第14話 母さん

 何も。何も考えられない。考えたくない。


「おかえ……り?」

 家に帰って。空姉がそう言ってくれても。何も言えないまま部屋へと向かう。視界がチカチカと点滅し、呼吸が荒くなるのが自分でも分かった。


「……佳音?」

 月雫姉の隣を通り過ぎて。拳を握りしめて。


「佳音くん? どうしたの?」

 陽葵姉の顔も見られないまま。


 俺は。自分の部屋に入った。


 背負っていたカバンを投げ捨て。……ああ、違う。あれはカバンの中だ。


 口の中にせりあがってくる酸っぱいものをどうにか飲み込み。俺はカバンから黒い……エチケット袋を取り出した。


 そしてそのまま。胃の中の物をぶちまけた。そうしなければ……耐えられなかった。


 吐く。何度も。胃の中の物が空っぽになっても。吐き続ける。


 嗚咽が止まらない。涙も。そうして蹲っていると……声が聞こえた。


「佳音くん!? 大丈夫!?」


 陽葵姉の声だ。


「……だい、丈夫。少し、一人にして欲しい」


 俺はそう言って。扉の鍵を閉めた。何度もノックをする音と声が聞こえたが……数分で無くなった。


 今の顔は見られたくなかった。……恐らく、相当酷い有様になっているから。


 吐いて。吐いて。喉が痛くなってもまだ吐き気がして。




 一時間ほどしてやっと……吐き気は治まった。しかし、今度は頭が痛い。


 俺はエチケット袋にティッシュを詰め。更にビニールで何重にも包み。ベッドへと寝転がった。


 嫌だ。何も考えたくない。もう、何も――思い出したくない。


 しかし――俺のそんな気持ちとは裏腹に。無かったはずの記憶がどんどんと込み上げてきた。


 その度に俺は拳を握り。自分で自分の手を引っ掻き……。


 ……ああ。この手の細かい傷。事故でついたものじゃなかったんだ。


 そんな事をぼんやりと考えながら……意識を落とした。


 ◆◆◆


『かーのんくーん! あそぼー!』


 こん、こんと。扉がノックをされる。


「ほら、佳音。可愛い幼馴染達が遊びに来たわよ」


 そんな母さんの声と共に。俺は――僕は家から出た。


 そこに居たのは。三人の女の子。


 一人は元気そうな――太陽のような明るい髪をした女の子。陽葵姉ちゃん。

 そして、もう一人は黒髪をツインテールにした。気の強そうな女の子。月雫姉ちゃん。

 最後に……二人の後ろにいる、真っ白な髪をした女の子が空ちゃんだ。


 三人は僕の幼馴染だ。空ちゃんと僕は同じ病院で生まれたらしい。それで、よく遊ぶようになったのだ。


「今日は何して遊ぼっか? おままごとにする?」

「うん! おままごとがいい!」

「ふふ、分かった。月雫はお母さん役にする?」

「うん。お父さん役は佳音」

「私は赤ちゃんの役、する」


 四人で遊ぶ時はよくおままごとをしていた。近くにあった公園で。配役もいつもと同じ。陽葵姉ちゃんはおばあちゃん役だ。


「あらあら。佳音。今日は遅かったじゃないですか?」

「お父さん? 次遅くなったら晩御飯抜きにしますよ?」

「おんぎゃあ」

 空ちゃんの棒読みな演技に微笑みながら。そのおままごとに参加する。


「ごめんね。お仕事で遅くなっちゃったんだ。明日からは遅れないようにするから許して欲しいな」

「ご飯、冷めちゃうから。早く食べちゃいましょう。私達もお腹がぺこぺこなんだから」


 そう言って月雫姉ちゃんが出してきたのは。「LO♡VE」とケチャップで書かれたオムライス。


 それを食べて。僕は月雫姉ちゃんに抱きつく。


「ありがとう! すっごい美味しかったよ!」

「あ、あなたのお嫁さんなんだから。これぐらい出来て当たり前よ」

「おんぎゃあ。ぱぱ、だっこ」


 そして。泣き声を上げる空ちゃんをだっこ……はまだ難しいから。膝の上に寝かせる。


「空ちゃんも。おやすみ。大きくなるんだよ」


 その頭を撫でて。そう言うと。すやすやと寝息が聞こえてくる。


 空ちゃんはおままごとの最中にお昼寝をするのだ。これから一時間近くは起きないから、いつも足が痺れてしまう。


「……! お、お父さん。私も……寝たいな」

「おばあちゃんも!」


 そして、月雫姉ちゃんと陽葵姉ちゃんも僕に寄りかかってくる。そのままみんなでお昼寝になる事もある。今日はそれらしい。


 そのまま僕も。背中にいつのまにか置かれていたクッションに頭を置いて。目を閉じた。


 ◆◆◆


「……ッ、はぁ」


 目が覚めた。時計を見ると……十分しか経っていない。


 酷く頭が痛む。


「くすり……」


 喉も酷く痛い。声もガラガラだ。


 俺はカバンから水の入った水筒と痛み止めを取り出し。飲んだ。


「……ッ」


 やっと落ち着き始めたはずの鼓動が。また跳ねた。


 嫌だ。これ以上は。思い出したくない。


 幸せな記憶だけで。良いじゃないか。思い出さなくて。良いじゃないか。





 いやだ。もう。



 ◆◆◆


「お父さん、遠くに行っちゃうの?」

「ああ。でも、たった一ヶ月の辛抱だよ。お母さんと二人で仲良く過ごすんだよ。もちろん、お隣の陽葵ちゃん達とも仲良く、ね」

「……うん、分かった!」


 僕が小学一年生になって。夏休みが終わった頃。お父さんはどうやら、たんしんふにん?と言うのに行くようだった。


 少し寂しいけど……お母さんも居るし、陽葵ちゃん達も居る!


 僕はお父さんを見送った。


 それから先も、楽しい日が続いた。


 陽葵姉ちゃん達と遊ぶ。日向ぼっこをしたり、陽葵姉ちゃんと絵本を読んだり。月雫姉ちゃんがお母さんとクッキーを作って持ってきてくれたり。空ちゃんとぎゅってしたり。


 そんなある日。僕は夜、おしっこに行きたくて起きた。

「……お母さん?」


 いつもは隣にいるはずのお母さんが居ない事に気づいて。僕はリビングを見た。そこにお母さんは居た。


「お母さん? どう……したの?」


 お母さんは真っ赤な顔をして。僕の顔を見た。









 その瞳は濁っていて。僕を見ているのに、僕を見ていない。そんなかんじがした。

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