね」


 ココみたいに優しく撫でられて、その言葉はどっかにいってしまった。


「あの、こちらこそありがとうございましたっ!」


 なんとかそれだけは言うことができた。

 からんからん、とドアが閉じる。

 ラジオからはいつの間にか、軽快なポップミュージックが流れていた。



 ぺし。

 いたっ。やめてよココ。

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