第26話 立花家と愛犬と

 その後、自転車を漕ぐこと数十分、綾香は一件の家の前で自転車を止めると。


「着きましたよ、一輝くん、ここが私の家です」


 綾香は背後を振り返ると、自分の後ろを自転車で追って来ていた一輝に向けて笑顔を浮かべてそう言った。すると、


「……随分と立派な家ですね」


 一輝はそう言った。綾香の家は豪邸と呼ぶほどではないモノの、普通の一軒家である一輝の住んでいる家の倍くらいの大きさであり、そこまで都会でもないこの地域からすると随分と大きな家だった。なので、


「もしかして、綾香さんはいわゆるお嬢様というやつなのですか?」


 一輝が綾香に向けてそう質問をすると。


「私がですか? いえ、そんなことはないですよ。ただ、私のお父さんは会社の経営者なので、普通の家庭よりは多少裕福な生活が送れているのかもしれませんが、それでも私は普通の家庭に生まれて普通に育ってきた、一輝くんと同じ普通の人ですよ」


 綾香は何でもないようにそう言った。なので、


「そうですか、えっと、すみません、綾香さん、変なことを聞いてしまって」


 一輝がそう言うと。


「いえ、気にしなくても大丈夫ですよ。それより、車庫に案内するので付いて来てください」


 綾香はそう言ったので、一輝はその言葉に同意して綾香の後に続いた。


 そして、ニ人が車庫に来て自転車を置いた後、そのまま玄関へと歩いて行くと、綾香は鍵を開けて家の中へと入り。


 その後に続いて、一輝も緊張した足取りで、彼女の家の中へと入った。すると、


「ただいま!!」


 綾香は家の奥の方へ向けて大声でそう言った。しかし、昨日の電話で綾香は、両親は家に居ないと言っていたので、他に家族が居るのだろうかと、一輝がそう思っていると。


「ドッツドッツドッツドッツドッツ!!」


 綾香の声に反応する様に、家の奥からそんな激しい足音が聞こえて来た。そして、


「ワフッツ!!」


「うわっ!?」


 玄関に居た一輝は突然、家の奥から飛び出して来た、もふもふとした大きな塊に飛びつかれ、その場に尻もちを付いて倒れた。すると、


「一輝くん!? 大丈夫ですか!?」


 綾香がかなり慌てた様子で、一輝に向けてそう声を掛けて来たので。


「……ええ、大丈夫です、ただ、僕の上に乗っているモノは一体……」


 そう言って、一輝は自分の顔を覆っている、巨大なぬいぐるみのような、もふもふとした生き物のようなモノを、両手を使ってかなり力を込めて退かすと。


「……ワン!!」


 一輝の目の前には、そんな鳴き声を上げている、大きな犬の顔が現れた。すると、


「すみません、一輝くん、この子は少し人懐っこい所があるので、気に入った人にはよく甘えているのですが、どうやら一輝くんのことを随分と気に入ってしまったみたいです」


 綾香はそんな風に、一輝に説明をしつつも。


「こら、コタロウ、いい加減、一輝くんから離れなさい!!」


 そう言って、一輝に馬乗りになっている大型犬、もといゴールデンレトリバーを一輝の体から退かそうとした。しかし、


「ハッハッ!!」


 コタロウと呼ばれていた犬はそんな風に声を上げながら、一輝の顔を舐めて来た。なので、


「……綾香さん、気にしないで下さい、僕は犬が好きなので、こんな風に甘えて来られるのは嫌ではないです、それに」


「それに、何でしょう?」


 綾香はそう聞いてきたので。


「ペットとはいえ、綾香さんの家族にこんな風に懐いて貰えると、綾香さんの彼氏として認められたような気がして僕は嬉しいのです」


 一輝がそう言った。すると、


「……そうですか、それなら今度この家に遊びに来た時には、私のお父さんとお母さんにも認められるように頑張って下さいね」


 綾香はそんなことを言ったので。


「それは、まあ、追々頑張らせてもらいます」


 一輝はそんな風に曖昧に返事をしておいた。


 その後、一輝にしがみついて来るコタロウを何とか引き離した綾香は、一輝を連れてリビングへと向かっていて、そんな一輝の横をコタロウは一定の距離を保って付いて来ていた。


 そして、ニ人と一匹がリビングへと辿り着くと。


「一輝くん、取りあえず買ったお菓子をこの机の上に置いて貰えますか?」


 綾香は一輝に対してそんなことを言ったので。


「はい、分かりました」


 そう返事をしてから、一輝は買い物かごに入っていた、ジュースとお菓子をリビングの机の上に置いた。すると、


「取りあえず、私は今からお菓子とジュースの用意をしようと思いますが、一輝くんはどうしますか?」


 ニ人分のガラスのコップを棚から取り出しながら、綾香はそんなことを聞いてきたので。


「えっと、何がですか?」


 何のことか分からず、一輝がそう質問すると。


「その、私が準備をしている間、一輝くんは何もせず待ってもらうのも悪いと思ったので、もしよければ、先に私の部屋に案内しておきましょうか?」


 綾香はそんなことを言った。そして、そんな綾香の提案を聞いた一輝は、


「いえ、大丈夫です!! 僕はここで待っていようかと……いえ、寧ろ何かお手伝いをさせて下さい!!」


 少し慌てた口調でそんなことを言った。すると、


「そうですか? えっと、それなら申し訳ありませんが、机の上に置いてあるお盆の上にこのコップを置いて貰えませんか?」


 綾香は遠慮がちに、一輝にそんなことを言ったので。


「ええ、任せて下さい」


 一輝はそう返事をして、綾香に言われた通りに動き始めた。


 正直、この家に辿り着いたばかりの頃は、綾香と二人きりだということもあり、一輝はかなり緊張していたのだが。


 予想外の犬の乱入により一輝はいい感じに緊張がほぐれて、大分普段通りの振る舞いが出来るようになっていたのだが。


 それでも、彼女の部屋にしかも1人で居ろと言われたら、一輝は正直、自分でも何をしでかすのか分からなかったので。


 こんな風に綾香の手伝いをすることで、彼女の部屋に一人で置かれるという一輝からすれば最高だけど最悪な状況を一輝はなんとか回避したのだった。


 そして、そんな感じで綾香の指示通りに一輝は動いて、お菓子とジュースの準備を終えると。


「それじゃあ、一輝くん、そろそろ私の部屋に行きましょうか?」


 お菓子の入った皿を乗せた盆を持った綾香が一輝に向けてそう言ったので。


「……ええ、分かりました」


 その言葉を聞いて、一輝は自分の心臓の鼓動が少しずつ激しくなって来ているのを感じつつも、綾香にはそれを悟られないように、いつも通りの言葉遣いでそう言った。


 すると、綾香は自分の部屋に向かうためにリビングを出たので、一輝も彼女の後へと続いたのだが。


「……この子も付いて来るのですね」


 一輝の隣には、相変わらずコタロウが付いて歩いて来ていた。なので、一輝が綾香に向けてそう言うと。


「すみません、理由は分かりませんが、コタロウは一輝くんのことがとても気に入ったみたいです。でも、一輝くんが嫌なら、コタロウには一階に居るように私から言うこともできますがどうしますか?」


 綾香はそんな提案をして来た。しかし、


「いえ、大丈夫ですよ、さっきも言いましたが僕は犬が好きなので、こんな風に懐かれるのは普通に嬉しいので、綾香さんさえよかったらこの子の自由にさせてあげて下さい」


 一輝はそう言った。ただ、一輝は犬が好きだという話は本当なのだが。

 

 それ以上にコタロウが傍にいると、彼女の部屋で綾香と二人きりになるという、一輝からすればかなり緊張する場面から解放されるので。


 自分の心の平穏のためにも、もう暫くはコタロウには自分たちの傍にいて欲しいと、一輝はそう思っていた。


 すると、そんな一輝の思いが、綾香にも届いたのか。


「……分かりました、正直、一輝くんと二人きりで過ごしたいという気持ちもありますが、これだけ一輝くんに懐いているコタロウを一輝くんから引き離すのも可愛そうなので、もう暫くはこの三人で過ごしましょう」


 綾香はそう言うと、ニ階へ上がるために階段を昇り始め、彼女の後ろを一輝とコタロウのニ人が追って行った。


 ただ、今日の綾香はワンピースの下はかなり短めのスカートを履いていたため、一輝は彼女のスカートの下から見える綺麗な白い生足から必死に視線を逸らしながら階段を昇って行った。


 そして、綾香はニ階にある一つのドアの前で立ち止まると。


「一輝くん、ここが私の部屋です。ただ、正直に言いますと、一輝くんに見られるのは少し恥ずかしいですが、えっと、どうぞ」


 綾香はそう言って、自分の部屋のドアを開いて中へと入り、一輝とコタロウも彼女の後を追って綾香の部屋へと入った。 

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