肝試し
第7話
S日本人学校では、夏休みに入る前に両国交流キャンプというのがある。ぼくら日本人学校の生徒と、この国の小学生が体育館で一泊し、食事や遊びなどで文化交流するのである。
この交流生の中に、ぼくの友だちのハリムもいた。
ハリムは、ぼくと同い年で、ぼくの家のななめ向かいに住んでいる。ハリムの家のメイドさんとぼくの家のアニスが友だちだから、ぼくは小さいときから、アニスについてハリムの家に遊びにいっていた。メイドさんたちがおしゃべりしているあいだ、ぼくとハリムは、ブロックや自動車のおもちゃでよく遊んだ。
でも、今ではあまり会うこともなくなっていた。この国では学校が二部制になっていて、高学年になったハリムは、昼から学校へ行っていたからである。でも、道で出会うと、「ヤー」って声をかけあったりする。
その日は朝から、寝床になるマットレスを家から運んだり、食事のかまどをつくったり、準備でいそがしかった。
夕方からは、ハリムたちともいっしょに夕食の用意をした。
日本のカレーライスを作ったんだけど、カレーの中に灰が入ったり、なべの底がこげてしまったりで、大変だった。
見ばえはいまいちだったぼくらのカレーライスも、食べてみると、けっこうおいしかった。でもあれを、ハリムたちがカレーだと理解してくれたかどうか、ちょっとあやしいとぼくは思っている。いちおう、おいしいって言ってたけど……。
夕食が終わると、いよいよ肝試しが始まる。
肝試しは、各教室をめぐって体育館へ帰ってくるというものだった。最後の理科室が一番の難所である。あそこは、何もなくっても、気持ちが悪い。そのコースを三人または四人一組でまわる。ぼくは、ハリムと真一郎と組んでまわることになっていた。
これがまた大変だったんだ。だれが真一郎といっしょに組むかということで一揉めあったんだ。みんな真一郎とは組みたく無いと思ってるのが見え見えなんだもん。くじ引きにしょうかと先生が提案しても、卓也なんか、絶対組まないなんて言いだすしまつ。先生も「みんな仲良くしなきゃだめだろうが」と注意してたけど、そんなこと言われてもだまっちゃうだけだった。ぼくも、真一郎となんかと組みたくなかったんだけれど、卓也が「一番この国の言葉がうまいやつと一番下手なやつが組むのがいいと思いまぁす」なんて言い出すから、みんな「賛成」ってなっちゃたんだ。
ぼくが嫌だという前に先生が「あ、それがいい」なんて決めちゃったんだ。まぁ、ハリムといっしょだからいいんだけどね。
「はい、交代。恐いよー」
肝試しが終わったまゆみが、ぼくらにプレッシャーをかける。
ぼくは「えへん、えへん」と気合を入れ、ハリムと真一郎といっしょに体育館を出発した。
六年の教室の入口に、冷たいひもが、顔にあたるようにつるしてあった。暗闇で急に顔に何か触るというのは、けっこう気持ちが悪い。
各学年の教室ごとに、赤鬼青鬼などがいる日本のお化けコーナーや、ドラキュラや狼男などの西洋のお化けコーナーなどにわかれていた。
窓の外を見ると、白いものがふわふわしていたけど、こんなのでは驚いたりしない。先生がシ-ツかぶってるの、まるわかりなんだもの。ハリムにちょっとはずかしい。ぼくがちらっとハリムの方を見ると、ハリムは真剣な顔をしていた。真一郎はというと、ばかばかしいとう顔をしてたいた。こういう顔を見ると何もかもがしらけてくる。こいつは、本当に空気が読めない嫌なやつだ。何かぼくらに怨みでもあるんだろうか。
とうとう最終コーナーの理科室に入った。
黒板の横に立っている人体模型に懐中電灯の光が当たっている。後ろのたなにならんでいるホルマリン漬けの魚やへびたちからも、あわい光が出ているような気がする。
「こんなのこわくないよね」
ぼくはハリムにいった。
「ヤ、ヤァー」
ハリムが言った。
なんか、すごく緊張しているみたいだ。
「怖いのかなぁ……」
真一郎がふふんと鼻で笑った。
ぼくは真一郎なんて無視して、この国の言葉で話すことにした。
「どうした?」
ぼくは、ハリムに聞いた。
「背中がぴりぴりする。変な感じがする。おじいちゃんがそばにいるような気がする」
「おじいちゃんて?」
「おじいちゃんは死んだんだ。ぼくは、そのおじいちゃんの霊と交信することができるんだ」
「え、本当?」
ぼくのからだがブルッとふるえた。
「何、ふたりだけでしゃべってるんだよ」
真一郎が、もんくを言う。
「幽霊の話さ」
ぼくは、真一郎も怖がればいいと思って、そう言った。
「幽霊……」
真一郎がまゆをひそめた。
「いるんだ。ハリムの死んだおじいちゃんがここにいるって言ってる」
「ばかな。いるわけないだろう」
ぼくは、ハリムに真一郎の言葉を伝えた。
ハリムは、いると言いはった。
「おじいちゃんは、祈祷師をやっていたんだ。不思議な力をもっていたんだ」
「祈祷師って、悪魔祓いなんかする人?」
ぼくが聞いた。
「そう。だから今でも、霊になって悪魔からぼくを守ってくれてるんだ」
「そうなんだ」とぼくはなっとくした。
「えーっ、本当に霊や悪魔なんて信じてるのか?」
真一郎はまたバカにして笑った。でも、少し顔がひきつっているようにも見える。こんな夜中にそれも暗闇の中、霊や悪魔の話をしているんだもん、少なからず気持ちいいはずはない。
「霊や悪魔はいる」
ハリムは真剣な顔をして言った。
「うそにきまってる」
真一郎の顔も真剣だった。
「ぼくは、何回も見たんだ。おじいちゃんが悪魔祓いをしているところを。死んだ人の魂を呼び出しているところも何回も見た。おじいちゃんが死んでから、ぼくにはおじいちゃんを感じることができるようになったんだ。おじいちゃんは、今やってるこの肝試しというゲームが理解できないのかもしれない。こんな夜にこんなさびしい所をうろうろ歩いているという事が、心配なのかもしれない。だから、ぼくを守ろうとしてるんだ。とても近くに感じる」
ぼくが、ハリムの言葉を真一郎につたえると真一郎は何か言いたそうにぼくを見た。けれど、何も言わなかった。
「そうなんだ。 不思議なことって、無いとは言い切れないよな」
ぼくは、自分に言い聞かすようにつぶやいた。
ハリムは、怖いぐらいのなまなざしで真一郎をじっとみつめていた。まるでハリムの中におじいちゃんが乗り移って、おじいちゃんが真一郎を見つめているような気がした。
あまりハリムがみつめるので、真一郎はついに頭を下げてしまった。
「そんな目でぼくを見るな。見るな。祐介、そいつにぼくを見るなって言ってくれ」
真一郎がささやいた。真一郎も、ハリムの目の中にただならぬものを感じたのかもしれない。
「おじいちゃんがいる」
ぼくがは ハリムに通訳する前に、ハリムがそうつぶやいた。そして、何かを感じたようにさっと後ろをふりかえった。
ぼくもつられて後ろを見た。
ゲゲー、ひ、火の玉!
ぼくはとっさに、叫び声をおさえるため、口を押さえた。
そこには、オレンジ色に火の玉が、生物のホルマリン漬けをおともにしたがえて、ふわりふわりと飛んでいた。
ぼくは、口を押さえていた手の上に、もう片方の手もかさねた。
「ちがう、ちがうよ」
ハリムがぼくを落ち着かせるようにぼくの肩をたたいた。
「ごめん。おじいちゃんの話なんかしたから、いけなかったんだよね。よく見て。あれは、おじいちゃんの魂じゃない。綿をアルコールにつけて燃やしてるだけだ。おじいちゃんが笑って教えてくれたよ」
ハリムが にっこり笑った。
ぼくは目をいっぱいに開けて、ハリムが指さしている火の玉をにらんだ。
「ほんとだ」
アルコールずけの火の玉は、すぐに燃えてしまうのか、もう燃えつきようとしていた。こげて黒くなった火の玉は、よく見るとかわいそうなぐらいみじめだった。
「悪魔や霊の話なんかするな!」
真一郎が黒板にへばりついていた。本当は、真一郎も怖いんだ。
その時、とつぜん理科室のてんじょうの板が、ガバッとあいた。そして、なんと、人間の顔が落ちてきたんだ。
「ひぇー」
「ぎゃー!」
ぼくらは先を争って理科室を飛び出た。
ぼくらの後ろから、垂れ下がった首が叫んだ。
「こら! いつまでそんなとこで遊んでるんだ。次の者と早く代われ」
先生の怒鳴り声が、ぼくたちを追いかけてきた。
ぼくたちは生首の正体がわかっても、石のろうかをバタバタ走りつづけた。
体育館に飛び込むと、ぼくたちは大声で笑いだした。
「先生?」
ハリムがおなかをかかえて聞いた。
「そう、びっくりしたね」
「天井裏で何してんだ?」
「さっきの火の玉を吊り下げてたんだよ、きっと」
ぼくらは、もう一度顔を見あわせて笑った。
「どうしたの?」
次の出発組の浩司が聞いた。
「ううん。何でもないんだ」
「そんなにおもしろかった?」
「怖かったよう」
ぼくはハリムに「ネッ」て言った。
ハリムも「怖い怖い」って言ってケラケラ笑った。
「何言ってんだよ、もう」
浩司がぼくをひじでグイグイ押した。
でも、一人だけ笑わないやつがいた。真一郎。真一郎はぼくらといっしょに逃げてはきたが泣きそうな顔をしていた。ぼくが真一郎のうでをつかんで逃げなければ、真一郎はその場で気を失っていたかもしれない。ぼくは何となくそんな気がしていた。
肝試しは、結局、ぼくのチームだけが理科室の証拠の品を取ることができなかった。
みんなは、白い折り紙でおった幽霊をもって返っていたけど……。
でも、みんなは天井からの生首なんて見てないんだもん。ぼくらだってあれさえなきゃ、ちゃんと証拠の品ぐらい持って帰れたさ。
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