第16話 記憶喪失
お父さんとお母さんが離婚した。それは、僕が陽葵姉ちゃん達の家に何日かお泊まりをした後の事で。僕はすっごく寂しかった。お父さんもお母さんも仲が良かったのに、なんでと聞いたら。
「お母さんはね。大事な……とっても大事な約束を破っちゃったんだ。ごめんね、佳音まで巻き込んでしまって」
その約束がなんなのか教えてくれる事はなかったけど。でも、お父さんは前より僕と一緒に居てくれるようになった。お父さんがお仕事で遅くなる日は陽葵姉ちゃん達と一緒に晩御飯を食べたり、お昼ご飯を食べたから。楽しかった。
そんなある日……陽葵姉ちゃん達が引っ越す事になった。僕が小学二年生の時の事だ。
なんでも、陽葵姉ちゃん達のお母さんの転勤が決まったらしい。初めてそれを聞いた時は……僕も、三人も泣いてしまった。
そして、引越しの日が来た。
「ぜったい! ぜーったい戻ってくるからね! 佳音くん!」
「うん。絶対、もっと可愛くなって帰ってくる。約束も守りに来るから」
「ん……」
陽葵姉ちゃん達も涙ながらにそう言ってくれた。空ちゃんはぎゅっと抱きしめてくれた。
「僕も、もっとかっこよくなるから! 勉強もたくさんするから!」
「ん。のんちゃんなら出来る。楽しみにしてるね」
陽葵姉ちゃん達とは離れ離れになった。でも、一週間に一回電話をして。色んな話は出来たから。
全然寂しくなかった。
学校生活も楽しい。友達がたくさん出来たし、空ちゃん達と約束した通り、勉強もいっぱいしたから。テストでもいっぱい百点を取れた。お父さんに言うとすっごくたくさん褒めてくれる。
……でも、料理だけはしなかった。これは月雫姉ちゃんとの約束。「いつか、私が料理を教えるから。その時までは勉強しないで」って言われたのだ。
また、会える日を楽しみに。僕も頑張っていた。
そうして僕は小学三年生に上がった。勇気を出して学級委員長にもなって。みんなをまとめられるよう、話し合いでも頑張って自分から発言出来るようにした。
お父さんにも褒められるし、陽葵姉ちゃん達ともいっぱい電話をして。いつの間にか、寂しさも忘れて。楽しい日々を過ごしていた。
そんなある日の事。
僕が学校から帰る道の途中に、居酒屋がある。
普段はその道を通らないよう、お父さんにも言われていた。……でも。この日は。
見慣れた背中があって。僕は気がついたら、横断歩道を渡っていた。
自然と胸がドキドキする。人違いかもしれない。……でも、そうじゃなかったら。
褒めてくれるかもしれない。また、昔みたいに。
そう考えると、自然と歩く足が早くなった。
「お母さん……お母さん!」
そう言いながら近づくと。お母さんは振り向いてくれた。
「誰? あんた」
「……え?」
僕は一度目をごしごしと擦り。お母さんを見る。
……やっぱり、お母さんはお母さんで。その机の上にはビール缶が何本も置かれていた。
「……お、お母さん!」
「だから。あんたみたいなクソガキ、知らないって言ってるでしょ!」
その怒鳴り声に僕はビクリと震えた。そして……お母さんは近づいてきて。
ピシャリと。頬を叩かれた。その瞬間、僕は分かった。
お母さんは僕が嫌いなんだ。あの時から、ずっと。
お酒を飲んだらその人の本性が出る、ってテレビでも言ってた。そっか。そうなんだ。
お母さん、僕のこと。嫌いだったんだ。
気がつけば。涙が溢れ出していた。そのまま僕は走る。逃げる。今は。お母さんから離れたかった。
でも。それが良くなかった。視界が滲んで。前がよく見えなかったから。
気がつけば、僕は道路から飛び出していて。
キキーッという嫌な音と、ピーーッというクラクションの音が聞こえ。
次の瞬間、僕は跳ね飛ばされていた。
◆◆◆
「うあああああああああああああああ!」
自分の叫び声で目が覚めた。
心臓がバクバクと高鳴って。全身から汗が噴き出して。
自分の頭を掴み。もう片方の手で自分の脚を強く握る。
心臓がうるさい。涙が溢れ出してしまう。
痛かった。怖かった。でも、それ以上に
辛かった。
「う、あぁ」
あの時、名前を呼ばれた時に不思議に感じた高揚感はこれだった。
自分の事を覚えていてくれたのだと。嬉しかったから。
「はぁ……ッ」
その時。俺はまた一つ。思い出してしまった。
あの約束も。守れていない。
唇を噛み締め。自分の手を引っ掻いて。
情けない。自分が。本当に……情けない。
こんな情けない姿を三人に晒すくるいなら。いっそ、壊れてしまえば――
「佳音くん」
名前を――呼ばれた。でも、顔は上げられない。こんな顔――見せたくない。
ビクリと震えて。またこんな自分が情けなくて。
でも――そんな俺の顔がしっかりと掴まれ。無理やり上げられる。
すぐ目の前に、陽葵姉の顔があった。視界が滲んで……よく見えないけど。陽葵姉の顔を見間違える事は無い。
「佳音くん」
また、名前を呼ばれる。
「ひまり……姉」
「思い出したんだね。全部」
その言葉に俺は。弱々しく頷いた。
「そっか……。私……私達ね。決めてたんだ。佳音くんに記憶が戻ったらどうするのか」
陽葵姉はそう言って。ニコリと笑った。
「佳音くん。大好きだよ。これまでも、これからも。ずっと」
そうして、陽葵姉の顔が近づいてきて。
柔らかい唇が。重ねられたのだった。
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