第48話 笑わない笑顔
「やあ、こんにちわ」
カウンセリングからの帰り、私は不意に声をかけられた。
今日は日曜日で、学校はお休み。
私は、私の悩みを、形にならない心をぶちまけに、律子先生のところで相談していた。
つまらない事だと思う。
私の心情。
答えも出てるし、気に入らないなら、他の答えもある。
でも、律子先生に相談するの。
そのつまらない内容をね。
だって、そこにどんな欲求が、欲望が、葛藤が、そのほの暗い自分の血の温度、明度と同じ心の中に隠されているかなんてわからないもの。
自分が思ってるより重く、深刻かもしれない。
律子先生にには私の心を見てもらうの。
で、ほころびたりしているところを指摘してもらうの。
治すのは自分でできるわ。特に私の心は中からしか治せないから。
だから、今日もどんなダメージを受けて、それによって歪んでいる行動や言動なんかが出ていないか。
そんなことばかり心配している。
いつだって、ほころびは小さく、そしてやがて大きく崩壊してゆくものだから。
ああ、もう、一樹を抱いてそのまま寝たい。
なんて、ちょっと弱気な事を考えている、そんなときに声をかけられたの。
おかしいな、この人、今日が休みっていうなら学区外の家にいるから、こんなところでうろうろしてる筈もないのに、って考えてしまう。
一番最初に、直感的に警戒する私は、その存在にたいしてネガティブにそんな答えを出してしまう。
「ああ、そうか、今日はカウンセリングの日だったね」
「先生って、今日はお休み日まで学校ですか?」
それは無い、って私は知ってる。今日はあの学校は閉館日だ。建物的にも空いてない。
「いいや、ちがうよ、ちょっとぶらっと歩いていたら、この町まできてしまったんだよ」
白井先生は言う。
「君こそ、一人なのかい? 旦那さんは?」
だから答える。
「今、一樹は優と、翔と一緒に、おじさんの家に『イワシ』をもらいに行っていますよ」
百匹単位でもらってくるらしい。おおむねは丸干しにして、残ったのは冷凍。そして新鮮なうちに刺身で食べる。結構な数食べる。
「そうか、意外に冷たいんだな、君らならてっきりいつも一緒かと思っていたよ」
冷たい……かあ。
「さすがにいつも一緒ってわけじゃありませんよ、先生」
と私は笑顔で返す。
「でも、君らみたいな早期未成年婚カップルって、だいたい一緒に行動するだろ? 統計っでも出てる」
私は、この先生が何を言いたいのかよくわからなかった。
一緒にいないと冷たい?
夫婦は常に一緒でいるもの?
なら、自分が結婚した時にそうすればいいんじゃないかな? って考える私は、一つ質問をしてみる。
静かな水面に小さな小石を投げ込んでみるの。簡単な二者択一の反応を見たかったの。
「先生、直塚先生っていつ戻ってこられるんですか?」
被害者の私だから、怪訝な顔して言ってみる。でも、じっと、白井先生の顔を見ているの。
直塚先生の話。
思い出したくもないけど、よくも悪くも単純な先生なんだよね。
少なくとも、あの先生、直塚先生ね、私が嫌ってる、ってそういう事を感じてはいたはずなの。
一樹とも仲良くしてたしね、知らないはずなのにね。
だから、あの単純な直塚先生に、ありえない情報を与えた人がいるって考えてるの。
しかも、直塚先生が疑いもしない、説得力のある嘘の情報を、直塚先生が信じてしまうような、そして、その行動倫理に拍車をかけるような、ありもしない事実を伝えた誰か。
なにより、嘘の中に真実を織り交ぜて、だかから、少なくとも私と一樹の事情を知ってる人物。
少なくとも生徒じゃない。
その事実は伏せられている筈だから。
この学校の生徒以外の、生徒の情報を知る人物。
それって担任じゃないかな? ってあたりを付けていたの。
そして根拠もあるんだ。
それは、どうして、あの日。直塚先生を一樹が殴った日ね。
救急車を呼んだのか?
少なくとも、手の怪我って、よほどひどい限り普通は救急車を呼びはしないよ。
出血もなかった。だからあの場所で骨折って気がついた人はいないわ、突き指程度ってだれもが思う。
自分で歩けるし、誰かの私有車、もしくはタクシーで普通に病院に行けばいいの。
でも、先生は、一樹の小指の骨の骨折程度で、救急車を呼んでくれた。
命にかかわるような、そんな怪我でもないし、まして大怪我って言うものでもない。
ここは単純に思うの。
白井先生は、この問題を大げさにしたかったんだな、って……
問題にしたかったのね。
揺らして、響いて、隙間ができるのをジッと見てたんだと思う。
ここ最近、私たちの周りで起こってる事。
全部とはいわないけど、この先生がかかわっている気がするの。
すると、白井先生は、ちょっと遠く、空を仰いで、私を見るの。
「さあ、先生はよくわからないな、あまり体育館にはいかないからね」
って言って笑うの。
能面のような顔。
顔は笑ってる面の形。
その眼だけがぞっとするくらい、強い視線で私を見ていたわ。
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