真夜中の水鏡

桁くとん

真夜中の水鏡




 とある女性が『深夜0時ちょうどにカミソリを口にくわえて、水を張った洗面器をのぞくと、将来の結婚相手が見える』という噂を耳にした。

 将来自分はどんな相手と結婚するのか気になっていた女性は、興味がわきやってみようと考えた。

 深夜0時。

 カミソリを口にくわえ、ドキドキしながら水面をのぞいていると、ぼんやりと自分以外の顔が映っていた。

 びっくりした女性はうっかり口にくわえていたカミソリを水に落としてしまった。

 洗面器の水は、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。気味が悪くなった女性はそのまま水を流し、しばらくするとその事も記憶が薄れ忘れていった。

 数年後、女性は友人のツテで男性と知り合った。性格もよく趣味も合い、二人は間もなく付き合うこととなった。しかし、知り合ったときからずっと男性はマスクをしている。常にマスクを外さない男性に女性はずっと疑問に思っていた。

 ある日、意を決して聞くことにした。「あなたはなぜいつもマスクをしているの?」

 男性はサッとマスクを外し、ザックリと残った醜い傷跡を見せこう叫んだ。

「お前がカミソリを落としたからだ!!!」




 私がその都市伝説を聞いたのは高校生の頃だ。

 ありがちな怪談話。

 確か修学旅行中の夜、部屋の明かりを消して怪談話をしているときに話の一つで聞いた。

 女子はけっこう怪談話やミステリアスな話が好きだから、普段からそういう話に詳しい子がいて、仕込んでたんだと思う。

 その話のあと、もし見れるなら結婚相手を見てみたいか? という話題で盛り上がった。

 当時の私は、彼女がいる男子に片思いをしていたので好奇心はあったが、わざわざ実行に移そうとは思わなかった。


 35歳になった私は、何故かふとその時のことを思い出した。

 気になる相手は、いる。

 婚活アプリで今日初めて会った相手。

 イケメン気取りのお笑い芸人が顔面を3回、正面、左右から殴られたような顔の30過ぎの男性だったが、婚活連敗中の私はヤリモククソ男じゃないってだけでもホッとした。

 相手が初めて会う店はどんなところが良いかと事前に尋ねて来たので、気取らない店がいいと返事をしたら、そこそこ有名な焼き鳥屋をセッティングしてくれた。

 もうそんな気取った店で見栄を張るのも馬鹿らしいと思っている私は、彼が選んだ店の焼き鳥の焼き加減が絶妙で、ついつい進む串の本数に釣られて生ビールのジョッキも結構空けた。そんな私とジョッキの空け方が一緒のペースのこの人は、けっこう趣味合うかも、なんて思った。

 話自体も共通の趣味の話題で盛り上がった。


 これまでロクな男とマッチングさせやしない婚活アプリだったが、今日は登録して良かった、と心から感謝した。


 今日は初デートということでお互いに酔っているのに紳士的に21時にお開きになったのだが、そこそこいい出会いに舞い上がった私は自宅に帰ってからもストゼロで更に祝杯をあげた。

 どうせ明日は休みだ。

 構うものか。

 連敗を重ねた婚活の思い出を振り返り、苦労が報われた、と更に浮かれた。

 ストゼロ3本目を空けてかなり酔いが回ったところで突然その怪談話を思い出した。

 そして、怪談話の結婚相手が見れると言う部分が気になって気になって仕方なくなってきた。


 これまで何人かの男と付き合ってきた。

 けど結局上手くいかなかった。

 私のちょっとだけガサツなところが駄目なんだろう、とは思う。

 でも、今日出会った彼は、もしかしたらそんな私を受け入れてくれるかも知れない。何発か殴られたような顔も、味わいがある。


 こんな私の結婚相手が、もしも彼なら、それはそれでお似合いのような気がする……


 よし!

 見てみるか!

 カミソリさえ落さなきゃ、怪談にならないもんね!


 酔った勢いで浮かれた私は千鳥足で浴室に向かった。


 えーっと、洗面器に水を張って、カミソリを口に咥えるんだよね確か?

 時間も大事なんだっけ、午前0時ちょうどじゃないといけなかったよね。


 洗面器に水を張り、ムダ毛処理用の安全カミソリを口に咥える。自動給湯スイッチの時刻表示を見ると11時58分。

 結構ギリギリだ。

 ちょっとだけ早いけど、自分の顔が映るのか見てみる。

 ちょっとかがむこの姿勢は、腹の中のアルコールが出そうになるけど我慢。

 浴室の電気を点けていると、洗面器の水面が自分の影に隠れてしまいよく見えない。


 これじゃいかん、水面に自分の顔が映るくらいじゃないと、ヤホー知恵袋のネタにすらならない。


 浴室を出て、脱衣所の電気をを点け、浴室の電気を消して、もう一度さっきのポジションに戻り洗面器を覗き込むと、しっかり自分の顔が映って見える。

 水面が揺れているのか私の目が酔いで回っているのか、ふにょふにょと私の顔が揺れている。


 しかし、安全カミソリの柄を咥えている自分の絵面は、マヌケにも程がある。

 けど私は咥えた安全カミソリを上下にピコピコさせると何となくカブトムシっぽいな、と考えると楽しくなり、ついついピコピコと意味もなく動かし続け、ちょっと顔の角度を変えて見たりしていた。

 酔ってるからか本当に楽しい。


 けどふと気づくと、洗面器の水面には私の顔ではなく、ベッド上にうつ伏せに寝ころびスマホをいじっている男の姿が映っている。私が男の部屋の天井の位置から見下ろしているかのような視点で。


 咥えた安全カミソリで遊んでいるうちに0時になったんだろう。


 しかし、せっかく映ったのに、顔がわからない。

 寝転んだ後ろ姿と後頭部しか見えない。

 後頭部がハゲておらず、フサフサなのはいいが。


 コッチ向け、コッチ向けと念じながら水面を見ているが一向に振り返る気配がない。

 けど、何となく声が聞こえて来た。


 「今日のオバサン、年の割にはいい感じだったけど、どうしよっかな~。上手くセフレに出来たらしばらく遊んでやってもいいかもな~。あれくらいの年だったら、コッチがやってくれって言ったら何でもやってくれそうだし。

 やっと念願のプレイが出来るかも」


 むむ、なんぞ?

 婚活アプリで引っかけるヤリモククソ男なのか?


 こんなのが私の運命の結婚相手?

 ……最悪だ……

 と思った瞬間、悲鳴が口を衝いて出た。


 「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 叫ぶと同時に咥えていた安全カミソリがポチャンと洗面器の水面に落ちて……


 別に水面は赤く染まらず、ただ波立った水面に映る男の背中に安全カミソリが落ちてベッド脇に転がっただけ。


 そりゃそうだ、理髪店のレイザータイプの剃刀ならともかく、安全カミソリじゃ落したって傷なんか付く訳がない。

 だけど、水面の中の男は、私の悲鳴と安全カミソリが上から落ちて来たのに気づいて、素早く仰向けになった。


 目が合った。


 今日初めて焼き鳥屋に一緒に行った、婚活アプリで知り合った彼だった。

 向こうも酔いが残っているのか赤ら顔。

 驚いた様子で細い目を丸くしてこちらを見ている。


 向こうからも見える?

 でも、怪談のオチもカミソリを落としたのはお前だ! って男が言うんだから、向こうからも見えるものなんだろう。


 「……何よ、せっかくいい人と巡り合えたと思ったのに……ヤリモクだったの?」


 「いや、何というか……ほら、お互いのことをもっと知るのには体を合わせるのって大事じゃないですか」


 取り繕う様に丁寧な言葉遣いになる彼。


 「……さっきあなたが言ってたの聞こえたのよ! 上手くセフレにできたらとか何とか」


 私がそう言うと、酔いの残った彼の表情が嘲笑うかのように変化した。


 「ハァ、オバサンが結婚とか夢見てんじゃねーよ」


 その言い草にカチンと来る。


 「自分だって30過ぎでしょ! それに自分の顔、鏡で見たことあるの? 何回も殴られたような顔してるくせに!」


 「へっ、そんな顔の俺に相手してもらって嬉しかったんだろ? 偉そうに。ハイハイ時間の無駄だったわ」


 思い切り男が嘲笑って来る。


 「だいたい何この状況? あれかい? 夜中に洗面器覗いて自分の結婚相手を知るってやつ? やだねー、そんな暗いオカルト女、コッチからお断りだっつーの」


 ムカつく~!

 何で私、怪談どおりにレイザータイプのカミソリ咥えなかったんだろう。

 怪談通りだったら、せめてこの男の顔傷つけられたのに!


 と思った瞬間、気分が悪くなった私の口からアルコール混じりの焼き鳥達が逆流してゲボボッと排出された。

 怒りと屈んだ姿勢が良くなかった。

 私の女神の虹色シャワーゲロは、幸いにも洗面器に全部入った。


 不幸中の幸い。


 私は胃の中の物を出し切って落ち着いた後、なみなみと吐しゃ物の入った洗面器をトイレまで慎重に運んで中身を流し、洗面所で口をゆすいでベッドに横になった。


 最低ヤリモククソ男に、引っ掛からなくて良かった……


 そう思ったけど、そんなチンケなクソ男に侮蔑された悔しさで涙がこぼれた。






 

 何日か後、とあるアパート。

 そこの住人の男の職場無断欠勤が続き、不審に思った男の上司がアパートを訪ねた。

 亡くなっていたら事故物件だと心配する大家と共に部屋の扉を上司が開けたところ、部屋の中からは腐敗臭とともにアルコールの大量に混じった吐しゃ物のむせかえる臭いがしたため、只事ではないと悟った上司と大家は警察を呼んだ。


 「こりゃ色々ひどい」

 検視の医師を待つ間、現場保存を申し付けられた2人の警官のうち1人が鼻をつまみながらそう言う。


 ベッド上に仰向けに横たわった男の死体は、頭部に山のように積もった多量の吐しゃ物に埋もれて息絶えていた。

 

 「酒を飲んで寝て、自分の吐しゃ物で窒息って事故ってままあるけど、これだけ多量のゲロ吐くってこと、あるのかねえ」


「誰か女性が居たんじゃないの」


 もう一人の警官がベッドの傍らになぜか落ちている女性用の安全カミソリに目をやりつつ言う。


 そしてそのまま視線を棚に整理されたDVDのパッケージに滑らせる。

 幾つも並ぶDVDのパッケージの背に書かれたタイトルは、この部屋の住人のかなり特殊な性癖を表わしている。

 独身とはいえ自分の性癖DVDをすぐ見える棚に並べる神経が警官にはわからなかったが、とはいえ世の中は広い。


 「まあ、これだけの量を一人で吐くなんて、信じられないからなあ。もしかしたら複数の女性と念願のプレイをした結果の事故、かも知れないね」


 動転した大家が人相確認をしようと顔面の上の吐しゃ物を退けて見えた男の死に顔。

 それは、歓喜の笑顔を浮かべているように見えた。


 「スカトロ好きならご褒美な死に方なのかも……なあ」


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真夜中の水鏡 桁くとん @ketakutonn

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