コモドドラゴン

第5話



 「先生、おそいなぁ」

 まゆみが、校門から外をのぞいた。

「これじゃもう、コモドドラゴンがえさを食べるところは、ぜったい見られないわ」

 まゆみは、フーと肩を落としてため息をついた。

 日曜日、ぼくらは六年生のクラス全員で動物園へ行くことになっていた。真一郎の歓迎会というのが口実で、本当の目的はもちろん、コモドドラゴンが、えさを食べるところを見るためだった。

 それにしても、真一郎をクラスの行事に参加させるのは、ほねがおれる。この歓迎会も、はじめ、真一郎は出席しないっていいはっていた。理由は一つ、勉強ができないっていうんだ。なんで、日曜日にまで勉強をするわけ?

 なんでっていえば、真一郎は日曜日にプールにも行かない。真一郎のお母さんが、どうぞ遊びに来てっていうから、ぼくはプールに行こうってさそいにいったんだ。

 ここでは、日曜日は魔の一日で、自動車がないと、どこにも行けない。友だちの家にも遊びにいけない。一人で長い一日を過ごさなきゃいけないんだ。でも、ぼくはちがう。自動車がなくっても、プールに行けるんだ。それもできたてのぴかぴかのでっかいプール。

 去年できたところだから、本当にきれいなんだ。そのプールができるまでは、町のホテルにあるプールに行ってたから、ぼくも自動車がなきゃ行けなかったけど、今はちがう。幸運にも、ぼくの家からそのルプールまで、自転車で行ける。

 ぼくは真一郎も退屈してるだろうっと思って、プールに行こうってさそった。それなのに、真一郎は、行かない、時間のむだだってい言うんだ。


 ぼくらは、ずいぶん前から、先生一人を待っていた。

 こんなことになるんじゃないかって、誰もが心配していたことだけど、今、そんなこといってもおそいしなぁ。

 みんなはいらいらしながら、顔をしかめたり、足もとの石をけったりしていた。

 特別参加のイーチェ先生も、ぼくと目があうと、かたをすくめて両手を広げてみせた。イーチェ先生は、現地採用の先生。まだ大学生の若くてきれいな女の先生なんだ

「あ、来た。先生が来たよ」

 道路まで出ていた浩司が手をふっている。

 ぼくらは校門を出た。先生は片手を上げ、自転車でいっしょうけんめい走ってくる。

「おそい。先生、おそい」

 みんなは口々にさけんだ。

 先生はさっと自転車をおりると「あっ、すいません。お待たせしちゃって」と、いいながら、すぐにイーチェ先生の前に走っていった。

「私は、だいじょうぶです。でも、子どもたちが心配しています」

 イーチェ先生が手を広げて、ぼくらを見た。

「あ、おまえたち。わるい、わるい。下宿のおばさん、起こしてくんないんだもんなぁ。いやになるよ」

「先生、おまえたち、じゃないでしょ。今日はなんのために集まったと思ってるんですか。今からじゃもう、コモドドラドンのえさを食べるところは見られませんよ。それに、朝ぐらい一人で起きたらどうですか」

 まゆみが、香川先生をグッとにらんだ。

「そうか。わるかった」

 先生は、顔の前に手をたてて拝むようにして言った。

「どうする。まだ、動物園に行くか?」

 浩司がみんなに聞いた。

「行こうや。きょうは、ほら、真一郎の歓迎会だしさ。ねぇ、イーチェ先生」

 香川先生がいった。

 突然名前を呼ばれたイーチェ先生は、驚いたように目をぱちくりさせた。

「そうだよな。もうちょっとでメインゲストぬきの歓迎会になるところだったのに、ありがたく真一郎様が出席してくださったんだもんな。行かなくちゃ、もうしわけねぇですじゃ」

卓也がふざけて、腰を曲げ、時代劇のおじいさんのまねをした。

 こういうのって、言葉にケンがあるっていうんだよね。ぼくなんて、聞いていて、胸にグサグサッてきたもん。

「こら、そういう言い方はないだろう。みんな仲良く行こう。ほら、行くぞ。車に乗って乗って」

 先生は、今日の車当番である、まゆみんちの赤いワゴン車にみんなをおしこんだ。ここでは、どこかへ行くというたびに、自動車の手配が必要になる。それは当番制になっていて、きょうは、まゆみんちの自動車っていうことになっているんだ。

 みんなは、ぶつぶついいながら自動車に乗り込んだ。真一郎は単語帳をのぞきこんでは、ひとりで頭をふったり空を見上げたりしていた。

 もう、朝の日差しが昼の日差しのようになって、うんざりするような暑さになっていた。これじゃぁまた、動物の昼寝を見にいくようなもんだ。

 ぼくはとなりに座った真一郎を見た。

「どうしたの。動物園行きが決まったときは嫌だっていってたのに」

 ぼくは聞いた。

「別に」

「お母さんに行けっていわれたんだろ?」

 ぼくは、ぼくのお母さんのだったら、行けっていうだろうなあと思った。

「うるさいな。お母さんなんて関係ないだろう」

「そう」

 おお怖い。そんなに怒らなくってもいいだろう。

 真一郎は、お母さんのことを言うとなんかいらいらするみたい。まあ、ぼくもお母さんがうっとうしいということは、わからないことはないからもう言わない。

 

ワゴン車は、町へはいっていった。

 急に自動車の数がふえる。バイクも自動車にまけてはいない。ぼくたちの乗ったワゴン車を、四人乗りのバイクがおいこした。人を乗せる自転車、モーター付き荷車、バイク、自家用車、人間。道路は活気のある混乱状態。

 赤い屋根の洋館が、広い道路の両側に立ち並んでいる。街路樹がつづく中に一段と高くしげっている火焔樹がある。あの角を右に曲がればもうすぐ動物園だ。

先生は、イーチェ先生とならんですわり、何かとっても楽しそうに話していた。


「着いたぞ。荷物を忘れるな」

 動物園の前で自動車がとまり、香川先生が大声で言った。

 動物園の前は、食べものの屋台、頭にものを乗せた物売り、みすぼらしいかっこうの物乞い、民族衣装の女の人、黒い帽子をかぶった男の人、ベビーシッターといっしょの家族連れ、ジーンズ姿の若い人たちのグループなど、いろんな人でにぎわっていた。

「動物園にみんなで来るなんて、幼稚園の遠足みたいね」

「ほんま、ちょっと恥ずかしいわ」

 友里と香織がくすくす笑っている。

 ぼくらは「暑いなぁ」とか「くさいなぁ」とかいいながら動物園に入っていった。

「ねぇ、あれ、何してるの?」

 香織が、十人ぐらいの人が集まっているところを、指さした。

 人のあいだから見ると、ペリカンのような白い大きな鳥が石をひきつめた道をゆっくり歩いていた。

「絶対、あの鳥、檻からぬけだしたんやと思う。この前、隣の県の動物園で自分の柵に乗ってる鳥を、私、見たもんね。このまま出ちゃおうかどうしょうか迷ってるみたいやった」

 友里が言った。

 まゆみがふりかえり「うそぉ。仲間がいっぱいいるから、野性の鳥が入ってきたんじゃないの?」と後ろ向きに二、三歩歩いた。

西洋人の船員さんのかっこうをした人が、めずらしそうに、カメラを白い鳥に向けていた。また、その船員さんをめずらしげに、写真にとっている現地の人もいた。

 白い鳥は、そんなことはおかまいなしに、どうどうと人間の道を歩いてる。

「どうして逃げないのかな。おもしろいね」

 と、ぼくは言いながら真一郎をふりかえった。

「信じられない。だれか呼ばなきゃいけないんじゃないの。鳥だといっても、あんなに大きいんだもん危険じゃないか」

真一郎はまゆをひそめ、ぼくに隠れるようにして、そのようすをながめていた。

ぼくは「こんな所に来てまで勉強してるおまえのほうが信じられないよ」って小さく言ってみた。

 オランウータン、キリン、ぞう、さい、水牛の檻をまわる。へびやかえるなどの爬虫類や両生類は、岩に見立てた薄暗い部屋のなかで飼われていた。そこを通り抜けると、コモドドラゴンの檻があった。檻といっても網が張ってるわけじゃなく、ぼくたちの胸の高さぐらいのコンクリートの塀があるだけ。

 ぼくたちはコンクリートの塀に身を乗り出すようにして、中をうかがった。

「先生。やっぱりおそすぎましたよ。コモドドラゴンの姿も見えないじゃないですか」

 まゆみがまた、不服そうな声をだした。

「姿……。いるいる。ほらよく見ろ、あのブリギンの木の下で寝ているじゃないか。お、すごいなぁ、すごい。やっぱりコモドドラゴンはコモドドラゴンだなぁ。ほらほらほら」

 先生はからだをいっぱいのばして「あそこ、あそこ」なんて指をさしていた。

「わぁ! しまった」

 突然、先生が大きな声を出した。

「どうしたんですか」

 香織が聞いた。

「財布、落としちゃった」

「わっ、ドジ」

友里の声にみんなの頭が、コモドドラゴンの檻の中をのぞきこんだ。

 財布は塀のすぐ内側に落ちていた。ちょっと手をのばせば取れそうな感じだった。

「おれ、ちょっと、入って取ってくるわ」

 先生はコンクリートの塀に足をかけた。

「だめです」

 イーチェ先生が驚いて、香川先生の手を引っ張った。

「だいじょうぶですよ」

「だめ。危険です。コモドドラゴンは人間も食べます。毒も持っています」

「ちょっと、ちょっとだけですから。ほら、コモドドラゴンはおなかがいっぱいで寝ているんだし、それに、あんなに遠くにいるんだから心配いりませんよ。ぱっと行って、ぱっと帰ってきます」

「だめ」

 香川先生は、だめだといっているイーチェ先生の手を振りほどいて「すぐ、すぐですから」と言いながらコモドドラゴンの檻の中に飛びおりてしまった。

 ぼくらは、香川先生が檻の中に飛びおりても、別にたいしたことじゃないって思っていた。さっとおりて、さっと帰ってこれると思っていた。それほど、塀は低かったし、財布は近くに見えたし、コモドドラゴンは動きそうもないように見えていた。だけど───。

 コモドドラゴンってすごいんだ。それまでは枯れ木が横たわっているみたいに、どてって寝ていたのに、それがえさだと思ったら、ものすごいスピードで走ってくるんだ。わにみたいにシュルシュルって走って、ピタッて止まる。そして、またシュルシュルッて走りだすんだ。それが何匹も何匹も、いっせいに動きだすんだ。今まで、こんなにたくさんのコモドドラゴンが、どこにかくれていたんだろうて思うぐらい、いっぱい出てきたんだ。

 早く先生を引き上げないといけないってわかってるのに、ぼくらは、それにはどうすればいいのかわからなかった。

「先生、先生。早く、早く」

 ぼくらはさけぶだけなんだ。

「手をもって、引き上げて。早く、早く」

 イーチェ先生の叫び声も、日本語とこの国の言葉がいりまじっている。

「来た!」

 だれの声だかわからない。みんながさけんだのかもしれない。その声にあわせて、ぼくらは香川先生の手をひっぱった。

 先生の足がコンクリートのへいをのぼる。もう一度、ぼくらは力を入れて先生の手をひっぱった。

「ひぇー」

 コモドドラゴンが香川先生の足にかぶりつこうとした瞬間、先生のからだがコモドドラゴンの檻からころがり出た。

 まにあった!

 ぼくは、からだから力がぬけたように、壁によりかかった。みんなも、その場ですわりこんだり、ひざに両手をついたりして、ハァハァ息をしていた。

 ぼくがふっと檻の中を見ると、コモドドラゴンと目があってしまった。コモドドラゴンは、恨みがましい目をして、長くて太いしっぽを「ざんねん」というようにドテッと動かした。

「香川先生、だいじょうぶですか?」

 イーチェ先生が、大きな目を見ひらいて聞いた。

「あっ、ええ、だいじょうぶです。すみません。ああ、びっくりした」

さすがの香川先生も、顔が真っ赤になっていた。

「うん、でもやっぱり、ドラゴンというだけはあるなぁ。野性が残っている」

「なに感心してんだよ」

 卓也がいった。

ぼくらは、めんどうみきれないよというように目配せをしていた。

「香川先生もこれがなきゃ、いい先生なんだけどな。でも、これがなかったら、香川先生は香川先生じゃないか……」

 ぼくらは、卓也の言葉で一度に緊張がほぐれたのか、どっと笑いだした。

 もちろん、真一郎だけは、なにがおかしいといいたそうな顔をして、みんなを見ていた。

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