第4話 カルマ
僕は驚愕のあまり、言葉さえ出なかった。
これは果たして現実の事なのだろうか。至って普遍的な夜に、暗闇に包まれた静かな河川敷。コンクリートブロックで囲われたような川付近のすぐ側で、一人の見知らぬ男性が佇んでいる。ここまでは決して非現実とは言えないだろう。だが、明らかに異変が見られる。彼の大きく開けた口から、とてつもない巨大な蛇が飛び出していたのだ。狂ったかのように暴れまわり、その鋭い2本の牙で空を食いちぎっているかのようだ。
頭身から順に紫、赤、青、黄色の4色で、半透明ながら発光する不思議な大蛇だった。大きさは50メートル程にもあるように見える。その信じられないような異様さを合わせ持つ生き物は、うねうねと激しく動き、地面をはいずり回っている。叫び声を上げた女性はもう逃げてしまったのかこの場にはいないようだった。その時、鼓膜を貫くような男性の荒々しい声が暗闇の中に響いた。
『なぜだ! あの女め! なぜ俺を避ける! 許さない……!!』
その激しい怒りへ吸い寄せられるかのように声の発生元へ目線を移すと、燃え盛るように赤く発光している大蛇の中枢にある身体部分だった。すぐ側では、大蛇に立ち向かえそうな程に巨大なハンマーを持つスサオ君もいた。彼はまるで雷神のように荒々しく、激しく大蛇に向かってその武器を撃ち落とす。その攻撃は激しい雷雨の中で打たれる雷のようだった。いや、彼自身が雷なのかもしれない。大蛇への怒りに取り込まれたかのような表情のままだ。だがその顔は先程見た彼よりも更に活力や生気に溢れ、大好きなおもちゃを与えられたかのような幼子のように満ち足りているようにも見える。今や2本の腕を辛うじて通しているだけになっている上部の学ランは、彼の豪快な動きでうねるようにはためき、肩や腹筋からは月夜で少しだけ光らせた汗が染み出ている。灼熱の炎を持ち、燃え上がるような赤髪を風になびかせ、吊り上がった目は血走っているようで瞳孔さえ開いているように見えた。
「へへっ! おめぇの怒りはそげんもんかぁ! そんなんや、おりには勝てんき!」
勢いよく巨大ハンマーを落とした。彼は瞳を爛々と輝かせ、明らかに楽しんでいるように見える。まるでか弱い小動物を捕獲する勇ましい猛獣のように、その場の臨場に高揚している。大蛇は武器が振り落とされる度に、ぐしゃっと鈍く音をたて、無残にもすりつぶされるように小さくなった。幾度となくその攻撃は繰り返され、その度に大蛇は抵抗するかのように激しく悶える。その無慈悲にも見えるスサオ君の行いに、赤い液体が撒き散らされた打ち水のように辺りへ拡散している。その光景に吐き気を促す涼止まない自分の臓物を感じながら、激しく損傷していく怪物を見つめていた。
『俺は誰よりも愛しているのに。なぜだ、なぜ分かってくれないんだ……。いつも側にいたのに……、あいつをこんなにも見ていたのに……』
次は悲愴感に満ちた声色が届いてきた。そこへ目線を移すと、眼鏡を幾度となく押さえながら、左右上下に動き回る大蛇へ何度も銀色の大針を容赦なく突き刺し、その動きを糸で縫い留めている彼がいた。縫われ続けた大蛇は次第に身動きがとれなくなり、その姿も小さくなっていく。糸で縫われたその穴からは、青い何かがゆっくりと垂れ始め、地面へぽつぽつと滴り落ちる。そんな状態になりながらも、プルプルと小刻みに身体を震わせ、力任せで縫い糸を断ち切ろうとしている。まだ生気を決して失ってはいない生き物が僕達へその存在をしっかり示しているようだった。
「あなたの執着はそのようなものですか? そんなイージーな執着で、この私に勝てますかねぇ!?」
僕の瞳には既に刻まれていた。容赦なく幾度も大針を刺しては、口角を不気味に吊り上げるロチア君の姿が。可愛い獲物を見つけた、もう一匹の蛇のようだった。
『あいつは俺よりあんな酷い男を選んだ。あのクソ男はあいつの全てを知っているというのか!? この俺よりもあいつの肌に、全てに触れているというのか!? なぜだ……、なぜなんだ……。あいつは俺だけのものなのに……』
また違う声色が聞こえた。視界を移動させると、彼の身体に全くそぐわない大槍を持ち、一切無駄のないような機敏さと気品さえも漂うわせるかのように戦うクニ君がいた。相変らず女神のような微笑みを作ったまま、何度も鋭い矛先で大蛇を串刺しにしている。彼が戦う部位の色は、輝かしい黄金色に発光していた。
「ふふっ、君の嫉妬はカワイイね。ボクもなんだか焼いちゃうな~、とってもね!」
一切表情を崩さず、無邪気に戦うその非道な姿は、誰よりも一番恐ろしく見えた。
その時、すぐ隣から地面を蹴るような足音と共に、イザミ君の荒々しい雄たけびが届いた。僕の隣にいた彼は、もうそこにはいない。紫色に発光する大蛇の顔へ目掛け、大のこぎりを空に振り上げながら力強く駆けて行く。その様はとげとげしく、破天荒な荒神のような姿だった。だが大蛇も負けてはいない。神々でさえも絶望してしまうかのようなそのおぞましい姿で、イザミ君を噛み潰すが如く攻撃をしかけ、幾度となく繰り返している。彼ら4人の攻撃のおかげで、最初に見た生命力溢れる姿から、明らかに虫の息へ変わっているように見えた。
『もういいや。俺がこんなにもあいつを愛しても、あいつは一向に分かってくれない、振り向いてくれない。挙句の果てに他の男まで作りやがって。どんなに願っても、懇願しても叶わないのなら、ここで終わらせてやる。もうこんな思いは二度としたくないんだ。俺は疲れた……、とても疲れたんだ。思考さえもしたくない……、何も考えたくない……』
当初、この声が何の事を言っているのか全く分からなかった。だが、今なら理解出来た。
「
「いや、まだだ。その時を見極める事が、一番重要であり、一番大事な部分だ。あの子達へ敗れた瞬間が訪れた時、この我の出番だ」
そう言いながら、僕を真っすぐに見つめる銀色の瞳は、頭の中全てを見透かされるように、いや、まだ見ぬ僕の未来を見据えているようにも見えた。
「お前の情けねぇ嘆きなんか、聞きたくもねぇな!! このままそのちんけな業達を消せやぁ!!」
イザミ君がいら立った心中をそのまま荒くぶつけるように叫んだ。彼は大蛇の顔のすぐ近くで右足をいらつくまま力任せに置き、大のこぎりでその太い首を斬り落とし始めたのだ。鈍いギリギリとした音が耳を
「行けるぞ……! スサオ、ロチア、クニ、イザミ! そのまま華麗に行け!!」
その瞬間、4人の息が急に合わさったかのように、それぞれの動きを止め、皆が一斉に目配せをした。
「これで終わりだ!」
最初に動き始めたのは、イザミ君だった。右だけ長い前髪を激しく揺らしながら、のこぎりで4色に発光する大蛇を間髪入れずに輪切りにしていく。
「まだまだやき!」
次にスサオ君が動き始めた。輪切りになった大蛇を、彼の真っ赤な髪と同じように表情にも燃え盛るような闘志を宿している。怒り狂ったかのようにハンマーで叩きつけ、更に弱らせ、ぐしゃりと音を立てながら潰していく。
「どれにしようかな~」
その肉片をニッコリと微笑みながら、楽しむように選別を開始したクニ君がいた。まずは紫色に光っている蛇の頭をぐさりと己の大槍で刺した。鼻歌混じりに、容赦なく次々に体の様々な部位を串刺しにしている。赤、青、黄色、紫の蛇肉の塊が色トリドリに刺さり、最初の姿からは想像も出来ない。
「最後の仕上げです」
ロチア君がいつもの如く、人差し指で眼鏡を得意気に押し上げたかと思うと、銀の大針をひょいと両手で持ち上げた。クニ君が持っている槍に串刺しの蛇肉をがちがちに糸で縫いあげ始めた。そんな状態でも、細切れになってしまった蛇はまだピクピクと動き、生きているようだった。だが、最初の姿からは想像できないほどに小さな姿になってしまっていた。まさしく連携プレイというチーム力のおかげだと、その時僕は思った。
すると
「シュン、これが君達、半人前の死神達の役割、そして実習でもある」
「半人前の死神……?」
チームプレイを冴え渡らせたあの4人は、小さくなってしまった色とりどりの蛇をあの男性の口へ無理やり押し込むように、食べさせていた。男性は意識がないせいか、そのままされるがままだ。一番小柄なクニ君がふふっと笑っている姿が見えた。
「人は、誰でも様々な
百道先生は僕から小さくなった大蛇の破片へ目線を映し、もの悲しげに見つめながら、続けた。
「あの者は、深く愛する女性へストーカー行為を繰り返し、命を奪いかねない程に業を膨らませた。最初は愛する女性だけを思う、暖かな
僕は、
「そのような者達を死神達は事前に見つけ、対処している。我らは生徒達を受け持ち、その半人前の死神達によって行き過ぎた
今、あの4人に小さな蛇を口に無理やり押し込まれている男性は、ストーカー行為などを行わない、本来の姿、ただ一人の女性を愛する人間の姿を取り戻すのだろう。
「……では、生徒を受け持っている
僕の質問に、先生は一瞬深い悲しみに包まれたような横顔を見せた気がしたが、すぐに悪戯な笑みを浮かべこちらへ振り向き、逆に尋ねてきた。
「ああ、そうだ。……その顔は、納得いっていないようだな? この肩書が、か?」
図星を付かれ、少し焦ってしまった。まさしくそうだ。今の話を聞く限り、『死神』なんて恐ろしい神の名を名乗る必要なんてない気がしたからだ。
「ではなぜ『死神』と名乗るのですか……?」
「それは、」
先生が何かを言いかけたその時だった。とてつもなく大きな声が僕の鼓膜を貫いた。それはあの奇怪な生き物から再び発せられたものだった。
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