釣り針

 第二次大戦中、ソ連軍のスナイパーやパルチザンは追跡されていないか確認するため、ワザと大回りして、自分達が歩いてきた道の横に戻り追跡者がいないか確認していた。

 辿るコースが釣り針の形をしているため、釣り針と呼ばれる。

 冷戦時代、ソ連が世界各地でゲリラにこのやり方を教えた上、そのゲリラを相手にした米軍も釣り針の存在を知り自軍の戦術に組み込み、西側の同盟国に教えている。

 勿論自衛隊にも伝わり、各部隊、特に少数で潜入した特殊部隊やパトロール部隊が追撃を確認するための常套手段として使っている。

 リーダーの背筋に冷たい衝撃が走った。

 追われながらも、冷静に行動し、囲まれる危険がありながらも回り込み、こちらを見定めようと偵察している。


「登山道を歩いたのは、泥濘みに俺たちを引き込むためか」


 ワザと泥濘みを歩いたのは、自分たちを泥濘みに引き込むため。此方の人数と装備を確認するためだ。

 完全に此方が追跡していることを、人数と装備を向こうは把握している。


(こっちの事を知って、何を仕掛ける気だ)


 追いかけている相手が何を狙っているのかリーダーは考えた。

 最初に付けた足跡を追わせて追跡をまく気だったのか。

 いや、上手くいけば良い程度にしか考えていないはず。

 プロなら、戦場という修羅場をくぐり抜けた猛者なら、見破られて追跡される事を前提に行動しているだろう。

 これまでの行動からして相手は単独でも猛者であり、当然考えているはず。


「また、茂みで足跡を隠しているな」


 下草が集まった茂みを纏め、足跡を隠すことを繰り返している。

 そのたびに足跡の方向を確認するため茂みをどかしていた。


(俺たちの追跡をまくために足跡を隠したのか。当然だが、その程度か)


 確かに足跡を隠すのは有効だ。だが、仲間二人を撃退し、反撃して逃走、退却間際にブービートラップまで仕掛けた人間にしては消極的だ。

 それに足跡を追跡する技術を持っていることを向こうは知っているはず。

 隠しても無駄なことは分かっている。なのにわざわざ隠すのか。


(むしろ反撃を考えるのでは)


 妖精の少女という足手まといがいる。

 追跡している自分たちから離れるために隠れているのだろう。

 だが、それでもこれだけの手練れなら反撃を考えるはず。


「反撃に注意しろ」

「気にしすぎじゃないのか?」


 リーダーの言葉に仲間の一人が言う。


「もし反撃するとしたら、さっきの釣り針で俺たちの後ろを攻撃したはずだぜ」

「確かにな」


 釣り針が恐ろしいのは、最も警戒が緩みやすい後ろを追跡している側が攻撃される事だ。

 奇襲を受けて大損害を受けた例も多い。

 そのチャンスを、相手は使っていない。


「やつはお荷物を抱えて逃げるので精一杯なんだよ」


 確かに足手まといの妖精を連れていたら、大人数の我々から逃げるために、離れようとするだろう。

 だがわざわざ釣り針をしてきた相手が、逃げていくだけとは思えなかった。

 周囲を見渡すが、木が生い茂ってはいるものの隠れられる場所はない。

 新たに釣り針が行われてもこっちが先に気が付く。

 木の陰に隠れて射撃してもすぐに反撃出来る。


「奇襲に備えて間隔を開けろ」


 手榴弾一発、小銃の掃射一回で全滅しないよう、間隔を開けさせる。

 互いに援護し合い、死角をカバーしながら追いかける。


「また茂みで足跡を隠してやがる」


 先頭にいた仲間が隠匿のために敷いたのだろう茂みを排除しようと手をかけた。

 勿論、ブービートラップがないか、手榴弾が置かれていたり、変なワイヤーがないか確認しての事だ。

 手榴弾もワイヤーも見えなかったので、足跡を見るために茂みを動かした。

 それを観てリーダーは相手の思惑に気が付き、叫んだ。


「待て! 動かすな!」

「え?」


 だが、遅かった。

 確かに手榴弾はその場には置かれていないしワイヤーもなかった。

 だが茂みの蔓の一つが木の陰に括り付けられた手榴弾の安全ピンに結ばれていた。

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