第25話 当日の朝

 朝。休日だと言うのに、やけに早い時間に目が覚めた。


「……六時半、か」


 待ち合わせの時刻は十一時。例の公園で会うことになっている。


 八時頃までなら眠っても良いのだが……目が冴えてしまった。



 しかし。昨日に比べれば緊張の度合いはまだ幾分か楽だ。


「……んぅ、あれぇ? 佳音くん?」


 その時、陽葵姉が俺に気づいて起きてしまった。月雫姉と空姉はまだ起きてこない。


「ああ、陽葵姉。少し目が覚めてしまってな」

 俺がそう言うと。陽葵姉は寝転びながら……両手をがばっと開いた。

「……おいで」

「……え?」


 陽葵姉の言葉に思わず間の抜けた声が出た。


「一緒なら眠れるよ。おいで」

「い、いや。しかしな」

「もう、早く……んみゅう。おいで」


 陽葵姉は眠そうにしながらも、優しく俺に微笑んでくれる。


 俺は意を決して……空姉を押しつぶさないよう気をつけて移動しながら。抱きついた。


「えへへぇ……佳音くんの匂いがする」

「……陽葵姉の匂いがする」


 どこか甘く、柔らかい匂い。自然と心臓がうるさくなるような……しかし、同時に落ち着く匂いでもあった。


「佳音くん、私いい匂い? 変な匂いとかしないかな?」

「ああ、いい匂いだ」


 こう言うと少し変態のように思えるが。答えない訳にはいかなかった。


「んふふぅ、そっかぁ。佳音くんもね。すっごいいい匂いだよ」

「そ、そうか……」


 寝惚けているのだろう。とろんとした目で優しく俺の頭を撫でていた。


「えへへ。知ってるかな? 相手の匂いが好きな匂いだったら遺伝子的に相性が良いんだって」

「ど、どこかで聞いた事あるな……」

「ふふ。遺伝子的に相性が良い……運命みたいで良いよね」


 そのまま陽葵姉が俺を強く抱きしめてくる。その甘い匂いと共に、柔らかいものが顔に押し当てられた。


「大好きだよ、佳音くん」

 陽葵姉はそう言って……俺の背中をとん、とんと叩き始めた。まるで、母親が自分の子供にするように。


 少し恥ずかしかったが……それ以上に、陽葵姉の優しさが伝わってきて。


 冴えていたはずの目はいつの間にか、閉じ始めていた。


 ◆◆◆


「佳音くん、起きる時間だよ」


 そんな優しい声と共に。俺はまた眠っていたのだと分かった。


「ぅ……ああ」


 しかし、瞼が重い。それに、目の前にあるふかふかでふにふにの抱き枕が心地良すぎる。





 ……あれ? 俺の部屋に抱き枕なんてあったか?



 俺は眠たい瞼を擦ろうとして。ぽよんと何かに当たった。


「……んっ」

「……?」


 俺はそんな声がなんなのか分からないまま、目を開けると。



 目の前に大きくて柔らかい物……陽葵姉の胸があった。



「……え?」

「ふふ、おはよう。佳音くん」


 その声と共に俺は顔を上げる。……とても良い笑顔をしている、陽葵姉の姿があった。


「え、えっと……俺は一体何を……」

「ん、のんちゃんが陽葵お姉ちゃんを抱き枕にしておっぱいに顔を押し付けてた。陽葵お姉ちゃんも起きる時間だったけど、のんちゃんが離れたくなさそうにしてたから私達でずっと寝顔を見てた」


 その言葉に俺はバッと辺りを見渡した。……しかし。月雫姉の姿は見えない。


「あ、月雫はご飯作りに行ってくれてるよ。……私を抱きしめて眠ってる佳音くん、可愛かったよ」

「ん。今日は私の番だからね」

「い、いや。そのだな。それはさすがに……」


 俺はまだ陽葵姉を抱きしめている事に気づき。俺は慌てて手を離した。陽葵はそんな俺を見てクスリと笑う。


「ふふ。それじゃあ行こっか。月雫の所」


 陽葵姉の言葉に俺は頷き、二人と共にリビングへと向かったのだった。


 ◆◆◆


 朝食は軽めに食べ。俺は準備をする。



 準備、と言っても着替える程度の事しかしないのだが。


 俺は制服に袖を通しながらも考える。



 今日、あの公園で会おうとする理由は簡単だ。そもそも長い時間話すつもりは無い。というか出来ないから。

 それと、もし飲食店などで会った場合。俺がパニックを起こしてしまえばその飲食店に迷惑がかかってしまうから。


 俺はふう、と息を吐いてベッドに座る。まだ出るまでの時間はあった。


 じっと時計を見ていると。こん、こんと扉がノックをされた。


「お父さんだよ、入ってもいいかい?」


 どうやら父さんのようだった。


「ああ、大丈夫だ」


 俺がそう返すと、扉が開かれた。



「準備はもう出来ているようだね」

「少し早かったかもしれないけど」

「いや、大丈夫だよ。準備は早いに越したことはないからね」


 ……ちなみに、俺はこうして外に出る用事がある時はかなり早めに準備を終わらせる。今まで深く考えた事は無かったが……多分、父さんを見てきたからだと思う。


 父さんも同じように、準備はかなり早く終えるのだ。出発する一時間前には整えている程に。


「佳音、ちょっと立ってみて貰えるかい?」

「……? 分かった」


 父さんの質問の意図は分からなかったが、言われた通り俺は立ち上がった。


 すると、父さんは近づいてきて……俺をまじまじと見てきた。


「……大きく、なったな。佳音。これだとお父さんも近いうちに抜かされそうだ」


 俺は父さんの言葉に目を丸くした。


 今まであまり考えてこなかったが、確かに父さんの身長に近づきつつあった。


「昔はお父さんの腰ぐらいまでしか無かったのに……本当に、大きくなった」


 しみじみと。言葉の一つ一つを噛み締めるように、父さんは言う。



「……父さん」


 それを見ていると。俺は思わず伝えたくなってしまった。



「俺を育ててくれて、ありがとうございます。俺は、父さんの子供で。本当に良かった」

 そう言って頭を下げると。父さんは優しく笑った。


「お父さんこそ。ありがとう、元気に育ってくれて。優しく、かっこいい子に育ってくれて」

「……俺は。まだまだだよ」

「いいや、そんな事は無い。佳音はお父さんの自慢の息子だよ。……なんせ、可愛いお嫁さんが三人も居るんだからね」


 俺は父さんの言葉に頬をひくつかせる事となった。


「そ、その辺はだな……」

 この事は父さん達とまた話し合わないといけない。……しかし、どう話せば良いのかまだ分からない



 頭の中が真っ白になっていると、父さんは笑った。


「大丈夫だよ、佳音。そんなに怯えないで。……陽葵ちゃん達から直々に言われてたんだよ。『佳音くんを私達のお婿さんにしてください』って」

「ひ、陽葵姉!? 何やってるの!?」

「ふふ。あの時はお父さんも驚いたな。……とにかく、佳音」


 父さんはまたじっと。俺を見た。



「お父さんは佳音が幸せになってくれればそれで良い。佳音が決めた道なら全力で応援するよ。……佳音ならきっと三人も幸せに出来る。お父さんは信じてるよ」

「……ああ。頑張る」


 その事も後々よく考えなければ。


 そうしてしばらく話していると、すぐに時間は過ぎていった。


「佳音。そろそろ行こうか」

「ああ」


 父さんの言葉に頷き。俺は歩き出した。




 もう一人の親へ。伝えるために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る