第8話
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その日の夜、約束通り庵司は俺を連れて外へ出た。
久しぶりの休日、久しぶりのデートだった。
街は薄着の男女で行き交う。
近頃、仕事漬けの毎日だったせいか、街の季節の変化にも疎くなっていた。
『ここだよ、行こう』
雰囲気のあるバーの扉を開く庵司。
中は暗い照明で、かなり相手に近づかないと顔さえ良く見えないようなアダルトな雰囲気だった。
カウンターに迷わず近づいて椅子を回してくれる。
「ありがとう」
俺が庵司に礼を言うと、カウンターの中の口髭があるダンディな40代くらいの男性が声を掛けてきた。
「ほ〜ぅ…君が」
俺はジロジロと品定めするような男性の目から逃れるように庵司に助けを求めて服の袖を掴んだ。
『ハハ、取って食わねぇよ。マスター、顔怖いって。あんま見んなよ。』
「ふふ、減らんだろ」
『減るんだよ。雪乃は俺のだからな』
俺は他人に恋人として紹介される行為が初めてで、心臓がバクバクと早鐘を打った。
マスターは肩を竦める。
いつの間にか居なくなった庵司にキョロキョロすると、カウンター越しのマスターが手を出し握手を求めて来た。
「雪乃くん?宜しく。榊(サカキ)だ。」
恐る恐る手を握り返し頭を下げた。
「日高…雪乃です。初めまして。あの…庵司は」
「あぁ…裏で準備してるんじゃないかな。気まぐれで困ってんだ。今日は働くつもりみたいだけどな」
「働く?」
「あぁ…聞いてないか。アイツたまにここでカクテル作ってるんだよ。あんないい加減なバイト中々居ないぜ」
呆れるように鼻を鳴らしたマスターの榊さん。
庵司が…バーテンダー…
カタンと裏からカウンターの中の方へ出た庵司。白シャツにベストを羽織り、黒のソムリエエプロンが長い足を際立たせるといった出立ち。
オールバッグに撫で付けられた髪がいつもと違ってドキドキした。
『何飲みたい?』
カウンターに座る俺に庵司が問いかけてくる。
「ぁ…こういうお店…俺、初めてだよ。おすすめで…」
もうすぐ25にもなろう男がカクテル一つ頼めないなんて、また庵司は笑うだろうか。
俺は上目遣いに向かいに立つ庵司を見た。
『オススメねぇ…』
そう呟くと、どんどん準備を進めて、あっという間にカクテルグラスがズイと目の前に突き出された。
白に近い色合いで、グラスのふちには塩が雪のように盛ってある。
『マルガリータ。ふちの塩が雪みたいだろ。雪乃が脱いだらそれくらい白いからな』
「あっ!庵司っ!!」
カァッと赤くなる肌を感じる。
榊さんは拳を口元に当てクククッと噛み締めるように笑った。
『ハハッ!気にすんなよ!ジョーダンっ…マルガリータは定番だからどこに行っても作ってくれる。気に入ったなら他所でも使うと良い』
無知な俺に庵司は優しく知恵を仕込んでくれたんだ。
なんだか嬉しくなってしまって、酒が進んだ。
気付いた時には良く出来上がっていたと思う。
庵司にグラスを持つ手を止められ、自分がいい加減な量の深酒を決め込んでいた事にきづかされた。
『おまえ、先帰ってろ。タクシー呼んでやるから』
「え?庵司は?帰らないの?」
『久しぶりの仕事だから、朝までだな。良いから先帰ってろ』
俺は項垂れるようにカウンターテーブルをジッと見つめて動けなかった。
そこへ新たに客が入ってくる。
派手な身なりの綺麗な女の人が三人。
「キャーッ!庵司っ!!今日来てたのっ!何で連絡くんないのよ〜っ!!」
「アンジ〜♡今日何時までぇ?好きな物買ったげるから終わったら遊ぼ〜!」
「ダメェ〜!こないだあんたお持ち帰りしたじゃん!今日はあたしぃ〜!庵司ぃ…良いホテル連れてってあげる!あたしにしよっ!」
俺は圧倒されてよろめきながら席を立った。
庵司が彼女たちの相手をし始める。
『マジで?好きな物は魅力的だなぁ…』
俺をチラリと見たけど、構わず女の相手を続ける。
膝がカクンと折れて、壁に手を突いた。
後ろから榊さんが手を貸してくれて、店の外へ出た。
庵司は、俺を全く知らない客のように、ありがとうございましたぁと、女との会話の合間に見送った。
「榊さん…もう、大丈夫です」
「…雪乃くん…俺は庵司が好きだよ。良い奴なんだ。だけど…アイツはやめた方が良い。忠告しとくよ」
俺の腰を支えていた榊さんは苦笑いする。
俺も同じように自嘲気味た情けない笑みで返す。
「遅いですよ…忠告。俺、庵司が居ないと…あ、すみません、あのタクシーで帰ります。ありがとうございました。」
ヨタヨタと榊さんの手を離れてタクシーに乗り込んだ。
庵司は帰らない。
朝になっても、その次の日になっても…。
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