第4話

お父さんが再婚して以来、継母さんに色々言われるのか、中学までは一緒にゲームをしたりしていましたがゲームをしなくなり、成績に関しても厳しくなり、よく「家の恥晒し」と言われるようになりました。


継母さんの誕生日に熱がありながらも手作りでケーキを用意したら継母さんに「なにこれ」と笑われ、編み物を覚えたのでお父さんにマフラーをプレゼントしたら、その時はお父さんは酔っていて記憶がなく、お父さんが寝ている隙にマフラーを捨てられました。


また、継母さんとお父さんが一緒に選んだらしい私への誕生日プレゼントは、ある時はサイズの合わない靴下、またある時は迷彩柄のバッグでした。

使わないと怒られるので迷彩柄は我慢して使っていましたが、靴下は小さくて履けなかったため使うことなくしまわれたままでした。




ある日、お父さんから「もうお前は自由だ」とおじいちゃんとおばあちゃんのお仕事の跡を継がなくていいと言われました。


それまではおばあちゃんから経理を学んで、家の手伝いをしてほしいと言われていたので、先生にも伝えて進路をその方面で目指していましたが、自由になり他に学んでみたいこともあったのでその関連の大学へ行きたいとお父さんに言いました。

しかし継母さんは「女は大学に行く必要がない」とお父さんに言っていたのもあり、中々賛成してもらえませんでした。

なので、家の手伝いができるもので尚且つ自分の興味がある分野が学べる大学に行くと説得してなんとかその大学へ行けることになりました。


あとになって奨学金で好きな大学に行けばよかったと気づくのですが、親の許可は絶対なのと、お金は親以外は用意できない(高校はバイト禁止している学校だった)と思っていました。




20歳の誕生年の時、お父さんに誘われて継母さんと3人で外出しました。

車の中ですぐお父さんと継母さんが物を投げ合いながら喧嘩を始めてもう帰りたいなと思いました。


そしてテーマパークにつき、絶叫系が嫌いなため、それを知っていたお父さんは私が乗っても大丈夫な乗り物に乗らせてくれました。

しかし継母さんは絶叫系が好きなため「絶叫系が乗りたい!なんでその子ばかり乗りたい乗り物しか乗らないの!」と言い始め、乗り物に乗るために並んでいたため大勢が見ている中、2人の大喧嘩がまた始まりました。




大学を卒業して働いている時、お父さんに「継母さんに子供ができたら15年は仕事ができないから、その間だけでもいいから家の仕事の手伝いをしてほしい。まず2年間修行に行ってほしい」と言われました。


自由だと言われて以来、家の仕事について考えていなかったので急に何を言っているんだろうと理解できませんでした。

それに仕事を辞めたくありませんでしたが、お父さんは怒ると物を飛ばしてくるので怖く、もう少し時間がほしいと騙し騙しで時間を延ばしていました。



そして時間はあっという間に過ぎていき、継母さんからもメールで「私は仕事の手伝いをしているのに手伝わないのは親不孝者だ。家族をなんとも思わないのか」と何度もくるようになり、仕事を辞めて家の手伝いをしなければいけなくなりました。

継母さんと話し合って、まず1年お試しで手伝って、それでも無理だと思ったらやらなくていいと言われ、そのことをお父さんに伝え、手伝うことにしました。

しかし1年経っても辞めさせてもらえませんでした。


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親の考えがわかりません sayu @anzuneko

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