アニス

第8話

 


ぼくはベッドの上で、目覚める前に見た夢を思い出していた。

 教室には誰もいない。そんなはずはないと思ってろうかに飛び出し、となりの中学部一年生の教室の戸をガラガラと開けてみた。

 誰もいない。

 そうか、今年は中学部に入学したやつはひとりもいなかったんだ。自分自身にいい聞かす。そんなことない、そんなことないって、いやいやをするもうひとりのぼくには、無視して……。

 ぼくはとなりの教室の戸をあけた。

 いない。なぜ?

 ぼくは走りだした。てあたりしだい、教室の戸を開けていった。

 やっぱり誰もいない。

職員室は? ぼくがここに、ひとりでも残っているんだもん、香川先生ぐらいはいるはずだ。

 ぼくは息を切らして職員室の戸をあけた。

「先生。香川先生」

 ぼくは大声を出した。

 先生たちの机の上には、うっすらと砂ぼこりがつもり、茶色くなった紙が無造作にちらばっていた。

 そうだ、思い出した。香川先生は運営委員会の人たちが日本へ帰しちゃったんだ。服装も話し方も、先生らしくないとお父さんやお母さんに批判されていたのに。決定的になったのは、コモドドラゴンの檻に入った事件に違いない。あの事件を大人たちに言いつけたのは、真一郎だ。あいつが言わなかったら、問題にもならなかったはずだ。ぼくたちは、香川先生が好きだったのに。


 香川先生がいなくなっちゃったんだったら、校長先生ぐらいは残ってくれてるはずだ。

 ぼくは職員室から校長室に続くドアを、祈る気持ちで力いっぱい開けた。


 ガタン

 

 かべに飾ってあった、初代の校長先生の写真が、バランスを失ってななめにかたむいた。


ボクハ、ワスレラレタ。


 ちがう。ぼくはわすれられたんじゃない。ぼくも本当は、日本に帰らなきゃいけないんだ。みんなが帰っていったようにぼくも帰らなきゃならない。

 そうだ。そうなんだ。

 日本に帰るには、なんか呪文があった。

 卓也たちは、その呪文を唱えて次々と日本に帰っていったんだっけ。日本人学校の生徒たちみんな帰っちゃったんだった。確か、おまえも帰れるから呪文をとなえろと、卓也が言った。日本へ帰るまえに、その呪文をぼくに教えてくれたはずなのに思い出せない。

 何だったんだろう。なんか、かんたんな言葉だったような気がする。その言葉をとなえると日本へ帰れる。みんなのところへ帰れる。

 日本……。日本……。日本。

そうだ、思い出した。

「日本に帰りたい」これが呪文だ。こんなかんたんな言葉だったんだ。

 ぼくは、すぐに呪文をとなえようとした。

 でも、なぜか口がひらかない。

 なぜ、なぜ口が動かないんだ。

なぜなんだ……。

「言うと、悲しむ人がいる」

 どこかで、そんな声が聞こえたような気がした。

 ぼくが、日本に帰りたいといったら、お父さんやお母さんはどんな顔をするんだろう。

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