第10話


10



榊さんのバーを出たのは日付けが変わった朝方だった。

俺の酒に付き合ってくれた。

そして、少しでも長く店に居れば、庵司が現れはしないかと…


期待していたんだ。


虚しくて虚しくて仕方のない夜明け。

涙も乾きそうだ。

たった二ヶ月やそこらで、人生を乗っ取られた気分。


庵司は

本当に悪魔だったんだろうか…


俺が今から帰る家は

一体誰の家なんだろうか…



烏がゴミを漁る歓楽街の夜明けは、スーツを嘔吐物で汚した若いホストと、何処かでハイヒールの片方を無くしたキャバ嬢の出会いにうってつけなんだろう…こんな所に…こんな朝に庵司は居ない。


フラフラと歩く俺には憂鬱しか映らなかった。


その時、突然後ろから手首を握られ、淡い期待がブワッと溢れように湧いた。


「庵司っ!!」

振り向くと、そこには庵司ではない男が立っていた。年の頃は俺と変わらないか…少し上辺りにも見える。

「な、何ですか?」

期待していた表情が曇って、怯えるように肩を窄めた。

「フラフラしてたから…大丈夫?…良かったらさ…休んでく?」

男はニッコリ微笑んで、顎を前方のラブホテルに向けて指し示した。

グッと腕を引く。

「離してくださいっ」

「離して…大丈夫?」

「ぇ…何言っ」

「死にそうな顔してるよ、あんた」

俺は彼の言葉に、散々泣き明かした夜を忘れた様にまた泣き始めてしまった。


弱っていたんだ

庵司が居ない事に…

庵司が

帰らない事に

自分でも驚く程、弱っていたんだ



「わぁっ!ほらっ!やっぱ参ってんじゃねぇかよ!」

男は小さな身体の俺を引き寄せギュッと抱きしめながら頭をポンポンと撫でてくれる。

人の温もりが久しぶりで…流される。

ゆっくり胸元にしがみついて見上げたら、彼が優しいキスをしてくれたから…


こんな出会いもあるんだと…


離れた唇に指先で触れながら、心臓に耳を預けた。


愛しい庵司。

俺は君じゃなくとも…身体を重ねる相手くらいは、どうやら見つける事が叶うらしい。


ラブホテルのベッドに沈む背中。

覆い被さってくる男。

よく見ると普通にイケメンじゃないか…


「名前、教えて」

彼はそう呟いた。

俺は首に腕を絡めて引き寄せる。

「女みたいな名前で…恥ずかしい」

「余計に気になる。俺は圭介(ケイスケ)」

「圭介…さん…」

「うん…キミは?」

「…ゅきの」

「ん?何て?」

「雪乃だよ、圭介さん」

「ふ…良い拾い物したなぁ、俺。…雪乃…可愛いね。」


首筋に唇が何度も触れる。

気持ち良い感触。


「圭介っさん…はぁ…んぅっ…」

深く絡まった舌が離れいく。

「ねぇ…ゲイなの?…バイ?」

情事の最中問いかける。

「何?…そんな事、気になる?ホラ、足もっと開いて。挿れるよ」

「んぅっ…ぁあっ!ハッ!ハァッ!」

「雪乃はしっかりネコだな…吸い付いてくんじゃん。ご無沙汰だった?中、喜んでる」

息が短く切れる。


「俺はね…ゲイ…はぁっ!…あ〜ぁ…すげぇ…良いっ」

揺れる身体が心地良い。

快感と、眠って居ないちょうどいい疲労。

グチュグチュと派手に鳴るローションの音。


互いの何をも知らないままのSEX。


名前、性の対象、分かってるのはそれくらい。

すっかりお互い吐き出しきって、脱力する。

腹に溢れた白濁をティッシュで優しく拭い取ってくれる圭介さんに笑ってしまった。


庵司なら、お互いにベタベタなまま抱きしめて離さない。おかげで毎回シーツの洗濯に追われて大変なんだ…


「何?くすぐったい?」

髪をかきあげ胡座をかく圭介さん。

手にしたティッシュを丸めて、ゴミ箱に向けてシュッと投げ込む。

「ううん…何でもない。優しいもんだから、ちょっと可笑しくて。」

「変な子だね。普通拭くだろ?」

コテンと首を傾げるもんだから、クスクス笑ってそうだね…と答えた。


庵司は普通じゃない。

だから俺は…参ってる。


シャワーを浴びてホテルを出た。

まだ早朝ではあったけど、ポツポツ開いてる店が目にとまる。

「雪乃くん、朝ごはん食べない?」

圭介さんが店を指さす。


途端に、庵司がゴロゴロと纏わりついて

"腹減った"

って咥え煙草しながら抱きついて来るのを思い出していた。

「雪乃くん?」

「ぁっ!すみません。腹…減りましたね。じゃ、あそこで」

前方に見えるファミレスに入った。

メニューを見ずに二人、モーニングを頼む。


暫くしたら、トーストとスクランブルエッグ、サラダにコーヒーが届いた。


「雪乃くんさ、どうして…泣いたの?」

圭介さんは届いたトーストにバターを塗り付けながら上目遣いに俺を見た。

「…ハハ、どうしてですかね…」

俯き、目の前のサラダに入ったトマトにフォークを刺した。




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