フラップ・アンド・ドリップ 〜飛行機カフェのまったりドラマ〜
そらいろきいろ@新作執筆中
第1話 マッケイさんの相棒
猫用の小さいドアが開き、ココがすらっと入ってきた。
「にゃあ」
「お客さん?」
もう一度にゃあ、と鳴く。たぶん、うんって言ってる。
窓から外を覗くと、飛行機が一機、今まさに着陸しようとしているのが見えた。
「ありがと、ココ」
「ぐる」
彼は喉を鳴らし、満足げにドアの側で丸くなった。
外で響いていたエンジン音が止まったのが聞こえて、わたしはごりごりとコーヒーを挽き始める。オーディオから響いてくるアコースティックの音色に合わせて、リズムよく。
ココの尻尾がぴん、と立った。
顔を上げると、つなぎを着た男の人が後ろ手にドアを閉めたところ。
ふんふん、と匂いを嗅いでから、ココが頭を擦り寄せる。
「よう、ココ」
彼は足下にココを引き連れながらカウンターの椅子を引いた。
「いらっしゃいませ、マッケイさん」
「やぁマロン。ご苦労さま」
マッケイさんはパイプを出して火を付ける。
「コーヒーを頼む」
「はいっ」
わたしはごりごりを再開した。豆がぱきっと割れて、粒になっていく感触。それを更に挽いて細かくし、ざらざらする粉へ。それをこぼさないようにフィルターにいれて、お湯を上から注ぎ入れる。円を描いて、慎重に。
ドリップが終わるのを待っていると、不意にマッケイさんがわたしの後ろの棚を指さした。その先には、ずらりと並べられた飛行機の
「右から三番目の飛行機をとってくれんか」
頷いてその中のひとつをそっと掴み、カウンターに載せる。さっきマッケイさんが乗ってきたのと同じ飛行機。
「ありがとう」
マッケイさんはそれを持ち上げ、じっと見つめた。
わたしのカフェの名前は、「FLAP」っていう。飛行機好きのパパから受け継いだお店だ。パパのお陰で、飛行機の名前はだいたいわかるし、見分けられる。これけっこう自慢できると思うんだよね。えっへん。
向かい側の瞳に、アリオンのずんぐりした機体が映った。
太いエンジンカウリング、ピンと張った主翼、V字の尾翼。片肘をついて、マッケイさんはじっくりと眺める。
その目はちょっぴり、色褪せた青色。それは寂しげな色にも見えて。
「あの、なにかあったんですか……?」
気付いたらわたしは声を掛けていた。
マッケイさんは模型をカウンターに置いて、パイプを灰皿に軽くぶつけた。燃えたかすがぽん、と出てくる。
それから、小さく頷いた。
飛行機のかわりに淹れたてのコーヒーを置いて、わたしはマッケイさんの話に耳を傾けることにした。
マッケイさんが軍役を終えたのは、かれこれ四十年前。空軍飛行士だった彼は、戦闘機を操り様々な任務をこなした。
彼と一緒に空を飛んでいたのは、当時の主力戦闘機だった「アリオンMk.Ⅱ」。
まるで機体と自分が一体化しているかのように、この飛行機と飛ぶのは最高だった、とマッケイさんはしみじみ語る。
軍を辞めてからもその気持ちよさは忘れられず、既に旧式化していたアリオンMk.Ⅱを大金をはたいて購入したのが五年前のこと。それ以来、日常の足として使っているとのことだった。
国土が広いこの国では、自家用機はなくてはならないもの。戦後、お役御免になった軍用機が武装を外されて、一般へ安く売り出されたから、ほとんどの人はそれを買った。でもアリオンは古すぎて、逆に値段が張ったみたい。
ここでマッケイさんは溜息をつく。
「……しかしだな」
古い機体であるため、アリオンはよく壊れた。マッケイさんはその度に試行錯誤して、交換用パーツがない中どうにか稼働状態を保ちつづけていた。だけど。
「どうもエンジンが逝ったらしい」
飛行中、止まったり直ったりを繰り返すんだって。
マッケイさんがカウリングを開けてみると、エンジン内部の疲労が激しくすでに修復は不可能な状態だった。サイズが特殊なアリオンのカウリングには純正エンジン以外装着出来ず、まして旧式ということもあって生産は終了していた。
まさに手詰まりだ、と。
カップを空にするまでの間、マッケイさんはこんなことを語ってくれた。
ココの尻尾がゆらゆら、目の端で揺れている。珍しく、他のお客さんは来ていない。
「もうあれで飛ぶのは命懸けに等しい。いつ墜ちるか、火を噴くか……。だがな、あれをスクラップにするのは絶対にいかん。それに、あれ以外の飛行機で飛ぶこともしたくはないのだ。長い間共に飛んだあの鼓動を、わしは忘れたくない……」
重みを持って吐き出された言葉がわたしを震わせた。いつもの堂々とした彼からは想像できない、悲しげな告白。
そんな状態にもかかわらず今日も乗ってきたのは、彼がアリオンを愛する所以だろう。
「すまんな、君にこんな事を言っても迷惑にしかならんだろう」
諦めた声でマッケイさんが言った。
それから模型をカウンターに戻した。
わたしはそれに答えずに、もう一杯コーヒーを渡す。プロペラのアイシングが載ったクッキーも一緒に。
話を聞いて、それで終わりにしたくないもの。
カフェは、いろんな人が集まる場所。
それはすなわち、多くの情報と幅広い人脈が得られるということでもある。
役に立てるかもしれない。
怪訝な顔でいる彼に、わたしは微笑んだ。
「マッケイさん、リバースエンジニアリングって分かります?」
突然言ったのが悪かったのか、怪訝な顔が心配そうな顔に変わったけど。気にしない気にしない。
さぁ、カフェの強みをご覧あれ!
数時間後。ばりばりばりばり、と暴力的なエンジン音が近づいてきた。
窓ガラスがびりびりといじけるなか、姿を現したのは巨大な機影。航空機運搬用巨大輸送機「ゴライアス」はエアブレーキを目一杯かけて、明らかに釣り合わない滑走路を目指して高度を落としてきた。
無塗装の機体が夕日を反射し、赤い光を投げかける。わたしとマッケイさんがはらはらしながら見つめる中、ゴライアスは正確な操縦で滑走路に降り立ち、車輪から白煙を上げながら横幅ギリギリでようやく止まった。
側面にでかでかと描かれているのは羽の生えたスパナと「
巨人機から降りてきた男の人に、わたしは手を振る。常連さんのひとりで、飛行機整備業を営んでいるトゴリア・アレキサンダーさんだ。
「お待たせ致しました、お二人とも」
眼鏡を直しながらそう挨拶するトゴリアさん。手に持った紙を見ながら、
「アリオンMk.Ⅱのエンジン不調でしたね? ミスター・マッケイ」
そう聞いた。
マッケイさんは不安げな顔でトゴリアさんを見る。
「トゴリアさん、あのエンジンを新たに作ることが出来るというのは本当なのか?」
「ええ。確かに1652型ワイバーンは生産も終わり、設計図を手に入れるのも困難ですが、出来るはずです」
トゴリアさんは自信満々に言い切った。
アリオンMk.Ⅱのエンジンはもう直せない、代替エンジンもない。ならば同じエンジンを新しく作れば良い。設計図なしにどうするかというと、壊れたエンジンをばらばらにして、パーツを複製し、組み立てる。それが、
パパが言ってたこと、思い出してよかった。
マッケイさんは嬉しそうに、頬を緩める。
「ミスター・マッケイ、取り敢えずアリオンを我が工場に持って行きましょうか。直している間に貸し出す代機も選んでもらう必要もありますし」
「ああ、そうさせてもらうよ」
マッケイさんが頷いたのを確認し、トゴリアさんはポケットからリモコンを取り出した。
かちり。
ごおん、と重厚な響きを伴って、ゴライアスのハッチが左右に開いた。中から現れたのは小型機がまるまる入る大きな空間。この中にアリオンを固定し、持って行こうというのだろう。
滑走路の端っこで駐機していたアリオンを、わたしたちはゴライアスに積み込んだ。単発機は三人がかりで押せば、移動させるのはそれほど困難なことではない。
……でも途中からゴライアスがウィンチで引っ張ってくれたのは嬉しかった。
ほら、飛行機って言っても全金属製だし。
わたしにはちょっと大変だったから。
ふぅ、と息をついていた間に、トゴリアさんはまたリモコンを操作した。
がしゃん、とハッチが閉まる音。
それから彼とマッケイさんはタラップを登り、仲良くコックピットに収まった。窓越しに手を振り合って、エンジンが動き出す。
甲高いエンジン音が響き始めたけど。
アリオンをのせて更に鈍くなったゴライアスはなぜか停止したままだった。
風がわたしの髪を揺らす。
エンジン音が更に高く、大きく轟く。
ばりばりばりばりばりばり!
すごい迫力だけどゴライアスは動かない。
重いのかな?
さらに、さらに大きく……。
スロットルは安定する気配を見せず、どんどん上がっていく。
耳が破れる!
わたしがおもわず耳を塞いだその時──。
車輪のブレーキが外れ、ぐん、と機体が飛び出した。
遅いはずの巨人機がみるみる速度を上げてゆく。
あっという間に前輪がふわりと浮き、そのまま滑らかに地上を飛び立った。
エンジンパワーを生かして、ゴライアスは一気に高度を上げてゆく。
てっきり、のっそりと離陸すると思っていたわたしはしばしの間呆気にとられていたのだけど。
不意に足がくすぐったくなって目を落とし、もう一人の店員のことを思い出した。
「なぁお」
いつの間にか、ココが見送りに出てきていたらしい。わたしの足に寄っかかりつつ、空に向かって一声あいさつ。
店員の役目をはたしたからか、誇らしげに尻尾を伸ばす。
それに対してではないと思うけど、彼方の巨人機がバンクを振った。
ごきげんよう、ってことだよね。
「またお待ちしてますー!」
「にゃあ」
ココと一緒に、わたしは機影に手を振った。
それから数週間後のこと。
元気なエンジン音と共に、マッケイさんが来てくれた。
ぴかぴかに磨いて飾っておいたあるものが、ひさしぶりな彼を出迎える。
スクラップを免れたそれは彼の目にはどう映ったのだろうか。
カフェの隅に置いてあってもう動くことはなかったけれど、
「にゃー」
「ほらココ、そこ乗らないの!」
ココのお気に入りとして余生を過ごしていた
「やってくれたな、マロン」
そう言ってマッケイさんは、わたしに向かって微笑んだ。
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