バロン

第10話




夏休みが終わると、すぐに運動会の準備にかかる。運動会の種目のうちで、ぼくらが一番はりきるのが、学年対抗の応援合戦である。

ぼくは、今年は、去年旅行に行ったバリ島のバロンをやりたいと思っていた。バリ島は、この国から近い世界的に有名なリゾート地である。だから、ここに住む日本人は、長い休みがとれるとバリ島に遊びに行く。ぼくの家族もそれにならって一度は、行ってみなきゃなという事で、去年やっと行ってきたんだ。バリ島の景色は、とてもきれいだった。それ以上に人々が優しくて、みんなにこにこしてる。ぼくの住んでいるこの国の人たちとよく似ているとぼくは思った。そこでぼくは、バロンダンスを見た。

バロンはバリ島のライオンみたいな神様である。バロンは、悪を代表する魔女ランダと戦っているんだ。でも、これが、何だかよくわからない戦いで、バリの人たちは、勝負がつかないっていう。

バロンは神様で、ランダは魔女なんだから、ふつうはバロンがランダをやっつけて、物語は、めでたしめでたしで終わるはずだ。けれど、なぜか、この物語は今も続いているらしい。バリ島の人に聞くと、「今も善と悪があるのだから、戦いは今も続いている」ということらしい。

ぼくは、それを聞いたとき、なるほどって思ってしまった。だって決着が着いているんだったら、この世の中には、善という言葉か悪という言葉しか無いはずだもんな。うん。戦いは今も続いている。 


応援合戦でぼくがやりたいバロンは、バリ島のバロンとちょっとちがう。ぼくらのバロンは、ぼくら赤組を助ける正義の使者なんだ。白組をやっつけてバンザイってことにする。

ぼくはこのアイデアを胸にだいて、わくわくしながら話し合いの時間をまっていた。

黒板の前に立って、体育委員の卓也が言った。

「応援合戦のアイデアをだしてください」

「はい」

ぼくは、はりきって手を上げた。

「祐介」

「バリ島のバロンをやりたいと思います。白組をやっつけるの、どう?」

「ああ、それ、ええわ」

すぐに友里が賛成してくれた。

「そうね。私もバリ島に行った時、バロンダンスを見たわ。バロンは世界的に有名な神様だから、そういうのっていいよね。見栄えも獅子舞みたいでたのしいわ」

まゆみも乗り気だった。

「ほかに意見はないですか?」

真一郎が手を上げた。

「バロンもいいけどさ、あり、やんない?」

「あり?」

みんなは、よくわからないというようにもう一度、あり、という言葉をくりかえした。

「そう。みんなありになってさ、白い角砂糖でもくずしていけばいいんじゃないかな」

「気持ち悪い」

香織が首を縮めた。

「どうして、ありなんだ?」

浩司が聞く。

「ありだったらさ、一人ひとり好きに動けるし、小道具も、自分で用意すればいいだけ。ようするに、無駄な時間をかけたくないんだよ」

ぼくらは、あきれたねと頭をふって、真一郎のアイデアを無視してしまった。

けっきょく、応援合戦はバロンに決まったが、なんだか盛りあがりにかける決ま方だった。

放課後、ぼくらはバロン作りのため、教室に残ることにした。

香川先生が、発泡スチロールをかかえて、教室に入ってきた。

「用具室にこれがあった。バロンの頭にちょうどいいだろう」

「先生、ぼく、用事があるから帰ります」

真一郎がかばんを持って、出口へ歩いた。

「用事があるのか?」

先生の言葉に真一郎は、そうそうとこきざみにうなずく。

「何の用事だよ」

卓也が、真一郎をおいかけた。

「何でもいいだろう」

「よかないんだよ。応援合戦はみんなでやるんだ。一人だけさぼろうなんて、ゆるされないんだよ」

「やらないって言ってないじゃないか。用事があるから今日は帰るって言ってるだけじゃないか」

「今日だけなんだろうな。あしたはあしたで用事があるって言うんじゃないだろうな」

「そんなこと、あしたになってみなきゃわかんないだろ」

「なんだと」

「卓也、やめなさいよ。帰りたい人は帰ればいいのよ」

まゆみはそう言って、先生が持ってきた発泡スチロールを持ち上げ、ながめているふりをした。

「ま、ま。用事だというんだから、それでいいじゃないか。な、真一郎、用事のないときは手伝うよな」

先生が、真一郎の肩に手をおいた。

「うーん。あ、そうだ。ぼく、悪魔をやるよ。本番でひとり白いシーツかぶって逃げればいいんだろう。それ、やるからさ」

「おまえなぁ……」

先生はためいきをついた。

「じゃ」

「おい、まてよ」

先生が、真一郎をよびとめた。

「逃げ回るのは、悪魔じゃない。競争相手の白組だ。そこんところ、よろしく」

 手を上げてる先生を、真一郎はどっちでも同じだというようにちらっと見て、何も言わず帰ってしまった。


バロン作りは放課後に、すこしづつすすんでいった。

いつものように、真一郎が教室を出ていったあと、「何かおもしろいことなかなぁ」と、卓也が言った。

「おもしろいことって、どんなこと、ゆうてんのん?」

 友里が聞いた。

「パーッと、気持ちがはれるようなこと」

「そうね。そういうと、このごろ、みんなの家に集まることもなくなったわね。今度PTAゴルフコンペがあるでしょう。夜中までお父さんやお母さんは帰ってこないでしょ。勉強会でもしようか」

「まゆみ、いいこというね」と、卓也。

「そうやね、前みたいにやろやろ。パーッと遊んだら気持ちええかもしれへん。私もここに、なんや、もやもやしたもんたまってるねん」

友里がおなかをおさえて、身をよじった。

「だったら、みんなうちへおいでよ。うちはみんなみたいにうるさい兄弟がいなくってぼく一人だからさ。さわいだってだれもじゃまするものなんていないし、アニスもお母さんにいいつけたりしないからさ」

ぼくはぽんぽんと胸をたたいた。

「いいの?」

と聞くまゆみに、ぼくはもう一度うんうんとうなずいた。

「じゃ、きまりね。わたし、クッキーやいていくから」

「あ、オレ、きのう日本から送ってきた人生ゲーム持っていく」

「わたし、マンガの本」

「わたし……何にしようかな、えーっと」

 大きな目をくりくりさせて香織は考えていた。

「ぼく、勉強の本をもっていくよ」

「浩司、おまえ何いってんだよ」

「だって、勉強会だろう」

浩司がすました顔でいったあと、ブッとふきだした。

みんなは「そうだよな」「いえる。いえる」とどっと笑った。

「石上君はどうするの?」

みんなの笑いがおさまったころ、香織がぼそっと言った。

ぼくは、突然冷たい水をかけられたような気持ちになった。ぼくのゆるんでいたほほがこわばる。

みんなも、おたがいの顔から目をそらせて、それぞれ別のところ見ている。

「ごめんなさい。わたし悪いこと言っちゃったみたい」

香織がうなだれた。

「ま、いいんじゃない。あいつも、いちおうおれたちのクラスだからさ。でも、おれ、あいつが来るんだったら、行かない」

卓也がくるっと背中をむけた。

「わたしも、行かんとこかなぁ」

「そうなると、集まる意味ないな」

浩司がためいきをついた。

「さそうの、やめようか。だって、ここにいないやつが悪いんだもん」

ぼくが、みんなの顔色をうかがいながら言った。

「そうよね。ここにいないのがおかしいのよね。こんなに大切な相談をしてるのに」

まゆみがツーッとあごをあげた。

「そうだ。そうだ。真一郎なんて、さそうことねぇや。どうせ日食が終わったら日本に帰るんだろ。勉強会の時には、もういないかもしれないもんな。あんなやつ、仲間じゃねぇしな」

卓也がそう言ったとき、ガタンと窓に何かがぶつかった音がした。

ぼくらは全員、窓の方を見た。

真一郎!

そこには真一郎が立っていた。

 真一郎は聞いていたのだろうか?

 ぼくは、からだと顔がこわばっていくのを感じた。

 動揺して、何を言えばいいのかわからなくなってしまったぼくとは反対に、真一郎は冷静に、机のなかからノートをとりだし「忘れ物」と言ってみんなに見せた。

 怒るようすもなく、すねるようすもない。 ぼくは、聞こえなかったんだ、と思って、ほっとした。

 けれど心の一方のすみでは、あんな所にいて聞こえないはずがないと思っていた。


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