第17話 約束

 頭の中が真っ白になった。ただ、甘く。優しい温もりが全身を包んでいた。


 すぐ目の前には陽葵姉の顔があって。その手は背中に回されていて。強く……強く、抱きしめられていた。



 数十秒ほどして。ゆっくりと……その唇が離された。



「……落ち着いた、かな」

 陽葵姉はニコリと笑って。そう言った。その指が俺の目元を拭ってくれる。



「ふふ。良かった。落ち着いてくれたみたいで」


 頭の中は疑問で満たされていた。



 今、俺。陽葵姉にキスされた? どうして? なんで?


 そんな気持ちを……どうにか。言葉にする。

「なん……で」


「もう、思い出したんでしょ? 私達が引っ越す前の日。約束したじゃない」


「――あ」


 その時俺は。膨大な記憶の中から。一つの記憶思い出が鮮明に思い出された。


 ◆◆◆


「明日……なんだよね。引っ越すの」

「うん。でも、絶対。帰ってくるから。佳音くんの所に」


 陽葵姉ちゃん達が引っ越す前の日。僕達は集まって、お別れ会をしていた。


 いっぱい泣きそうになって。でも、悲しい気持ちは見せないように。頑張った。


 それでも……僕はつい。そう口走ってしまったのだ。


「うぅ……やっぱり佳音と離れたくない」

「……ん」

 月雫姉ちゃんと空ちゃんがぎゅっと抱きついてきた。僕も……そんな二人と離れたくなくて。ぎゅっと抱きしめた。


 そんな僕を陽葵姉ちゃんは見て。ぽん、と手を叩いた。


「じゃあさ、約束しよ。佳音くん」

「約束……? 帰ってくるっていう?」

「それもあるけど……もう一つ」


 陽葵姉が近づいてきて。しゃがむ。陽葵姉ちゃんの可愛く……少し大人びた顔が目の前に来た。


 そして、その顔がもっと近づいてきて。――ちゅっと。


 おでこにちゅーをされた。



「私達が戻ってくる時はもーっと魅力的なお姉ちゃんになって帰ってくるから。その時はお口にちゅーしてあげる」

「ずるい! 陽葵姉、私も!」

「……私も」

 陽葵姉ちゃんに続いて、月雫姉ちゃんと空ちゃんまで僕のおでこにちゅーをしてきた。


 それを陽葵姉ちゃんがニコニコと見て。口を開いた。

「ふふ。それでね。私達が帰ってきたら……三人とも、お嫁さんにしてね?」


 その言葉に。僕はの心臓がドクンと跳ねた。


「で、でも……」


「月雫も空もさ。もっと、もーっと綺麗になってからさ。佳音くんを驚かせようよ」

「……そしたら佳音、結婚してくれる?」

「え! ……え、えっと。頑張る。……頑張ってお金も稼げるようにする」

 僕がそう言うと。空ちゃんが笑った。


「ん、大丈夫だよ。私達も支えるから。佳音くんと結婚出来るだけで私達も幸せなんだから」

「じゃあが……頑張って幸せにする」

「うん、私達も頑張って幸せにするよ。……それじゃあ、約束。小指出して。佳音くん」


 陽葵姉ちゃんに言われて。僕は小指を出した。


 その小指に陽葵姉ちゃんが。月雫姉ちゃんが。空ちゃんが小指を絡めてくる。



「ゆーびきーりげーんまーんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆーびきった!」


 ……そうして、指切りをした後は。眠くなるまで四人で遊んだのだった。


 ◆◆◆


「ふふ。やっと約束。守る事が出来たね」

「……ッ、で、でも。俺は。約束を守れなくて」


 あの事故があってからはどうだ。友人も減っていき、前ほど勉強もしなくなって。……中学に入ってからは、周りとの差が明確になって。


 気がつけば……昔、想像していた高校生の姿と。大きく異なってしまった。


「ううん、佳音くんは頑張ってるよ。私が――私達がずっと見てたから」

「昔は……もっと、今よりもっと頑張っていた」

「もう、あんまり悲観的な事言わない。言わなくなるまでまた唇、塞いじゃうよ?」


 陽葵姉の言葉にまた俺はピクリと肩を跳ねさせてしまった。



「……それに。佳音くんが約束を守れていないって言うんだったら。待つよ。いつまでも。支えるよ」


 そう言って。陽葵姉はぎゅっと俺を抱きしめた。



「……でも、そっか。佳音くん。思い出したんだ」


 陽葵姉の声が耳にこそばゆい。……陽葵姉は。言葉を続けた。


「お義父さんから聞いたよ。会った、んだよね」


 その言葉に。心臓がドクンと跳ねた。全身から嫌な汗が流れ出す。



「佳音くん。私が。私達が傍に居るから。大丈夫だよ。もう絶対に佳音くんは傷つけさせない。……お母さんが居なかった間の愛情は、私達が注ぐよ。一生をかけてでも」


 陽葵姉の言葉が。優しく俺の心を包む。




 ……ああ、そっか。そういう事だったんだ。


 陽葵姉が、月雫姉が、空姉が俺をずっと――甘やかしてくれたのは。


 母さんが居なくなった俺のためだったのか。


「……まさか。父さんが再婚したのも」

 俺のため……だったりするのだろうか。自然に……俺と陽葵姉達を引き合せるための。


「んー。半分は合ってるかも。でも、お母さんはお義父さん……佳音くんのお父さんの事、昔から気になってたらしいよ? だから丁度良かったんだよ」

「……そうだったのか」

「うん。えへへ。佳音くんと電話が出来なくなって、私達も我慢できなかったのもあるんだけどね。……覚えられてなかったのは寂しかったけど。でも、ちゃんと佳音くんは佳音くんだったから」


 陽葵姉が少し離れて。俺の手をぎゅっと握った。


「とりあえずさ、月雫達のところ行こ。私だけ佳音くんにキスしたってなったら二人に怒られちゃうから」


 そう言って陽葵姉は微笑む。俺は……その言葉に。顔が固まった。


「……き、聞こうとは思っていたんだが」

 どうにか。言葉を絞り出す。陽葵姉はこてんと首を傾げた。


「なあに?」


 俺は勇気を出して……口を開いた。


「幼い頃のあの約束は……まだ本気なのか? 三人とも」


 あくまで子供の頃のお話。笑って一蹴されてもおかしくない約束なのだが。




 陽葵姉はニコリと笑いながら。しかし、その目はじっと俺を見て。


「本気だよ。私も、月雫も、空も。佳音くんにお嫁さんにしてもらう約束は。一時も忘れた事はないよ」


 そう、言ったのだった。

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