第10話 名前

「よ、良くない事を聞いたのならすまない。忘れてくれ」

「あはは……良くない訳では無いんだけど、ね」


 陽葵姉が俺に気を使ってかそう言ってくる。


 その間もじっと空姉は見てきて……。


「呼びたい、名前がある」


 と。そう言ってきた。

「呼びたいって。あだ名みたいな事か?」


 俺の言葉に空姉はこくりと頷いた。


「別にどう呼んでくれても構わないが……」


 空姉はそう聞いて目を輝かせた。

「じゃ、じゃあ! のんちゃんって呼びたい!」


 ……。


「の、のんちゃん?」

「ん。佳音かのんの『のん』でのんちゃん」


 し、しかしそれは……男子高校生に付けるあだ名では無い気がするが。


 でも、どう呼んでもいいと言ったのは俺だ。


「……わ、分かった。空姉がそう呼びたいのなら。そうして欲しい」

「……!」


 ……きっと、空姉も断られると思っていたのだろう。驚いたような顔をして。


「……のんちゃん、大好き」


 力強く俺に抱きついてきた。いや、嬉しいのは分かるんだが。やばい。当たってる。色々と。


 だが。空姉は純粋な気持ちから抱きついているはずだ。我慢しなければ。


 そんな俺の葛藤に気づかなかったのか……そんな俺達を更に。月雫姉と陽葵姉が抱きしめてきた。


 そうして揉みくちゃにされながらも空姉が「のんちゃん」と呼ぶのを聞いて。


 ――思っていた以上に聞き馴染みがあって驚いてしまったが。


 ◆◆◆


 ――あれからずっと、嬉しさが止まらない。


 ずっと、呼びたかった。昔のように。でも、嫌がられると思った。嫌われたく無かったから呼べなかった。


 二人はずっと、大丈夫って言ってたけど。勇気が出なかった。


 だから、最初は――のんちゃんが全部思い出した時に。呼んでもいいか、聞いてみようって思ってた。


 良かった。言えて。


 思わず抱き枕を強く抱きしめる。ダメだ、これじゃ足りない。


 ……そういえばのんちゃん、今日は筋トレしたかな。


 ◆◆◆


「ふゎぁわ」

 今日はやけに眠い。……と思ったが、いつもより少し早く朝起きたからだろうか。


 早めに眠ろう。一度伸びをし、着替えようと立ち上がった所で脚に違和感があった。


「……ああ、そうだ。慣れない筋トレをしたんだ」


 風呂に入りながらマッサージをしようと考えていたが、すっかり忘れていた。


 面倒だが、こういうのはしっかりやらないと明日に響く。


 ベッドに腰掛けた所で。扉がノックされた。


 そうして入ってきたのは……空姉だった。


「ん。スタンプカード押しに来た。やった?」

「ああ。今日は初日だから軽めにだがな」

 俺がそう言うと。空姉は近づいてきて……頭を撫でてきた。


「ん、偉い偉い」

「……」

 恥ずかしいからやめてと言おうとしたが……嬉しそうにしていたので言わないでおく。


「と、とりあえず……早速一つ目。押して貰えるか?」

「任された」


 引き出しに大切にしまっていたスタンプカードを取り出し。……空姉へと渡すと。ポン、と一日目にスタンプを押して貰った。


 スタンプは……可愛らしいリンゴのマーク。


「お、リンゴなんだな」

「ん。のんちゃん、果物でリンゴが一番好きだから」

「ああ。ありがとう」


 空姉のこうした細やかな気遣いに微笑んでいると。空姉は言った。


「それじゃ、早速一日目のご褒美あげるね」

「……待て待て。早くないか? まだ一日目だぞ?」

 普通こういうのは五日目とか十日目とか……そうした区切りでするものじゃないのか?


 そう思って言うと。

「ん。こういうのは初めが肝心。なんなら初めてのスタンプだからご褒美二つあげちゃう」

「そんなテレビショッピングみたいな……」

「それじゃあ一個目。行くよ?」


 空姉の圧に少々負けてしまい。俺は頷いた。


「ん。じゃあ寝転がって」

「ああ」


 空姉に言われた通り……俺はベッドに横になる。そして。


「ぎゅー!」


 空姉はそう言って。俺に抱きついてきた。


 今までにないぐらいの力強さで。気木に抱きつくコアラのように、腕と脚を絡ませて。


 反射的にこちらからも抱きしめていた。空姉の嬉しそうな声が耳へと届く。


 ……ひょっとして、抱きつきたかっただけなのかと思いながらも。そんな都合のいい事ある訳ないよなと否定する。そうしていると。


 首筋に。甘い感触があった。


「そ、空姉!?」

「んむ」


 空姉が俺の首筋をんでいた。思わず声を上げてしまったが……空姉は止めてくれない。


 柔らかい唇に何度も食められ。柔らかい体の感触が嫌でも伝わってきて。


「……ん、おっきく、なって「言葉にしないでくれ……」」


 そこで空姉はやっと……食むのをやめて。上目遣いに俺を見てきた。


「もう一つのご褒美……のんちゃんが決めて。なんでもするよ」


 ゾクリと。全身の毛が逆立った。


「だから、空姉。そういう事はあまり男子の前で言わないでくれ」

「……良いんだよ? のんちゃんなら。私、何をされても」

 その言葉に思わず喉が詰まる。それと同時に……俺はとある事に気がついた。


「……陽葵姉? 月雫姉? 何してるんだ?」


 扉の方に。俺達をじーっと見ている視線があったのだ。

 俺と目が合った二人は……気まずそうにお互いを見ていた。


 ◆◆◆


「むぅ。二人とも、居るなら居るって早く言って」

「えへへ。ごめんね、空。昨日の私みたいに佳音くんのお布団に潜り込むのかなって。もしそうなら私も〜って思っちゃって」

「わ、私は別に。空が佳音の部屋に入ったから気になっただけだし」


 今現在、空姉が絶賛お怒りである。……怒っている理由がアレなのだが。


「もう、言ってくれたら二人と一緒にのんちゃんにご褒美あげられたのに」

 空姉の言葉に思わず苦笑する。……覗かれていた事は怒っていないらしい。


「でも、ご褒美に関しては空に一任した方が良いかなぁって。ね、月雫」

「うん。そこは私達はあんまり行かない方が良いかなって思ってる」

 二人の言葉を空姉が聞いて。こくりと頷いた。

「……ありがと」


 しかし……この様子だと二人にも話していたらしい。いや、悪い訳では無いんだが。少し恥ずかしさがある。


「それは置いとこ。それよりのんちゃん、あと一つのご褒美。どうする?」

 俺は空姉の言葉に考える。

「……ああ、そうだ。じゃあ空姉。手脚のマッサージをしてくれないか?」


 丁度やろうと思っていた所だ。俺がそう言うと……空姉はこてん、と首を傾げた。


「……えっちな事じゃなくて、良いの?」

「やらないから。……それとも、嫌だったりするか?」

「ううん。やる。やりたい」



 そういう事で、もう一つのご褒美はマッサージになった。


 そうして話していると――

「……ねえ、佳音」

 月雫姉が話しかけてきた。

「……? なんだ?」

「料理、少しだけ教えてあげる」


 唐突なその言葉に。俺は目を丸くしたのだった、

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