第5話 異変
『この苦しみから俺を救うのは……、アイツの死のみだああ!!』
禍々しい声色が凄まじい地響きと共に、地上に轟くように響いた。咄嗟に周囲の空気が異様さで満ちた。明らかに皆、様変わりした様子に辺りを見渡し、神経を尖らせていた。
「なんだ!?」
イザミ君の声だ。大のこぎりを右肩に担いだまま、周囲を見渡しながら、声を張り上げた。
『殺すっ、殺す……! あの女を殺す……!!』
またあの声が聞こえた。その出どころはやはりあの蛇から発されていた。現在の蛇は当初の大蛇の面影も無くし、今では彼ら4人の足元へ丸く小さな破片となり、選別された以外のものは、コンクリートの上に空しく転がっているだけだ。そのはずだった。
懸命に戦ってくれた4人によって、先程まではっきりと赤、紫、黄色、青に小さくばらばらに輝いていた蛇の様子がおかしい。その姿を再び確認した時、なぜか先程と様変わりしていた。闇色だ。次第に真っ黒な闇色へ変化を始めていたのだ。そのままその欠片達はひとつひとつ意思をまとうかのように、次第に1か所へゆっくりと這うように集まり始めていた。あの4色が全て溶けあい、混ざり合い、どす黒い色へ様変わりし、薄気味悪い色へ変化している。
「これはっ……! 混色している……! 君達っ、今すぐそこから離れろ!!」
「だがっ、
イザミ君が必死になってそう叫んだと同時に、皆も口々に揃えて反発を始めた。
「そうっちゃ! このままおりたちに引き下がれって言うん!?」
「百道先生は私達を信用されていないのですか?」
「ふふっ、これからまだまだ面白くなりそうなのに~」
3人は
「いいからはやくどけっ! これは混色化だ! 以前教えたはずだ! すぐそこから離れろ!!」
闇色の破片の集合体が、一気に膨れ上がったのは。
一瞬だった。
イザミ君がその大きな牙のある口に捕らわれたのは。
「イザミ君!!」
僕は大きな声を上げた。何も出来ないこの僕は、ただ暗闇の中で声を上げる事しか出来なかった。
「くそっ、だから言ったのに」
隣にいた先生は悪態を付いたかと思うと、すかさず右手に大鎌を持ち直し、闇色の蛇へ向かい、全速力で駆け始めた。リングのピアスを左右に大きく揺らし、黒いローブが向かい風で豪快に肥大した。イザミ君を飲み込もうとしている巨大化した蛇は、イザミ君が大のこぎりを飲み込まれる寸前に歯止めにし、大蛇の行為を辛うじて打ち消しているようだった。だがその歯止めもいつまで持つのか分からない。時間の問題に感じた。大蛇は暗闇を蹴散らすかのように首を縦横無尽に振り、今にも彼を飲み込みそうだった。彼は唇を噛みしめ必死に抵抗し、鋭い牙が囲う監獄の中で死に物狂いで耐え忍んでいた。
「なんであのヘビ、こんなでけぇ姿になっちょん……! しかも黒ぇ!」
「先程先生が言われていたようですが、これは以前教えていただいた、いわゆる『混色化』ではないでしょうか」
「イザミ君には可哀そうなことしちゃったな~」
彼ら3人の落ち着き具合があまりにも異様に見えた。彼らはイザミ君とクラスメイトであり、戦友でもあるはずだ。なのになぜだ。平然を通り越し、まるで目の前で催しされているサーカスでも呑気に見物しているかのような空気感だ。クニ君は同情の言葉を口にしているのに、未だに微笑んだままだ。その憎悪のような微笑みに僕は悪寒さえ感じてしまう程だった。
「君達っ、加勢しろ!」
百道先生から声が届く。そう言われようとも、駄々をこねる無邪気な子供のように3人ともそこから動かなかった。あまりにも落ち着きを払ったまま、平坦な言動を繰り返す3人に、怒りなのか、悲しみなのか、自分の感情さえも自覚出来ぬほどに混乱していた。
その時、何か大きな固まりが地面へ落下したような鈍い音がした。その地へ振り向くと巨大な金属の固まりが空しく転がっていた。大のこぎりだ。彼の武器、そして業。月に照らされ怪しく輝いている。だけど彼の姿だけが一切見えない。僕は血のりがべっとりとこびりついたのこぎりを見つけた瞬間から何度もその思考を遮って来た。何度も何度も。だけどそこにはただ一つの振り払いきれないリアルが転がっていた。先程まで少し照れながら僕に反省を見せてくれた彼は、既にその大蛇の腹の中へ落とされていたのだと。
「イザミく……!!」
この場へいない彼の名を叫んだ。だが、残酷すぎるこの現実に上手く言葉が出ない。言葉でさえもままならないのに、一体僕に何が出来るといういのだろうか。いや、何も出来ない。果たしてここでただ彼の名を呼ぶことが出来たとしてもそれには何の効力もない。どうしようもなく、とりとめのない感情が僕の必死の静止を振り切ってどんどんと溢れてくる。吞み込まれそうになる。
「……皆さん、はやく助けてください!! イザミ君を!」
誰よりも非力な僕は、叫び出したい衝動を必死に押さえた。そしてただ懇願するように、残された3人へ訴える事しか出来なかった。
「なんでお前、そんなに必死なん? もうアイツは助からんっちゃ」
「そうですよ、僕達の力ではもうあの
「ボクはもうちょっと生きてみて、面白い事見てみたいな~なんて」
スサオ君、ロチア君、クニ君が順に口を開いた。この人達は一体何を言っているのだろうか。それとも、スサオ君が言うように、僕自身への言動に疑問を持つべきなのだろうか。己の疑心暗鬼に囚われ、吸い込まれそうになりながら、僕の右腕は先程よりも大きく震えはじめていた。
「だってイザミ君は皆さんの友達、で……」
意識が虚ろになりながらも今にも消えてしまいそうな声で、彼らへどうにか訴えを続けた。
「シュン、イザミはただのクラスメイトやき。それに半人前の死神は、役目の中で死ぬのは珍しくないって教えられたんちゃ。それって普通のことってことやろ? あとはあのセンコーに任せれば大丈夫っちゃ」
「珍しくない……? 普通……?」
スサオ君の浮き沈みのない表情がそうしっかりと語っていた。全くこの場へそぐわないはずの彼の顔をただ唖然と見つめた。先程まで言葉を交わしていたクラスメイトの迫り来る死を当たり前のように受け入れている。その脅威からか、恐怖からなのか、その事実を決して受け入れたくない身体の拒否反応なのか、わなわなと肩が震え出す。他二人もスサオ君と同じように動揺さえも見せない平坦な表情を浮かべている。この人達は何かがおぞましい程に狂っている。僕の身体で行きかう血液が彼らによって吸い取られたかのように血の気が引いていく。
動機が込み上げてくる中、遠くから大蛇の恐ろしい鳴き声が轟いた。見上げるとまた更に巨大化している。それに先程より暴れ方も比にならない程に尋常じゃない。一つに括った銀髪の男性が鋭い牙を身をひるがえすように回避し、対峙を続けている。あの担任は頭部への致命傷を狙っているようだった。イザミ君が飲み込まれてしまった胴体への攻撃は回避しているようだ。彼まであの大鎌で胴体ごと刻んでしまえば救いようのない惨事へと繋がる。脳への攻撃で意識さえ失わせればイザミ君の救出の可能性はまだあると見込んでいるのだろう。だが、尾部分に翻弄され、その攻撃に集中出来ずにいるようだった。頭部の攻撃をかわした時、ムチのような尾から激しく弾き飛ばされてしまった。瞬時に受け身の体勢を取ったが、闇に紛れたコンクリートへ強く打ち付けられてしまった。先生はうつ伏せ状態から顔をゆっくりと上げ、口から血を流し、うめき声を漏らした。だが、その時、百道先生の表情が明らかに変わった。瞳には燃えるような光を宿し、揺ぎ無い決心を浮かべているようだった。そんな悪戦苦闘の中、
「仕方ない、とどめを刺す。……上へ送る」
「上へ……、送る……?」
それは自分でも不思議な程に、こぼれ出た言葉だった。
「イザミ君まで……?」
その時、雷に打ち抜かれたかのように何かが僕の脳を貫いた。あの時の体験がその衝撃と共に残酷に舞い戻った。
***
僕はいつものように市街地にある通学路の歩道を真っすぐに歩いていた。すぐ隣では車やトラックが猛スピードで行きかっている。交通量が多い場所だが、ガードレールがない代わりに植木が所々に植えられている。そんな見慣れた風景の中、いつものように厳しい部活をこなし、くたくたの最中、学校から帰宅していた。茜色に染まるとても綺麗な夕焼け空の日だった。
その時、前からふらふらとおぼつかない足取りで歩いて、こちらへやって来るあの人を見かけた。それは僕が心底嫌う男だった。嫌悪感しかない奴だった。僕の母さんを傷付けた男。この世で一番憎く、視界にさえ入れたくない人物だった。あの人はまたいつものように酒に酔っていた。千鳥足でこちらへ段々と近付いてくる。左手にはコンビニのレジ袋をぶら下げ、右手には日本酒のワンカップを握りしめている。そんな姿の状態で夕日と変わらない程に顔を赤く染め上げていた。周囲を歩く人達は、あからさまにあの男を避けながら横を通り抜けた。どう見ても誰もが近づこうともしない人間だ。
僕は父親が心底嫌いだった。酒への執着が酷く、母への束縛、他人へのひがみや嫉妬も激しかった。時には母へその怒りをぶつけ、何度も泣かせた。仕事も怠け、休みを繰り返していた。パチンコへ通い、借金を背負い、家庭を崩壊させた父親、いや人間だった。僕はそんな人間を、消したい――
何度も何度も、心に刻んできた。
その時、車のクラクションが紅い空の下で鳴り響いた。
「おい、お前っ! あぶねーだろ!! ふらふら歩くんじゃねぇ!!」
運転手からの罵声だった。クラクションを鳴らされた人物、それはやはりあの男だった。どうやら酔いが回り、道路側へよろけたようだ。大声を浴びようとも、特に顔色を変えず、飲みすぎて意識が朦朧としているのか、全く動じていないように見えた。
もうすぐ僕とすれ違う。夕日で染め上げられた歩道で。いつもの日常のように。父とは小学生以来、もう5年程顔を合わせていない。下を向き、歩いている僕にあの調子だと気付くはずもないだろう。そのようにこの瞬間をやり過ごそうとしたその時だった。
ふらり。
道路側へ足を踏み外したあの人がいた。
車が目の前を通過しようとしていた。
僕は昔から父親が心底嫌いだった。
何度も何度も、この世から消したい、そう思っていた。
なのに――
***
そこから目覚めるかのように、視界が一気に様変わりしていた。
白い部屋、白いベッド。
横たわる男の人。
その人には命をこの世と留めているだろう機材がたくさん繋がっていた。包帯も足や手に巻かれ、ギブスのようなものも当てられているようだ。頬にもガーゼが貼り付けられている。白い巻物と、チューブに繋がれている人間は、今にもこの世からいなくなりそうな状態だった。僕はその人物が横たわるベッドのすぐ傍でなぜか立ち尽くしていた。
その人物に僕はとてつもなく見覚えがあった。
「ぼ、く……?」
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