第6話 怪談:みるたまり2

 大型ダンプカーが列になっています。ショベルカーが唸り声を上げて山の角を切り崩し、出た土砂を運び出しています。


 五年生になった修一君の住む町の外れを突っ切って、バイパス道路ができることになりました。バイパスは、山の裏側の駅から海水浴場のある隣町まで繋がります。更に駅の向こうの高速道路まで延伸する計画もあるそうです。


 修一君は、放課後児童クラブで空手教室に通っています。

「えい!えい!」と、横一列になって、正拳中段突きを練習しています。その脇に立っている高校生ボランティア達が、

「バイパス沿いに土地あったら田んぼなんか埋めてドライブイン作ったほうが儲かるんちゃうか」と話しています。


「おい、無駄話すんな」「すいません」


 修一君は、そんな会話に唇を嚙んでいました。最近町は、この話題で持ち切りでした。土地を売った人たち、強く反対する人たち、バイパス景気を当て込んでやってくる人もいました。



 夕日が校庭に長い影を引いています。県道はバイパス工事の車両が多く、修一君は、二年前にみるたまりがでた道を帰っていました。

 みるたまりは、水溜まりをお祖父さんが清めた土で埋めて以来、現れなくなっていました。


「あいつらもう消えたんかな」と、修一君は呟きながら家に帰りました。玄関には、お父さんの靴があります。父さんが玄関に出てきました。


「ただいまぁ。お父さん、今日は早いなぁ」

「おかえり。町内会の集まりでなぁ。ほら神社の道、工事業者が地元貢献で舗装してくれるて決まったんや。また色々話し合いや」


 お父さんは、浮かない顔で出かけていきました。


 修一君は、お祖父さんお母さんと夕食を食べました。それからしばらく経ちましたが、なかなかお父さんは帰ってきません。心配になった修一君は、


「僕、見に行ってくるわ」と、立ち上がりました。


「こんな時間に、子供が出歩いたらあかん」とお母さんが言いましたが、修一君は、飛び出していきました。


「なんや、誰もかれも浮ついとるのう」と、お祖父さんがぽつりと呟きました。



 神社の脇にある集会所は、こうこうと明かりがついています。

「まだやってんねや」

 修一君は、ほっとして入口から中を覗こうとしました。その時、後ろの薄暗闇の中で黒い影が動きました。


「はっ!」

 修一君が驚いて振り向くと、そこには、あのヘドロのような色のざんばら髪の目だけギョロギョロとした老婆と女の子が立っていました。修一君は、ぞっとして後ずさりしました。二人は、釣り上げられた魚のように肩や胸を前後にゆらしてハアハアと息をしながら、ニタニタと笑っています。


 修一君は、震えながらも二年間習った空手の構えをしました。


「来るか!」


 みるたまりたちは、修一君を眇め、ニタニタと笑いながら近づいてきます。修一君は後ろ足に体重をかけ、いつでも打ち込めるように体を沈めました。その間も、じりじりとみるたまりたちは近づきます。やがて、修一君のすぐそばまで来ると、ギョロギョロした目で修一君を見ながら、酸化した油とヘドロが混じったような臭い息を吐き、今度は、集会所の入り口の方に近づいていくのです。


「ど、どこいくんや!」と修一君が言おうとした時、みるたまりたちの足元に入り口の方から転がってくるものが見えました。それは、いが栗くらいの埃の塊のようでした。みるたまりたちは、次々に転がってくる塊をひょいひょいと摘まみ上げると食べだしたのです。


「あ、ああ」

 修一君は、どういうことかわからず、集会所の窓や入口から漏れる光とみるたまりを交互に見ました。


「あすこの土地誰のもんや」「町のためにならんやろ」「きれいごとぬかすな」と、口々に叫ぶ大人の声が聞こえます。皆、欲や嫉妬、不安に駆られているのです。その穢れた情念が埃の塊のようになって、転がりだしてきたのです。みるたまりたちにとっての御馳走が勝手に湧いてくるのです。

 みるたまりたちは、もう修一君に目もくれず、埃の塊を口に押し込み続けています。少しずつみるたまりたちの体は、張りを持ち、下水溝に浮かんだ油のようなぬらぬらとした色で光り始めました。


「あ、ああ…、わああ」

 修一君は、目の前で起きているできごとに恐怖でいっぱいになりました。そして、それを払いのけるように大声を出すと、右の拳を固く握りしめ突っ込んでいきました。


 その時、みるたまりの老婆の方の左手がパッと伸び、手の平を広げて、修一君の動きを遮りました。修一君は、全身をビクンと震わせるとバネのように飛び退きました。


「なぜ打つ?」


「えっ?そ、それは…」と、修一君は言い澱みました。「妖怪だから」「人の穢れを食らうから」「怖いから」。いくつかの考えが修一君の頭を巡りましたが、それはどれも正当な理由に思えません。


「これが欲しいか?」と、老婆は埃の塊を光にかざしました。女の子は両手で塊を口に押し込んでいます。その口からは、すすを油で溶いたようなよだれが雫だっていていました。


 修一君は、大きく首を横に振りました。


「我らが上手そうに食うのが悔しいか?」


 修一君は、また大きく首を横に振りました。老婆は、ギョロギョロした目を更にかっと見開き、真っ赤な口を大きく大きく開いて大笑いしました。


「おまえは只、恐ろしゅうて相手を打ち据えようとしておるだけじゃあ、けけけけけけ」


 修一君は、老婆に言いすくめられて、よたよたと後ずさりするとその場にへたりこんでしまいました。


「我らは、わずかに利を囁くのみ。私利公利、選ぶは人の気の持ち方。けけけけけけ」と得意になった老婆は、町の人たちをこのようになるようそそのかしてきたと口を滑らせています。


 その時、パアーっと表に自動車が停まり、若い男の人が集会所に駆け込んでいきました。

「合併や!バイパス沿いの町、三つの合併やて町長がぶちあげよったあ!」


「なんやてえ!」

 集会所が全体が、強く震えるようなどよめきが起こりました。一際強い怒声が湧き上がっています。


「けーけっけっけけけけ。荒め荒め!」

 老婆は、狂喜して両手を叩き、足をバタバタさせています。修一君の目には、恐怖と悔しさで涙が溢れました。


「どないした?」

 突然声がして、誰かが修一君の肩を叩きました。


「う!うわ!お、お祖父ちゃん!」


 修一君の戻りが遅いことを心配してお祖父さんが様子を見に来てくれていたのです。


「何じゃあれは」


「みるたまりやで!」と、修一君は老婆を指さします。


「こ、こんなん見たん初めてや。それにこの臭い…」とお祖父さんは、顔をしかめました。


「あいつらがそそのかして、みんなをおかしくさせてんねん!」

 その言葉に、お祖父さんは顔色を変えました。そして、修一君を自分の後ろに庇うと、

「こ、このばけもんが!どこぞへいんでしまえ(どこかへ行ってしまえ)!」と言うと、手近にあった石を拾って投げました。石は、ぼさぼさの頭をかすめました。老婆は首をすぼめ、歯をむいて見せました。


「っけけけけけけ!今宵はくちた(満腹だ)、ああ、くちたあ!けけけけけ」

 老婆は、けたたましく笑うと、まだ埃の塊を食べ続けている女の子の手を強く掴みました。女の子の腕の肉に強く老婆の指が食い込んでいます。


「痛い」と女の子は、短く叫びましたが、老婆は構わず、女の子を夜の暗闇の中に引きずり込んで消えていきました。


 二人はしばらく体を強張らせて、闇を睨んでいました。


 背後でずっと続いていた、集会所の大騒ぎが、ふっと収まります。強い熱気のようなものを放っていた集会所からぱらぱらと人が出てきたのです。


「あ、お父さんや」と修一君が言うと、お父さんも二人に気づきました。


「あ~、疲れたわ」と言うお父さんの顔は、本当にくたびれていました。集会所から出てきた誰もかれもが同じような顔をしています。



 家に戻ると、修一君は改めて先ほどのできごとを家族に話しました。あくる日には、お祖父さんがみるたまりの悪だくみを近所の人たちに話しました。バイパス工事で熱に浮かされたようになっていた人たちは、その話を聞いてゾッとしたそうです。


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