魔界から生還したら婚約者が親友と結婚していた

青本計画

魔界から生還したら婚約者が親友と結婚していた

 魔界から生還したら、婚約者が親友と結婚していた。


「あのね、ウィリアム……」

「いや、言わなくて大丈夫だよ」


 念願叶った再会は、望んでいた形とは程遠かった。

 俺の婚約者だったはずの少女は、泣きそうな顔をしている。

 それが喜びに因るものであれば良かったのだが、現実は違う。


「悪かった、こんな日に帰ってきて」


 ああ、よりにもよって。

 どうして彼女の結婚式の日なんかに帰ってきてしまったのか。

 間が悪いというレベルではない。到着が深夜だったのは不幸中の幸いだが、これが披露宴の最中だったりしたら目も当てられなかっただろう。

 せめて、あと一日でも遅ければ良かったのに。

 そうすれば、お互い割り切れていたはずなのに。

 彼女の――アリシアの門出を俺が穢してしまった。


「あなたは悪くない! 全部……全部あなたを裏切った私が悪いの!」

「俺はそうは思わない。一年も行方不明だったんだ、死んだと思うのも当然だ」

「でもあなたは生きていた! 私はあなたが死んだと思い込んで、捜しに行こうとすら考えなかった!」

「仕方ないさ。俺だって生還できるとは思わなかったし、捜しに行こうにも魔界に行く手段がなかったんじゃあどうしようもない。君の選択は間違ってないよ」

「だけど! それでも私はまだ、あなたを――」


 言い募ろうとするアリシアを手で制する。

 それ以上先の言葉を俺は聞きたくなかった。

 誰も幸せになれないと分かりきっていたから。


「レオンはいいやつだ、それは俺も君も知っている。なんてたって勇者だからさ、きっとこれからも君を幸せにしてくれる。だけどあいつも案外弱いところがあるからさ、君もレオンを支えてやってほしい。だからお別れだ、アリシア・カーティス」


 込み上げる感情を無理矢理に抑えて、言った。

 話したいことはたくさんあったけれど、これ以上はお互い涙を堪えられそうにない。

 目の前の女性は俺の婚約者アリシア・ヘルソンではなく、勇者の伴侶アリシア・カーティスなのだと俺はもう理解してしまった。

 運命は既に分かたれ、俺たちの関係が元に戻ることはない。


「ごめん……ごめんなさいウィリアム……」

「泣かないでくれよ、一生のお別れじゃないんだからさ。またいつでも会えるさ」


 嘘だった。

 救国の英雄として爵位と領地を得て、高位貴族となった勇者レオン。

 その伴侶となったアリシアと、あくまで一介の騎士でしかない俺たちが会う機会はきっと少ない。

 いくら友人とはいえ、どうしたって気まずさはあるし、これから二人は多忙な日々を過ごすことになるだろう。

 そこにウィリアム・バルザックの存在は邪魔なだけだ。


「ほら、顔を上げてくれ」


 泣かせたいわけじゃなかったんだ。

 アリシアの頬に触れて、目元の涙を指で拭う。

 レオンには悪いが、最後だからどうか許してほしい。

 あとはちゃんと、きっぱり諦めてやるからさ。


「結婚おめでとう、アリシア」


 本当はそんなこと思っちゃいない。

 俺が自分の手でアリシアを幸せにしたかった。今までの人生、どんなときも俺の隣にはずっと彼女がいたはずなのに。

 だけど、それも、次の言葉で終わりになる。


 これは

 未練がましい自分を押し殺し、告げなければならない。

 それが彼女の騎士としての俺に残された、最後の仕事だ。


「――さようなら、お幸せに」






 ***






 死んだはずの婚約者が帰ってきたのは、結婚式の夜だった。

 屋敷を去って行くウィリアムの背中を見送りながら、私の中には強烈な罪悪感が吐き気を伴って込み上げていた。


(ウィリアムの泣いてる顔、初めて見たな……)


 ウィリアムがいなくなっらあの日から約一年、たった一年だ。なぜ私はそんな短い時間すら、彼を待ってやれなかったのか。

 十五年も一緒にいたくせに。彼の強さは誰よりも知っていたくせに。

 どうして「私の大切な騎士が死ぬはずがない」と、信じてあげられなかった。

 私は私の一番の騎士であり、初恋の人を、自らの弱さによって失ったのだ。


「ごめんなさい、ウィリアム……」


 届かない謝罪の言葉は、夜の闇に露となって消える。

 彼は違うと言ってくれたが、私はきっと選択を間違えたのだ。


「ずっと一緒にいたのにね……」


 ウィリアムは私の家に仕える騎士の息子で、同い年ということもあって最初は使用人兼私の話し相手として彼は私の屋敷にやって来た。

 勇敢で、勤勉で、紳士的。幼い頃から騎士の鏡のような性格だったウィリアムはすぐに私のお気に入りとなり、両親に「ウィリアムを私の専属執事にして」と泣きながら訴えたことをよく覚えている。

 それから朝も昼も夜も行動を共にし、私はよりウィリアムを気に入った。

 好感はやがて恋心へと変わり、それを自覚した私はすぐに告白をした。


『あなた、私の婚約者になりなさい』


 今となってはどうかと思う、脅迫にも似た求婚。

 ウィリアムは最初困ったような笑みを浮かべたが、私が泣きそうになると慌てた顔で私を抱き締めてくれて、そのまま二人で手を繋いで両親に直談判に行ったときは本当にドキドキした。

 母はウィリアムの訴えに感涙し、父は諦観の表情を浮かべていたように思う。

 晴れて両親の許可の下に婚約者となった私たちだったが、障害も多かった。

 一番はやはり身分の差で、平民であるウィリアムがヘルソン伯爵家に婿入りにするには相応の理由が必要だったのだ。


 その後、ウィリアムは血の滲むような努力の末、光の教会に認められ「聖騎士」の地位を得ることになり、私も光魔法の腕を見出され「聖女」に認定された。

 二人に魔王討伐の命令が下されたとき、私たちはチャンスだと思った。

 聖騎士と聖女として魔王を倒せば、誰も私たちの婚姻に文句は言えない。


『誓うよ。俺は君のために、魔王を倒す』


 あのときの私の感動はいかばかりか。

 激しい高揚感と、絶対にそうなるという確信。


 果たしてその約束の果たされた魔王城で、私は来るべき未来を夢想していた。

 これでようやく、ウィリアムと一緒になれる。誰にも邪魔なんてさせない。この功績を以て私はウィリアムと結婚し、彼の子供を産み、幸せな家庭を築くのだと――


 ――愚かにも、そう信じていた。


 突如として魔王城が崩落を始めたとき、私は混乱して何もできず動揺するだけで。

 最後尾を走っていた彼が瓦礫に呑まれた瞬間、私は人生の絶頂から急転直下、絶望の淵へと突き落とされた。


 それからのことはよく覚えていない。

 気が付いたら屋敷のベッドの上で寝ていて、メイド長からウィリアムが行方不明であること、国から彼が死亡認定されたことを聞かされると、崩れ落ちた。

 部屋に引き籠もり、家族や来客を拒み、泣き腫らすだけの毎日。

 

 そんな私を支えてくれたのが、勇者であるレオンだった。

 レオンはろくに返事もしない私に根気強く話しかけてくれた。彼自身もウィリアムという親友を亡くしたばかりなのに、いや亡くしたからこそだろうか。

 大切な人を失った二人の傷の舐め合い。それはずいぶんと長く続いた。

 悲しみを一人で抱え込まず、他者と共有する。そのおかげか私は僅かながらに立ち直ることができ、ヘルソン伯爵家の一員として公務に復帰するまでに回復した。

 その間、レオンも魔王討伐の功績によりレオン・カーティス侯爵となり、拝領した土地も近かったことで私たちは公私共に支え合うことになる。

 縁談の話が持ち上がるのは、必然の流れだったのだろう。


 私は貴族で、領民のために最善を尽くす義務がある。婚姻もその一つだ。

 正直に言えば、ウィリアムがこの世にいないと思い込んでいた私は、自分が誰と結婚しようがどうでもよかった。

 レオンのことは好きだが、あくまで親愛の情。恋愛感情はない。

 そのことをレオンにも伝えたが、彼はそれでも私が良いと言ってくれた。

 案外レオンも陰謀渦巻く社交界に辟易しており、それがどんな種類であれ、思いを共有できる相手を求めていたのかもしれない。

 結局、そうして私とレオンと式を挙げ、夫婦となった。

 彼を愛することはないが、家庭を築くことに嫌悪感もない。

 失敗した人生の結末としてはマシな方だろうと、私はそう思っていた。


 ――同じ勇者一党だった、エリカ・エイズワースに再会するまでは。


「お別れの挨拶は終わった?」

「エリカ……うん、終わったわ」


 ウィリアムの背中が完全に見えなくなってから、ずっと物陰に隠れていたエリカがひょっこりと現れた。


 エリカは勇者一党に旅の途中で加入した魔術師で、無口で無愛想だが本当は優しい性格で、私とウィリアムにとっては妹のような存在だった。

 そして、彼女こそ魔界からウィリアムを救出した張本人でもある。

 勇者一党の中でエリカだけがウィリアムの死を信じず、行動し続けた。

 泣くだけで何もできなかった私としては、エリカには感謝してもしきれない。


「ごめんアリシア、間に合わなくて。辛かったよね」

「エリカは悪くないわ。それこそ、間が悪かったのよ」


 こればかりは運命の悪戯としか言えない。 

 式の終わりに報告を受けたときは、目眩がして倒れそうになった。

 もう少し早ければと、心の中で思う自分がいたことは否定できない。


 だがそれは、エリカの責任ではない。

 彼女は最善を尽くし、ウィリアムをたったの一年で見つけ出した。

 強いて言うなら大切な婚約者の生存を信じ切れず、忙しさにかまけてエリカとの密な情報共有を放棄していた私が、やはり一番悪いのだ。


「ありがとう、エリカ。あなたには本当に感謝してる」


 ウィリアムと結ばれる道は、自らが閉ざした。

 彼はもう、私だけの騎士ではない。いつか私以外の誰かと結婚し、子を設け、幸福な家庭を築くのだろう。

 その光景に、アリシア・ヘルソンがいないことが堪らなく悔しい。

 だけどそれ以上に、彼が生きていたことがなによりも嬉しかった。


「感謝する必要はないよ、全部あたしのためにやったことだから」

「それでもよ。私ができなかったことを、あなたはしてくれたの」


 もしかしたら、エリカなのかもしれない。

 彼女はウィリアムを兄のように慕っていたけれど、憧憬が恋慕へと変化するのはよくある話だ。それに勝手ながら、エリカになら任せられる。

 エリカならきっと、ウィリアムを幸せにしてくれると信じられた。


「それを言うなら、あたしだって同じだよ」

「え……?」

「あたし、アリシアにはすごく感謝してるんだ」


 エリカの急な言葉に戸惑う。

 同時に、背筋にゾワリとするものを感じた。

 いつもは無愛想な彼女が、満面の笑みを浮かべていたからだ。

 そんな綺麗な笑顔、私は今までに一度も見たことがない。


「だって、あたしにはどうにもできないことだったからさ。諦めてたのに、アリシアが自分から私にチャンスをくれた」

「なにを……言ってるの?」


 私は、なにもやっていない。

 できなかったし、やらなかった。

 そんな私が感謝される謂れなんてあるはずもないのに。

 エリカは私の手を取って両手で強く握る。

 瞬間、おぞましいほどに邪悪な魔力を感じた。


「アリシア、あたしね――」


 ――いやだ、聞きたくない。


「あなたが尻軽で、本当に良かった!」






 ***






 アリシア・ヘルソンが嫌いだった。

 別に性格が合わないとかそんな理由じゃあない。

 あたしがアリシアを嫌うのは偏に「ウィリアム・バルザックの婚約者」というその一点のみにあるのだから、むしろ彼女自身は善人とすら思う。

 だけど嫌いだ。この世で者と魔王の次ぐらいに大嫌いだ。


 だってあたしの初恋は、始まる前から終わっていて。

 あいつの初恋は、スタート時点でゴールが決まっていた。

 運命だって言われたらそれまでだけど、理不尽じゃあないか。


 光の教会最強の聖騎士、ウィリアム・バルザック。

 光の教会最優の大聖女、アリシア・ヘルソン。


 ああそんなの、お似合いに決まっている。

 しかも二人は幼馴染みで、主従でもあるのだという。

 謂わば美しいお姫様とそれを守る勇敢な騎士。


 それに比べてどうだ。 無口で無愛想で、傲慢で身の程知らず。

 エリカ・エイズワースは我ながら最悪な性格で、だからダンジョンの下層で魔法学校の仲間に見捨てられて、惨めに死にそうになっていた。


 でも、そんな馬鹿な女を救ってくれたのがウィリアムで。あたしの間違いを正し、受け入れてくれたのもウィリアムだった。


 感謝は憧憬へと繋がり、すぐに慕情へと変わった。

 あたしはウィリアムのためなら身も心も捧げたって構わない。

 ウィリアムの幸せがあたしの幸せで――そして、ウィリアムを一番幸せにできるのは、間違いなくアリシア・ヘルソンだった。

 二人が結ばれるなら、それが最高のハッピーエンド。

 その光景にあたしがいる必要はないと、そう思っていた。


 ――ウィリアムが魔界に取り残された、あの日までは。


「エリカ……? い、今のはどういう意味?」


 目の前のアリシア・カーティスは怯えたような瞳であたしを見る。

 尻軽なんて言葉、今までの人生で一度も言われたことがないのだろう。

 身に覚えがないと言わんばかりの反応は、あたしには滑稽に映った。


「あんたみたいな尻軽にウィリアムはもったいないって言ったんだよ。精々、レオン・カーティスみたいな人間のクズがお似合いだって」


 ついに言ってやった。と、清々しいほどの解放感に浸る。

 この半年、頑張って我慢していたあたしを誰か褒めてほしい。

 クズと尻軽、この二つが勝手に結ばれてくれるという大変ででたい出来事を、あたしはずっと祝福できないでいたのだから。


 しかしアリシアはというと、自分が何を言われたのかをしばらくしてから理解すると、みるみる顔を赤くして怒りを露わにした。


「……っ、訂正して! 確かに私はそう言われても仕方ないけど、レオンは関係ないでしょう!? 彼のことを悪く言うのはあなたでも許せない!」


 沸騰するアリシアとは対照に、あたしは自分がどんどん冷めていくのが分かった。

 おめでたい頭だ。こいつだけが何も分かっていない。他の勇者一党が事情を察して国外に逃げ出しているのに、この女だけが被害者面を続けている。

 疑うことを知らない、善性のお花畑。ウィリアムはきっと、こいつのそんなところが好きだったんだろう。

 でも、その善性がアリシア・カーティスを滅ぼすのだ。


「ふふふふ……あははははははは!」

「なっ、なにを笑って……」

「これが笑わずにいられるか。あんた本当に何も知らないんだね。まあ、知ってたらこんな状況になるわけないか」


 アリシアの体が強張る。この女は何も知らないが、何も知らないという自分の瑕疵自体には、多少は自覚があったのかもしれない。

 とはいえ、分かっていたことなのに、どうにも笑いが止まらない。


「……どういう、意味?」


 震える声でアリシアが訊ねた。

 これからする答え合わせを、ウィリアムはきっと許さない。

 だけどあたしは、このときのために色々と準備を重ねてきた。

 

 だから、ごめんなさい。

 あなたの婚約者を壊すのは、あたしの自己満足だ。


「の日、崩落する魔王城であんたの愛しい勇者様は、ウィリアム・バルザックを殺そうとしたんだよ。みんなを守るために殿を務めたウィリアムの足下を、どさくさに紛れて魔法で爆破した」


 場が凍るというのは、こういうのを言うのだろう。


「…………嘘」

「嘘なもんか。あたしはこの目で直接見たんだ、勇者が聖騎士を殺そうとした瞬間を」

「しょ……証拠は? 証拠はあるの!? だってそんな、レオンがウィリアムにそんなことをする理由がないじゃない!?」


 あたしの告発に、取り乱したアリシアが叫ぶ。

 自分から一番大切なものを奪った犯人が、自分の一番近くにいたなんて、すぐには信じられるはずもないだろう。

 でも、


「あるよ、証拠。動機も一緒」

「――――ッ!?」


 証拠ならいくらでもある。

 なんならあたしは、使い魔を通してその現場を録画していた。

 でも、こいつにはその映像を見せる必要すらない。


「全部あんただよ、アリシア・カーティス」

「わた、し……?」

「分かるはずだ、アリシア・カーティス。レオン・カーティスと結婚したあんたが、一番最初に気付かなきゃいけなかったんだ」


 大した話じゃあない。

 あたしがウィリアムに恋していたように、レオンもアリシアに恋していた。あたしとあいつの違いは、あたしがウィリアムを諦めたのに対し、あいつはアリシアを諦められなかったということ。


「レオンはウィリアムが邪魔だった。普段は親友面しておいて酷いやつだよね。裏ではウィリアムからなんとかあんたを奪おうと色々画策してたなんて」

「そんな、そんなはずない。それだけじゃ、証拠にはならない……」


 震える声で紡がれた言葉は正論だ。

 確かにこれだけじゃあ、邪推の範疇を超えない。

 決定的な証拠を突きつけるのも手だけれど、それではつまらない。邪推の材料はまだふんだんに揃っている。


「信じられないのも分かるよ。あいつはあれで根は真面目だったからね。一人でそんなことをする勇気があったとも思えない。でも、唆した人間がいたとすれば?」

「え……?」

「あのクズは、王国の上層部と繋がっていた。考えてもみなよ、ウィリアムが死んで得したのは誰で、損したのは誰なのか」

「…………」


 レオンとウィリアムは世間の人気を二分していた。

 王国が選んだ勇者と、光の教会が認めた聖騎士。同じく教会勢力の聖女であるアリシアの分も加えれば、若干ウィリアムの方が人気だったように思う。

 それが王国の国王やその側近たちには面白くなかった。

 教会の勢力が強まれば強まるほどに国政には影響が出る。

 そして彼らはあるとき、レオンがアリシアに横恋慕しているのを知った。


「正解は王国が得をして、光の教会が損をした。国は勇者を使って魔王討伐の功績を声高に喧伝し、教会は英雄を失った悲しみから今でも喪に服している。ウィリアムがいれば今頃光の教会の影響力は比べものにならなかっただろうね。しかもそこに追い打ちを掛けるような勇者と聖女の婚姻だ。聖女を取り込んだ国はその地位を盤石にして、逆に教会は聖女の優位性すらも失うことになった」

 

 現在の世界の勢力図は馬鹿でも分かる王国一強。

 しかしこの女は、自分の足下しか見ていなかった。もう少し世界の情勢に目を向けていれば気づけた違和感を、見逃したのはこいつの怠慢だ。


「今日の結婚式の列席者ちゃんと見た? 勇者一党の仲間も、教会の関係者も最低限でほとんどいなかったでしょ?」

「だってそれは、みんな忙しかったから……」

「勇者と聖女の結婚式より大事な用事ってなに? みんなそんなに薄情な人だった? 違うよね、じゃあ別の理由があった。そう、あんた以外みんな気付いていたんだ」


 このクソッタレな事実に。


「レオンは王国と共謀して、ウィリアムを殺した。そして、彼が得るはずだったものを全て奪おうとしたんだ。あんたもそのうちの一つさ」


 勇者と王国の共謀を示す証拠も、文書で掴んである。

 王国から逃げ出した他の勇者一党は利口だ。これが表に出れば世界はきっと大混乱に陥るだろう。自業自得ではあるが、王国が受ける被害は想像もできない。


「エリカ……あなたは最初から、知っていたの?」

「もちろん。勇者があんたに惚れていたこともね」

「なら、どうして教えてくれなかったの!? どうして真実を黙っていたの!? もっと早く言ってくれていたら私は――」


 そこまで言って、アリシアは口を噤んだ。

 さすがに「お前のせいでこんなことに」とは言えなかったらしい。

 腐っても、そこは聖女と言われるだけのことはある。


「……エリカ。あなたは何故、レオンの悪行を見逃したの?」

「理由は三つ。一つ、あの場であたしが勇者を糾弾したとして誰も信じなかったはず。どうせあたしがウィリアムの死を受け止められず、レオンに八つ当たりをしていると思われるのが関の山だったと思うよ」

「それは……」


 否定できないはずだ。

 クズはクズでも勇者は勇者、積み重ねた信頼と実績がある。

 そもそもあたし自身も信じられなかったんだ。

 何かの間違いだと思って映像を何度も何度も確認し、ようやくそれが事実なのだと飲み込んだ。動機をかんがえてどうにか納得し、殺してやろうかとも思ったが取り押さえられるのが目に見えていたからやめた。

 それに他の仲間が勇者とグルじゃないという確証もない以上、下手に騒ぎ立てたら今度はあたしが口封じされていたかもしれない。

 唯一信じられる相手だった女は泣くばかりで使い物にならず、ここであたしがいなくなれば、誰がウィリアムを救うというのか。


「二つ、あたしは勇者なんてどうでもよかった。いや、勇者一党そのものに興味がなかったんだ。ウィリアムだけがあたしの全て。クズとの言い争いに無駄に時間を割くより、ウィリアムの救出に全てのリソースを注ぐのは当然でしょ?」


 ウィリアムは魔王城の崩落に巻き込まれ、魔界に取り残された。

 王国の調査団が生存は絶望的だのと発表していたが、あたしは信じなかった。

 ウィリアムは生きている。だけど、帰る方法がなくて困っているのだと。


 魔王が死んだことで、魔界と人間界を繋ぐルートは塞がれていた。

 だから新しいゲートを開く必要があり、その研究のためにあたしは魔法学校の実験室に引き籠もった。

 寝食を疎かにしながら続けた努力が実を結んだのは、半年後のことだった。


「半年前……? じゃ、じゃあ――」

「その通り。あたしがウィリアムを見つけたのは半年前」

「――ッ、あなたって人は!」


 声を荒げるだけなのは聖女の最後の理性だったか。

 怒るのも当然だ。あと半年早ければなんて、アリシアは今日だけで何回そう思ったことだろう。そうすればアリシア・カーティスはアリシア・ヘルソンのまま、ウィリアム・バルザックはウィリアム・ヘルソンになっていたはずだから。


 でも、そうならなかったのはあたしのせいだ。


「あんたに怒る資格なんてない。実験を成功させて、大急ぎであんたに報告しに行ったあたしが何を見たと思う?」

「……まさか」


 あたしは、アリシア・ヘルソンを認めていた。

 嫌いだったけど、紛れもなく彼女は聖女だったから。

 でもこいつは、アリシア・カーティスは違う。


「まさかウィリアムがいなくなって半年で他の男に股を開くような女だとは思わなかったよ、アリシア・カーティス」


 あたしがヘルソンの屋敷に行ったとき、こいつはクズとの情交に耽っていた。

 それはもう気持ち良さそうに上げていた嬌声を、この耳はしっかりと覚えている。


「絶望したし、失望した。よりにもよって相手は勇者だなんてさ。あのとき思ったんだ、こいつはウィリアムに相応しくないって」

「ち、違うのエリカ! 誤解よ! あれはそういうのじゃ――」

「分かってるよ、あんたは被害者だって。寂しかったんでしょ? 弱っているところを付け込まれたんだよね? あくまで好きなのはウィリアムで、あのクズを男として愛していないことも知ってる。あれはそう、深い悲しみから立ち直るのに必要なプロセスで、体は許しても心までは堕とされてないわけだ!」


 あたしはなにも誤解なんてしてない、全て正しく理解してる。


「――だからなんだよクソビッチ」


 信じてたのに。

 アリシアは、アリシアだけはずっとウィリアムの味方だって。

 なのにこの女は、ウィリアムだけではなくあたしのことも裏切った。


「あのとき、あたしがどれだけ悩んだか分かるか?」


 魔界で見つけたウィリアムは、ボロボロだった。治療した現在でも、左腕と右足に痺れが残っている。そんな彼に、あたしは何を言えば良かった?

 真実を告げるのは憚られた。でも、なかったことにするにはあまりに酷で。


「クズの使った中古なんかさ、渡せないよね」

「エリ、カ……」


 そう開き直ったあたしは、すぐに計画を変更した。

 ウィリアム・バルザックを幸せにするのはアリシア・ヘルソンじゃない、エリカ・エイズワースなのだと。

 そう決意してみたら、あたしの中には歓喜が満ちていた。

 この女の本質が程度の低い尻軽だったおかげで、あたしは初めてウィリアムの隣に立つチャンスを得たのだ。


「あんたは逃げた。ウィリアムが魔界で苦しんでる間、あんたは快楽に溺れて嫌なことを忘れようとした。そんな女にあたしの大切な人は任せられない。これが、三つ目の理由」

「違う……違うの、私は……私はずっとウィリアムのことを想っていた。あれは、そんなつもりじゃなかった! もし知っていたらあんなこと――」

「うるさいよ、事実は事実だ」


 断言してやると、アリシアは力なく地面に崩れ落ちた。

 両手で自分を抱き締めながら、ガタガタと小刻みに震えている。

 この女は無力で、無能で、怠惰で、そしてとても弱かった。

 被害者であるのは間違いないが、とても同情なんてできない。


「ウィリアムは……知っているの?」


 アリシアが訊ねてくる。


「聞いてどうするのさ。もう会うこともないのに」

「謝らないと……全部謝って、罪を償うの。レオンのことだって、このままにしておいていいはずがない……」


 その言葉にあたしは嘆息した。

 やっぱり、なにも分かっちゃいない。


「またウィリアムを傷つけるんだ?」

「……どういう、こと?」

「本当にあんた、自分のことしか考えてないね。お花畑だ」


 もう少し頭を使ってほしいと呆れるほかない。


「もしもあんたがレオン・カーティスの真実を告発したら、どうなるのかな?」


 答えは簡単、戦争だ。


「光の教会は王国を許さないだろうね。勇者の権勢を笠に着て無茶な主張を押し付けた周辺諸国も黙っちゃいないと思う。そもそも内乱が始まる方が早いかな。とにかく人がたくさん死ぬことになるね。あーあ、せっかく世界が平和になったのになー」

「そんな……それじゃあ、こんな悪行を見過ごせって言うの? ウィリアムが理不尽な目に遭わされてるのに、それを黙ってなきゃいけないの?」

「当たり前じゃん。したいの? 戦争」


 ウィリアムはそんなこと望まない。

 戦争が始まるぐらいなら、自分の心を殺す方を選ぶだろう。

 だからあたしは、彼には真実を教えていない。


 そうすれば、ウィリアムはこれ以上苦しまなくて済む。


「というかさ、この期に及んでウィリアムが助けてくれるとか思ってない?」

「…………」

「沈黙は肯定として受け取るよ」


 もはや溜息も品切れしてしまいそうだ。

 こいつはここまで愚かしい女だったのだろうか。


 レオンを告発すれば、ウィリアムは親友と信じていた男に裏切られたことを知りショックを受けるだろう。怒りよりも、悲しみに暮れるのが彼だ。

 そしてレオンに騙された被害者であるアリシアの出戻りも受け入れる。

 ふざけるな、こいつらはどれだけウィリアムを傷つければ気が済む。


 でも、そうはさせない。そのための手は打った。


「まさかそんなわけないよね、?」

「え――?」


 アリシアが、呆然とした表情であたしを見た。

 何を言われたか分からないといった風だ。笑える。


「あたしがなんで今日を選んだと思ってるの? 結婚式だから? 違うよ、婚姻なんて理由があればいつだって白紙にできる」


 半年間、あたしはずっとこの日を待っていた。

 人間界に戻るには魔力を溜める必要があると嘘をつき、ウィリアムと魔界で二人で暮らしながらじっと待っていたのだ。

 アリシア・カーティスが後戻りできなくなる瞬間を。


「我ながら気持ち悪い魔法だけどね、毎日あんたのこと確認してたんだ。おめでとう、昨日のが当たったのかな?」

「あ、あああ……あ……」

「自分を陥れた男の種で孕んだ女を、彼はきっと受け入れるよ。だってそれが、聖騎士としての正しい生き方だから。自分をどれだけ苦しめたとしても、誰かを救おうとするの」

「違う、違う違う違う違う……私は、ウィリアムのことを愛して……私は、ウィリアムのことを幸せにしたくて……」

「でもさ、そのときあんたはどの面下げて帰ってくるんだろうね?」


 言うと、アリシアは面白いように泣き出した。

 泣きじゃくり、嗚咽を漏らし、何度も何度も謝罪を口にする。

 堪えきれずに嘔吐もしていた。腹の中の物を全部吐き出してもそれは止まらず、最後には胃液しか出てこない姿は情けなくて、聖女とは思えず最高だった。


「安心しなよ。ウィリアムはあたしが幸せにする。あんたには劣るけど、あたしだって美人だし。なによりあんたと違って新品だしさ。これからあたしの全部をウィリアムの色に染めてもらうんだ」

「やめて……お願い、もうやめて……」

「あんたができなかったこと、あたしが全部代わってあげるよ。あたしが彼と結婚して、あたしが彼の子供を産んで、あたしが彼と一緒に幸せな家庭を築く――」


 だから、さ。


「一生、何も知らない馬鹿な女でいろよ」


 あたしの愛しい、ウィリアムのために。






 ***






 親友だった勇者が死んだという報せが届いた。

 表向きには事故と発表されているが、自殺だったらしい。

 何年も会っていなかったので、あいつが悩みを抱えていたなんて知らなかった。

 魔王討伐の旅で負った心の傷に苦しんでいたのだろうか。

 カーティス侯爵としての職務が負担だったのだろうか。

 もっと早く知っていれば、俺にも何かできることがあったのではないかと、後悔の念は尽きない。


 妻のエリカは報せを聞き「そっちが先か」と呟いていたので、何か事情を知っていそうだったが、教えてはくれなかった。

 その代わりに、アリシアを我が家に迎え入れないかと提案してくれた。


 レオンが亡くなってからアリシアは塞ぎ込んでいるらしい。

 子供もまだ小さく、自身も病気がちとのことで爵位と領地を国に返還することに決めたのだと聞いた。

 今後は実家のヘルソン伯爵家に戻り静養するとのことで、それならば療養地と名高い俺たちの住む村に来てはどうかという話になり、それがアリシアのためになるのならと俺も同意した。

 我が家は子供が多く騒がしいので静養とはいかないだろうが、この賑やかさが彼女にとって幾ばくかの慰めになればと思う。


「あなた、アリシアさんが到着したって」

「ああ、いま行くよ」

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