第44話 一輝からの誘い

 そんな風に公園で、一輝と綾香が少し甘酸っぱい時間を過ごしている頃。


「……はあ、はあ」


 数キロ離れた所では、黒髪短髪で眼鏡を掛けていて、とても真面目で頭の良さそうな顔立ちをしていた一人の少年が住宅街を走っていた。そして、


「……ふう、少し休憩するか」


 彼はそう呟くと、住宅街から少し離れた所にある公園へと入った。すると、


「お疲れ様です、兄さん」


「……心愛」


 公園の中には、先程まで住宅街を走っていた黒澤務の妹である、黒澤心愛の姿があった。そして、


「兄さん、これをどうぞ」


 そう言って、黒澤心愛は務に向けて水筒を差し出した。すると、


「中に何が入っているんだ?」


 妹から水筒を受けりながら、黒澤務は心愛に対してそう質問をした。すると、


「スポーツドリンクです、兄さんがランニングを始めたことをお母さんに教えてあげたら、直ぐに作ってくれましたよ」


 心愛は笑顔を浮かべてそう言った。すると、


「……余計なことを、お前がいちいち俺に気を遣う必要は無いんだぞ」


 水筒の蓋を開けながら、務は心愛に向けてそう言った。しかし、


「いえ、そういう訳にはいきません、今回は私の作戦のせいで兄さんには色々と迷惑をかけることになるので、私は出来る限り兄さんのサポートをやらせてもらいます」


 心愛は自分の兄に向けてそう言った。すると、


「……まあ、それは確かにそうだな、今回のお前の計画で俺はかなり体を張る必要があるからな」


 その言葉を聞いた務はそんなことを呟いた。すると、


「……すみません、兄さん」


 心愛はそう言って、務に向けて謝った。なので、


「何を謝っているんだ、心愛?」


 務が心愛に対してそう質問をした。すると、


「今回の作戦のことです、仕方がないとはいえ、今回は兄さん一人にかなり損な役割を押し付けることになってしまったので、正直に言いますと、私としては結構申し訳なく思っているんです」


 綾香はそんなことを言った。すると、そんな妹の言葉を聞いた務はというと。


「まあ、確かにそうだな、今回の計画で俺はかなり悪目立ちをすることになってしまったし、結果が分かっているとはいえ、振られるために告白するというのも、心情としては結構きついモノがあるな」


 心愛に向けてそんなことを言った。すると、


「うっ、だからこうして謝っているじゃないですか、それにこの計画には兄さんにもメリットはあるのだから、あまり私のことを責めないで下さいよ」


 心愛は少しバツが悪そうな顔をしつつも、務に向けてそう言った。すると、


「まあ、確かにそれもそうだな。ただ、そのことに付いては本当に頼むぞ、心愛、そうじゃないと、俺が多くの生徒たちの前で情けなく振られる意味が無いからな」


 務は綾香に向けてそう言った。なので、


「ええ、任せて下さい、この作戦が無事に成功すれば、兄さんの長年の片思いが叶うかもしれませんし、その為なら私も全力で協力をします。だから、兄さんも本気でこの作戦には協力して下さいね」


 心愛はそう言った。すると、


「ああ、分かっているよ、だから、俺はこうしてトレーニングに励んでいるんだからな」


 務はそう答えた。そして、


「ただ、最終的に俺が振られることになるにせよ、佐藤くんとの勝負には勝つつもりの本気で挑んでもいいのだろう?」


 務が妹に対してそう質問をすると。


「ええ、勿論です、見学に来た生徒たちを騙すには、兄さんにも佐藤先輩にも全力を出してもらわないといけませんから。それに、この作戦は兄さんと佐藤先輩のどちらが勝っても最終的には上手くいく予定ですが、私としては兄さんが勝ってくれた方が結果的には上手く纏まるとそう思っていますから。だから、兄さんは一切遠慮せず本気で佐藤先輩と勝負をして下さい」


 心愛は笑顔でそう答えた。すると、


「そうか、その言葉を聞いて安心したよ、それなら佐藤くんには悪いけど、俺は彼のことを本気で叩き潰すつもりで挑ませてもらうよ、俺は案外負けず嫌いだからな」


 務はよく晴れている空を見上げると、昨日初めて見た後輩の顔を思い浮かべながらそう言った。






 そして、場面が戻って、一輝と綾香が居る公園では、


「さて、それじゃあ一輝くん、水分補給も終えましたし、そろそろ特訓の続きを始めましょうか」


 空になった二人分のペットボトルを観て、綾香が一輝に向けてそう言った。なので、


「ええ、そうしましょう」


 一輝もそう返事をして、ベンチから立ち上がると、綾香から空になったペッドボトル受け取って、それを自動販売機の隣にあるゴミ箱に捨ててから、綾香の元へと戻った。すると、


「それでは一輝くん、今度は一輝くんの家までランニングをして戻りましょうか、今の時点では、一輝くんにとってのベストなトレーニングの距離はそれくらいだと私はそう思うので」


 綾香はそう言った。なので、


「分かりました、それでは家までさっきくらいのペースで戻りましょう」


 一輝もそう返事をして、二人は並んで公園を出て、一輝の家の方へと再びランニングを始めた。






 それから数十分、二人は黙ってランニングを続けていたのだが。


「はあ、はあ」


 一輝の家が近づいて来るにつれて、一輝は少しずつ息を荒げて、疲れが分かりやすく観えて来ていた。すると、


「もう少しです、頑張って下さい、一輝くん!!」


 隣を走っていた綾香がそう言って、一輝のことを励ましてくれた。なので、


「……綾香さん、そうですね、頑張ります」


 一輝もそう言って、重たい足に活を入れて綾香と共にランニングを続けた。そして……






「着きましたね」


「はあ、はあ……ええ、そうですね」


 一輝と綾香は無事、スタート地点である一輝の家の前へと戻って来た。


 そして、一輝はポケットからスマホを取り出して画面を開いて時間を確認すると、もう十二時を過ぎていたので。


「そろそろ昼ご飯の時間ですね、僕は家で昼ご飯を食べますが、綾香さんはどうしますか?」


 一輝は綾香に向けてそう質問をした。すると、


「一輝くんはお昼ご飯を食べ終えてからは何をする予定なのですか?」


 綾香は一輝に向けてそんなことを聞いて来た。なので、一輝は少し考えてから。


「そうですね……僕としては、昼は自分の部屋で少しの間アニメでも観ながらゆっくり過ごしてから、夕方になったらランニングをしようと思っていたのですが」


 そこまで言うと、一輝は一度言葉を切って。


「でもやっぱり、昼ご飯を食べ終えてから少しして、僕はまたランニングを再開しようと思っています。幾ら綾香さんが普段から運動をしているとはいえ、女の人より先にバテているようでは、僕は黒澤先輩との勝負に勝つことなんて出来ないと思ったので」


 一輝はそう答えた。すると、


「そうですか……それなら一輝くん、申し訳ありませんが、お昼のマラソンを始めるのは少しだけ待っていてくれませんか?」


 綾香はそんなことを言った。なので、


「えっと、それはどうしてですか?」


 一輝がそう質問をすると。


「私は一度自分の家に戻って、昼ご飯を食べて終えたら改めて一輝くんの家に来ます。一輝くんの昼のトレーニングにも私は付き合おうと思うので、申し訳ありませんが、私が昼ご飯を食べ終えてここに戻って来るまでの間、一輝は自分の部屋でゆっくりと過ごしていて下さい」


 綾香はそんなことを言った。しかし、


「その、綾香さんの気持ちはとても嬉しいのですが、流石にそこまでしてもらうのは僕としても申し訳ないです、家から綾香さんの家まではそれなりに距離があるのに、そこまでしてもらう訳にはいきませんから」


 一輝はそう言って、綾香の提案を断った。すると、


「そうですか……私としては少しでも一輝くんの力になれればとそう思ったのですが、一輝くんがそこまで言うのなら止めておきます。それなら、お昼からは一輝くん一人でランニングを頑張って下さい」


 綾香は少し悲しそうな表情を浮かべながら、一輝に向けてそう言った。


 ただ、そんな風に少し悲しそうな笑みを浮かべている綾香の表情を見た一輝は咄嗟に、


「……その、綾香さん、もしよかったら今日のお昼ご飯は家で食べませんか? そうすれば、綾香さんはわざわざ一度、自分の家に戻る必要もないですし、それなら午後のトレーニングにも綾香さんに付き合ってもらうことができるので」


 綾香に向けてそう言った。

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