第49話 立ち上がるのは過ちという名の蜃気楼

 「なあ、数藤」


 白井先生は言う。


 「いや、一樹とは違うからな、一花でいいか?」


 声のトーンが違う。これがこの、白井という教師の隠さない正体かもしれない。


 もちろん、旦那や友人じゃない、この男に名前を呼び捨てされるなんて、いい気はしない。


 それでも、こうして饒舌になってる雰囲気を壊したくないので我慢する。


 「結婚なんてつまらんと思わないか?」


 とか言うの。


 私は黙って、その言葉の先を聞いた。


 「たとえ、今が幸せだとして、この後1年、10年、その時は幸せとはかぎらんだろう?」


 「不幸だともかぎりませんよね」


 こういう理論は律子先生仕込み。言葉尻をつかんで行き去ろうとする言葉をとどめる。


 「不幸なるんだよ、いいのは最初のうちだけだぞ、数藤」


 なんだよ、先生みたいなしゃべりかたして、先生かよ、って先生だよね。


 私は、少し小バカにするみたいに微笑んで、


 「いやだな、実体験ですか? 先生?」


 って言ってみる。


 「そうだよ」


 とか言うからびっくりする。


 なんだ、この豹変は、威嚇や乱雑になってるでもなく、素になってるって事?


 「マジですか?」


 「マジだよ」


 つまらなくはない。むしろ面白い。


 「だいたいだ、まだ16歳くらいで、人生を決定してしまっていいのか? もっといい出会いだってあるかもしれないだろ、私は正直に言ってるつもりだ、数藤」


 うーん、まあ、これはよく言われることでもある。


 つまり、私にとって生涯男は一樹一人って事なんだよね。逆もまたしかりで、一樹にとって、優とか美子ちゃんとかと浮気しない限りは私は生涯一人の女って事になる。


 それはそれでうれしい。


 でも、このロジックを、相対性独占権について、ここに疑問を持ってる人は、結婚するべきではないと思う。


 だって、好きじゃないって事だから、まだ見ぬ希望の君を夢見ているようなら、それは未来の浮気だ。絶対に本能でわかる。逃がしてたまるか、って相手が、きっと、他に類を見ない運命な相手。


 私にとって一樹がそれ。


 「ひどい親だったそうじゃあないか、死んでよかったな、一樹の両親」


 「それでも、一樹は両方とも好きだったんですよ、先生」


 そういう風に言われるとつらいなあ。一樹はさ、あんあ最低の両親でも愛していたんだよ。でも、たいていの一樹の環境を知ってる人間は、この白井先生みたいな反応になるのよね。


 「あいつの両親も、今のお前らみたいに『幼馴染』だったんだろ? いいテストケースがいてよかったな」


 そうなんだよね、一樹の両親って、私たちと同じっているか、まさにそっくりな幼馴染なんだよね。だから、私は一樹のお母さんに良く思われていなかったのかもね。


 何を思って破綻したかわからない夫婦。


 最後はどちらかがきっかけを作ったのか、悲惨な最後になった。


 そう言えば、樹里さんを名乗っていた人って、結局、正体がわからなかったなあ。


 何をしたいのだろう?


 きっと今後も接触してくるだろう。


 一樹狙いかもだけど、用心しなきゃ。


 「先生、なんでこんな事したんです?」


 本気で訪ねてる。だって、その根本がわからないから。


 すると先生は、


 「それは私が聞きたいね」


 ?????


 「いい年した女子高生が、なんで政府のいいないになって結婚なんてしてんだよ?」


 今まで見た事もない表所に、声の色。


 どこか、常軌を逸している感じ。


 常人ではない。


 だから、わかる。この人、根本が違う。


 あ、そうか、さっきからの違和感はこれだ。


 この人、無理して先生してたのかもしれない。


 きっと素はこっちだ。


 どこかで気が付いていたから、私はこの先生を好きにはなれなかったのかもしれない、今となっては結果論だけど。


 「お前らみたいにな、高校生で結婚して、政府の言いなりになっている奴らを解放してやるのさ」


 まるで酩酊しているみたいな目。


 そんな目じゃ、決めつけることはできても覗くことはできない。


 たぶん、この人、本当に過去になにかがあったんだ。


 今だぬぐい切れない過去。未だ引きずっている過去。


 律子先生曰く、こういう輩は、遊戯として人を恨む、人を妬む。人を悼む。


 遊びで自分の心を炙っては、鎮火して、その気分の浮き沈みを楽しんでいる。


 最悪なのは、本人にその自覚が無い事らしい。


 でも、すぐにいつもの先生の顔になって、私の背後を指さす。


 「数藤、お前の心配していた直塚先生な、そこにいるぞ」


 驚き、振り返る私。


 その背後、ほんの数歩離れた場所に、その男はいたの。


 その広い肩幅と、横に広がる筋肉質の体に似合わない、小さな果物ナイフかしら?


 それを体の中心に構えて立っていた。


 色の無い顔、地面から立ち上がる蜃気楼みたいな正気の無い存在感。


 あの時、私を抱きしめた紅潮する顔と勢いに乗った声色。


 そんなものは微塵もなかった。


 別人みたいな直塚先生がいた。


 

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