第4話



学校が終わって、ぼくはぶらぶらと家の方に向かって歩いていた。ここは暑い国だけど、道の両側にはおおきな木が繁っていて、思ってもみないようなさわやかな風がふく。そんなとき、空き地の背の高い雑草が、ザワッザワッとぼくをおどかしたりする。

雨期のときはもっとおもしろい。雨雲が突然あれわれて、雨がぼくを追いかけてきたりする。タッチの差でぼくが家に駆け込むと同時に、雨がぼくの家を悔しそうにぬらす。もちろん、ぼくがつかまってしまうときもある。そうなると、雨はようしゃなくぼくをたたく。

 この国の雨は生きていると、ぼくは思う。


 パッパー、パッパー

ぼくの後ろから、自動車のクラクションがなった。ふり返ると、真一郎が自動車の後ろ座席から首を出していた。

「自動車、ないの?」

真一郎が聞いた。

ないの? だって。バカにしてるとぼくは思った。けど、ぼくはにっこり笑って「ううん。ぼく学校の行き帰りは歩くことにしてるんだ」て答えた。

「へぇ。いつも、そうなの? じゃ」

真一郎は不思議そうな顔をして、自動車の窓をしめた。

無理もないと思う。ここでは、みんな学校へ自家用車で通ってるんだ。もちろん、運転手さんに運転してもらう。ぼくもちょっと前までそうしてたんだ。でも、歩いてみると十分で家につく。そんなとこ、なんで自動車に乗らなきゃなんないか、ぼくはわかんない。それに、歩きだして、今まで知らなかったこの国のことが、少し見えてきた。風の音。草の匂い。人の話す声。だから、ぼくは歩く。

さっき聞いた真一郎の住所からすると、真一郎の家は、ぼくの家と道一筋ちがうだけになるんだけど、まあ、この国にまだなれていないから、自動車通学もしかたないかな……。


「ユウスケ、ごはーん」

夕方、アニスの声が聞こえた。

アニスってぼくのうちのメイドさん。

日本ではお手伝いさんのいる家なんてあまりないのかもしれないけど、ここにいる外国人の家には、ほとんどメイドさんがいる。日本人も当然ここでは外国人と呼ばれているから、日本人の家にも当たり前のようにメイドさんがいる。

ぼくの家にも、アニスとミラっていう二人のメイドさんがいる。ぼくは、小さいときからアニスとミラといっしょだから、メイドさんが家にいても、おかしいなんてぜんぜん思わない。メイドさんたちは、ぼくの家でいっしょにくらしている。ぼくが一年生ぐらいのときは、よくメイドさんの部屋に遊びにいった。だって、お母さんなんかよりずっとやさしいんだもん。

したがって、ぼくのこの国の言葉は、ほとんどメイドさんが教えてくれたことになる。

 ぼくとメイドさんは、田舎なまりの本格的なこの国の言葉で会話をする。会話は、お母さんなんかにはまけない。

アニスは料理をするメイドさん。ミラは掃除と洗濯をする。

食事はいつも、アニスの「食事の用意ができました」ていう言葉から始まる。ぼくには「ユウスケ、ごはーん」って、日本語で言ってくれる。


ぼくはアニスの声で、大きなテーブルについた。ぼくのうちのテーブルは本当に大きい。料理の大皿がテーブルの真ん中に出されると、ぼくはからだも手も思いっきりのばさなきゃならないんだ。

きょうも、コロッケのならんだ大皿がまんなかに出ている。今日のメニューは、たわら型のコロッケに野菜炒め、卵の入ったコーンスープとサラダ。香辛料のきいたピーナッツドレッシングが甘辛くておいしい。

 ぼくは「いただきまーす」というと、テーブルに手をついてさっとコロッケにおはしをさした。

「何してるの。行儀の悪い」

お母さんがじろっとぼくを見た。

「だってとれないんだもん」

ぼくは、コロッケをさしたおはしを小皿にもどした。

「お皿を回してって言えばいいでしょ。ねえ、あなた」

お母さんはぼくの返事をまたずに、お父さんの同意を求める。

ぼくは、そんな気取ったこと言わなくても始めっからもうすこし、ぼくの方にお皿を置いてくれればすむことなのにと思った。

ぼくは抗議の意味をこめて、コロッケをおはしにつきさしたまま、がぶりとかじった。

「石上さんの奥さんがね、今日遊びに見えたの。ああ、石上さんって、裕介と同い年の男の子がいるひとよ。この国は初めてだそうだけど、全然動じていらっしゃらないの。私なんか、こんなとこに住めるかしらって、一週間は泣いたけどね」

 お母さんは、もうぼくなんかを相手にしてられないというように、お父さんに話しかけた。

「うん」

「祐介と同い年の男の子って、真一郎君っていうのよ。知ってるわよ」

「ああ、前に聞いたよ。友だちがふえてよかったって話していたよね」

お父さんがぼくを見た。

「そんなによくないよ」

ぼくは異議をとなえた。

「どうしてよ」

お母さんが、また逆らうっていうような顔をした。

「変なやつなんだもん」

「変?」

「日食が終わったらすぐに日本へ帰るとかさ、中学はどこへ行くとか、そんな事ばっかりいってるんだもん」

「そうなのよね。私も石上さんとおしゃべりしてて考えちゃった。やっぱり、祐介の受験のことも考えなきゃいけないかしらね」

「お皿を回してください!」

中学と言った時点で、視点が宙に浮いてしまったお母さんに、ぼくはさっき教えられたばっかりの行儀のよい言葉を使った。

「やっぱり、ここにいると、日本の事情がだんだん分からなくなってくるわ」

お母さんは、ぼくの言葉なんか、聞いていなかったみたいだ。

ぼくはわざと、お母さんの目の前を横切るように手をのばし、おはしで二個目のコロッケをつきさした。

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